Is it You ? −3− 投稿者:AE 投稿日:12月20日(金)03時04分
3.

 それからの三年間。
 彼女は僕の「おい」とか「ちょっと」に……いや、日常の一部になっていた。
 一言で言って、彼女は有能な女給だった。
 初めての作業はミスが多かったが、同じミスは決して繰り返さない。
 そして、彼女に学習させるのは楽しかった。
 料理は当然のこと、様々な学習を薦めると、素直に受け入れた。
 絵画に興味を持ったのには驚いた。初めて自発的に「知りたい」と要求した。
 おそらく僕の職を知っての判断だろうが、なんとなく嬉しくなり、有名な絵画や、
 その分類、簡単な描き方等を教えてみた。しばらくすると、作者を当てられるほど、
 優秀な鑑定能力を持つようになった。僕の絵に冷静な感想を述べるようにもなった。
 しかし、彼女は決して自ら絵筆を取ろうとしなかった。
 どう薦めてもダメだった。理由を尋ねても謝るばかり。
 そのうちに僕も不可能ということを受け入れ、薦めないようにした。

 ちょうどその頃、あの女将からの依頼があったのである。

 僕は喫茶店から帰るとすぐに彼女に依頼した。
 モデルになってくれ、と。
 そして、身体の線を追いたいから全裸のモデルになってほしい、と。
 いま考えれば、おかしな話だ。
 依頼されたのは裸婦像ではなく、あの少女ロボットが厨房で働く姿だったのだから。
 たしかに、僕は彼女にそのような興味を持っていたのかもしれない。無意識に。
 彼女にはあまり抵抗がなかったようだった。デッサンの意味を理解しており、練習を
 したいという僕の意志も理解してくれた。
 窓際を片づけて椅子を置き、準備は整った。自然光を光源にするためである。
 昼の間に作業することを、僕は暗黙のうちに決めていた。

 いかにも「恥ずかしいです」という仕草で、彼女は下着を取った。

「脱ぎました」

 予想したとおりの理想的なプロポーションだった。
 ただ、エロティシズムというものが全く感じられない。
 理由は明白だった。彼女には乳首が無かったのだ。
 柔らかそうな、美しい乳房はあった。その突端にあるべき頂が無かった。
 たったそれだけのことで色が失せて見える。それが設計者の意志ならば、大成功だ。
 しかし逆に言えば、(どのように改造するのかはわからないが)それを着けただけで、
 人間の女性と変わらないエクステリアになっているわけだ。
 そんなことを考えている間中、彼女は僕の前に立っていた。
 すらりと伸びた二本の三次曲線構造物に支えられ、彫像のように。
 自然にその二本の足の付け根に目が行ってしまう。
 そこにも、何もなかった。正確には外観からは、という意味で。
 夏場のみ、彼女は水を口にする。
 排水用のドレインがここにあるはずだが、僕にわかるはずがない。

「椅子に座って、こちらを向いてくれないか」

 と、決めていたポーズを指示すると、理想的な角度をつけて座ってくれた。
 僕の位置から見ると、四角い窓を左上に見るような教科書的な構図になった。

「これでよろしいですか?」

 頷くと、そのまま彼女は動かなくなった。本当に理想的なモデルだった。
 まず、スケッチブックに鉛筆で当たりを取ってみる。我流だ。
 このあとでキャンバスに向かうわけだが、粗い線を刻むうちに気づいた事があった。
 ……まぶしい。
 太陽の位置が変わったのか、ある物に日光が反射して、僕の視野に当たるのだ。
 彼女の耳カバーだった。
 それは銀ラメというほどは輝かない、燻し銀の部品だった。
 根本が彼女の耳に装着され、後頭部へ向けて十五センチほどの突起が伸びている。
 その突起が、ビリジアンのショートカットをかき分けて生えていた。
 そこがちょうど日光を反射して輝いているのである。

 気になる。
 気になって仕方がない。

「耳カバー、外してくれないか?」

「は?」

 いきなり何を、という表情で彼女は僕を見た。
 驚いているらしい。
 こんな表情を見るのは初めてだった。

「耳の銀色の部品、外せるんだろ? 気になるから外してもらえない?」

 まだ驚いている彼女に向けて、尋ねた。
 まばたきを繰り返してから彼女が答えた。

「外さないと、いけませんか?」

「外しちゃいけない決まりでもあるのかい?」

「いえ、決してそのような規則があるわけではありませんが……」

 初めは意地悪のつもりだった。
 困っている彼女を見たい、という子供じみた欲求だったかもしれない。
 五度、そのようなやりとりを繰り返した後、彼女は折れた。
 視線を外してから俯いて、両の耳(があるはずの場所)に両手を当てる。
 手の平で押さえつけて、二、三度回すと、長い先端が下向きに垂れた。
 どのような仕組みかはわからないが、外れた(というか剥がれた)らしい。
 二つの銀色の部品をテーブルに置き、そのまま顔を上げて彼女は僕を見た。

「あの……外れました」

 真っ赤だった。
 頬が紅潮している。本当に恥ずかしいのだろうか?
 それにしても、何が恥ずかしいというのだろう?
 耳? 人間と同じ耳朶があるのだろうか。この角度では髪に隠れて良く見えないが。
 それを見られるのが、ロボットにとっての恥ずかしさなのだろうか。
 紅潮している彼女、というのは初めて見た。
 日々のプログラムに隠された、初めて明かされる本当の彼女……
 ……などと勝手に解釈してみる。新鮮な表情だった。まるで人間の少女だった。
 依頼されたあの喫茶店の少女型ロボットに似ているような気がする。
 そのとき、僕は奇妙な言葉を口にしていた。

「綺麗だね」

 意識して紡いだ言葉ではなかった。素直な感想だった。
 その言葉を聞いた瞬間、彼女の身体が一瞬震えたような気がした。

「あ、ありがとうございます」

 俯きそうになる彼女を注意しながら、作業は続いた。
 少し経つと、自分を取り戻したらしく彼女はまた静物に戻った。
 きりり、とした表情。
 自信をもったような……そんなふうに見える表情だった。


 その日からモデルは彼女の作業のひとつに組み込まれた。
 昼時の決まった時刻、彼女は衣服をとり、椅子に座る。
 しかし、決して自ら耳カバーを外そうとはしなかった。僕が命じるまでは。
 僕が望むときだけ、その姿に変わる彼女。
 それはほんの少し刺激的で、僕は彼女に対する視線を変えつつあった。
 それでも彼女はロボットで、僕はそれを忘れてはいなかった。
 恋愛や性愛の対象ではなく、どちらかと言うと自分の一部のような存在だった。