The Days of Multi<葵編>第一部第7章 同好会繁盛記  投稿者:DOM


The Days of Multi <葵編>
第1部 Days with Hiroyuki
☆第7章 同好会繁盛記 (マルチ生後5ヶ月)



「…葵ちゃん!!」

 浩之が飛び出そうとする。

「待て。」

 好恵は浩之を制し、おもむろにカウントを始めた。
 「8」まで数えたところで、綾香がゆっくりと体を起こす。

「あいたた… やられたわ。
 形意拳を習ってるとは聞いてたけど、まさか『崩拳』を身につけてるとはね…」

 その声に、葵がはっと顔を上げる。
 綾香が立ち上がったのが信じられないようだ。

「左手の動きが目に入った瞬間、とっさに体を後ろに引いたのが幸いしたみたい。
 まともにくらっていたら、完全に気を失っていたでしょうね。」

「『ほうけん』?」

 好恵もその名は初耳のようだ。

「…葵はほとんど動きを見せなかったのに、
 その『崩拳』には、それほどの威力があるというのか?」

 空手一筋の好恵は、中国拳法の威力を見せつけられて、ショックを受けている。

「…これだから、エクストリームはやめられないのよ。
 どんな相手が、どんな技をしかけてくるか、わからない…」

 綾香は葵にゆっくり近づきながら、好恵に顔を向けて笑いかけた。

「さあ、葵。
 どうやら、手のうちは出し尽くしたようね。
 …素直に負けを認めなさい。」

「…………」

 葵は、地面に四つんばいになって、肩で息をしながら、綾香を見上げていた。

「そうすれば、約束通りに、あたしが…」

「…い、いやです!!」

「往生際が悪いわよ。」

「ま、まだ… 試合は終わっていません。」

「何言ってんの?
 もう自力で立ち上がることもできないくせに。」

「く… く…」

 葵は、懸命を身を起こそうとした。
 何度も無様に地面につんのめった挙句、ようやく、ふらつきながらも立ち上がることに成功する。
 が、無理に構えを作ろうとした両腕はぶるぶる震え、膝も腰も、まるで安定していない。
 綾香どころか、そこらの子どもが突っついても倒れてしまいそうだ。

「…まあ、根性があることだけは認めてあげるけどね。」

 綾香は呆れたように言った。

「それじゃ、まともな試合はできないわよ?」

「葵ちゃん!! もういい!!
 ギブアップしろ!!
 それ以上試合を続けたら、葵ちゃんの体がどうにかなっちまうぞ!!」

 浩之も気づかわしそうに叫ぶ。

「…ま、負けるわけには…いかないんです…」

 体中汗と泥にまみれ、鼻血まで流しながら、葵は声をしぼり出した。

「ふーん…
 そこまで言うなら、試合を続けましょう。
 望み通りノックアウトしてあげるわ。」

 綾香が正拳突きの構えをする。

「やめろ!!」

 浩之が叫んだときには、すでに綾香の腕が伸びていた。
 葵は仰向けに倒れた。
 またしても飛び出そうとする浩之を押さえて、好恵がカウントする。
 …葵はついに起き上がれなかった。

「試合終了。綾香のKO勝ち。」

 好恵の宣言を待ち切れぬかのように、浩之は葵のもとへと駆け寄った。

「あら、勝者に対するお祝いの一言もなし?」

 綾香のすねたような声もよそに、浩之は葵の体を揺さぶった。

「あ、葵ちゃん!! しっかりしろ!! 葵ちゃん!!」

 しばらくして、葵はうっすらと目を開けた。

「あ… 先輩?」

「葵ちゃん!!」

「先輩… すみません…」

「え?」

「私… 負けちゃいました…」

「馬鹿!!
 エクストリームのチャンピオン相手に、あれだけ戦ったんだぞ!?
 上出来だよ!! 練習の成果があったじゃないか!?」

「そう…ですね… 先輩のおかげです…
 でも… もう、一緒に… 練習できません。」

「何を言ってんだ!?
 大怪我をしたわけじゃなし、すぐに元気になるさ!!
 そうしたら、また一緒に…」

「そう? ほんとうに、葵と一緒に、とことんつき合える?
 あんたみたいな、いい加減な男が?」

 いつの間にか浩之の背後に立っていた綾香が、そう問いかける。
 浩之の体がびくっと動いた。

「先輩… いいんです。
 私、負けたんです。」

 葵はきれいな笑顔を見せた。
 浩之はなぜか、マルチが別れの朝に見せた、あのきれいな笑顔を思い出してぎょっとした。
 …それは諦め。それは悲しみ。それは寂しさ。
 それらすべてを覆い隠す、精一杯の笑顔。
 そして笑顔の主は、自分の手の届かないところへ…

「…あ、葵ちゃん!! だめだ!!」

「先輩…?」

「行かないでくれ!! 頼む!!
 俺をひとりにしないでくれ!!」

 浩之は、汗と泥と血に汚れた葵の小さな体を、思わず抱きしめた。

「あ…?」

 葵は困惑している。

「だめよ。約束なんですから、ね。」

 綾香が再び口をはさむ。

「約束?」

「そうよ。
 何のためにあたしたちが、こんな試合をしたと思ってるの?
 この試合にはね、条件がついていたのよ。」

「条件って?」

「それはね…」

 綾香が珍しく顔を赤らめた。

「…勝った方が、その…
 浩之のガールフレンドになる、って条件。
 負けた方は、いさぎよく諦める。」

 もちろん綾香が言い出して、葵に無理矢理認めさせた条件だ。

「な、な…!?」

 知らないうちに勝負事に利用されていた浩之は、驚いたり焦ったり怒ったりしている。

「な、何で、そんな…!?」

「あんたも葵も、いつまでも煮え切らないし、
 このままじゃ、お互いにとって良くないだろうと思ってね。」

「だ、だけど…
 試合に勝ったのはおまえじゃないか?」

「そういうこと。
 だから、今日からあんたはあたしのものってわけ。」

「勝手に決めるな!! 大体俺は…」

「今さら、葵が好きだ、なんて言うつもりじゃないでしょうね?
 あんたは、例のメイドロボのことが忘れられないはずだから…」

「ど、どうしてそれを…!?」

 初恋の相手がマルチだということは話さなかったはずだ。

「その気になれば、調べるのは簡単よ。」

 実際簡単だった。
 セバスチャンをちょっと問い詰めただけで、あらかた事情がわかったからだ。

「でも、マルチにはもう会えないわ。
 そろそろ、新しい相手を見つけた方がいいと思うけど?
 今度は、ちゃんとした人間の女の子を…」

「だからって、何でおまえと…?」

「あら、あたしじゃ気に入らない?」

「いや、そういう問題じゃ…」

「これでも、葵よりはスタイルがいいと思うけどな。
 顔もまずまずだと、自分では思ってるんだけど…?」

 まずまずどころか、そこらの女子高生が束になってかかっても相手にならないくらいの美少女だ。
 おまけに、そのままモデルが務まりそうなくらい、均整の取れたプロポーション。

(しかし…)

 浩之の腕の中で、葵の体がかすかに震えている。
 スタイルを比べられたのが、こたえているようだ。

「さてと… それじゃ、浩之。
 早速デートとしゃれ込みましょうか?
 …あ、でも、今の試合で、さすがに汗かいちゃったから…
 そうだわ。浩之の家でシャワー使わせてね。
 後のことは、それから『ゆっくり』相談しましょ。」

 綾香が意味あり気に言うと、

「だ…だめです!!」

 葵が、とうとうたまりかねたように叫んだ。

「何よ? まさか、今になって約束を破る気じゃないでしょうね?」

「い、いえ…」

「だったら、黙っててちょうだい。
 さ、浩之。行きましょうか?」

 そう言いながら浩之の腕を取ろうとする綾香。

「…俺は行かない。」

「え?」

「俺は葵ちゃんの傍にいる。
 今、決めたんだ。」

「先輩…」

「これからも、ずっとずっと葵ちゃんの傍にいる。
 …葵ちゃんの迷惑でなければ、だけど。」

「め、迷惑だなんて… 私、嬉しいです!!」

 浩之にしがみつく葵。

「俺、やっぱり… 葵ちゃんが好きだ!!」

「先輩!!
 わ、私も… せ、せ、せ、先輩が… す、す、す…」

 真っ赤になって、必死に告白しようとする葵。

「…恥ずかしい奴らめ。」

 少し離れた所で浩之たちのやり取りを聞いていた好恵が、顔を赤らめながらつぶやいた。

「…やれやれ、どうやら見事に振られたようね。
 ま、最初からわかってたことだけど。」

 綾香がため息まじりにそう言った。

「最初からわかってたって?」

 浩之が聞きとがめる。

「そうよ。
 あんたは葵を選び、葵はあんたから離れられない。
 そんなの、最初からお見通しよ。」

「だったら、何で試合までして…?」

「そうでもしなきゃ、あんたも葵も、
 永久にすれ違いのまま終わりそうだったから。
 焦れったくて、見てられなかったのよ。
 …大体、あたしが、あんたみたいに優柔不断な男を、
 本気で好きになると思ってたの?」

 綾香は浩之に背を向けると、

「ま、せいぜい仲良くおやんなさい。」

 そう言って、鳥居の方へと歩き出した。

「…葵。」

 背を向けたまま声をかける。

「はい?」

「エクストリームで対戦するの、楽しみにしてるわよ?」

「…は、はい!!」

 葵は力強い返事をした。

「好恵。いつまで突っ立ってんの?
 お邪魔虫は早々に退散すべきでしょ?」

 好恵も、綾香に続いて歩き出した。

「…綾香。あんたって、本当にお節介ね?」

「大きなお世話よ。」

「それに、相変わらず意地っ張りだし。」

「…………」

 好恵ったら、あたしの涙に気がついたのかしら?
 こういうとき、古なじみというのは、ありがたいようなわずらわしいような…

 …ふたりが姿を消した後、浩之と葵は、いつまでも抱き合っていた。



 浩之は、そのままエクストリーム同好会の正式な部員となった。
 そして、間もなくもうひとり入部希望者が…

「坂下?」

「あんたに任しとくと、葵が堕落しそうだからね。」

 憎まれ口を叩いてはいるが、葵同様根っからの格闘少女である好恵は、綾香と葵の試合を見てエク
ストリームに対する認識を改めたらしい。

「もう少しで、正規の同好会として認められますね!!」

 部員が増えて張り切る葵。

「実は、もう二、三心当たりがあるんです。
 前に勧誘したときはあっさり断わられたんですけど、
 もう一度、一生懸命お誘いしてみますから…」

「そうか。
 まあ、誰であれ、坂下よりはましだろう。」

「…藤田。一緒に組み手するか?」

「いや、遠慮しとく…」



 数日後。

「先輩!! 好恵さん!!
 入部希望者をふたり連れて来ました!!」

 葵の嬉しそうな声が、神社の境内に響く。

「あ…!?」

 浩之はそのふたりを見て、息を飲んだ。

「ほほう…
 近ごろあかりをほったらかしと思ってたら、
 こんなところで女の子たちといちゃついてたってわけ?」

「何や、藤田君。
 来栖川先輩みたいなお嬢様がタイプと違うたん?」

「おい… 私は藤田とは何でもないからな。
 誤解しないでくれ。」

 好恵が嫌そうに釘を刺している。

「葵ちゃん!!
 何で、よりによってこのふたりなんだよ!?」

 事もあろうに、志保と委員長を連れて来るなんて…

「え? でも、おふたりとも、すごい蹴りを習得しておられて…」

 葵には、浩之の心中が解せないらしい。

「ところでヒロォ。
 あたし、早速体を動かしてみたいのよね。
 『組み手』ってやつ、やらせてくれる?」

「うちもや。
 日頃の鬱憤を、思いきり晴らさせてもらいたいわ。」

「あ、組み手は、まず基本を覚えてから…」

 葵が説明しようとした時には、すでに、浩之は強制的に組み手の相手をさせられていた。
 委員長がゲシゲシと続けざまに蹴りを入れている間に、助走をつけた志保が桃色の風となって…

「す、すごい!! あの蹴りの破壊力!!
 それに、ふたりの連携プレーが見事です…」

 止めるのも忘れて思わず見入ってしまう葵。

「…組み手というよりは、ボコにされているというのが正しいな。」

 腕組みをしたまま眺めている好恵も、止める気はないらしい。

 …浩之の前途は多難のようだ。


<葵編> 完


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−葵編 あとがき−

「格闘シーンが苦手なので、これ以上<葵編>を書き込めない」 DOM でございます(泣)。
「葵ちゃんとマルチは似ている」という声をしばしば耳に致しますが…そうかもしれません(笑)。
そのせいか、マルチが好きな私は、葵ちゃんも好きになり…(ただの浮気症、という説も)
本編を書いている間は、とても<葵編>までは手が回らないと思っていたのですが、
結局<綾香と浩之編>を書いている過程でこうなりました。
本当はもっとラブコメ風にしたかったのですが、例によって力不足で…

       1999.9.24                 by  DOM