「約束」第2章 鬼の山  投稿者:DOM


「約束」
The Days of Multi <番外/時空編>
第2章 鬼の山



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<おもな登場人物>

 次郎右衛門 かつてのエルクゥ討伐隊の長。今は雨月山の庵で細々と暮らしている。
 リネット  次郎右衛門の妻。エルクゥのただひとりの生き残り。
 マルチ   21世紀初頭に製造された試作型メイドロボ。
 天城忠義  能登の国、稲村城主。形式上、次郎右衛門の主君に当たる。
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 がさがさ……

 ふたりの男が、草むらをかき分けて行く。
 男たちはいずれも弓を手にし、矢筒を負っている。
 狩人のようだ。

 ぴたっ

 前を行く男が足を止めた。
 無言で振り返ると、唇に指を当てて見せる。
 何かが近くにいるのだ。獲物かも知れない。

 この数日ろくな獲物を手に入れていないふたりは、期待と緊張を秘めながら、身をかがめて用心深く歩みを進
めた。
 ……確かに、何かの気配がする。
 遠からぬ所に何かがいる。
 比較的大きい。
 鹿か、猪かも知れない。
 そうだとすればしめたものだ。

 男たちはそっと矢を取り出し、いつでもつがえられるよう手にしながら、じりじりと獲物を目ざして進んで行っ
た……
 と、突然「獲物」が動いた。
 素早い動きだった。

 はっとして弓に矢をつがえた男たちの頭上を一陣の風が吹き抜け、背後にとどまった。
 ふたりの男は、前方に矢を向けた姿勢のまま、悪寒のようなものを感じて震えていた。
 慌てて振り返るわけにはいかない。
 自分たちの背後を取った何者かは、尋常ならざる素早さを持っている。
 事によると、危険な獣かも知れない。
 性急な動きは、相手を刺激し、致命的な事態を引き起こしかねないのだ。

 どうする?

 男たちの選択肢は限られている。
 一方の男がそっと、自分の膝で相手の膝を突ついた。
 狩り場では、いちいち口に出して相談する暇などない。
 いくつかの合図と、その場の状況判断によって取るべき行動を選択しなければならない。
 この場合は、「射る」の合図……
 相手がどんな獣か確認する余裕はない。
 振り向きざま、気配だけを頼りに矢を射かける。
 相手は至近距離内だ。うまくしとめられる可能性はある。
 だが、もしも失敗したら……

 考えている余裕はなかった。
 ふたりの額に汗が滲む。
 ほんのひととき呼吸を整えた男たちは、

 ばっ!

 ほとんど同時に振り向き、間髪を入れず矢を放った。

 ひゅんっ!
 ひゅんっ!

 二本の矢が「獲物」の体のほぼ中心部めがけて飛来する。
 ……が。

 男たちは二の矢をつがえかけたまま、固まっていた。
 呆然として、自分たちの射かけた矢が、空中に停止しているさまを見つめていた。
 二本の矢が……「獲物」の両手に一本ずつ握られている。

 男たちが目にしたものはまず、その信じられない光景だった。
 この近さから放たれた矢を、それも二本、避けることですら容易でないというのに、掴み取りとは!
 ……しばらく呆けていた狩人たちは、ようやく、その矢が何者かの「手」に握り締められていることに思い至っ
た。

(な……!?)

 そこで初めてふたりの意識は、「獲物」が一体何であったのかということに向けられたのである。
 鹿ではない。猪でもない。
 ……人間だ。

(いや、違う……)

 ふたりはほとんど同時に、自分たちの考えを打ち消した。
 人間に、あんな素早い動きができるわけがない。
 人間に、この距離から射かけられた二本の矢を掴み取れるわけがない。

(そうとも……人間ではない……)

 ふたりは怖ぞ気立った。
 目の前の相手は、意外に優美な仕草で、二本の矢を脇の地面にそっと置くと、ゆっくりとふたりに近づいて来
る。

(化け物だ……)

 ふたりの顔が恐怖に引き攣る。
 その顔を、燃えるような赤い瞳が見つめていた……



「マルチちゃん。
 山菜を採りに行くんだけど、一緒に行く?」

 リネットの言葉に、

「はい。喜んでお供しますぅ」

 笑顔で答えるマルチ。

 ……マルチは、リネットと同じ、長めの服を着せてもらっている。
 もともと着用していた服は、21世紀初頭の女の子が着る服としてはごく普通のものだったのだが、「時代の
子」である次郎右衛門には、下着姿も同然に思われた。
 マルチが男の子だと思っていた間は気にも止めなかったのだが、女の子だとわかった途端、

「童(わらわ)とはいえ、おなごがかような姿であってはならぬ。
 リネット、何とかしてやってくれ」

 と珍しくうろたえ気味の次郎右衛門の指示で、リネットの着替えを一着与えることになったのである……

 マルチが来てからおよそ一ヶ月が経過していた。
 相変わらず自分の名前以外は思い出せないマルチであったが、持ち前の性格の故か、いつも笑顔を浮かべなが
らリネットの仕事を手伝っている。
 戦国時代の侍言葉を話す次郎右衛門たちと、21世紀の娘言葉でしゃべるマルチとの意思の疎通も、この頃で
は双方とも大分コツがわかって、かなり自由にできるようになっていた。



「……どうしたの、マルチちゃん?」

 リネットは、一本のキノコを手に取ったまま珍しく難しい顔をしているマルチに声をかけた。

「……あ? は、はい。
 このキノコ、何だか見覚えがあるような気がしたものですから……」

「どれどれ?」

 リネットが近寄って来る。

「……見たことのないキノコね」

 しげしげと手に取って眺めている。
 ……その姿を見ていたマルチは、なぜか妙な胸騒ぎを感じた。

「リ、リネットさん!
 正体のわからないキノコは、うっかり食べると危ないですよ!
 それはやめて、もっと他の物を探しましょう!」

「……そうね。
 あまり妙なものをあの人に食べさせるわけにはいかないし……」

 リネットはちょっと残念そうにそのキノコを地面に置くと、マルチと共に歩を進めて行った。
 その一見無害そうなキノコこそ、後世「セイカクハンテンダケ」と命名されることになる危険な代物であった
……



 籠にいっぱい山菜を詰めて上機嫌で帰って来たリネットたちが食事の支度をしようとしていると、突然、

「御免」

 という声が庵の入り口から聞こえて来た。
 リネットがはっとした顔をする。

「……マルチちゃん。ここを動かないでね」

 やや緊張気味のリネットはそう言うと、入り口に向かった。

「……何か御用でしょうか?」

 侍がふたり立っている。
 そのひとりが口を開いた。

「それがしは、稲村城主天城忠義様の使いの者におざる。
 次郎右衛門殿のお住まいはこちらでおざるな?」

 侍はリネットが見上げるような上背の持ち主だったが、物腰はいとも丁重だった。
 その理由の一つとして、鬼の娘に対する畏怖の念があることは言うまでもない。

「はい」

 リネットも相手に合わせて改まった調子になる。。

「次郎右衛門殿は?」

「他出しております。間もなく帰るものと……」

「……さようでおざるか」

「しばし、こちらにてお待ちになられては?」

「いや、そうもしておられませぬ。
 ……失礼ながら、次郎右衛門殿のご妻女とお見受け致すが……
 ご夫君にお伝え願い申す。
 お館様より申し合わせたき儀これあり、
 よってすみやかに稲村まで参るべし、と」

「お館様が?」

 リネットは微かに眉をひそめた。
 鬼の娘である自分を助けたことで次郎右衛門に腹を立てて放逐したはずの天城氏が、今さら何用だろう?

「……しかとお伝え下され」

「かしこまりました」

 使者は庵に足を踏み入れることなく、そそくさと立ち去った……



「……次郎右衛門におざる。
 お館様にはつつがなく……」

「おお、次郎右衛門か。大儀であったな。
 もそっと、近う参れ」

「……ははっ」

 次郎右衛門は天城忠義ににじり寄りつつ、心中訝しく思っていた。
 リネットの件であからさまに腹を立てていた領主が、今日はばかに機嫌がいいからだ。

「その方も息災で何よりじゃ」

「かたじけのう存じます」

 しばらく当たり障りのないやりとりが続く。

「……山中の侘び住まいじゃそうな。
 さぞ不如意なことであろう?」

「元来流浪の身の上。
 近ごろではすっかり慣れ申した」

 「山中の侘び住まい」に追い込んだ当の本人から同情されたところで、あまりありがたくはない。

「ほほ、さようか」

 忠義は笑って見せる。

(……はて?)

 領主の真意がさっぱりつかめない。

「時に、その方の住まいおる雨月山の麓に、柏木庄(かしわぎのしょう)があろう?」

「はっ」

「その方にくれてやろう」

「? ……何と仰せでおざる?」

 柏木庄はまだ十分開発されていないが、土地が肥えており、天然の良港をも控えた前途有望な領地だ。
 それを浪人中の次郎右衛門にいきなりくれてやるとは、一体どういうことだろう?

「むろん、ただで与えるわけにはいかぬ」

 狐につままれたような顔をしている次郎右衛門に、忠義は畳みかけた。

「何をせよとおっしゃるので?」

「……鬼退治じゃ」

「鬼退治……?」

 次郎右衛門の顔が険しくなる。

「ああ、勘違い致すな。
 その方の妻女をどうこうせよとは申しておらぬ」

 てっきりリネットを殺して天城氏の家臣になれと言われたものと思った次郎右衛門は、忠義が急いで付け足し
た言葉に再び首をかしげた。

「では一体?
 ……この国には、もはや鬼はおらぬはず……」

「さよう、この国のことではない。
 近江の国の鬼退治を、その方に申しつける」

「近江?」



「……今帰った」

 次郎右衛門の声に、マルチがいそいそと出迎える。

「ご主人様、お帰りなさいませー」

「……俺はそなたのあるじではないぞ?」

 苦笑して見せるが、いくら言っても聞かないことは次郎右衛門もよく知っている。
 この庵に住むようになって三日目に、突然次郎右衛門のことを「ご主人様」と呼ぶようになり、以来一向に改
まらないのだ。

「リネットはどうした?」

 いつも出迎えてくれる妻の笑顔がないことを訝しく思った次郎右衛門がそう尋ねると、

「中で休んでおいでですぅ」

「? 眠っておるのか?」

「いえ、ちょっとご気分がすぐれないそうで……」

「何っ!?」

 次郎右衛門はいささか焦り気味の声を出した。
 十分な薬もなく、ろくな医師(くすし)もいないこの時代のこと、ちょっとした病気でも命取りになることが
多々あるのだ。

「よ、よほど悪いのか?」

「いえ、大丈夫ですよー」

「何が大丈夫だ!?」

 のんきそうなマルチの言葉に、思わず声を荒らげる次郎右衛門。
 と、そこへ、

「……お帰りなさい」

 という声が静かに響いた。
 はっとして振り向くと、リネットが起き出して来ている。

「リネット!? どうしたのだ!?
 寝ていなくても良いのか?」

「ええ。大分気分がよくなったから……」

「とはいえ、油断はならぬ。
 二、三日は大事をとった方がいい。
 病を甘く見ると、取り返しのつかぬことになるぞ」

「……病気ではないの」

 リネットがやや頬を赤らめる。

「?」

 次郎右衛門が不思議そうな顔をする。

「お食事の支度ができてますぅ。
 どうぞどうぞー」

 にこやかな顔で促すマルチ。

 何のことかわからないまま次郎右衛門が食膳に向かうと……
 そこには白い米の飯と、上等の魚が備えられていた。



「……ややができた(妊娠した)、と言うのか?」

 滅多に口にできない御馳走を前にした次郎右衛門は、そのいわれを聞いて呆けたような顔になった。

「ええ。多分間違いないと……」

 リネットが恥ずかしそうな嬉しそうな顔で言う。

 彼女は昼間、例によってマルチと山菜採りに出かけた途中で、急に気分が悪くなった。
 慌てて介抱していたマルチは、自分の持っていた家庭医学のデータによって、リネットの妊娠に気づいたので
ある。

「そ、そうか。やや(赤子)が……」

 次郎右衛門はまだ半分信じられないような表情だ。
 それを見ていたリネットが、心配そうな顔になる。

「次郎右衛門?
 ……産んじゃ……だめ?」

「……何?」

「この子…… 私は産みたい……
 あなたの子だから……
 ……でも、あなたが、どうしても鬼の産んだ子はいやだと言うなら……」

「馬鹿!!」

 次郎右衛門はリネットを怒鳴りつけた。

「俺とおまえの子だ! 産むも産まぬもない!
 ……その子は、俺の立派な跡継ぎとなるのだ!」

「次郎右衛門……」

 リネットは思わず涙を浮かべる。

(跡継ぎか……)

 一方、次郎右衛門は自ら口にした言葉の重みを考えていた。
 近江の鬼退治の一件について、二、三日中に領主に返事をしなければならない。

(今の俺は無一物。跡継ぎとはいえ、子に残すものなど何もないが……)

 鬼退治をすれば、柏木庄が与えられるという……