「約束」第1章 星の娘  投稿者:DOM


「約束」
The Days of Multi <番外/時空編>
第1章 星の娘



 注:このSSは、拙作「The Days of Multi」本編の世界観を継承しています。
   そちらをご存じない方にはわかりにくいところがあるかと思いますので、
   その点ご了承ください。
   ……って、あれを読んでくださった方、果たして何人おいでなのか……(汗)

−−−−−−−−−−−−



 男は用心深く「それ」に近づいた。
 谷川の流れのほとりに横たわっているそれは、やはり人間らしい。
 男の目に誤りはなかったわけだ。

 ただ、最初にそれを目にしたとき、「人間」と認めることがためらわれたのは−−その体を彩る奇妙な鮮やか
さだった。
 一方の端は緑色、続いて橙色の部分が半ばまで伸び、残りの半分は純白だったのだ。
 人間の体がそのような鮮やかさで覆われている様を、少なくともこの男は、一度も目にしたことがなかったの
である。

 近寄ってみると、緑色の部分は頭、橙色は体を包む短めの衣服、白い部分は両の脚と知れた。
 それにしても、何という奇妙な衣装であろう。
 異国の風俗のようだが、腿の半ばまで露になるこのような短い衣があるなど、男の想像の外だった。
 最初白い脚と見えたのは、実は白い布でぴっちりと両脚を覆われているせいであることがわかったが、脚絆の
類いならいざ知らず、このように脚の大部分を布に包む習慣も、男には目新しいことだ。
 だが、見る者に最も大きな違和感を与えるのは、鮮やかな緑色の頭髪だった……

 しげしげと「それ」を見下ろしている男の耳に、突然「ぶううううううん……」という聞き慣れない音が飛び
込んで来た。
 はっとして思わず身構える男。
 ……と、眼下に横たわる「それ」が、かすかに身じろぎした。
 ゆっくりと半身を起こし、ぼんやりと周囲を見回している。
 やがて、その異様な風体の人物−−あどけない顔立ちからして、まだ子どもらしい−−は、男に目を止めた。
 何の警戒心もない様子で、口を開く。

「あ、あのぉ…… ここはどこでしょうか?」

 男は、再び違和感を覚えた。
 聞いたこともない訛りだ。
 少なくとも、この近在の者ではないらしい。
 見ると、その子の目も、頭髪と同じく緑色をしていた。
 −−見慣れぬ衣装、奇妙な言葉、常ならぬ瞳の色−−男の脳裏に、ある映像が浮かび、それが男の胸を切なく
締めつけた……

「え、えーと……
 私は、どうしてここにいるんでしょう?」

 男が黙っていると、「子ども」は、困惑の色を深めつつ、言葉を継いだ。
 今度の問いは、最初のものよりもさらに聞き取りにくかった。
 男はとりあえず、ここが雨月山と呼ばれる地域であることを教えてやった。

「うづきやま……?」

 「子ども」は、その名に聞き覚えがないらしく、きょとんとしている。

 今度は男の方から相手の名を問うてみた。

「私ですか? 私は、マルチと申しますぅ」

 私……というのは己れを指す言葉らしい。

「まるち?」

 名前も耳慣れないものだ。
 男は重ねて、「マルチ」がどこから来たのか尋ねたが、

「は?」

 相手には、問いの意味がよくわからなかったらしい。
 両者の言葉遣いにかなりの違いがあるからだ。
 男が同じ問いをくり返すと、マルチはちょっと考えて、

「ええと、私がどこから来たか、ということですかぁ?
 それでしたら……」

 と言いかけたが、

「……あ、あれ? えーと、私は……」

 しきりに首を捻り始めた。
 そして……

「うう…… ふえええ……
 わ、私は……どこから来たんでしょう?」

 とうとうべそをかき出したのだった。



 娘は夕飯の支度をしながら、思い人の帰りを待っていた。
 ……男と共に暮らすようになって、初めて自らの手で食事を整えることを覚えた。
 最初のうちは、惨憺たる出来栄えだったが、男はいつでも「うまい」と言って、残さず食べてくれた。
 この頃ようやく、恥ずかしくない程度のものを食膳に出せるようになって、ほっとしている娘だった。

(そろそろあの人が帰って来る頃だ……)

 女というよりも少女と呼ぶ方が似つかわしい容姿をした娘は、幼さの残る顔をかすかに紅潮させながら、そう
思った。
 ……この山中の庵に男と棲むようになって九ヶ月。
 しかし、最初の三ヶ月ほどの間、男は娘に手を触れようとしなかった。
 毎晩、ちょっと寝返りを打てばただちにお互いの体が触れ合うほどの近さに床を延べながら、である。
 それもそのはず、男はずっと、別の女性の面影を追い求めていたのだから……

 庵に近づく人の気配を感じて、娘は我に返った。
 懐かしい人の気配だ。
 娘は我知らず笑みを浮かべながら、庵の外へと向かった。

「次郎右衛門。お帰りなさい……?」

 狩りの獲物らしい山鳥を数羽携えた男に笑いかけた娘は、男の斜め後ろに不安そうにたたずむ人影に気がつい
て目を見張った……



「自分の名前以外、何も覚えておらぬそうだ」

 マルチのことを手短に説明した男−−次郎右衛門は、そう締めくくった。

「かわいそうに……」

 何となく心細そうな様子で腰をおろしている「子ども」を見やりながら、娘は同情の面もちであった。

「放っておけば、そのうち里人に見つかって、鬼の子か何かと勘違いされかねん。
 そうなると厄介だと思って、とりあえず連れて帰ったのだが……」

 ……マルチという名の「子ども」は、異様な装束の上に、緑色の髪と目。
 おまけに、両の耳のあたりから銀色の突起物が生えている。
 「鬼」と間違われても、仕方がない姿だった。

「でも、この子はエルクゥではないわ」

「うむ。それは俺にもわかる。
 ……だが、ただの人間とも思えん。
 言葉遣いも妙だし……」

「そうね」

 そういう娘の言葉もややたどたどしく、微かな訛りがあった。
 無理もない。娘にとって、この国の言葉は異国語−−いや、「異星語」だったのだから……

「……こわがることはないのよ?」

 次郎右衛門と娘のやり取りを心配そうに聞いているマルチに、娘は微笑んで見せた。
 ……もっとも、娘の微笑みは、次郎右衛門以外の人間からは、今まで好意的な反応で報いられた例しがない。

 娘が接したことのある人間はごく少数だったが、いずれも、娘の微笑みに対し、ただ嫌悪や恐怖の表情を返す
ばかりだった。
 それは彼女の容姿に原因がある。
 醜女、というわけではない。むしろ、その逆だ。
 いささかあどけなさの残る、優しく美しい顔立ち。
 抜けるように白く、練り絹のように滑らかできめ細かい肌。
 そして、この時代の女性ならだれもが羨むであろう、艶やかな長い髪。
 この近在はもちろん、都でもそうそうお目にかかれないほど美しい少女だった。
 ……だが、彼女は、マルチとはまた異なる風変わりな衣装を身につけ、飾り帯のようなもので頭髪をまとめて
いる。
 身分や性別によっておのずと衣服の限定されるこの時代にあっては、異形(いぎょう)と言ってもよい服装だ。
 そして、そういう意味で目立つことは、少なくとも一般には歓迎されない風潮があった。
 しかし、それだけなら、衆人から眉をひそめられることはあっても、畏怖されるまでのことはなかったであろ
う。
 娘を見た者がだれでも浮かべる怖れの表情……
 それは、彼女の目−−赤い瞳と縦に裂けた虹彩の故であった。
 つい先頃まで、「雨月山の鬼」と呼ばれて恐れられていた怪物たちと同じ目を、彼女も有していたのである……

 ……が、マルチは最初から、娘の異様な服装も赤い瞳も気にならぬようで、彼女が浮かべた慈母のような笑み
に対し、自らも安心したような笑顔を浮かべて見せた。

「は、はい。ご迷惑をかけて申し訳ありませんですぅ。
 ……ええと、あなたはどなたですかぁ?
 よろしければ、お名前をお聞かせくださぁい」

 マルチはまだ、次郎右衛門の名しか知らなかったのだ。

「?」

 娘は首をかしげた。
 この国の言葉を覚えて間もない娘には、マルチの「訛り」は次郎右衛門以上に聞き取りにくいものだったから
である。
 (次郎右衛門とのやり取りで、互いの言葉がうまく通じないことを経験していたので)それと察したマルチは、
自分の胸に手を当てながら、

「私はマルチですぅ」

 ついでその手を娘に向けて、

「あなたは……?」

 その仕草に、どうやら名前を尋ねられているらしいとわかった娘は、微笑みながら、

「私はリネット」

 と答えたのだ……



 とりあえず、当分の間マルチを庵で面倒見ることで相談がまとまると、次郎右衛門は、

「そうと決まれば……
 リネット、そろそろ飯にしてくれぬか?
 ひもじくてかなわぬ」

「ええ、今すぐ。
 ……マルチちゃんも、おなかがすいたでしょう?
 何もないけど、よかったら一緒にどうぞ」

 リネットの問いに、またもやきょとんとした顔をするマルチ。
 例によって自分の言葉が通じなかったものと思ったリネットは、身ぶり手ぶりも交えて意思の疎通を図ろうと
したが……
 しばらくして、妙なことに気がついた。
 マルチはリネットの言葉が理解できないのではなく、「おなかがすく」という現象そのものがどういうことな
のか理解できないらしいのだ。
 不審に思いながらも、リネットは三人分の食事を整えた。
 米の飯はない。
 雑穀と山菜、それに次郎右衛門の捕ってきた山鳥を焼いたものだ。

「……ごめんなさい。
 ほんとうなら、あなたはもっとちゃんとした食事を取れる身分に……」

 リネットが目を伏せる。
 野武士であった次郎右衛門は、雨月山の鬼退治で並々ならぬ功績を上げたため、領主の天城氏によって重く取
り立てられるはずであった。
 足利将軍の権威が衰え、戦国の風潮が国中に浸透しつつある昨今、腕の立つ武者はひとりでも多い方がよい。
 ……しかし、次郎右衛門は、自らの武功に代えて、ただひとり生き残った鬼の娘リネットの助命嘆願をくり返
した。
 そのため、彼女の命は救われたものの、天城氏の不興を買い、こうして山間の庵に侘び住まいを余儀なくされ
ているのだ。

(次郎右衛門は私のために……)

「リネット。その話はよせと言っただろう?」

 次郎右衛門は興もなげにそう言いながら、さっさと雑穀の飯をかき込み始める。

「はい。……マルチちゃん、どうぞ遠慮なく」

 次郎右衛門の無器用な心遣いを察したリネットは、気を取り直すと、笑顔で「客」に勧めたが、マルチは食事
を目の前にして困惑の表情を浮かべている。

「えーと、これを……
 どうすればいいんでしょう?」

 次郎右衛門とリネットは、思わず顔を見合わせた。

「ただ、普通に食すればよいのだ」

 次郎右衛門はやや呆れた様子でそう教えてやったが、マルチはいよいよ困った顔で、

「これを口に入れるんですかぁ?」

 などと言っている。

(食事が口に合わぬのかな?
 ……かような粗末な飯は食べたこともないほど、富裕な暮らしをしていたのであろうか?)

 と次郎右衛門が考えていると、

「マルチちゃん。ちょっと失礼」

 どうにも不審の晴れないリネットは、マルチの傍に座って、しばらくその体を観察していたが、そっと手を伸
ばして、マルチの腕に触れた。
 そして……
 ややあってから、マルチの左手首を引いてみたのである……



「驚いたわ。まさか、この星でイレム・エルクゥに会うなんて……」

「イレ……?」

「イレム・エルクゥ。エルクゥまがいのもの、という意味。
 機械じかけで動く、エルクゥそっくりの作り物のことよ」

「……そんな不可思議なものが、本当にあるのか?」

 人間型ロボットの概念など知る由もない次郎右衛門は、先ほどマルチの手首がはずれたときに内側の機械部分
を目にしたにも関わらず、リネットの説明をにわかに受け入れがたいようだ。

「ええ。
 ……もっとも、私が知っているイレム・エルクゥ(アンドロイド)はみな男性型で、
 それも、一見してすぐ機械とわかるようなものばかりだったけど……」

 リネットはそう言って、「スリープ」モードに入っているマルチに目をやった。
 マルチはどうやら高性能の太陽電池を搭載しているらしく、普通の状態では充電の必要がないのだが、その代
わり十分な「睡眠」を取らなければならないようだ。

「こんな精巧なイレム・エルクゥが実在するなんて……
 おまけに女性型だし」

「何? 女だと? 嘘だろう?
 いくら子どもとはいえ、女がこんなはしたない格好をして、平気でいられるわけがない。
 第一、おなごにしては髪が短かすぎる」

 たった今までマルチのことを男の子と思っていた次郎右衛門は、いよいよ信じられないといった顔をする。
 ……確かに、当時の女性は、人前でおいそれと自らの脚をさらすような真似はしなかった。
 頭髪も長いのが女性らしさのしるしとされ、マルチのような短い髪は、出家した女性でもない限り考えられぬ
ものだったのだ。

「きっと、この子の属する世界では、これが当たり前なのでしょう」

 マルチとは対照的な長い髪のリネットがそう言うと、

「この子の属する世界?」

 次郎右衛門が怪訝そうにくり返した。

「ええ。
 この星の文化水準では、こんなに精巧なイレム・エルクゥを作れるわけがない。
 きっと別の星から来たのに違いないわ。
 ……恐らく、何かの事故で、乗っていた船がこの星に不時着して、
 その時の衝撃で記憶を失ったのでしょう」

 リネットは自分たちの経験を思い出して、やや暗い顔になった。
 ……自分の操船ミスで、ヨークが地球に不時着した、その時のことを……

「では、この子……娘は、おまえと同じように、天空から来たと言うのか?」

「……多分」


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「戦国時代の話し言葉なんて知らない(汗)」DOMでございます。
もう少しすると、しばらくネット生活ともお別れかも知れない……という危機感と
生来の妄想癖だけを頼りに悪あがきをくり返した甲斐あって(笑)、
ついに「The Days of Multi」番外編をUPするに至りました。
分岐は一切ありませんので、ご安心下さい(笑)
それに短いです、私にしては(爆)

……それにしても、我ながら思いきり趣味(ひとりよがりとも言う)の世界に走ってしまいましたね(汗)
本編に比べて、かなり異質の作品になってしまいました。
これでますます読者数が減るのではないか、と心配しております。

なお、原則として、「歴史的考証なるものについてはいい加減」です。

本当は、曲がりなりにも室町・戦国時代の資料を少し整えてから執筆にかかろうと思っていたのですが、
時間がないのと、しばらく低調だった妄想が最近急に炸裂し始めたので、
この勢いがあるうちに書き上げてしまおうと……(爆)

登場する大名の領地については、高校時代に使っていた日本史地図を引っ張り出して来て参照しましたが、
これもずいぶん大雑把ですので、真に受けない方がよろしいかと……
作中に出て来る人物や場所の名前はほとんど創作ですし、
大名同志の人間関係などもかなり「でたらめ」です。
信用したら、えらい目に会います(笑)
もしかして、まぐれで実在の人物等と同じ名前があったりするかも知れませんが、
全く無関係ですので、ご了承ください。

ところどころで、室町から戦国時代にかけてのもっともらしいウンチクを傾けておりますが、
これは例によって、あちこちからの読みかじり聞きかじりによるものです。
ひょっとすると、とんでもない誤りとか、歴史的にありそうもないこととか、
実は別の時代と勘違いしていることとか平気で書いているかも知れませんが、
その辺はご愛嬌ということで……(汗)

一応、マルチは現代語、次郎右衛門とリネットは戦国時代の言葉を話しているつもりです。
皆さんもそのおつもりで読んでください。
「おんなじじゃねーか」なんて言わないで……(笑)
初めに申しました通り、戦国時代の話し言葉なんてわからないものですから。
時々怪しい言葉遣いが出て来ますが、深く詮索しないでくださいね(汗)

作者のモットーとしましては、「細かいことは抜きにして、皆さんに楽しんでいただければそれで幸い」と
いうことですので、よろしくおつき合いください。