The Days of Multi<志保編>第一部第9章 けんか友達  投稿者:DOM


The Days of Multi <志保編>
第1部 Days with Hiroyuki
☆第9章 けんか友達 (マルチ生後5ヶ月)



 綾香と浩之編第一部第8章で”B.志保だった。”を選択した場合の続きです。

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 志保。
 マルチが俺に示したのは、確かに志保だった。

(まさか… 何で俺が、志保なんかを…?)

 志保とは中学以来の知り合いだが、もともとあかりを介しての仲だ。
 中学に入って間もなく、どういうわけか志保と親しくなったあかりは、早速俺にも紹介したのだが
…

「…あんたがあかりの彼?
 ずいぶん目つきの悪い男ね。不良じゃないの?
 あかり。こんな奴、早めに手を切った方が…」

「んだとぉ?
 おめえこそ、ずいぶん口が悪いじゃねーか?
 ほんとに女かよ? 女装した男だったりして…」

「なあんですってぇ!?」

「ふ、ふたりとも、やめてよ…」

 おろおろするあかりをしり目に、早々と口げんかを始めた俺たち。
 それが、志保との初めての出会いだった…

(ああ、くそ!! 今思い出してもむかつくぜ。)

 やっぱり、あれはただの夢だ。
 俺が志保を好きになるなんて、天地がひっくり返ってもあるはずがない。
 そうだとも…



 翌朝。
 今日もあかりは迎えに来なかった。
 俺はやや寝過ごしたものの、全力ダッシュで遅れをとり戻し、いつもの公園を過ぎる頃にはゆうゆ
う学校に間に合う時間になっていた。
 もう大丈夫とペースを落とし、普通に歩き始める。
 そして、学校前の坂道にさしかかったとき…

「あ、見つけた!!
 ヒロォ!! 待ちなさい!!」

 ぎくっ

 あの声は…
 昨日の夢がまだ少しばかり気になる俺は、妙にドキドキしながら振り返った。

「あかりはどこよ!?」

 志保は、憤怒の形相ものすごく、俺の方へと迫って来る。
 昔見た、「大魔神怒る」とかいう映画を思い出してしまう。

 …嘘だよな。
 どうして俺が、こんなこわい顔の女に惚れなきゃなんねーんだ?

「あの娘、今日はあんたと一緒に学校に来るって、あたしに約束したのよ!?
 あんた!! あかりをおいてけぼりにしたんでしょ!?
 この薄情者!!」

 …こんな、口の悪い、ゴシップ好きの、がさつ女を好きになるわけがない。
 志保を好きになるくらいなら、まだ他の…

「ひどいわ!!
 あかりは、ずうっとあんたのことが好きだったのに!!」

 …志保? その顔は…?

「こともあろうに、ロボットなんかにうつつを抜かして…」

 …おまえ…

「…あかりを…捨てようなんて…
 あんないい娘を… うう…」

「…おまえ、泣いてんのかよ?」

「泣いてる? あたしが?
 は!! 何を寝言…」

 志保はそう言いかけて、自分の頬に流れる冷たいものに気がついたらしく、慌ててごしごし手でこ
すった。

「や、やだ。目にゴミが…」

 …相変わらず負け惜しみの強い奴だ。
 初めて会った頃と、ちっとも変わっていない。
 初めて会ったあの頃と…

 俺は、何だか妙に懐かしいような思いにとらわれて、志保の顔を見つめていた。

「…何、暖かいまなざししてんのよ!?」

 志保は何が気にさわったのか、顔を真っ赤にして怒鳴っている。
 まったく、こんな女に惚れる男がいたら、どうかしてる。
 どうかしてるぜ…



 その日、あかりは結局、学校に姿を見せなかった。
 放課後になるや否や、教室の後のドアが開いて、ぼそぼそつぶやくような声が聞こえる。
 来栖川先輩だ。
 いつものようにオカルト研究会のお誘いなのだが、こんなに早く迎えに来るなんて、万事マイペー
スの先輩にしては珍しい。
 綾香の入れ知恵だろうか?

 だが、俺が先輩の前に立って返事をする前に、

「ヒロォ!! あかりのお見舞いに行くわよ!!」

 例によってけたたましい声が邪魔をしてくれた。

「見舞い? あかりの?
 何のことだ?」

「決まってるでしょ!?
 あかりが学校休むなんて、病気に違いないわ!!
 …まさか、幼馴染みが病の床で苦しんでるのに、
 お見舞いにも行かず、ほっとくつもりじゃないでしょうね?」

「病の床って…
 まだ、そうと決まったわけじゃないだろ?」

「何のんきなこと言ってんの!?
 ぐずぐずしてたら、手遅れになるかも知れないわよ?
 そうなったら、後で悔やんでも、取り返しがつかないからね。
 せめて最後に一目会っておけばよかった、と…」

「何が『最後』だ!?
 勝手にあかりを殺すな!!」

「と・も・か・く!!
 今日はあかりのお見舞いに行く!!
 わかったわね!?」

 志保は俺の抗議に耳も貸さず、闇雲に俺の腕を引っぱりながら歩き出した。

「お、おい、待てよ…」

 相変わらずぼんやりした様子の来栖川先輩をその場に残して、俺は志保に引きずられて行った…



「…おい。いい加減に離せよ。」

「だめよ。手を離したら、逃げる気でしょ?」

「んなことしないって。」

 志保はまだ俺の手をつかんだまま、校庭を横切って行く。

「あれ? 浩之?」

「おう、雅史。これから部活か?」

「うん…」

 サッカー部のユニフォームを着た雅史は、俺と志保の顔を見比べながら、

「そうか…
 浩之、この頃何となくあかりちゃんによそよそしいと思ったら…」

 と切り出した。

「あん?」

「志保と結ばれたんだね。
 知らなかった…」

 どげし!!

 次の瞬間、俺のパンチと志保の飛び蹴りを食らった雅史は、

「さ、さすが… 息がぴったりだね…」

 と妙なことに感心しつつ、鼻血を吹き出しながら倒れた。

 …何が『さすが』だ。明日までそこで寝てろ。
 それにしても、志保のキックはかなりの助走を必要としたはずだが…そんなに走り込む時間があっ
たのか?



「それ見ろ。
 おめえがいつまでも俺の腕をつかんで離さないから、
 誤解されちまったじゃねーか?」

「何よ? もともとあんたが、お見舞いを渋るのがいけないんでしょ?」

「だから、あかりはまだ病気と決まったわけじゃ…」

 例によって口げんかをしつつ、坂道を下って行く。



 …あかりの家の前まで来た。

 ピンポーン

 志保が呼び鈴を押す。
 …返事がない。

 ピンポーン

 もう一度。
 …やはり返事がない。

「…あかりったら、よっぽど具合が悪いんだわ。
 返事もできないなんて。」

「だから、まだ病気かどうかわかんねーって…」

 浩之の言葉もろくに聞こうとせず、志保は玄関のドアノブに手をかけた。

 ガチャ…

「あいてるわ。
 …あかり? 寝てるの?
 入るわよ?」

「おい、志保…」

 ずかずか上がり込む志保につられるように、浩之も靴を脱いだ。
 そっとあかりの部屋をのぞくと…

「あかり!」

 志保は思わず叫び声を上げて、ベッドに駆け寄った。
 あかりは、苦しそうな顔で床についていた。

「…志保?」

「あかり! 大丈夫?
 一体どうしたの?」

「うん… 頭が痛くて…
 起きるとフラフラして…」

「大変だわ! 医者には見せたの!?」

「え? ううん…」

「駄目じゃない!
 悪い病気だったら、どうするの!?
 今からでも早速、どこかの病院へ…!」

「い、いいよ…」

「そんなのんきなこと言って、手遅れになったらどうすんの!?」

「手遅れって…
 大丈夫だよ、ただの二日酔いだから…」

「へ?」

 志保の目が点になる。

「昨日、志保がうちに来たときに、お酒を持ち出して、ずいぶん飲ませたじゃない?
 私、飲めないからって言ったのに…」

「そ、そうだったっけ?」

「…志ぃ保ぉ…」

 後ろから浩之の低い声。

「あれ? 浩之ちゃんも来てたの?」

「ヒ、ヒロ。どうかした?」

「…何だかんだ言って、あかりが休んだのは、結局おめえのせいじゃねーか!?」

「な、何言ってんのよ!
 昨日はあかりがずいぶん落ちこんでたから、
 ちょっと景気づけにと思ってお酒を飲ませただけよ!
 …大体、あんたがマルチなんかにうつつを抜かすから、
 あかりが傷ついたんじゃない!
 元はと言えば、あんたのせいよ!!」

「んだとぉ!?」

「…ふたりとも…お願いだから、少し静かにしてくれない?
 頭がガンガンするの…」

 あかりが辛そうな声をもらす。

「あ、ご、ごめん…」

「すまねえ、あかり…」



 間もなく神岸家を辞去したふたり。

「まったく、あんたのおかげで恥かいたじゃない!?」

「何言ってやがる!?
 あかりが重病に違いないって大騒ぎしたのは、おめえの方だろうが?」

「男のくせに、細かいことでゴチャゴチャ文句を言わないでよ!?」

「おめえが女のくせに大雑把すぎんだよ!!」

「なあんですってえ!?」

「とっとと帰れ! …じゃあな。」

 ちょうど自宅の前まで来た浩之は、そう言って志保を追い払うような仕種をすると、玄関の鍵を開
けようとした。
 しかし、志保は帰ろうとせず、

「ちょっと! まだ、話は終わってないわよ!」

「あん? 話って?」

「あんたとあかりのこと…」

「さいなら。」

 バタン

 浩之は素早く玄関の中に入ると、志保の目の前でドアを閉めてしまった。

「あ!? こら!!
 待ちなさい!! 逃げるなんて卑怯よ!!」

「そこで好きなだけ吠えてろ。」

「人を犬みたいに言わないでよ!!」

「んなこと言うかよ。犬が可哀相だろ?」

「キーッ!!」

「じゃあな。」

「開けなさいってば!!」

 浩之は、志保の怒りの声を無視して、自分の部屋へ上がった。



「…ちょっと!!
 この志保ちゃんを門前払いしようなんて、いい度胸じゃない!?」

 志保はまだ「吠えて」いる。

「見境なしの女たらしのくせに、いっちょ前の顔しないでよね!?」

 だんだん声を荒らげていく。

「さんざんあかりを弄んでおいて、
 いざとなったらボロぞうきんのように捨ててしまうなんて、
 あんた、それでも人間!?」

 さすがに浩之も、ご近所の手前を考えたくなる。

「あんたのおかげで、あかりは『あんな体』になったのよ!?
 この落とし前はどうつけるつもり!?」

 おひ…

 タッタッタッ…

「…志保! いい加減にしろ!
 『あんな体』って… 人が聞いたら誤解するじゃねーか!?
 それに、あかりを二日酔いにしたのは、てめえの方だろ?」

「何よ? 今になって『責任逃れ』?
 『男らしくない』わよ!?」

 浩之がドアを挟んで抑え気味の声を出すのに対し、志保の方は遠慮会釈なくわめき散らしている。
 このままでは、「浩之があかりを妊娠させた」という噂が近所中を飛び交うことになろう。

「ちっ… わーったよ、入れ。」

 しぶしぶドアをあける。

「最初からそうすればいいのよ。」

 勝ち誇ったような顔で入って来る志保。
 そのまま、ずかずか上がり込む。

「おい…」

「あ、おかまいなく。
 冷たい飲み物の一杯ももらえれば、それでいいからね。」

 と、ソファに腰をおろした。

「少しは遠慮しろ!」

「ヒロに遠慮してどうすんのよ?」

「…何言ってやがる?
 相手が誰でも、遠慮なんかしないくせに。」

「それじゃ、あたしがまるで、デリカシーのかけらもないみたいじゃない!?」

「んなもん、おめえにあるわけないだろう?
 最初っから、これっぽっちも。」

「キーッ!! …っと、いけない。
 こんなバカ話してる場合じゃなかったわ。」

「おう、いいところに気がついたじゃねーか?
 さっさと帰れ。」

「ごまかそうったって、そうはいかないわよ?
 あんたがあかりのことをちゃんとするまで、帰らないからね。」

「ちゃんとするって、どういうことだよ?」

「決まってるじゃない?
 マルチも、他の女どものこともすっぱり忘れて、あかりとよりを戻すってことよ。」

「何でそんなことで、おめえの指図を受けなきゃなんねーんだ?」

「あたしは、あんたのためを思って言ってやってるのよ?
 少しは感謝しなさい。」

「誰がおめえなんかに…」



 志保と浩之は、延々と口論を続けた。

「…おい、おめえもいい加減しつこいな。
 いつまで粘るつもりだ?」

 すでに、外は夕闇の迫る頃となっていた。

「だから言ったでしょう?
 あんたの態度がはっきりするまでは…」

「俺の態度ははっきりしてるぜ。
 何がどうなろうと、おめえの言うことは聞かねえ、とそういうことだ。」

「ずいぶんむかつく言い方してくれるじゃない?」

「人間が正直なもんでな。」

「キーッ!! 頭に来るわ!!
 …こうなったら、あんたの口からはっきり『あかりが好き』って聞くまで、
 絶対にここを離れないからね!!」

「勝手にしろ。
 …腹が減ったんでな、飯にさせてもらうぜ。」

「あ、それいい! あたしも、おなかペコペコ!」

「おめえに食べさせる飯なんかねーよ。」

「何よ、薄情者!
 女の子にひもじい思いをさせて平気なの!?
 それでも男? サイッテー!!」

「ん? 女の子? どこにそんなものがいる?
 ここには、俺の他には志保しかいねーぞ?」

「…あんた、あたしにけんかを売る気?」

「大体だな、女の子なら、自分で食事を作ろうとかいう発想が浮かぶはずだろうが?」

「見損なわないで!
 長岡志保の料理は、食えたもんじゃないんだから!」

「自慢そうに言うな!
 …ほほう、そうか、志保は料理もできないのか?
 おめえが馬鹿にしている『人形』のマルチでさえ、
 曲がりなりにも料理のひとつくらいはできるってのに…」

 たとえミートせんべいであったとしても、だ。

「く、く…」

 志保の顔が怒りで真っ赤になる。

「ふん、この勝負、俺の勝ちだな?」

「何が勝ちよ!?
 …って、あれ? あんたの晩ご飯って、それだけ?」

 志保は、浩之の取り出したカップ麺を見て、呆れたような顔をする。

「うるせえ。
 おめえがいるから、買い物に行く気にもなんねーんだよ。」

 そう言いながらお湯を注ぐ浩之。

「貧しい食生活ねー。
 栄養も何も、あったもんじゃないわ。
 こんなもんですませようなんて、開いた口が塞がらない…」

「…と言いつつ、何でおめえまでカップ麺を持ってるんだ?
 人んちの台所を、勝手に引っ掻き回すんじゃねえ!」

「いいじゃないよー、おなかすいたんだから…
 ほら、お湯、よこしなさいよ。」

「だから、少しは遠慮しろって…」



 何だかんだ言いながら、ふたり仲良く(?)カップ麺をすすることになった。

「それにしても、どうせなら、もちっとおいしいラーメンを買えばいいのに…(フーフー)

 妙なところでケチって、こんな安物を買い込むんだから。(チュルチュル)
 そんなしみったれじゃ、女の子に嫌われるわよ。(ゴクッ)
 …もう一杯もらうわね。」

「お代わりするくらいなら、文句を言うなっての!」



 「夕食」が終わっても、志保は一向に帰る気配がない。
 それどころか、先ほど台所を探った時に見つけたらしく、缶ビールを持ち出して来て、どっかと腰
をおろした。

「おい…」

「しゃべり過ぎて、ちょっと喉が渇いたのよぉ…
 いいじゃん、一本ぐらい。」

 浩之が止める間もなく、

「ごく…ごく…ごく…
 …ぷはぁーっ! 生き返るわ!」

「ほんっとに、遠慮のないやつだな。」

「あんたんちで遠慮して、何になるってのよ?」

 言いつつ二本目の缶ビールに手を伸ばす志保。

「あ、こら…
 ひとりで飲んでないで、俺にもよこせ!」

 一瞬、「お酒は20才になってから!」という黄色い文字が脳裏に浮かんだような気がしたが、結
局浩之も缶ビールを手にしたのだった…



「…らいたいねー、ヒロ。
 あんたってば、女心がわかってないのよー。
 まったくろんかんなんらからー。」

 大分ろれつの回らなくなった志保が、赤い顔で浩之を責め続ける。
 缶ビールを飲み尽くした志保は、(他人の家なのにどうしてそこまで勝手がわかるのか謎だが)あ
ちこちからワインやウィスキーのボトルを探し出しては片っ端から空けていたのだ。
 あかりの話から推しても、結構アルコールに強いと思われる志保だが、ちゃんぽんで飲みまくった
せいか、見事に酔っぱらってしまった。

「あかりがあんたを好きなことぐらい、
 あたしも雅史も、クラスの皆らって知ってるのに、
 なんれ肝心のあんたにわかんないのよー?」

「うるへえ、てめえなんぞにお説教されるいわれはねえ。」

 対する浩之もかなりアルコールが回っていた…



 そして…

「…何でこうなるのよー?」

「何でって言われても…」

 翌朝。
 浩之と志保は「仲良く」目を覚ました。
 同じベッドの上で…

「見損なったわよ、ヒロ!
 世間知らずの女の子を騙して酒に酔わせた上、手込めにするなんて。」

 志保は裸の胸をシーツで隠しながら、憎まれ口を叩いた。

「何言ってやがる!
 自分で勝手に酔っぱらったくせに。
 大体、誰が『世間知らずの女の子』だって?」

 浩之も裸だった。

「この手で何人の娘を弄んだの?
 …あんたまさか、あかりにも…」

「だから! 俺は誰にもこんなことはしていない!
 おめえが初めてだ!」

 酒に酔った上では初めて、という意味だが…

「…初めて?」

 志保の声の調子が、ちょっと潤んだような感じに変わる。

「う…?」

「あたし… ヒロの『初めて』なの?」

「あ、ああ…」

 マルチの事を持ち出したらややこしくなりそうなので、黙っていた。

「そう…」

 志保は珍しく黙り込んだ。
 そうなればなったで、今の状況は非常に気まずいものがある。
 裸の男女が一つベッドに入って、だんまりを決め込んでいるわけだから…

「…シャワー、浴びたらどうだ?」

 この気まずさを何とかしようと、浩之が勧めると、

「ヒロ、先に使って。
 あたしは後でいいから…」

 と言う。
 浩之の前でベッドから出て裸身をさらすのが、嫌なのだろう。

「…………」

 浩之とて平気というわけではないが、ここは男が先に行くべきだろう、と判断して、仕方なく起き
上がった…



「…夕べの事はなかったこと、だからね?」

 身支度を整えた志保が念を押す。

「もちろん、あかりには内緒よ。
 あの娘、ショックを受けるに決まってるから。」

「…………」

「あんたの務めは、あかりを幸せにしてやること。
 それだけよ。わかってるわね?」

「…………」

「ちょっと、返事ぐらいしなさいよ。」

「…いいのか?」

「え?」

「それでいいのか?」

「いいのかって…?」

「この先俺とあかりが結ばれて、ふたりで幸せになれたとして…
 おめえは、本当に、それでいいのか?」

 浩之は釈然としなかった。
 志保が言うように簡単に割り切ることは、できそうもないと思ったのだ。

「いいに決まってるでしょ?」

「じゃ、おめえのことは…だれが幸せにしてくれるんだ?」

 志保は鼻で笑ってみせた。

「見損なわないでよ。
 このスーパーアイドル志保ちゃんがその気になれば、男なんかよりどりみどり…」

「…俺はいやだ。」

「え?」

「おめえが、ほかの男とくっつくのは、いやだ。」

「何よ? 一度寝たくらいで、あたしを縛りつけるつもり?
 そうは問屋が…」

「俺…」

 浩之は今までの迷いを吹き飛ばすかのように、きっぱりと言った。

「おめえが好きだ。」

 昨夜、酒の上でとはいえ、志保は浩之に対する長年の思いを打ち明けていた。
 初めて会った時から惹かれていたのだ。
 それでいて、あかりのボーイフレンドだと思えばこそ、わざと喧嘩をふっかけるようなことばかり
口にしてきたのだ、と。

 そして浩之も、今ははっきりと志保に対する思いを自覚していた。
 まだマルチのことが完全に吹っ切れたわけではないのだが…

「ちょ、ちょっと、何言ってんのよ?
 あんた、まだ酔ってんの?」

 珍しくうろたえる志保の頬が赤い。

「俺、ようやくわかったんだよ。
 ほんとに好きな娘が誰なのか…」

「な…」

「…おめえだよ。」

 浩之は志保を見つめた。

「ば、馬鹿。
 あたしをからかおうったって、そうはいかないからね。」

 志保は浩之と目を合わせようとせず、落ち着かなく視線をさまよわせるばかりだった。



 数日が経った。
 志保は以前同様、浩之を見ると憎まれ口を聞いている。
 浩之も負けずに言い返す。
 表向きは今までと何の変化もないようだった。

 志保はあかりに対する遠慮がどうしても捨て切れないらしい。
 浩之にはそれがよくわかる。

(ま、いいか…)

 ふたりはずっと「けんか友達」の関係を保ってきたのだ。
 それを性急に取り崩す必要もないだろう。
 時間をかけて、ゆっくりと、けんか友達から恋人同士になればいい…

「…むかつく男ねえ!
 ようし! こうなったらカラオケで勝負よ!
 負けた方がヤックのおごり!」

「おし! その話、乗った!」

 あかりと雅史の苦笑をよそに、いつものノリで、けんかしつつも盛り上がるふたりだった…


<志保編> 完


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−志保編 あとがき−

うう、この<志保編>、琴音編と同様、難産でした。
いや、志保が浩之の家に来て、何だかんだ言いながら食事を共にするあたりまでは
早くから出来上がっていたのですが、その後どう締めくくるかで散々悩みまして…

志保って、ふだんはともかく浩之に噛みつかせ、賑やかしく動き回らせていれば結構形になるので、
そういう意味では楽なんですが、いざ浩之とラブラブな関係を描こうとすると…これが難しい。
長年培われてきたけんか友達という(ある意味で心安い)関係はそう簡単に変えられませんし、
何より志保のあかりに対する遠慮が大きな障害になるはずですので。
…というわけで、さんざん書き悩んだ末、結局酒の力を借りてしまいました。
安易といえば安易ですね。

志保ってほんとは結構可愛い性格をしているように思います。
多分根本においてはシャイなんじゃないかと。
それが浩之への悪口雑言という形で出て来るのでしょう。

本編においてずいぶん活躍してもらった志保ですので、
慰労の意味を兼ねて(笑)この分岐を用意しました。
…内容的には今いちなんですが(汗)

       1999.9.25                 by  DOM