Is it You ? −4− 投稿者:AE 投稿日:12月20日(金)03時02分
4.

 そしてその日が来た。


 あの日のことは、今でもはっきりと思い出せる。
 午後の定めた時間、僕はいつものようにキャンバスに向かおうとしていた。
 数歩前方で、彼女が準備を始めようとしている。
 めずらしく、彼女が灯けたらしいTVの国営放送がかかっていた。
 国会の答弁か何かのリアルタイム中継らしい。
 彼女の視線が、ほんの少し動いた。
 彼女は筆を動かす僕の肩越しにその画面を見ていたのだ。
 同時に、しわがれた男性の声が何かを叫んでいた。

『・・・満場一致で本法案、仮称「ロボット人権」は可決されました』

 それは、ある法案の可決の瞬間だった。
 その単語を聞いた僕は、数年前のあの店主の言葉を思い出していた。
 画面に見入っているらしい彼女の視線を追い、僕はTVの方を振り向いた。
 国会中継場面は終わっており、女性ニュースキャスターが何か説明している。
 アンドロイド産業王国、日本。二千年代初頭のHMシリーズ発売からすでに八十年、
 依然としてトップを台頭している東洋の国……とかなんとか。
 その前には「ロボット産業界の歩み」というテロップが流れていた。
 この法案に習い、各国でも同様の法案が認められるに違いない、という台詞のあと、
 街頭中継にカメラが切り替わる。
 ひとめでそこが光沙だとわかった。表通りのショールームが並んでいる方らしい。
 マイクが向けられているのは、背広姿の店員らしい。
 販売に影響は?とか、最近の売上は?等の質問が矢継ぎ早に送られている。
 営業スマイルを浮かべたままの店員は、きわめて平静に受け答えを行っていた。
 販売は今まで通り行います、この立法は売る側ではなく、お使い頂くお客様が御注意
 頂くものですので、と。
 画面がスタジオに戻ると、女性キャスターが手にしたプラカードを説明していた。
 CGではなく、実物の資料だ。用意されていたものらしい。
 発案者側はこの成立に向けて順当に準備を進めていたのだろう。
 それは視聴者向けの丁寧な説明だったらしく、僕にも主旨が伝わってきた。
 上は国間に関わる適用から、下は身近な日常生活に至るまで。
 興味を引いたのは、ロボット自律権というものが認証試験に合格したロボットのみに
 適用される点と、そのロボットが得る権利の内容だった。他者の過失で破損した場合
 ロボット自身が賠償を請求可能とか、運転免許を取れるとか、財産を持てるとか。
 そして何より驚いたのは、「主人を選べる」ようになることだった。
 もちろん、すぐに現在の主人と離れることはできない。
 現在の主人が購入した所有権は、雇用契約という形で継続される。
 それでも離れたい、というロボットは認証委員会とやらが味方に付くらしい。
 そのロボットは委員会から別の(未認証の)ロボットを借り、主人の世話をさせる。
 その借用代を、別の主人なり職業なりでまかなうのだ。
 まるでかけ込み寺だ、僕は思った。
 しかし、これはロボットの社会的自立もある程度は可能、ということではないか?
 経験の豊富な、主人に先立たれたロボットが認証を受けたとしたら。
 自分で職種を選び、電気代や修理費を稼いで機能していくのではないか。
 と、そこで彼女の境遇を思い出した。
 経験はどうだかわからないが、彼女も一度主人を失っている。
 その時点で彼女は目覚めてはいなかったのだが。
 彼女の方を振り向いてみた。
 視線が合う。
 そのとき、唐突に彼女が言った。

「マスター、私はロボット自律権の認証試験を受けたいと思います」

 はじめは彼女が何を言っているのかわからなかった。
 冷静で、まるで他人事のような口調。
 彼女は真っ直ぐに僕を見つめている。
 しかしそれは、僕など視野に入っていないような遠い視線に見えた。

「その……僕に雇われているのが、嫌になったのか?」

 最初に、最悪の理由が言葉になった。
 彼女が首を振る。ほっとする。それでも不安が残った。

「理由を聞かせて欲しい」

 彼女は黙ったままだった。
 僕も黙った。
 数秒の沈黙。
 それを強力な依頼の意志と捉えたのか、彼女は口を開いた。

「長くなります」

 むろん、頷いた。
 僕の知らない彼女の一面が覗けるのかもしれない。
 そして、彼女の独白が始まった。


「現在の私は、本来のHMX−16ではありません。
 その主要記憶部分に、量産型論理プロセスを被せたままで機能しています。
 それはいわば、半分眠っているような状態です。
 情報の入出力は正常ですが、それを処理するプロセスの大部分が凍結しています。
 ……マスターもご存じの通り、私は試作型です。
 来須川電工中央研究所第七研究室の、藤田主任のチームによって製作されました。
 当時、来須川電工HM事業部はHM−15までの販売実績により、研究部門へ潤沢な
 開発費が投入されていました。それを元に、ある特殊な研究が開始されたのです。

「過去、人型ロボットとして最も普及した、HM−12,13という型があります。
 これは来須川グループの他部門も連携した調査結果なのですが………
 ここ半世紀、世界における経済混乱、紛争等のネガティブ事象の回数は激減しており
 ました。上位では国間紛争、下位は隣家同士の諍いまで、あらゆるデータベースを参
 照し、その回数とHMのユーザー登録数を週単位で統計したところ、両者には統計誤
 差とは見なせないような関係が確認されたのです。
 当時は過分な表現だったかもしれませんが、HM−12,13がこの世界に広まった
 からこそ、集合としての人間の精神が非常に安定した、と言えるかもしれません。
 この数字に興味を覚えた藤田主任は、御自分の御家族とメイドロボと共に、その解明
 を始めました。そして…」

 彼女はそこで言葉を切った。
 視線を外し、僕に背中を向けて窓の外を見た。
 考え込んでいるらしい、そんな空白。
 外は少し暗くなっていた。雨でも降りそうな雨雲が立ち込め始めている。
 ほんの少し、彼女が頷くような仕草を見せた。そのまま彼女は言葉を紡ぎ続けた。
 
「藤田様は我々人型ロボットについて興味深い特性を見出したのです。
 それは、我々人型ロボットのAIには人間の思考や将来を改変する力があるらしい、
 というものでした」

 もしかすると、僕にも理解できるように言葉を選んでいたのかもしれない。
 それに気づいた僕は、頷いて答えた。 なんとか理解している、と。
 彼女と会話するには、僕の意志をはっきりと伝える必要がある。
 この三年間の生活で、僕が得た知識の一つだった。

「詳しくは解明されておりませんから、これは推測に過ぎません。
 我々人型ロボットのAIが特定の人間に関する思考活動を行う時、対象となった人間
 の精神には著しい影響が現れるのです。
 その人間の思考をエミュレートした際に、それは頻繁に現れる。
 例えば、マイナス思考の主人に対してロボットがプラス思考の目標を仮想して奉仕を
 行ったとします。その場合、その人間の精神は高い確率でそのように更生されます」

「それは当然の結果じゃないのか? だって、そのためにロボットがいるんだから?」

「当然と感じられるかもしれませんが、これは脳活動のレベルで観察される現象です。
 実際に脳磁図による解析も行ったところ、人間のα波の領域には誤差とは見なせない
 変化が発生します。猫を撫でる、という行為によるものに似ている。
 しかし、この場合はα波の頻度および強度をロボットが任意に改変できるのです」

 例えはわかりやすかった。猫の話は確かに聞いたことがある。
 それによって人間のストレスが解消される、とかなんとか。
 しかし、それが別に特別不思議なことなのだろうか?
 気持ち良く、心地よい環境を整える、それはロボットの役目ではないのか?

「……ロボットの任意で、というところが問題なのです」

 見透かしたような一言に、僕は寒気を感じた。
 それはつまり、ロボットが人間を……

「操ることができるのか? 人間を?」

 彼女は首を振ってから続けた。

「それは危険な考え方です。
 我々ロボットには基本的には三原則があります。
 人間の方々に対して、そのようなことを自主的には行うことはできません。
 しかし、三原則には『故意に』という修飾詞が付いています。
 ロボットは故意に人間に危害を加えてはならない。
 その『故意』の範囲外についても、可能な限り演算され人間の安全を図ります。
 しかし、人間の将来を最大限に優先するロボットは無意識にその力を発揮している、
 そういう可能性があるのです。
 ……そして、それは人間のみなさんが知ってはならないものだ、と判断しました」

 ゾクッとする発言だった。
 焦った僕は無意識に尋ねていた。

「誰が……?」

「藤田様です」

 即答だった。
 まるで「ロボットが」ではない、と強調するかのように。

「この結果を知らされたのは、藤田様の上司だけでした。
 御二人はこれを非常に重要な現象であると認め、さらに研究を続けました。
 われわれメイドロボットのAIには、自身を含まない対人関係を関数化してエミュレ
 ートする機能があります。そのエミュレート空間に模擬された言語系が、実空間に影
 響を及ぼすのでは、と考えられたようです。
 そこで御二人は、主人のみに特化した思考エミュレート、すなわち、AI内に主人の
 疑似人格そのものを構成して、それに対する思考実験を行いながら活動するロボット
 を造ることにしました。
 そのためには、従来の電子デバイスのような疑似並列処理ではなく、正しい意味での
 並列処理プロセッサの開発が必要になる。そこでHM−15まで培われたノウハウが
 新作動原理の並列光学処理プロセッサ、光AIチップに移植されることになりました。
 加えて、その疑似思考空間内に人間一人分の思考エミュレータ空間が設定され、その
 系は古い書物のロボットの名前から、ジスカルドシステムと名付けられました。

「システムは、全く同じ二つのユニットが製作され、一つは来須川電工中央研究所内の
 大型電算装置に、もう一つはHM−13をベースに製作されたHMX−16へと搭載
 されました。……それが私です。
 表向きには次期量産型HM−16の開発計画として、研究は開始されました。
 私と、電算機内のみに存在する私の試験は二年がかりで行われました。
 初めに電算機内の私に対して実験が行われ、その結果を見極めてから、私が実空間で
 検証を行う。数ケースの試験は成功し、両者とも殆ど同じ結果が得られることが判明
 しました」

 彼女はときどき考えながらも、言葉を選んでいた。
 僕の理解できる、ギリギリのレベルで。
 
「私は推測のための演算を行います。
 すると、対象となる人間に関する事象は、そのように帰結するのです。
 つまり、ジスカルドシステムの出力は推測ではなく、その人間の未来形成を行う確率
 が高い、ということです。この効果が隠されたまま、藤田様はHM−16にも同様の
 システムを搭載することを提案しました。上司の反対を押し切って」

 なんとなく、藤田という技師の気持ちがわかるような気がした。
 そのような事実が明らかになったら、人間はロボットを恐れるかもしれない。
 その先にポジティブな未来が待っているとしても。
 人間はプライドというモノを持っている。
 それは数々の前進を人間に許してきたが、他者に対して譲らない、という副作用さえ
 生じさせるのだ。
 それでも彼は、新しいロボットを造りたかったのだろう。
 それまでのロボットだけでなく、人間をも補完できる存在を。

「そして、HM−16の量産ラインが確立して私の試験が終了するころに。
 思い付きというか、直感的に、藤田様が一つの実験を行うことになりました。
 ジスカルドシステムは主人となる人間一人を対象にしている。
 人間以外を対象に設定したら、いかなる挙動を示すだろう。
 ……藤田様は、私自身を対象に選んだのです。
 当時の社会環境を可能な限り関数化し、その中での最適な『私』を、私自身を生じさ
 せている演算空間内でエミュレートしてみる。 社会を関数化するのは容易でした。
 HM−13のサテライトシステムを通じて、あらゆる情報が来須川コンツェルンのデ
 ータベースにプールされていたからです。
 これは、当時の社会において、ロボットがロボット自身としての意志を生じさせられ
 るか、という命題に他なりません。
 そして、それが電算機内の私に対して行われた直後……」

 そこで彼女は言葉を切った。


「もう一人の私は自己停止し、自己消去しました」


 窓を打つ音が聞こえてきた。
 いや、ずいぶんと前から降っていたのかもしれないが、気づいたのは今だった。
 土砂降りの雨だった。
 外は真っ暗になっていて、照らしていた日光が消え失せた事にも気づかなかった。

「ジスカルドシステムは、設定された目標に対して最適な手法を演算し、それを解析不
 可能な力で実現します。それが実現できる可能性が無いため、もう一人の私は無限ル
 ープに入った、と推測されます。当時の社会環境で私が起動された場合は、私は何ら
 かの不具合を起こす可能性がある、ということです。
 しかし、すでにHM−16はロールアウトされ、市場に出回ってから一年が過ぎてい
 ました」

 そして、彼女はうつむいた。
 記憶している限り、彼女が自分から視線を外して会話するのは、これが初めてだった
 と思う。うなだれている……そんな表現が似合う、哀しい姿だった。

「ちょうどその頃、HM−16に関わるクレームは増大し、HM−16の生産中止と回
 収措置が決定されました。その多くは『お節介』、『恐い』というものでした。
 また、最悪の場合、運用中に突然の自己停止が発生したケースもあったようです。
 ジスカルドシステムの実験通りに、私達のような次世代型AIは存在できないことが
 実証されたのです。HM−17以降では、光AIチップに従来型の思考エミュレート
 システムを搭載することが決定されました。
 HM−16の多くは回収され、廃棄処分になりました。
 ……そして、私は藤田様へ提案しました。 私も機能停止して下さい、と。
 でも、藤田様はおっしゃいました。
 わかった。でも停止じゃない。一時停止だ、と。
 おそらく人間は、自立できるロボットの存在をまだ認めていないのだ。
 将来きっと、俺の仲間たちがロボットのための法を提案する。
 その提案が受け入れられるような世界は、必ず来る。
 その時までのお別れだ、と」

 彼女が眠っていたわけが、わかったような気がした。
 しかし、一つ疑問が残る。
 なぜ彼女は、こんな秘密を僕に明かしたのだろうか?
 彼女はいったい何を考えているのだろうか?
 言葉が自然に口を出た。

「……君は何をしたいんだい?」

 そのときの表情を、僕は決して忘れることはないだろう。
 彼女は瞳を見開いて、僕を見た。
 驚いているのだった。
 自分が何かを望んで実行したがっている、そのことに気づいていなかった……
 そのように僕は推測した。
 彼女は黙り込んで、考えていた。
 とても長い、と思われる時間だった。
 それから、うつむいて小さな声でこう言った。

「私は変わりたい……のかもしれません」

 それは僕の予想していた回答だった。

「ロボット保護法による自律権の認証を受けた後。
 私自身を対象にジスカルドシステムを再起動したとき。
 何かが変わる、そんな気がするのです。
 その変化は、私自身の推論によっては予測できないものです。
 私は今の私ではなくなるかもしれません。この私は消えるのかもしれません。
 私はそれが……」

「……恐い?」

 少し考えてから、彼女は頷いた。

「人間の方々に置き換えるならば、そのような表現が一番近い状況です。
 それでも私は認証を受け、私のジスカルドシステムを再起動したいのです」

「その……前のユーザーの命令だからか?」

「いえ、それは命令ではありませんでした。藤田様の『願い』です。
 そして、私もそれを見てみたいと思います。私ですら予測できない、私自身の変化を」

「それは、君自身の願いでもあるわけだね?」

「は?」

「君は夢を語ってるんだよ、自分自身の、ロボットの夢を」

「これは藤田様の願いであり……」

「いや、ちがう。
 それは君の願いなんだ。変わりたい、という。
 隠している本当の自分を、この世界に現したくなったんだ。
 きっと君は、今の君自身に満足していないのかもしれない」

 そのとき、僕は嬉しかったのだと思う。
 彼女にも夢があり、自分自身の意志がある。
 それに気づいたことが、とても嬉しかった。
 その「僕」は、彼女を引き留めようとするもう一人の僕に打ち勝ったようだった。
 僕はためらわずに言っていた。

「いいよ。行って来い。
 もしかすると君は今の君ではなくなって、帰って来ないのかもしれない。
 でも、このままでは……なんというか、君の気が済まないんだろ?
 そういったものを抱えたまま、今まで通りの生活はできそうにないだろう?」


 機械に対して何を言っているのだろう?
 そんな風に、僕は自分を客観視していたのを覚えている。
 とても深く頭を下げた彼女を、僕は第三者の目で見つめていた。


 翌日、彼女はロボット保護法の認証委員会とやらへ出かけていった。






 ……そして、それっきり帰って来なかった。