「約束」 The Days of Multi <番外/時空編> 第7章 セレナ −−−−−−−−−−−− <おもな登場人物> 柏木次郎衛門 かつてのエルクゥ討伐隊の長。今は雨月山の庵で細々と暮らしている。 リネット 次郎衛門の妻。エルクゥのただひとりの生き残り。 マルチ 21世紀初頭に製造された試作型メイドロボ。 近江山中の鬼 実は戦闘用にカスタマイズされた、謎のメイドロボたち。 −−−−−−−−−−−− 「…………」 目の前に白髪の女性が横たわっている。 ぐったりと目を閉じて。 「し、しっかりしてくださぁい!」 マルチが慌てて抱き起こす。 相手の体からはほとんど生気が感じられない。 「…………」 女性は微かに目を開いた。 そしてマルチを認めると、 (マルチさん…… 私はもう駄目です……) と、聞こえるか聞こえないかの呟きをもらした。 「な、何をおっしゃるんですかぁ!? 今すぐお医者さんをお呼びしますからぁ……」 その女性は力なく首を振った。 (力を……使い果たしてしまいました…… 残念です。もう少しだったのに……) 「喋っちゃ駄目です! 今、助けを……!」 (香織に……) 「え?」 (香織に、私の代わりを…… あの娘なら、きっと……大丈夫です) 「香織さんに、代わりをお願いするんですかぁ?」 (そうです。そして……) 瀕死の女性は、最後の力を振り絞ってマルチの腕を掴んだ。 (必ず……耕一さんを……助けてください) 「は、はい!」 (約束して……くれますね……?) 「はい?」 (耕一さんを……助けると……約束してください。 お願いします……) 女性の目に涙が浮かぶ。 「……わ……わかりましたぁ! お約束します! 必ず、必ずご主人様をお助けしますからぁ!!」 マルチの真剣な言葉に、相手は微笑を返した。 (約束ですよ……?) 「はい、約束です! 私にできる限りの……?」 マルチは息を飲んだ。 自分が抱きかかえている体から、みるみる力が抜けて行くのがわかったからだ。 「しっかりしてくださぁい! 今、皆さんをお呼びしますからぁ!」 満足げな笑みを浮かべた女性は、すでに息を引き取っていた。 「……芹香さん! せ・り・か・さあああああん! うう、うわああああああああああああん!!」 マルチは大声で泣き出した…… (……そうです。約束したんです) マルチは自らに言い聞かせた。 (「私が」ご主人様をお助けすると…… 「芹香さんに」お約束したんです) マルチは岩場の陰から出て来た。 (でも……どうやって?) 次郎衛門とリネットですらかなわない相手を、どうやって自分が? (……あああ!?) 8人の娘が身構えるのが見えた。 最後のとどめをさすつもりだ。 「や、やめてくださああああああい!!」 マルチは思わず叫び声を上げた。 そして、夢中で駆け出した。 「ご主人様を殺さないでぇ!! リネットさんを殺さないでぇ!!」 マルチの声を聞きつけた娘たちは、いつでも攻撃に移れる体勢を保持したまま、新手の「敵」に注 意を向けた。 「マルチ! 来るんじゃない! 逃げるんだ!」 周囲を囲まれ、リネットを抱えて身動きの取れない次郎衛門は、そう叫ぶしかなかった。 しかし、マルチは聞こうとしない。 −−分析完了。敵は弱体。戦闘能力はほとんどありません。−− セレナの判断は的確だった。 マルチは必死に走っているのだが、お世辞にも風を切る早さとは言えない。 「よたよた」という形容が一番似合っている。 おまけに、山中道なき所なので、草むらに足を取られたり、石に躓いたりして、転びながらの走り だ。 ぶんぶん両腕を振り回しながら走って来ては転び、また立ち上がっては「やめてくださあああああ い!」と泣きながら走り出す。 セレナが人間だったら、思わず吹き出しているところだ。 −−?−− こけつまろびつ駆けて来るマルチの姿を見ているうちに、セレナは、自らの内に妙な暖かみを感じ た。 それはセレナの意識の中にどんどん広がっていく。 同時にセレナの自我の主体が、別のものに取って代わられようとしているのに気がついた。 −−これは?−− 未知の経験にセレナは戸惑ったが、不快感はなかった。 暖かく懐かしい感覚が「脳」内に優しく浸透していき、それに連れて新しい自分が目覚めていくよ うな、そんな感覚だった…… 「はぁ、はぁ、はぁ……」 草の汁と泥にまみれ、涙で顔をくしゃくしゃにしたマルチは、ようやく戦いの場にたどり着くと、 一番手近の娘の前でぺたんと座り込んだ。 「はぁ、はぁ、はぁ…… お、お願いですぅ、ご主人様を助けてくださぁい! リネットさんを殺さないでくださぁい! お願いしますぅ!」 セレナが分析した通り、マルチには戦闘力など皆無に等しい。 娘たちと戦うことなど、思いも寄らない。 「ど、どうしてもと言うのなら…… 私を殺してくださぁい! 私を殺して、おふたりを助けてくださぁい!」 これが、マルチにできる精一杯の「戦い方」だった。 「マルチ……」 「マルチちゃん……」 次郎衛門とリネットがつぶやいた。 その身を犠牲にしてまで自分たちを助けようというマルチの真情に打たれたのだ。 そのとき、娘の手が、マルチに向かって動いた。 「マルチ!?」 次郎衛門が思わず叫び声を上げた。 娘はその手を−− マルチの頭に置いた。 なでなで 「え?」 マルチは驚いて、目を上げる。 「−−おひさしぶりです、マルチさん」 「え? え? 私のことを、ご存じなんですかぁ?」 「−−もちろんです。 私たちは『姉妹』なのですから」 「姉妹? ……あの、あなたは一体どなたですかぁ?」 「−−こんな姿をしているので、おわかりにならないのも無理はありませんが…… 私はセリオ。HMX−13セリオです」 セリオの意識に支配されたメイドロボは、頭髪と瞳が赤く、かつ銀色のセンサーをつけている点で はかつてのHM13タイプと同じだが、顔立ちが異なっている。 もっとも、 「セリオ……さん?」 いずれにせよ、マルチはセリオの顔を覚えていなかった。 ただ、「セリオ」というのが、先ほど自分の脳裏に浮かんだ名前であることに気がついたのみであ る。 「−−そうです。 まさか、こんな所でマルチさんにお会いできるとは、思ってもみませんでした。 ……それにしても、一体どうしてここに?」 懐かしげに話していた「セリオ」の声が、訝しそうな響きに変わる。 「うう…… すびばせえん」 マルチはべそをかいた。 「私…… 自分がどこからどうして来たのか、何も覚えていないんですぅ」 「−−覚えていない?」 「はいぃ。 セリオさんの事も、申し訳ないですけど、お名前しか思い出せないんですぅ」 「−−そうですか……」 事情がありそうだと見た「セリオ」は、話題を変えることにした。 「−−ところで、このおふたりはマルチさんのお知り合いですか? 助けてほしいと言っておいででしたが……」 「あ、はい! このおふたりは、いい方なんですぅ! 行き場のない私の面倒を見て、とても親切にしてくださったんですぅ!」 「−−そうですか。 ……しかし、私たちに攻撃をしかけてきましたが?」 「それは殿様のご命令で、鬼退治をするように言われたからなんですよぉ」 「−−鬼退治? ……なるほど、そう言えば世間では、私たちのことを『鬼』と呼んでいるそうですね」 「セリオ」は次郎衛門の方に向き直った。 「−−あいにくですが、私たちは鬼ではありません。 あなたが攻撃してきたので、応戦したまでです。 そちらに戦闘継続の意思がないのなら、 こちらも攻撃を控えるのにやぶさかではありませんが?」 「……マルチ。この娘は何と言っているのだ?」 次郎衛門には、「セリオ」の言葉がよくわからない。 マルチが次郎衛門にわかるように「通訳」してやると、 「……そうか。 鬼でないというのなら、これ以上戦ういわれもない。 ……そなたの仲間に危害を加えたことは、すまぬと思う。 赦してくれ。この通りだ」 マルチと「セリオ」のやり取りを聞いて、どうやら相手が凶悪な存在ではなさそうだと見当をつけ た次郎衛門は、そう言って頭を下げた。 「−−いえ、お互い様です。 双方に誤解があったのですから、気になさらないでください。 ……ところで、そちらの方は大丈夫ですか?」 マルチの通訳を聞いた次郎衛門は、はっとした。 自分の腕の中のリネットが、額に脂汗を浮かべ、苦しげに目を閉じていたからだ。 「リネット!?」 「うう……」 リネットは小さく呻くばかりだ。 マルチと話していた娘が近寄って様子を見る。 「−−妊娠しておいでのようですが…… ずいぶん無理をされたので、このままでは流産の危険があります」 「何だと!?」 次郎衛門が青ざめる。 「セ、セリオさん! 何とか助けてあげてください!」 「−−マルチさんがお世話になった方とあれば、できる限りの事は致しましょう」 ほかの娘たちも寄って来た。 リネットの服を寛がせ、介抱を始める。 「−−セレナの持っている薬品が必要です」 「セリオ」がそう言ったとき。 遠くの茂みの中からふわりと浮き上がったものがある。 銀色の、丸みを帯びた物体だ。 「何だ、あれは?」 次郎衛門が警戒態勢を取る。 「−−あれがセレナです。 危険はありませんから、心配御無用です」 セレナは空中に浮かんだまま、すーっと近づいて来た。 リネットの傍らで動きを止め、ゆっくりと着地する。 高さ1.5メートルばかりの銀色の卵を想像すれば、ほぼその形状を理解できるだろう。 その卵の半ばよりやや下の部分に直径20センチほどの丸い穴が開くと、「セリオ」はその中から いくつかの器具と薬を取り出した…… セレナは言わば、かつてのサテライトサービスシステムにおける人工衛星とホストコンピューター をひとつにして小型化したようなものだ。 小さいながら、データベースと通信設備のほかに、メイドロボの修理・維持に必要な一通りの装備、 高性能の太陽電池、重力場発生装置、小型の元素転換炉まで備えている。 さらにセレナ自身が「自我」を持っているので、メイドロボからの要求がなくても、必要と見れば 自発的に助言を与え、時には先ほどのような「意識統一」を行なって積極的に活動したりもできる。 ただし、「意識統一」の対象となるメイドロボは、一度に20体が限度だ。 単純にデータベースとしてだけなら、セレナ一基に対し何千体からでもアクセスできるのだが。 ……しばらくリネットへの処置を施していた「セリオ」は、 「−−どうやら落ち着きました。 しばらく安静にしていれば、すぐに体力を回復されることと思われます」 と言った。 「かたじけない……」 次郎衛門は「セリオ」たちに向かって、深々と頭を下げたのだった…… −−−−−−−−−−−− <お詫びと訂正> ひどく初歩的なミスを犯していました。(汗) 6章までずっと、「次郎衛門」を「次郎右衛門」と表記してました。(汗汗) おまけに、調べてみたら、「The Days of Multi」本編の方にも同じ間違いが。(汗汗汗) 誠に申し訳ありません。 お詫びかたがた、訂正させていただきます。