「約束」第6章 夫婦  投稿者:DOM


「約束」
The Days of Multi <番外/時空編>
第6章 夫婦



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<おもな登場人物>

 柏木次郎右衛門 かつてのエルクゥ討伐隊の長。今は雨月山の庵で細々と暮らしている。
 リネット    次郎右衛門の妻。エルクゥのただひとりの生き残り。
 マルチ     21世紀初頭に製造された試作型メイドロボ。
 近江山中の鬼  実は戦闘用にカスタマイズされた、謎のメイドロボたち。
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「次郎右衛門! 諦めちゃ駄目!」

「やめろ、リネット! 逃げるんだ!」

「いや!」

「逃げろ! 共倒れになるぞ!」

「死んでもいい!」

「よせ! おまえの腹には……!」

「次郎右衛門は誰にも渡さない!
 ……お姉様にだって!」

 次郎右衛門は息を飲んだ。

「リ、リネット?」

「あなたは私のもの……
 私だけのものよ!
 私たちは、生きるも死ぬも一緒。
 ……ひとりでお姉様のところになんか、行かせない!」

「リネット……」

「お願い、次郎右衛門……
 私と……私と一緒に、生きて……」

 リネットの目には涙が溢れていた。

「すまぬ、リネット」

 次郎右衛門は、一瞬にせよ、リネットを置いてエディフェルのもとへ行くことを考えたのを悔やんだ。

「……だが、こやつらは尋常な相手ではない。
 ふたりがかりでも勝ち目はないのだ。
 ここは俺が引き受ける。
 頼むから、マルチを連れて逃げてくれ」

「大丈夫よ。私に考えがある。
 ……心を全開にして、私の信号を受け止めてちょうだい」

「?」

「お願い!」

 次郎右衛門が言われた通りにするのと、またしても5人の娘が襲いかかるのとがほぼ同時だった。

(危ない!)

(次郎右衛門! しっかり見て!)

(?)

 その時、次郎右衛門には……
 攻撃をしかけて来る娘たちの「次の動き」がはっきりと見えた……



−−攻撃のパターンが読まれています。これでは被害が増し加わるばかりです。−−

 セレナの声には困惑の響きがある。

 すでにまともに動けるメイドロボは、8体ばかりになっていた。
 後は次郎右衛門とリネットの周囲に転がっている。
 全く動きを止めてしまった者と、起き上がろうともがいている者とがあるが、いずれにも戦闘能力は残ってい
ない。

 ……リネットは茂みの中に潜みながら、セレナの声に耳を傾けていた。
 最初は何者なのか判然としなかったが、やがてそれが娘たちを操る意識の声であることに気がついたのだ。
 なぜセレナの思考が読み取れるのか−−その理由を詮索している暇はなかった。
 目の前では次郎右衛門が、娘たちの一糸乱れぬ攻撃を受けて苦戦している。
 すでに満身創痍だ。もしかすると、殺されてしまうかもしれない。

 何とかしなければ……でも、どうやって?
 私には、次郎右衛門を助ける力などない。
 それに、おなかの子を守らなければ。
 マルチちゃんもいるし……

 思い悩むリネットの脳裏に、ふと次郎右衛門の信号が微かに届いた。
 そして、優しく微笑む姉、エディフェルのイメージが……
 次郎右衛門は姉のもとへ赴こうとしている……

 次の瞬間、リネットは夢中で飛び出していた。
 折しも、娘たちが攻撃をしかけるところだった。
 だが、リネットには、セレナの意識に操られた娘たちの動きが「見えた」。
 だから、手近なひとりに体当たりをかけて、娘たちの攻撃体勢を乱すことができたのだ……



 その後もリネットは、セレナの意識を読み取りつつ、それを次郎右衛門に中継し続けた。
 おかげで次郎右衛門は、娘たちの攻撃を避けたり、逆に攻撃を返したりしながら、少しずつダメージを与えて
いくことができたのだ。

 だが、リネットの能力をもってしても、これはあまりにも負荷が大きすぎた。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 突然リネットからの信号が弱まり、彼女の荒い息遣いが聞こえてきた。

「ご、ごめんなさい……
 私……もう……」

 がっくりと膝を突く。

「リネット!?」

 次郎右衛門が慌てて抱き起こす。
 見ると、リネットの顔色は真っ青で、全身汗だくだ。
 ぐったりと次郎右衛門に体をもたせかけながら、

「私……もう……駄目。
 逃……げて…… 次郎右衛門」

 切れ切れにつぶやく。

「馬鹿! 何を今さら!
 生きるも死ぬもふたり一緒と言ったのは、おまえではないか!?」

「でも……」

「リネット……」

 次郎右衛門は愛しい妻の体を抱き締めた。

「おまえのおかげで、俺は幸せだった。
 おまえがいてくれたおかげで……」

 次郎右衛門の脳裏に、自らの生涯が電光のように駆け巡る。
 野武士としての荒んだ生活、孤独な心。
 エディフェルとの出会い。
 初めて知った人間らしい暮らしと、その破局。
 果てしない喪失感とどす黒い復讐心に苛まれた日々。
 リネットを騙してエルクゥを壊滅させた、凄惨な戦い。
 復讐が終わった途端に襲いかかった、どうしようもない虚無感。
 ……失われた人間らしさを少しずつ少しずつ回復させてくれた、リネットの愛……

「俺は幸せだった。
 何もかも、おまえのおかげだ」

 そうくり返す次郎右衛門は、穏やかな笑みを浮かべていた。

「次郎右衛門……
 私も幸せだったわ。
 あなたに、会えて。
 ……あなたと暮らして」

 リネットも、きれいな笑顔を見せた。

 8体のメイドロボがじりじりと包囲網をせばめている。
 リネットが倒れて、セレナの意識を読み取ることができなくなったのを察知したようだ。

 ……次郎右衛門は今度こそ、死を覚悟した。



 マルチは震えていた。
 岩陰から顔だけを出して、戦いの一部始終を目のあたりにしながら。

(ああ! 大変ですぅ!
 このままじゃ、ご主人様もリネットさんも!)

 何とかして助けなければ……
 でも……

 マルチは自らの非力を恨んでいた。

(こんなとき…… こんなとき……)

 マルチは自分のふがいなさが悔しかった。

(こんなとき…… セリオさんだったら、きっと……
 ……え? セリオさんって?)

 セリオさんって誰だろう?

 一瞬自分の考えに気を取られていたマルチは、娘たちの包囲網が次第に小さくなっていくのを見て、青くなっ
た。

(ああ! ご主人様が殺される! リネットさんが!)

 マルチは今にも叫び出しそうだった。

(誰か! 誰か、助けて!
 ご主人様を、リネットさんを、助けてぇ!)

 ……マルチさん……

(え?)

 突然、マルチの耳に柔らかい女性の声が響いてきた。

 ……マルチさん。耕一さんを助けてください。
 あなたには、それができます。
 あなたにしか、できないのです……

(だ、誰!? どこにいるんですか!?)

 マルチは慌ててあたりを見回したが、人影らしいものはどこにもない。
 にもかかわらず、マルチの耳には依然として、何者かの声が聞こえている。

 ……約束してください、マルチさん。
 耕一さんを助けると。
 お願いします……

(あ、あなたは……?)

 ……約束ですよ、マルチさん……
 ……約束ですよ、マルチさん……
 ……約束ですよ……

(あなたは……)

 ……約束……

(……あなたは?)

 その時、マルチの脳裏に、ひとりの女性の姿が浮かび上がった。