The Days of Multi<葵編>第一部第6章 対決  投稿者:DOM


The Days of Multi <葵編>
第1部 Days with Hiroyuki
☆第6章 対決 (マルチ生後5ヶ月)



 綾香と浩之編第一部第5章で”A.確かに葵ちゃんは気になる。”を選択した場合の続きです。

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 綾香の問いに浩之は考え込んだ。

(葵ちゃん…)

 サンドバッグに蹴りを入れる葵の姿が思い浮かぶ。
 ひたむきなまなざし。
 少しでも強くなりたいという、一途な思い。
 珍しいほどに純粋な少女。
 そして、その純な姿が、浩之の中で、またしてもあの純真なメイドロボの姿と重なるのだ。

(俺は…葵ちゃんのことを… それとも、マルチを?)

 浩之の深刻そうな顔をのぞき込んでいた綾香は、

「…どうなの?」

 重ねて返事を促した。

「俺…」

 浩之は重い口を開く。

「…葵ちゃんのことが…好きだ…と思う。」

「やっぱり…」

 綾香はため息と共にそう言った。

「でも…自分でも、はっきりそうだと断言できない。」

「え?」

「…俺、この春、生まれて初めて女の子を好きになった。
 その娘も俺のことを好きになってくれたけど、
 すぐに手の届かない所へ行ってしまったんだ。
 その娘と葵ちゃん…似てるんだよ。
 いや、姿形が、というよりも…性格がそっくりなんだ。
 純粋でひた向きで、一生懸命打ち込んでる姿がさ。」

「じゃあ、あんたは、葵をその娘の代わりに…?」

 綾香の目が険しくなる。

「…よくわからないんだ。
 葵ちゃんを見ていると、この先ずっと傍にいてやりたいと思う。
 でも、それが葵ちゃん自身を好きだからなのか、それとも…」

「…その、初恋の相手とダブらせているせいなのか、自分でもわからない、ってわけ?」

「ああ。」

 綾香はしばらく探るような目で浩之を見ていたが、どうやら嘘はないと判断したらしい。
 ほーっと大きな息を吐くと、

「やれやれ…
 どっちにしても、姉さんにはチャンスはなさそうね。
 可愛そうに。
 この17年間で初めてできたボーイフレンドなのにね…」

「頼むから、先輩のことは持ち出さないでくれよ。」

「あんたが悪いのよ?
 なまじ姉さんに優しくしたりするから…
 まさか、最初からいいように弄ぶつもりで、
 姉さんに近づいたんじゃないでしょうね?
 もしそうなら、ただじゃおかないわよ?」

「俺、そんな男に見えるか?」

 綾香は再び浩之の顔をじっと見つめた。
 そして、

「…一応、そこまで性根が腐っているようには見えないけどね。」

「一応、かよ?」

「それよりも、葵のこと、どうするつもり?」

「どうするって?」

「あの娘は無意識のうちに、どんどんあんたに頼るようになっているわ。
 このまま行けば、あの娘はあんたなしには生きられなくなる…」

「そんな大げさな…」

「あんたの存在って、あの娘にとってはそれくらい大きな意味を持っているのよ。
 そのことをよく考えて行動してよね。
 そうでないと、あの娘にとって、取り返しのつかない傷を残しかねないわ。」

 あたしもたいがいお節介ね、と思いながら、綾香は念を押すのだった。



 翌日。
 放課後になって、浩之は、学校裏の神社を覗いてみた。
 例によって、サンドバッグ相手に、葵が練習している。

「…葵ちゃん。」

 ひと区切りついたところで浩之が声をかけると、葵ははっとしたが、すぐに声の主を確認して、顔
をほころばせた。

(いい顔だな…)

 何の邪気もないようなその顔を見ていると、今日の浩之はなぜか心苦しさを感じる。

「先輩!!
 …この間は、おみやげ、どうもありがとうございました!!」

 ぺこり

「ん? …ああ、何度もお礼言わなくていいよ。
 そう大したもんじゃなし。
 …それより、急で悪いけど、これからヤックにつき合ってくれないか?」

「え?」

「頼む。…大事な話があるんだ。」

 いつになく真剣な浩之の表情に、葵は無言でうなずいた。



 バリューパックを二つ受け取った浩之は、それを手に、葵が待っている席へと向かった。

「すみません。わざわざ運んでいただいて。」

 葵も、浩之に引っぱられてヤックに来るのは初めてではないのだが、いまだに慣れないところが
あって、自分で注文することが苦手なのである。

「何、これくらい、どうってことないさ。
 …ところで、例の拳法の方はどう?」

「形意拳ですか?
 いえ、まだまだです。本当に奥が深くって。
 私なんか、もっともっと練習しないと…」

 浩之が何気なく振った話題に、葵は謙遜しながらも、キラキラ瞳を輝かせている。
 ひとしきり、中国拳法の話に夢中になっていた葵は、急にはっとした顔になって、

「す、すみません。私ひとりでおしゃべりして…
 大事なお話があるっておっしゃいましたね?
 どうぞ、お話しください。」

「うん…」

 どうぞと言われると、かえって話しにくいのだが…

「そうだな…
 葵ちゃん、メイドロボのマルチ、知ってるだろ?
 ほら、先月運用試験で、一年生のクラスに入っていた…」

「マルチさん、ですか?
 ええ、知っていますけど?」

 予想外の話題だったのだろう、葵は怪訝そうな顔をしている。

「俺がマルチに初めて会ったのは…」



 どさっ

 葵は、自分のベッドに仰向けに体を投げ出した。
 ひどく疲れたような気がする。
 日課になっている夕方のジョギングを休むなんて、格闘技を志して以来初めてのことではないだろ
うか。

(先輩が…マルチさんと…)

 浩之の話がそれほどショックだったのだ。
 自分が思いを寄せていた先輩が、メイドロボに恋をしていたなんて…

(俺、マルチのことが忘れられそうにない。
 でも、葵ちゃんのことも、気になるんだ。
 放っておけない気がする。
 マルチとおんなじで…)

 浩之はそう言った。

(マルチも葵ちゃんも、一生懸命で、純粋で…そんなところがそっくりなんだよ。
 俺… 少なくとも、今の俺は、ふたりを別々に切り離して考えることができない。
 だけど、そんな俺が傍にいるのが迷惑なら…はっきり言ってくれ。
 そうしたら俺、二度と葵ちゃんに近づかないから。)

 そうも言った。

(先輩…)

 浩之が話し終えたとき、何と返事をしたか覚えていない。
 気がついたら、夢中で駆けていた。
 自分の家を目指して、まっしぐらに…

(私、私…)

 葵はどうしたらいいかわからなかった。



 翌日。
 いつものように神社で練習をしていた葵は、ふと人の気配を感じた。

(! 先輩!?)

 慌てて目をやると、そこには浩之…ではなく、綾香が立っていた。

「あ、綾香さん!?」

「…どうしたの、葵?」

 綾香は何となく不機嫌そうな様子で、腕組みをしている。

「え?」

「全然なってないわ。まるで気合いが入ってない。
 そんな練習、やるだけ無駄ってもんよ。」

「…………」

 確かに、今日は変だった。
 いくらサンドバッグに集中しようとしても、いつの間にかほかのことを−−浩之のことを考えてし
まっている。

「それとも、目つきの悪い先輩が傍にいて手取り足取りしてくれないと、
 ろくなキックもできないってわけ?」

 葵の頬が赤く染まる。

「あんた、エクストリームで私と対戦するのが夢じゃなかったの?
 そんな中途半端なことじゃ、
 対戦どころか、試合に出ることさえおぼつかないわよ。
 甘ったれるんじゃないの!」

 綾香の声が厳しくなる。
 葵は思わず肩をすくめたが、懸命に、

「わ…私… 甘ったれてるつもりはありません!
 まだまだ不十分ですけど…エクストリーム出場目指して、毎日練習を…」

「あれじゃ、練習なんて言えないわ。」

 綾香は容赦しない。

「さっさと同好会の看板降ろして、先輩とデートでもしてた方がまだましよ。
 それとも、好恵に頭下げて、今からでも空手部に入れてもらう?
 …あんたみたいな根性なし、好恵も嫌がるかもしれないけどね。」

「あ、綾香さん!! あんまりです!!
 私は、綾香さんに少しでも追いつこうと思って…」

「へえ? それにしちゃ、まるで熱意が感じられなかったけど?」

 葵は唇を噛んだ。

「…まあいいわ。あんたにも言い分はあるでしょう。
 それじゃ、論より証拠、
 口でごちゃごちゃ言うよりも、実戦で示してもらいましょうか?」

「え?」

「あんたがちゃんと自分を鍛えているかどうか、試してあげる。
 今度の日曜日、あたしと試合しなさい。
 場所はここ。時間は…午前10時でどう?
 ルールはエクストリームの試合に準じ、どちらかがKOされるまで戦う…」

「そ、そんな!!
 いきなり綾香さんと対戦なんて、無理です!!
 私、勝てるわけありません!!」

「そんな自信のないことでどうするの?
 …そうねえ、それじゃ、あんたが本気を出せるように、条件をつけましょう。」

「?」

「それはね…」

「…え? …えええ!?」



 日曜日の朝。
 10時少し前に、葵は神社にやって来た。
 まだ他の人影はない。
 ほっと息をついた途端、

「…逃げないでやって来たわね。感心感心。」

 そう後ろから声をかけられて、飛び上がりそうになった。
 見ると、綾香が例によってからかうような表情を浮かべつつ立っていた。
 その隣には…

「よ、好恵さん!? どうしてここに!?」

「…綾香に呼び出されたのよ。
 どうしても立会人になれって、しつこくてね。」

 坂下好恵は、例の無愛想な顔と口調で答えた。

「あれ? あんたの方の立会人は?」

 綾香が不思議そうに尋ねる。

「私の方の…立会人ですか?」

「そうよ。
 あんた、浩之に今日のこと、知らせなかったの?」

「…………」

「ふーん、そうなの。言わなかったんだ。
 でも、変ねえ。
 そんなこともあろうかと、
 あたしからも、今日の時間と場所をあいつに伝えといたんだけど?」

「え?」

「…どうやら、見かけによらず薄情な先輩みたいね?」

「せ、先輩は、そんな…!!」

「葵、よしなさい。
 藤田なんかにかかわってたら、あんた、ますます駄目になるわよ?」

 好恵も綾香に同調する。
 と、

「わりい!! 遅れてすまん!!」

 いきなり大声がしたかと思うと、浩之が息せき切って駆けて来た。

「せ…先輩!!」

 葵は思わず涙ぐみそうになった。

「…何だ、来たの?」

 好恵は面白くなさそうだ。

「遅いわよ?」

 綾香も冷たい目を向ける。

「すまん… 出がけに長い電話がかかってきて…」

 あかりと浩之の間を心配した志保が、突然電話をかけてきたかと思うと、お説教じみた話を長々と
繰り広げたのだ。
 葵の試合の時間が気になっていらいらした浩之は、とうとう、話の途中で受話器をたたきつけるよ
うにして、無理やり打ち切らせたのである。

「言い訳なんて、男らしくないわよ。」

「う… そうだな、弁解はしない。
 葵ちゃん、遅れて悪かった。この通りだ。」

 浩之が頭を下げる。

「そんな…
 ご迷惑をおかけしてるのは、私の方なんですから。」

 葵が慌てている。

「…さっさと始めてくれないか?」

 いよいよ不機嫌そうな好恵。

「それにしても、坂下。」

 浩之は向きを変えて言った。

「ちょっと強引すぎないか?
 いきなり葵ちゃんに試合を申し込んで、負けたら空手部に入れ、なんて…」

「へ?」

 鳩が豆鉄砲を食らったような、というのは、今の好恵のような顔を指すのだろう。
 葵も呆気にとられている。

「…綾香!
 あんた、藤田に何て言ったの!?」

「あたし?
 だから、試合の時間と場所を…」

「ほかには?」

「好恵も来る、って。」

「それから?」

「葵が負けたら困ったことになると…」

「…俺が聞いたのとちょっと違うぜ?」

 浩之が口をはさみ、好恵とふたりで思いきり不信のまなざしを綾香に向ける。
 綾香は涼しい顔で、

「あら、そうだった?
 物事を正確に伝えるのって、結構難しいわね。」

 などと言っている。

「私は、葵がエクストリームの本番を待ち切れなくて、
 どうしても試合してほしいと綾香に申し入れてきた、と聞いたのだが…?」

「ええ?」

 好恵の言葉に、またしても呆然となる葵。
 その様子を見た浩之と好恵は、再び綾香を睨んだ。

「綾香!? 一体、どうなってんだ!?」

 浩之が問い詰めると、

「はいはい。
 どうやら、あたしが説明すると話がよけいこんがらがるみたいだから、
 葵から一部始終話してもらいましょう。
 …さ、葵?」

 いきなり振られた葵は、

「え、ええと、あの…
 私と、綾香さんが、試合を、あの…」

 しどろもどろになっている。

「そうか。綾香と試合するのか。
 …で? 葵ちゃんの方から申し入れたわけじゃないんだな?」

「は、はい…」

「ということは… 綾香!!
 おまえが無理に試合させようとしてんだろう!?」

「無理に、だなんて人聞きが悪いわね…」

 綾香の顔から、からかうような笑みが消えた。

「ああ、やだやだ。
 どいつもこいつも煮え切らない、はっきりしない奴ばかりで。」

 うんざりしたように言う。

「…んだとぉ?」

「自分が好きな相手が誰なのかもわからない奴や、
 好きだとわかっていても口に出して言えない奴や…
 もうたくさん。
 あたし、どっちつかずでうじうじしてるの、嫌いなの。」

「何のことだ?」

 と好恵。

「今日の試合はね、葵とあたしの勝負。
 どこまで自分に正直になれるかという勝負なの。」

「? ? ?」

 浩之も好恵も、いよいよわけがわからない、といった顔になる。

「…さあ、前置きはこれくらいで十分でしょう。
 葵、いいわね?」

 綾香がいつになく真剣な面持ちで念を押すと、葵は気圧されたようにうなずいた。

「好恵、合図を頼むわ。」

「…本当にいいんだな?」

 好恵は、一応綾香と葵の顔を見比べて、おもむろに、

「レディー…ファイト!!」

 と合図をした。

 途端に、綾香の体が風のように軽やかに舞う。
 葵は慌てて身をかわす。
 …戦いは、綾香の優勢のまま進められて行った。

「…葵は防戦一方か。
 このままではいずれ、綾香に一本取られておしまいね。」

「あ、葵ちゃん!! がんばれ!!」

 好恵のつぶやきに、浩之は思わず葵への声援を送った。

「今日まで何のために苦しい練習をしてきたんだ!?
 綾香と悔いのない戦いをするためだろう!?
 …勝っても負けても構わない。
 ただ、後で後悔するような戦いだけはするな!!」

 その声に、葵の体がぴくりと反応したように見えた。
 綾香が繰り出すコンビネーションの隙を突いて、反撃を開始する。
 今度は葵が攻勢に転じ、綾香が防御する番だ。

「いいぞ、葵ちゃん!! その調子だ!!」

 と、浩之が叫んだ瞬間。

 ひゅん!!

 風を切る音がしたかと思うと、葵の頭目がけて綾香の回し蹴りがうなった。
 葵はとっさに腕でガードしたが、それでもかなりのダメージを受けたようだ。
 すかさず綾香のラッシュ。
 葵の胸を、腹を、頭を、綾香の猛攻が襲う。
 葵は懸命にガードしているが、次第に足もとがふらついてきた。

「…どうやら、勝負はついたようね。」

 好恵が試合の結果を見切ったように言う。

「葵ちゃん!!」

 浩之の顔色が変わる。
 …葵は、すでに立っているのがやっとの状態だった。

(葵… 約束よ。)

 ふと、綾香のそんな声が聞こえたような気がした。

(!?)

 そして、綾香の拳が葵の目の前に…

 がっ!!

 …どさっ

「なっ!?」

「ど、どうしたんだ!?」

 好恵も浩之も、一瞬何が起こったのかわからなかった。
 圧倒的に優勢だったはずの綾香の体が、突然数メートル後にはじき飛ばされ、地面に叩きつけられ
たからだ。
 同時に、葵もがっくり膝をつき、そのままくずおれた。