The Days of Multi<綾香と浩之編>第一部第9章 マルチの秘密  投稿者:DOM


The Days of Multi <綾香と浩之編>
第1部 Days with Hiroyuki
☆第9章 マルチの秘密 (マルチ生後5ヶ月)



 綾香と浩之編第一部第8章で”C.綾香だった。”を選択した場合の続きです。

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 綾香。
 マルチが俺に示したのは、確かに綾香だった。

(そんなはずは…)

 俺は、初めて綾香に出会った時のことを思い出した。
 来栖川先輩が車で帰るのを見送ろうとして、校門前で出会った、先輩によく似た女の子…
 しかし、似ているのは外見だけで、中味は全然違う。
 物腰優雅なお嬢様である先輩に対し、綾香は自由奔放というか、ともかく明るいというか、遠慮が
ないというか、性格的にはむしろ志保に似ているような気がする。
 従って、綾香と顔を合わせると、何となくお互いに突っかかるような感じになってしまい、それら
しい雰囲気というのには程遠い。
 やっぱり、あの夢は間違いなんじゃ…?



 翌朝。

 ピンポーン

 玄関の呼び鈴の音に、俺はぼんやり目を覚ました。

(…あかり?)

 この二、三日、一緒に登校するのを控えていたあかりが迎えに来たのか、と最初は思った。
 が、その考えが誤りであることを、続く大声が明らかにしてくれた。

「浩之ーっ!! いつまで寝てんのー!?
 いい加減目を覚ましなさーい!!」

 …それは確かに綾香の声だった。



 慌ててクイック洗顔を済ませ、着替えて玄関のドアを開けると…

「せ、先輩まで!?
 どうしたんだよ、こんな朝っぱらから!?」

 そこには、綾香のみならず、先輩の姿まであった。

 ぺこり

「…………」

「え? おはようございます?
 …ああ、おはよう。」

 まったく、マイペースな先輩だ。

「ちょっと、ふたりとも。
 のんびり挨拶してる暇なんかないわよ。
 さっさと車に乗ってちょうだい。」

 綾香が幾分いらいらした声で言う。

「車?」

 見ると、確かに例のリムジンが家の前に泊まっている。

「何で車に乗るんだ?」

「決まってるでしょ?
 姉さんと一緒に学校に行くためじゃない。
 その後、あたしも寺女まで送ってもらうんだから、
 ぐずぐずしてると、あんたと姉さんはともかく、
 あたしは遅刻する羽目になるってわけよ。
 …さあ、わかったら、さっさと車に乗りなさい。」

 というわけで、俺は否応なしに豪勢なリムジンに乗せられる事になった。



 リムジンの中は、運転手を除いても、5、6人はゆったり座れそうなスペースがあった。
 にもかかわらず、先輩と綾香は、わざわざ俺の右と左にくっつくように座っている。
 先輩の方はそれでも慎み深く、あまり体が密着しないように心がけているらしいのだが、車の動き
に連れて時々腕が触れ合ったりするのが、俺としてはかえって気になる。
 一方綾香の方は、癖なのかわざわざ足を組んでいるため、本人はそのつもりはないようだが、最初
から心もち俺の方に体が傾いている。
 当然、互いの体が触れ合う率が、先輩より多くなる。
 それに、短めのスカートからちらちらのぞく太腿が気になって仕方がない。

「それにしても、何でいきなり俺を迎えに来たりしたんだ?」

「だって、あんたの幼馴染みの…あかりだっけ?」

「…………」
 神岸あかりさんです。

 先輩が静かに補足する。

「…そうそう。
 その娘、毎朝あんたを迎えに来るんでしょ?」

「この頃はそうでもないぜ?」

「あら、そう? まあいいわ。
 ともかく、あんたと姉さんがより親密になるためには、
 まずあかりより先にあんたを迎えに行くことが必要だ、ということになったのよ。」

「…んな下らないこと、どうせ綾香のアイデアだろう?」

「下らない、ですって?
 これでもあたしは、あんたと姉さんのためを思って…」

「先輩はともかく、俺のためってのは何だよ?」

「あんたは、一日も早くマルチのことを忘れて、姉さんと結ばれるべきなのよ。」

「…マルチの話はやめてくれ。」

「いいえ。やめないわ。
 あんたはまだ、マルチの秘密を知らないんでしょう?」

「マルチの秘密? 何だ、そりゃ?」

「お嬢様…」

 珍しく押し黙っていたセバスチャンが、このとき初めて口を開いたが、その声は妙に苦しそうだっ
た。

「セバスは黙ってなさい。」

 綾香はただ一言で執事を沈黙させると、俺に向かって、

「実はね。昨日あんたと別れた後で…」

 と話し始めたのだった…



「…何ですって!?」

 とある喫茶店。
 綾香が思わず大きな声を上げたので、周囲の目が一斉に注がれた。
 が、綾香はそんなことに気づく様子もなく、

「ちょっと!! それ、どういうこと!?
 もう一度言ってちょうだい!!」

「い、いえ、その、私めは、詳しいことは…」

 セバスチャンはしどろもどろになっている。
 綾香と芹香が「浩之をゲットする方法」についてあれこれ論じ合っているうちに(実際口を聞いて
いるのはほとんど綾香なのだが)、会話に半ば無理やり引きずり込まれたセバスチャンがうっかり口
を滑らせてしまったのだ。
 マルチの「秘密」を…

「マルチはもともと、浩之を誘惑するための『からくり人形』ですって?
 どうして、来栖川エレクトロニクスの試作ロボットが、
 浩之を誘惑しなくちゃなんないの!?
 おかしいじゃない!?」

「は、はい、仰せの通りで…」

「何か、裏があるのね?
 あんた、その辺のこと、知ってんでしょ?
 洗いざらい話した方が身のためよ?」

 綾香が指をボキボキ鳴らしてみせる。

「…綾香お嬢様。
 このセバスチャンに、脅しは効きませぬぞ。
 不肖私、お嬢様に太刀打ちできる腕は持ち合わせておりませずとも、
 執事の分を越えて秘密を漏らすような真似は金輪際…」

 言いかけて、芹香のまなざしに気がついたセバスチャンは、急に怯んだ様子を見せた。
 執事を見つめる大きな瞳はひどく悲しげな色を映し、今にも涙がこぼれそうなほど潤んでいる…

「せ、芹香お嬢様!?
 何とぞ、そのようなお顔をなさらないでください…!!」

 …結局セバスチャンは、マルチについて知っていることを、ことごとく打ち明ける羽目になったの
であった…



「マルチ…が…?」

 浩之は、足元が崩れていくような感覚に襲われていた。

「そんな…ばかな…」

「ほんとなのよ。うちのくそじじいが…
 (「お嬢様!」とセバスチャンがたしなめるが、綾香は動じない)
 うちのくそじじいが、姉さん可愛さに、ついやり過ぎたみたい。
 このセバスも、最初から相談に乗っていたそうだから、それは確かよ。」

 いつも浩之を目の敵にしている執事が、今日に限っておとなしいのは、マルチの件で綾香に尻尾を
つかまれたせいらしい。
 しかし、浩之の方は、そんなことに気づく余裕もなかった。

「…………」

(マルチが、この俺を誘惑するようにプログラムされていたって?)

 あまりのショックに、声も出せないありさまだ。
 それを見た綾香が、しきりに芹香に合図を送る。
 落ち込んでいる浩之に優しい言葉をかけて、そのハートをつかんでしまえ、というつもりなのだが
…
 当の芹香は、綾香が懸命に合図をしているのに気がつかない。
 やっと、綾香の手ぶりに目を止めたと思ったら、そのまま不思議そうに見つめている。
 業を煮やした綾香が、いよいよ身振りを大きくすると、芹香は何を思ったか、綾香のジェスチャー
の真似を始めた。

「もう!! 姉さん!! 何やってんの!?
 浩之をものにする絶好のチャンスじゃない!?
 優しく慰めるか何かしておやんなさいよ!!」

 ついに切れた綾香が叫ぶと、芹香はようやく得心がいったという顔をした。
 …が、そのままじっと黙っている。
 綾香の言う意味はわかったのだが、人づき合いの少ない芹香には、こういう微妙な問題で落ち込ん
でいる男の子をどう慰めたらいいのか、皆目見当がつかないのだ。

 なでなで

 芹香はおもむろに、浩之の頭を優しく撫でてみた。
 が、綾香は「それじゃ足りないわよ」とでも言いたそうな顔をしている。

(…どうしたらいいのかしら?)

 またしてもイライラが高じて叫び出しそうな綾香の様子に、芹香はとりあえず思いついたことを口
にした。

「…………」
 今日、魔法の実験におつき合いくださいませんか?

「…姉さん!!」

 綾香の怒りが爆発した。



 浩之はその日一日ぼーっとしていた。
 授業中指名されても、返事をしない。
 いくら注意してもさっぱり反応がないので、しまいに教師の方が匙を投げるくらいだ。

「…浩之ちゃん。どうかしたの?」

 このところ浩之を避けていたあかりまで、見かねたように声をかけてきたが、やはり返事はなかっ
た。
 放課後になっても、浩之は自分の席に腰を降ろしたままで、帰り支度をする様子もない。

「浩之ちゃん、ほら…
 机の中身、鞄に入れるよ?」

 マルチの件で溝ができたとはいえ、長年のつき合いは否定しようもない。
 放心状態の浩之を目のあたりにしては、あかりの世話好きの血が黙っていられないようだ。

「あかり。ヒロの様子はどう?
 …あら、まだ正気に戻らないの?」

 休み時間のたびに顔をのぞかせていた志保も、さすがに心配そうだ。
 浩之は、あかりと志保に半ば支えられるようにして、教室を出た。
 するとそこへ、例の寡黙なるお嬢様が。

「…………」

 オカルト研究会へのお誘いらしいが、

「来栖川先輩?
 ヒロはごらんの通り、部活どころか、ひとりで帰れないぐらいなんです。
 悪いけど、今日のところは諦めてくださいね?」

 志保が代わって断わった。
 芹香は無表情のまま、その場に突っ立っている。
 浩之が本調子なら、芹香の喜怒哀楽を見分けることができただろうが、あかりや志保にはさっぱり
見当がつかない。

「…それじゃ、あたしたちはこれで。」

「さようなら。」

 いい加減見切りをつけた志保が挨拶をして歩き出すと、あかりもあわててお辞儀をし、志保と共に
浩之を支える。
 芹香はそんな三人の後ろ姿をぼんやり見送っていたが、ふと思いついたように、スカートのポケッ
トを探って、何かを取り出した…



 一方、あかりと志保は、浩之を抱えるようにして校門を出たが、その途端に、体が金縛りにあった
ように、動かなくなってしまった。

「あ、あれ? 何よ、これ?
 どうなってんの?」

「し、志保。何だか変だよ…」

 のんきなあかりも、心なしか青ざめた顔をしている。
 三人は、校門前で文字どおり固まっていた。
 帰宅する生徒たちが一様に「?」という顔をして見せるが、志保がその都度思いきりにらみつける
せいか、皆無言で去って行く。
 かれこれ20人ぐらいの生徒をやり過ごした頃、三人の目の前に、見覚えのあるリムジンが止まっ
た。

「やれやれ。どうやら間に合ったみたいね?」

「あ、あんたは!?
 …来栖川先輩の『妹』!?」

「綾香だってば。」

 一応志保に釘を刺しておいて、

「あら? 浩之ったら、まだぼんやりしてるの?
 こりゃ、相当ショックだったようね…」

 と、呆れたようにもらす綾香。

「浩之ちゃんがこうなった理由、知ってるんですか?」

 あかりがすかさず突っ込む。
 いつものんびり屋のくせに、珍しく素早い反応を見せるのも、浩之を気づかってのことだろう。

「まあね。」

 意味ありげに笑う綾香。

「…それにしても、あんたたち。
 何でそんな格好してるの?」

 三人とも、歩いている途中で突然固まったのだ。
 綾香がいぶかしがるのも無理はない。

「あたしたちだって、わかんないわよぉ!!
 ここまで歩いて来たら、急に体が動かなくなったんだから!!」

 動けないのは綾香のせいだとでも言わんばかりに、志保がかみついた。

「体が動かない? …さては。」

 綾香は思い当たる節があるようで、三人の後ろをしきりに見やっている。

「…やっぱり。姉さんったら…
 確かに、何とか引き留めておきなさいと言ったのはあたしだけど、
 まさか魔法を使うとはね。」

「え?」

 志保が怪訝そうな顔をする。

「姉さん。もういいわよ。
 そろそろ解放してやったら?」

 途端に、三人の体が自由になる。
 志保が慌てて振り向くと、制服の上からとんがり帽子とマントを身につけた芹香が、鞄を手にして
立っていた。

 オカルト研究会へのお誘いを断わられた芹香は、「何かあったらこれを使って。」と綾香が手渡し
てくれた携帯電話を思い出して、寺女にいる妹を呼び出したのだ。
 浩之が志保とあかりに連れて行かれたと聞いた綾香は、このままではヤバいと判断、何とか自分が
駆けつけるまで三人を引き留めておくようにと指示を与えたのだが…
 ほかの手段が思い浮かばなかった芹香は、魔法を使って文字通り三人を「引き留めた」というわけ
だ。

「まあ、姉さんにしては上出来と言うべきかしらね?
 …セバス。浩之を車に乗せてちょうだい。
 姉さんも、そのまま帰れるわね?」

「ちょ、ちょっと!
 ヒロをどうするつもり!?」

「いえね、浩之がこんな風になったのには、
 あたしたちにも責任がないわけじゃないから…
 できる限りのことはさせてもらおうと思って。」

「浩之ちゃんをどこへ連れて行くんですか!?」

「心配しないで。
 ちょっと元気が出る『おまじない』をした後で、ちゃんと家まで送ってあげるから。」

「待ちなさい!!」

「あら、邪魔する気…?
 あたしが相手してあげてもいいけど、怪我でもさせたら気の毒ね…
 姉さん、もう一度このふたり、『引き留めて』くれる?」

 こくん

「…あ!? また!!
 ちょっと!! ずるいわよ!!」

 再び体の自由が聞かなくなった志保がわめくのも構わず、浩之と来栖川姉妹を乗せたリムジンは、
音もなく滑り出した。