Is it You ? −1− 投稿者:AE 投稿日:12月20日(金)03時10分



「 Is it You ? 」                     by AE
                             2001.12.29





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 ノックの音がした。

 聞こえないふりをして、僕は物思いにふけることにする。
 目の前にはキャンバス。
 そこに描きかけの裸婦像と、僕は視線を合わせている。
 開け放たれた窓辺の側に、木製のキッチンチェアに座った娘。
 彼女の視線は、真っ直ぐにこちらを見つめ返していた。
 歳の頃なら二十歳前後、理知的という言葉がふさわしい表情。
 両手は膝上にあり、二の腕に挟まれた二つの膨らみはさらけだされている。
 モデル慣れしている、と誰もが思うだろう。
 そう思ったところで、彼女の脇にある静物に目が行き、疑問を抱くはずである。
 それはテーブルに置かれた二つの物体。
 灰色を配しているが、白のグラデーションが実物の色…銀色を表している。
 これは彼女の一部だった。本来なら耳に装着する部品である。
 はるか昔から続く慣例的な物だが、そこには様々な意味が隠されていると聞いた。
 人間との区別、というのが本来の意味だと言う。
 人の姿をした、奉仕するための機械……そのように接していた頃が懐かしく思える。

 いつから僕は彼女を「彼女」と認識していたのだろうか?

 答えは明白だった。
 それは、彼女がこのキャンバスの前に初めて立った瞬間だった。
 モデルという役割を理解した彼女は、何のためらいもなく(儀礼的な羞恥心を浮かべ
 はしたが)衣服を脱いだ。しかし、自ら耳カバーを外そうとはしなかった。
 僕の説得に負けた彼女は、僕の知る限り初めての「本当の」羞恥心を表しながら、
 それを外した。その瞬間は「そんなものか」程度にしか考えられなかった。
 彼女はロボットだ。人間との区別を、境界を越えてはならないという設定がある、
 この羞恥は、それを表す機能に過ぎないのだ、と。
 しかし、その姿を描き始めた瞬間から……
 一人と一体の関係が、モデルと画家の関係が、少しずつ変わり始めたのだ。
 脳裏に深く刻まれたヒトの姿に、僕は「彼女」を投影するようになった。
 彼女と暮らすようになってからの初めての経験だった。

 けれど今、彼女は居ない。

 その時からこのキャンバスは凍り付いたままになっている。
 居なくなってから、初めて気づいた。
 画家としての僕ではなく、僕自身が、いま最も描きたいのは彼女の姿だった。
 記憶の中から絵色を漁り、塗りたくるのは簡単だ。
 しかし、僕はどうしても彼女そのものの色をこの絵に記憶させたかった。
 モデルをしているときの彼女は、微動だにしない理想的な静物だった。
 しかし、そこに在るだけで存在を感じさせる何か………今まで感じたことのない、
 その無垢な存在感を、僕は絵に刻み、そして解明したかったのだ。


 もう一度、ノックの音がした。





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1.

 その陶磁のような肌は、まさに眩しかった。
 女性の柔肌はヨーグルトで出来ている、という比喩を思い出した。
 何の混ぜ物もない、プレーンヨーグルト。
 それは静物のように動かない、まさに理想的なモデル。
 ときどき合う視線には何事にも動じない、意志のようなものが感じ取れた。
 それは僕の勘違いに過ぎないのかもしれない。
 しかし、その意志に負けじと僕は絵筆を動かし続け、数時間が過ぎていた。
 デッサンは既に終わり、位置取りの着色を始めている。ものすごいスピードだ。
 完璧な黄金率の裸体。それほど僕は、このモデルに魅せられていた。

「今日はこのくらいにしよう」

 その言葉を合図に静物が動き出す。最低限の羞恥(と見える態度)を表しながら立ち
 上がり、まず初めにテーブルの上の耳カバーを手に取った。両手に持ったそれらを両
 耳にあてがい、少し位置を調整すると、いつもの彼女の顔形が現れた。
 それから、てきぱきとした動作で外していた下着を身に着け、普段のダンガリーシャ
 ツと長めのスカートを着て、彼女はメイドロボットの姿に戻っていた。
 僕はと言えば、その支度に見惚れているわけもなく、絵筆の手入れを行っていた。
 いつもなら彼女が夕飯の支度を始める時刻。しかし、その日は少し違っていた。
 彼女がキャンバスの前に立ち、一点を見つめている。
 もちろん、彼女が僕の絵に興味を持つのは珍しいことではない。
 マスターの行動に興味を持つのはロボットとして当然のロジックなのだそうだ。
 ただ一つだけ、いつもと違うところがあった。
 ……彼女は、首を傾げていた。
 悩んでいるらしい。いや、演算している、という状態なのだろうか?
 僕はあまり彼女と会話したことがなかった。日々の彼女の業務に関わること以外は。
 しかし、悩んでいるような彼女の仕草が面白くて、尋ねることにした。

「なにか?」

「マスターは写実派ではありませんでしたか?」

 ほお、と思う。彼女は僕の仕事風景を見ているし、何を描いているかも知っている。
 ただ、その作風をも認識しているとは思ってもみなかった。

「うん、そうだけど……どうしたんだい?」

 彼女は見つめていた一点、正確には二点を指差して、

「乳首があります」

 碧い瞳が一瞬、僕を見、それからキャンバスに移った。
 その先には、ほんの少し隆起したそれが、ごく自然に描かれている。

「深い意味は無いんだ。ただなんとなく。あった方が女性らしい、と」

「母性の象徴というわけでしょうか? それから……」

「まだなにか?」

 意外とうるさいモデルだな、などと苦笑して僕が尋ねると、

「微笑んでいるように見えます」

 言いながら、本人の表情はさらにむつかしく悩んでいるように見えた。
 そんな彼女とは対照的に、たしかにキャンバスの中の彼女は微笑んでいた。
 いや、決して彼女が微笑まないわけじゃない。望めば彼女は笑うだろう。
 ただ、指示による表情というものが僕には不自然に感じられたのだ。
 それがどんなに自然に見えようと。だから僕は、表情に対して注文を付けなかった。
 結果、彼女は待機状態の表情になった。それは人間で言えば「すました」という感じ
 に見えた。

「この絵のような表情をお求めでしたら、善処いたしますが…」

「いや、いいよ。今まで通りの君で」

 ふむ、と頷いて、それでもまだ彼女はキャンバスの上の自分の像を見つめていた。
 少し離れた距離から、僕は絵と実物を見比べる。
 確かに違う。
 絵の中の彼女は、僕がこのロボットに投影している「彼女」だった。
 しかし、僕はこの絵が間違っているとは思わない。
 ……ただそのままを描くだけが「絵」ではない。
 そして、それを受け入れてくれる人はたくさんいる。
 それに気づいたとき、僕は以前の勤めをやめていた。
 企業務めだった頃の僕は、工学デザイナーという職種だった。
 工学と言っても、扱っていたのは義手や義足といった医療用器官の外装だった。
 職場ではもちろんCADが道具だったのだが、なにかこう、しっくりと来なかった。
 そこで酔狂からコンビニで買った子供向けの水彩画セットを使ってみたのだ。
 それは生まれて初めての感覚だった。
 無論、僕だって幼い頃はこういった絵筆を使って絵を描いたことがあっただろう。
 しかし、二十余年ぶりに握った筆は、忘れていた何かを思い出させてくれた。
 人間の精神を表現するインターフェースが開発されてからというもの、誰もが芸術家
 になれる時代だった。そんな時代だからこそ「手で画く」画家の存在は希少であり、
 驚いたことに、そこそこ注文が来た。

『自分の大切にしているモノを、手作りの絵にしてほしい。』

 それが客の望みらしい。そして、流行りでもあった。その副業が忙しくなった頃、
 僕は企業勤めをパートタイムに変え、余暇で客達の注文をこなすことにした。
 比較的安定した収入と共に、様々なモチーフが依頼された。
 車の曲線美、船のたくましさ、建物の頑強さ、などなど。

 そして、つい先日。
 僕は生まれて初めて、人間を描くことになった。
 正確に言えばヒトの姿を模したモノ……なのだが。
 依頼主は、よく行く喫茶店の女主人。
 それなりに年配の、気の良い女将だった。(マスターというより似合う呼び名だ。)
 そこは住宅街の中の自宅の一角を改造したらしい、小じんまりとした喫茶店。
 ブレンドとピラフが美味しいので、良く通っている店だった。

「ねえねえ、今度描いてくれないかな?」

「いいですけど……なにを?」

 考えてみる。たしか自家用車は無かったはずだ。とすると、この店そのものか?
 それだと歩道からスケッチを行う必要がある。日中の人通りの少ない時に……。
 などと考え込んだ僕を見て、女将は続けた。

「もちろん、あの娘よ」

 そう言って女将は両腕を組んだまま顎で厨房を示した。
 そこでは緑の髪の少女が巨大なフライパンと格闘していた。
 ジュッジュッ、という米の炒められる音が心地好い。
 少女はこの店の手伝いをしているメイドロボットだった。
 古い、というのは聞いていたが、町中でいまだに見かけるデザインだった。
 いわゆるベストセラーという概念が、ロボット業界にも存在するらしい。
 ただ、他の同型品と違う点が、この店のロボットには在った。
 彼女は感情(のようなもの?)を現す事ができるようだった。
 まるで向日葵のような微笑みが印象的だった。
 この女将の、父親の代から仕えているのだそうだ。きっと改造品か何かなのだろう。
 それで、歴代の主人が手放さない、とか。

「どお、報酬ははずむわよ? 一ヶ月間の無銭飲食許可、とか」

「おまちどうさまでしたー!」

 ちょうどその時、その少女……いや少女型ロボットがエビピラフの皿を運んできた。
 カウンター越しに手渡せばいいものを、わざわざ回り込んで。
 爪先立ちになって、よいしょよいしょ、とフォークを並べてくれる。
 先ほどの依頼のこともあり、まじまじと彼女を見つめてしまう。
 いつの間にか、自分の家のロボットと比べている自分に気づき、僕は苦笑する。

「な、なにか付いてますか?」

 絵のことを話そうとした僕を、女将がたしなめる。唇に人差指を当てて。
 どうやら本人には秘密のプレゼントのようだ。少し楽しくなり、僕は女将に頷いた。

「御依頼、お受けしますよ。ただ、少し時間がかかります」

 一つだけ気掛かりがあったのだ。恥ずかしながら、人物画は久しぶりだった。
 始めれば指先が思い出すだろうが、それでは報酬を払って頂く依頼主に申し訳ない。
 練習が必要だ。ただ、そのためのモデルとなると……
 数秒で結論が出た。
 家にも絶好のモデルがいるではないか。家のロボットに頼めば良い。
 きっと何時間でも同じポーズを保ってくれるだろう。