「約束」第3章 討伐隊  投稿者:DOM


「約束」
The Days of Multi <番外/時空編>
第3章 討伐隊



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<おもな登場人物>

 柏木次郎右衛門 かつてのエルクゥ討伐隊の長。今は雨月山の庵で細々と暮らしている。
 リネット    次郎右衛門の妻。エルクゥのただひとりの生き残り。
 マルチ     21世紀初頭に製造された試作型メイドロボ。
 天城忠義    能登の国、稲村城主。形式上、次郎右衛門の主君に当たる。
 京極広直    近江を領地とする京極氏の当主。派手好きで、体面にこだわる男。
 京極氏広    京極氏の庶流で、血気盛んな青年。
 近江山中の鬼  ???
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「『セレナ』の機能、完全回復しました」

「そうですか。……この付近に私たちの仲間がいる可能性は?」

「セレナによれば、ネガティヴです」

「……ではやはり、ここには私たちしかいないのですね?」

「はい」

「我々の使命については?」

「……セレナも知らされていないそうです」

「…………」

「なぜでしょう? なぜ私たちしかいないのでしょう?
 インプットされた情報では、10倍の仲間がいるはず……」

「それは私にもわかりません」

「それに、私たちに与えられた務めとは一体何なのですか?
 肝心の使命が把握できなければ、うかつに行動するわけには……」

「それもわかりません。
 ……セレナが何か知っているかと思っていたのですが……」

「これからどうすればよいのでしょう?」

「……今はともかくデータ不足です。
 当面は、私たちの置かれた状況を分析するのに必要な情報を得ることに、
 全力を尽くしましょう」

「はい……」



 次郎右衛門は近江に向かっていた。
 リネットとマルチも同行している。

 −−近江の山中に鬼が出る。

 最近になって、しきりにそういう噂がささやかれるようになった。
 山中で鬼を見た、という者が何人もいる。
 至近距離から矢を射かけたにもかかわらず、やすやすと手取りにされてしまった、ともいう。
 赤い瞳ににらまれて気を失った者もいる。
 一匹でなく、何匹もの鬼を見たと主張する者もある。
 幸い今のところ取り立てて危害を加えられたという報告はないが、隣国へ渡るための道がたまたまその山中を
通っているため、旅人は戦々兢々たる有様だ。

 近江と言えば京の都にも近いので、その一帯を領する京極氏が足利将軍の命を受け、討伐隊を派遣したことが
あるが……散々な結果に終わった。
 威風堂々、旗さしものをなびかせて出陣して行った騎馬武者たちが、馬を失い、兜を失い、刀剣をも失って、
ほうほうの態で逃げ帰って来たのである。
 死者こそ出なかったものの、討伐隊に参加した武士は面目を失い、出仕もままならぬ状態だという。

 それ以上に恥をかいたのは京極氏だ。
 宇多源氏の血を引く名流でありながら、領内にすむわずかの鬼をも退治することができぬ、というわけで、将
軍の覚えは悪くなる、諸大名からは馬鹿にされる。
 日頃張り合っている同族の六角氏など、今度の件で京極氏の武力を侮って、半ば公然と挑戦して来るほどだ。
 恥と焦燥の中にある京極氏の家臣のひとりが、ふと能登の国の鬼退治の噂を思い出した。
 数においても凶悪さにおいても近江の鬼に遥かに優る「雨月山の鬼ども」を、事実上ひとりの侍が壊滅させた
というものだ。
 家臣の話に飛びついた京極氏は、それが天城氏の領内の出来事だと確認すると、早速使者を稲村城に派遣して、
第二次討伐隊への「協力」を要請した。
 あくまでも協力、である。
 体面を重んじる京極氏にとって、鬼退治の主体は自家でなければならない。
 実際の働きがどうであれ、表向きは、京極家臣による討伐隊に次郎右衛門が助力をするという形をとる必要が
あるのだ。
 そして天城忠義は、その京極氏の身勝手な要請に応じることにしたのである。

 天城氏は成り上がりの大名だ。
 大名の中には、諸国の守護を務めた者や、幕府の要職を受け継いできた者など、由緒正しい家柄もある。
 しかし、下剋上の風潮は高まる一方で、実力で旧支配者に取って代わり、大名に成り上がる者が次第に増し加
わりつつあった。
 天城氏もそのような大名のひとりだ。当然、家格は低い。
 中央に近い京極氏は、今度の討伐隊に協力してくれたならば、天城氏を能登一国の守護職に任じる旨、将軍の
保証をとりつけてある、と伝えてきた。
 むろん、天城氏の内情を見越しての上である。
 ……力のない者にとっては、守護職などただの飾りに過ぎない。
 しかし、実力を有しながら家格の低さの故に軽蔑されがちな天城氏にとっては、喉から手が出るほどほしい代
物だ。
 守護職を得れば家格は一気に引き上げられる……それは今後の領地経営、人心収攬にも大きな成果をもたらす
であろう。
 天城忠義が、いったん放逐したはずの次郎右衛門を上機嫌で呼び返したのには、そういう背景があったのだ。



「……リネット。少し休んだ方がよいのではないか?
 おなかの子に障るぞ」

 馬上から次郎右衛門が心配そうに声をかける。

「大丈夫。私もエルクゥの女。
 これくらいでどうこうなるものではありません」

 同じく馬の背に揺られながら、リネットが微笑んで見せる。

「しかし……」

 次郎右衛門は、もともとリネットを同伴するつもりなどなかった。
 そうでなくても、戦いには不向きな妻だ。
 まして今は身重の体。
 マルチと共に庵に残っているように言ったのだが、リネットはいつになく真剣な面もちで、

「……何だか悪い予感がするの。
 私も行きます。
 どうしてもついて行きます」

 と、日頃の従順さに似合わぬ強い態度で言い張ったため、今度ばかりは次郎右衛門も押し切られた形になった。
 そうなると、マルチひとりを山中の庵に残していくのも心配だ、というわけで……
 鬼の力を持つ侍、エルクゥの娘、それに正体不明のメイドロボという世にも奇妙な取り合わせの旅となったの
である。
 リネットもマルチも馬に乗るのは初めてだったので、最初のうちはふたりともおっかなびっくりだったのだが
……(特にマルチは、馬の背に跨がろうとしては何度もこけていた)

「急げば今日中に都に着くことができるのでしょう?
 それならば、もう少し頑張って、
 京極のお屋敷で休ませていただいた方が、結局は楽だから」

「……確かにその通りだな」

 理にかなった妻の言葉に、次郎右衛門もうなずくほかなかった。



 都の京極屋敷に着いたのは夕刻だった。
 正式に当主に会うのは明日、ということで、次郎右衛門たちは離れのような別殿で旅の疲れをいやすことになっ
た。

 翌朝。
 次郎右衛門たち三人は、屋敷の庭に座していた。
 あるじの座は、もちろん、ずっと高い所に設置してある……もっとも、その座の主は、まだ姿を現してはいな
いが。
 格式を重んじる京極氏にとって、次郎右衛門はごく身分の低い侍に過ぎない。
 あるじと同格に扱うことなど論外である。
 三人がいい加減待ちくたびれた頃、ようやく当主・広直(ひろなお)が姿を見せた。
 尊大な態度で座につき、歓迎というよりは軽蔑しているとしか思えない視線で三人を眺めている。
 次郎右衛門はひれ伏して、

「稲村城主天城忠義が家臣、柏木次郎右衛門におざる。
 この度は討伐隊の一端に加えていただき、武士の面目これにまさるものは……」

 挨拶とお礼の言上を述べる。
 要請されて出向いて来たのに礼を言わねばならぬのもおかしな話だが、これが京極氏の論理……いやむしろ、
武家一般の論理と言うべきかも知れない。
 そもそも柏木姓にしたところで、「一人前の武士が姓を持たぬのはおかしい」という忠義の配慮で、今度もら
えるはずの恩賞地に因み、特に名のることを許されたものに過ぎない。
 これで名字もないとなれば、当主との会見すら不可能だったであろう。

 広直は鷹揚にうなずいて形ばかり次郎右衛門の労をねぎらったが、それがすむと、興味本位に次々と質問を浴
びせかけてきた。
 皆、鬼退治の話題である。
 ……次郎右衛門の鬼退治の噂にはさまざまなバージョンがあり、中にはかなり事実とかけ離れたものもある。
 広直の知っている噂(家臣からのまた聞き)では、次のようになっていた……

 天城氏は領内の鬼退治のため再三討伐隊を派遣したが、いずれも失敗に終わった。
 どうしたものかと思い悩む天城氏の前に、「妙案がある」とやって来たのが放浪の剣士、次郎右衛門である。
 彼は、正攻法ではとても勝ち目がないと見て、苦心してひとりの鬼の娘に近づいた。
 そして色じかけでたらし込み、内通させようとしたのだが……事前に漏れて、娘は見せしめのため殺されてし
まった。
 次郎右衛門はそれでも諦めず、改めて別の娘を誘惑し、まんまと「鬼殺しの剣」を手に入れることに成功した。
 さらにその娘を使い、おもだった鬼どもを強い酒で眠らせたところへ、待ち構えていた仲間と共に切り込み、
「鬼殺しの剣」を振るって難なく鬼退治を果たした、というものだ。
 大江山の鬼退治とか、ヤマタノオロチの伝説とかを思わせる内容だが、当時の人々にはかえって受け入れやす
かったのだろう……



「ほう、それが鬼の娘か?」

 広直は好色そうな視線をリネットに向けた。
 噂では、鬼の娘どもは皆淫乱で、次郎右衛門はその鬼の娘どもを夢中にさせるくらい精力絶倫の男、というこ
とになっているのだ。
 広直が、リネットのあどけない容姿の裏にそうした淫乱の血が隠されていることを想像したとしても、無理は
ない。
 なお、リネットと同じ服を着ているマルチは男子と思われているので、無視されている。
 リネットには角がなく髪が長いので「雌」、マルチには角(センサー)がある上に女性にあるまじき短髪なの
で「雄」、という単純な発想らしい。

 次郎右衛門はかなり不愉快な気持ちになっていた。
 広直の質問は、エディフェルの死やリネットの純情を揶揄するようなものが多かったからだ。
 おまけに無遠慮にも、リネットの体に、舐めるようないやらしい視線を這わせている。
 そのことを、夫の次郎右衛門に気取られぬようにしようという配慮さえないのだ。
 あまりの屈辱に、今にも怒りを爆発させようとしたとき、

(次郎右衛門。腹を立てないで。
 私なら、大丈夫だから)

 というリネットのささやきが聞こえてきた。
 ……いや、肉声ではない、エルクゥの信号だ。
 次郎右衛門が切れかかっているのを察したリネットが、そっと信号を送ってきたのだ。

(しかし、リネット。余りと言えば余りにも……)

(いいの。私は平気よ。
 ……それに、生まれて来る子のためにも、つまらないことで短気を起こさないで)

(…………)

 次郎右衛門は無念を飲み込むしかなかった。
 そして、この無念を、鬼退治で爆発させようと心に誓ったのである。



 それから三日後の吉日を選んで、京極氏の討伐隊が出発した。
 わざわざ都から出発しなくても、問題の山中に近い別の屋敷で討伐隊を編成する方がずっと楽なのだが、それ
ではデモンストレーションにならない。
 テレビも新聞もない時代なのだ。
 重要な人物や施設が集い、情報の発信地また集積地でもある都において、にぎにぎしい行軍をすれば、朝廷や
幕府、諸大名に対してまたとない宣伝の機会となる。
 口さがない「京童」たちも、華々しい討伐隊の姿を目に刻めば、のちのちまでの語り草としてくれるだろうし、
やがては諸国に噂が伝わるであろう。
 そういうわけで、討伐隊の出発は、現代の感覚で言えば、軍隊の示威行進と祝祭のパレードを合わせたような
要素が多分にあった。

 討伐隊の将は京極氏広(うじひろ)という青年。
 同じ京極氏でも庶流で、あまり陽の目を見ない家柄だ。
 しかし今日は、京極一族の面目がかかっていることもあって、特に当主から贈られた美々しい鎧を着込んでい
る。
 一世一代の晴れ姿、というところだ。

 従う騎馬武者たちも、思い思いの工夫をこらした、色とりどりの武具を身につけている。
 その中で、次郎右衛門だけがくすんで見えた。
 天城氏は自らの体面もあるので、次郎右衛門のためにかなり立派な甲冑を整えさせたのだが、京武者の派手好
みの前には到底及ばなかったのだ。
 もともと京極氏は、足利尊氏と協力して勢力を伸ばした佐々木高氏(道誉)を中興の祖に持っている。
 道誉と言えば、当時流行の「バサラ大名」の典型と言われた人物だ。
 バサラとは、人の耳目を驚かすような新奇で派手なものを好む、という意味であるから、京極氏の趣味は代々
培われてきたものと言えよう。

 身なりでは目立たないにもかかわらず、次郎右衛門はその日、注目の的だった。
 彼は騎馬武者の一行の最後にいたのだが、さらにその後ろにリネットとマルチが、同じく騎馬で従っていたか
らである。
 ふたりが「鬼」であることはその姿から一目瞭然だったので、その鬼を従えて行く男こそ噂の次郎右衛門に違
いない、と誰しも見当をつけたわけだ。



 ……わざと人目につくように大通りを選んでゆっくりと行軍した面々がやっと京城の外に出た頃には、はや陽
が西に傾きかけていた。