「約束」第9章 桜  投稿者:DOM


「約束」
The Days of Multi <番外/時空編>
第9章 桜



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<おもな登場人物>

 柏木次郎衛門  かつてのエルクゥ討伐隊の長。
 リネット    次郎衛門の妻。エルクゥのただひとりの生き残り。
 マルチ     21世紀初頭に製造された試作型メイドロボ。
 セリオ     マルチと同時期に製造された試作型メイドロボ。
 謎のメイドロボたち  戦闘用にカスタマイズされている。
 セレナ     メイドロボのための自律型データベース。外見は大きな銀色の卵。
 天城忠義    能登の国、稲村城主。形式上、次郎衛門の主君に当たる。
 静原主水    天城氏の家臣。かつてのエルクゥ討伐隊の一員。
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 20匹の鬼を降し、見事に主命を果たして帰って来た次郎衛門は、天城氏の領内に入ると、リネッ
トとマルチにセレナを伴わせて庵に向かわせた。
 自身は報告のため、20体のメイドロボと共にまっすぐ稲村城へ。
 迎える天城忠義は殊の外の喜びようで−−すでに能登守護職内定の報が届いていたからであるが−
−次郎衛門を側近くまで呼び寄せて、手ずから盃を取らせるほどだった。
 そして、約束通り柏木庄を賜り、正式の家臣として取り立てたのである。



 小さいながられっきとした領地を持つ身となったからには、今まで通りの庵住まいを続けるわけに
はいかない。
 そうでなくても、20体のメイドロボを「郎等」として抱えることになったのだ。雨月山の庵では
狭すぎる。
 柏木庄にしかるべき屋敷を建てて移り住むことになったが、それが出来上がるまでの仮住まいがま
ずは必要だ。

 天野忠義が家臣に声をかけ、次郎衛門たちの世話をする者を募ってくれたのだが、妻や郎等が「鬼」
ということで、気味悪がって誰も名のりを上げようとしない。
 家臣一同、主君の言葉に押し黙り、互いにそっと目配せするばかりという有様だった。

 すると突然、家臣団の末席から「それがしがお受け申す」という声が上がった。
 静原主水(もんど)。日頃から豪胆で知られる中年の男である。
 しかるべき武将たちが、たかだか20人余りの世話をするのに尻込みしている様子を見て、焦れっ
たくなったようだ。
 主水は足軽の出だが、かつてのエルクゥ討伐隊の一員として恩賞に与り、その後幾たびかの合戦で
武功を立てて領地(静原庄)を得た。以来静原姓を名のっている。
 そういうわけで、次郎衛門の人となりもある程度知っている−−もっとも、その頃の次郎衛門は、
ただただ復讐の炎のみに焦がれた、暗い情念の固まりのような男だったのだが。
 他に申し出る者もないこととて、次郎衛門一行はしばらく静原家で厄介になることが、その場で決
定したのである。



「静原殿。こたびはご迷惑をかけ申す。
 しばらくお世話に……」

「はは、柏木殿。堅苦しいことを申さるるな。
 主水が今日あるも、元はと言えば、柏木殿のおかげにておざる」

 例のエルクゥ討伐は、復讐心に燃えた次郎衛門がほとんどひとりで成し遂げたようなものだ。
 主水以下の隊員は、瀕死の重傷を負ったエルクゥのとどめをさして回った程度の働きしかしていな
い。
 なのに、全隊員が恩賞に与った中、肝心の次郎衛門だけが、リネットの故に恩賞もなく、仕官すら
かなわなかったのである。
 主水は正直、なぜそこまでして鬼の娘を助ける必要があるのかと訝しく思っていたのだが……

「妻女殿も、ゆるりとお寛ぎくだされ」

「かたじけのう存じます」

 次郎衛門の傍らで静かに慎ましく微笑むリネットの姿には、愛し愛されている者の幸せが見て取れ
た。

(なるほど……)

 次郎衛門がリネットを思う心は、なま半可なものではない。
 同様に、リネットが次郎衛門に注ぐ愛情も、並み大抵ではない。

 妻のために恩賞を投げ打った次郎衛門の気持ちが、今さらながらわかるような気がするのであった。



「きれいな桜ですねぇ」

 静原邸の庭に降り立ったマルチが、桜を見ながら目を細めている。
 今がほぼ満開の頃だ。

「本当ね」

 かなりお腹が目立つようになったリネットは、部屋の中から外を眺めている。

「私…… 桜の花を見ると、何だか胸が切なくなるんですぅ」

「切なくなる?」

「はい。……凄く幸せなようで、
 それでいて凄く悲しいような気持ちになって……」

「……昔の事を思い出すような感じ?」

「そう……ですぅ。
 何だか、とても嬉しいことと、とても辛いことがあって、
 それを一度に思い出しそうな、そんな気がするんですが……
 結局、思い出せないんですぅ」

「セリオさんが何か知っているのでは?」

「……心当たりはないそうですぅ」



 ……セレナの人格は、近江の山中での戦い以来、セリオが中心に位置したままになっている。
 セリオの説明では、もともとセレナも、ほかのメイドロボたち−−HM1377シリーズの戦闘用
カスタマイズバージョン−−も、そのプログラムはセリオのものをベースにし、データも受け継いで
いるという(そう言えば、顔立ちは違えど、メイドロボたちの赤い髪、赤い瞳は、かつてのセリオを
思わせるものだ)。
 そのせいか、マルチが何度も転びながら走る姿を見ているうちに、セレナの自我の中でセリオの意
識と記憶が目覚め、穏やかな人格変移が起こったのである。
 セリオは今や、自分の体−−例の銀色の「卵」−−から直接音声を発することもできたし、HM
1377の体を借りて「セリオ」となることもできた。

 近江の山中で、セリオが語る内容を聞いた次郎衛門は、なかなかそれを全面的に受け入れることが
できなかった。
 なぜなら、HM1377は22世紀半ばに製造されたメイドロボで、マルチとセリオは21世紀初
頭のそれだということだったからだ(もちろん次郎衛門は「〜世紀」という言い方を知らないので、
説明が必要だった)。
 おおまかに言うと、次郎衛門たちが現に生きている今の時代から500年経った後でマルチが生ま
れ、さらに150年ばかり後になってHM1377が生まれた計算になるのだが……

「そんな遠い先に生まれ出ずるべき者が、どうしてここにいるのだ?」

 次郎衛門にとって、時間航行(タイムトラベル)の概念は、メイドロボの存在以上に信じがたいも
のだったようだ。
 幸いリネットが(架空のものとしてだが)タイムマシンのことを知っていたので、次郎衛門も最終
的には、よくわからないながら受け入れたのである。

「−−私たちは、あるプロジェクトに従って、
 この時代に送り込まれました。
 それは間違いないのですが……」

 セリオはそう言葉を継いだ。
 本来送り込まれる予定だったのは、HM1377が200体、セレナと同タイプの自律型データ
ベースが10基である。
 しかし、実際に近江の山中に到着したのは、予定数のわずか10分の一。
 どこかで計画に支障をきたしたとしか考えられない。
 そして一番の問題は、セレナもメイドロボたちも、自分たちがこの時代に送り込まれた目的を把握
していないことだった。

「−−恐らく自律型データベースのうちの1基が、
 プロジェクトの全貌を掴んでいたものと思われます……」

 メイドロボたちに与えられた使命は極めて機密性の高いものらしく、全員がこの時代に到着して初
めて知らされることになっていたのだ。
 その使命が何なのか見当がつかないとあっては、さしも高性能のメイドロボたちも途方に暮れるし
かない。
 さらに間の悪いことに、タイムトラベルの影響か、セレナがこの時代到着直後に故障を起こしてし
まった。
 そのため、メイドロボたちは、「仲間」を探すのにも、この時代この土地の情報を得るのにも、本
来の性能を十分発揮できないまま、動き回らねばならなかった。
 結果として、旅人や狩人などと接近遭遇する羽目になり、ついには「鬼騒動」を引き起こしてし
まったのである。

 次郎衛門にとっては予想だにしなかった話ばかりなので、呆然とするほかないが、高度なエルクゥ
文明の中で育ったリネットは、セリオの話にちゃんとついて来た。

「それで、マルチちゃんは?
 やっぱりタイムマシンでこの時代に来たの?」

 セリオとマルチの両方に向けて質問する。

「うう…… 私にはわかりませええん」

 マルチは困った顔をする。
 彼女が思い出したのはセリオと香織という二つの名前、そして芹香という正体不明の女性から「耕
一さん」−−どうやら次郎衛門を指すらしい−−を助けるように託されたこと、だけなのだ。

「−−マルチさんの時代には、まだタイムマシンは実用化されていなかったはずです。
 今回私たちをこの時代に送り込んだものが、
 知られている限りでは最初の時間航行機ですので」

 その時間航行機も、実はまだ実験段階のもので、必ずしも安定していない。
 セレナが故障した原因も、その辺にあるのだろう。

「そう……」

 リネットの呟きの後、しばらく一同の言葉が途切れた。
 それから、マルチが何かに気がついたようにはっと顔を上げた。

「セリオさんは、私のことをご存知なんですね?
 私、自分のことを何もかも忘れてしまったようで、とっても心細いんですぅ。
 いろいろ教えて欲しいんですけどぉ?」

「−−それは構いませんが……
 いつまでもここにこうしていては、まずいのではありませんか?」

「おう…… そうであった」

 セリオの指摘に、次郎衛門はようやく、討伐隊の一行を離れてからかなりの時間が経過しているこ
とに気がついた。
 お互いについての詳しい話は後ほど……ということで、取り急ぎこれからどうすべきかの相談が始
まる。

(−−マルチさんにどこまで話せば良いのか……よく考えないと)

 セリオは当面の話題を変えることに成功して、ほっとしていた。
 ……セレナの中で目覚めたセリオが有している記憶は、寺女での運用試験を終えたところまでだ。
 マルチが試験最終日に浩之と結ばれた後、自分と同じように眠りについたことは知っているが、そ
の先の記憶はない。
 それ以後のデータは、セレナが有している、22世紀に関する情報しかないのだ。
 マルチの話を聞く限り、「芹香」とは来栖川芹香に間違いないようだが、「香織」とか「耕一」と
かいう名前には聞き覚えがない。
 しかも、「耕一」とはマルチのご主人様であるのみならず、今「セリオ」たちの目の前にいる次郎
衛門という侍とオーバーラップする何かがあるらしい。
 しかし、マルチの「ご主人様」は、運用試験最終日に結ばれた浩之のはずではなかったか?

(浩之さんはどうされたのだろう?
 芹香お嬢様は、マルチさんに何を託されたのだろう?)

 いろいろ疑問がある。
 それゆえ、自分がマルチについて知っていることを洗いざらい喋ったとして、それが今のマルチに
とって益となるのかどうか、自信が持てなかったのだ。

(−−とりあえず、浩之さんのことは伏せておこう……)

 セリオは一方でそう思案しながら、もう一方で次郎衛門と話を進め、結局「鬼退治は成功し、鬼ど
もは次郎衛門に降伏した」というシナリオを実行することになったのである……



 というわけで、マルチは、自分がセリオと同時期に造られたメイドロボで、それぞれ別の学校で運
用試験を行なった……という程度のことしか教えられていない。
 セリオは特に、浩之のことに触れないよう気をつけていた。
 浩之とマルチの結びつきの深さを知っているので、不用意に浩之のことを話したのがきっかけと
なってマルチが次々と記憶を呼び起こす可能性がないとは言えない
 けれども、今のこの状態でマルチが過去の記憶を呼び戻すことがよいことなのかどうか?
 彼女が何も覚えていないのは、誰かが−−芹香か、「香織」という女性かも知れない−−マルチの
記憶を封印した上で、この時代に送り込んだからではないのだろうか?
 だとすれば、うかつに浩之の話をするわけにはいかない……セリオはそう判断したのだ。



「……それにしても、ほんとにきれいですねぇ」

 ちょっと沈んだ顔をしていたマルチは、気を取り直すように顔を上げると、再び満開の桜を見やっ
た。
 そよ風に舞った薄桃色の花びらがひとひら、ふたひらとマルチの緑色の髪に宿る。
 その春めいた色合いのコントラストを、リネットは、本当に美しいと思いながら眺めていた。
 ……別の時空で、同じような満開の桜のもと、同じように美しいマルチの姿に見愡れた人物がある
ことなど、知る由もなかったが。



 やがて柏木の屋敷が完成した。
 今や大所帯となった次郎衛門一行が、真新しい木の香がする邸宅に引っ越して行ったのは、初夏の
頃だった。