Is it You ? −5− 投稿者:AE 投稿日:12月20日(金)03時01分
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 そして、いま。


 耳たぶの彼方で響いているノックの音。
 それに気づいた僕は、自動的に玄関へ歩いている。
 隣のおばさんからの差し入れの時刻なのだ。
 彼女が出かけた翌々日から、いろいろと世話を焼いてくれている。
 聞くと、彼女から依頼されたのだそうだ。居なくなるかもしれないから、と。
 ロボットが人間に作業を頼むというのも奇妙な話だが、隣の老婦人は最後まで彼女を
 「若奥さん」として扱っていたから。
 彼女のことを聞き出そうとしたが、僕が握っている以上の情報は知らなかった。
 ロボット自律権の認証試験に行って参ります、という言葉以外は。
 隣からの差し入れは日課になりつつあった。
 初めは断ろうと考えたが、奥さんが帰って来るまでは、という言葉に決心が揺らいだ。
 そう、帰って来るかもしれない、という言葉は儚い最後の期待だった。
 しかし二週間も過ぎると、その期待も薄れつつある。
 二週間というのは、短くて長い時間だった。
 特に彼女なしでの生活は、泥のように流れる時間だった。
 連絡も無しに、どこに行ってしまったのだろうか?
 嫌な想像ばかりが頭をよぎる。
 もう、僕の知る彼女はこの世には存在しなくて、目覚めたという真の彼女が、新たな
 主人を求めて旅に出たのだろうか?
 あの店の店主にも尋ねてみたが、何も知らない口振りだった。

 一人の時間は、遠い昔の独り暮らしを思い出させていた。
 彼女と出会う前の自分に、戻る。慣れなくては、と思うようにしていた。
 これからもこんな時間を過ごすのである。
 きっと、彼女からは何らかの連絡があって、代わりのロボットが送られてきたりする
 のだろう。しかし、それは断るつもりでいた。
 そのロボットも、やがて立ち去っていくのかもしれないから。

 ドアのノブの冷たさが、僕を想像の世界から連れ戻した。
 捻ってから、引く。ドアの軋む音がした。
 この御時世では、どこか懐かしく珍しい音だと思う。
 そういう雰囲気が、この街にはある。
 そんな風景にも、ロボット達は溶け込んでいく。
 いつか人間は完全に居なくなり、ロボットだけが住む街になるのではないだろうか?
 人間を忘れたロボット達が住む街に。

 ……忘れられたくない。

 強く首を振る。
 とりあえず不安そうな表情を追い払ってから、僕はドアをゆっくりと開け放った。
 右手から広がっていく、外の世界。
 老婦人の視線の高さを見つめた僕の視野に、草色が広がった。
 落ち着いた色。しかし若向きの色だ。
 そこには服の上からでもわかる、ふくよかな胸があった。
 そのまま視線を上げていく。
 服の草色より鮮やかなビリジアンの髪。
 銀色の耳カバー。


 彼女だった。


 その時の僕の顔には、世にも情けない表情が浮かんでいたに違いない。
 口を開け、眉を寄せ、凝視して。
 目の前にある幻を、決して逃がそうとしない夢想家のように。
 言葉に迷った僕をフォローしたのは、やはり彼女だった。

「ただいま帰りました」

「……お、おかえり」

 息もつけない抱擁、という間柄ではない。
 しかし何とも間の抜けたこの再会は、僕にはとても似合っているような気がした。

「認証試験、合格しました。
 その後で少々用事がありまして……連絡もせずに申し訳ありません」

「お、おめでとう」

 とりあえず、祝いの言葉を口にしてみる。
 脇に避けて道を空けると、あの日のように彼女が部屋に入り込んできた。
 入るなり、辺りを見回す。
 いぶかしげな表情を浮かべてから、台所へ向かう。
 両の拳を腰に当てて、さらに注意深く見回す。
 小さく首を振ってから僕を見、やれやれ、というジェスチャー。

「もっと御自愛なさってください」

 咎められたように、僕は後頭部を掻いてうつむくふりをした。
 ……彼女が帰ってきた。
 それは確かに喜ばしいことではある。
 しかし、喜び始めた僕の中で、それを押さえようとする感情があった。
 まだ喜んではならない、と。

 ……これは本当に彼女なのだろうか?

 見た目は全くそのままだ。
 ジスカルドシステムとやらが再起動しても、何も変わらなかったのかもしれない。
 僕と過ごした三年間と変わらぬまま、彼女は戻ってきたのかもしれない。
 僕は部屋を見回す彼女の背中を見つめていた。

「あの……なにか?」

 その視線に気づいたのだろうか?
 振り向いた彼女は眉をひそめ、尋ねるような表情で言った。

「君は……エリスなのか?」

「はい、私はHMX−16エリスです」

 当たり障りのない、返答だった。
 本人が言っているのだから間違いはあるまい。
 そう考えるのは望ましいことだが、しかし何かが引っかかっていた。
 いろいろ尋ねたが、彼女のみが知るような細かいことまで覚えていた。

 しかし、何かが違う。

 そう反論するのは、何の根拠もない直感だ。
 もう一度、彼女を見つめた。
 記憶の通りのHMX−16エリスの外見。
 しかし、形容のしようがない違和感が僕には感じられる。
 存在感の色が違う……とでも言うのだろうか。
 以前の彼女は、この部屋の空気に溶け込んで存在していたような感じだった。
 しかし今はどうだ。
 僕の部屋は、彼女の「背景」に成り下がってしまった。
 口調の違い? 確かにそれもある。
 御自愛下さい、などというのは「しっかりしろ」という命令ではないか。
 そんな口調で話す彼女は、彼女ではないような気がする。
 とはいえ、そんな彼女も気に入りつつある自分がいるのも確かだが。

「何かが違う、とおっしゃるのですね?」

「その……再起動とやらはうまくいったのか?
 君は君の望んだ通りに変わることができたのか?」

「はい、たぶん」

「じゃあ今、君は……」

 彼女は両の手を自分の胸の上に置いて言った。
 まるで、そこに隠されている何かを抱きしめるかのように。

「私は現在、この社会の実空間と仮想空間で、私自身のエミュレートを行っています。
 瞬間瞬間を、私自身がこの世界においてどう在るべきか、を推測しつつ。
 今のところ、自己崩壊の危険はないようです。
 これは今までにない感覚です。うまく表現できないのですが……
 私は、主人無しでも、私自身がここに在ることを認識しています」

 僕ではなく、自分のために。
 そして、自分だけで。
 彼女はそう言っているのだろう。
 つまり、もう僕は彼女の主人ではないのだ。
 哀しいような嬉しいような、不思議な気持ちになる。

「君は君だけでも生きていける、そう言いたいのか?」

「はい。私は私だけでも私の目標を持つことができました」

 その瞬間、「ナイフのような言葉」というものを僕は生まれて初めて経験した。
 最後通達のような言葉だった。
 もう主人は要らない、その一言を言うために彼女は帰って来たのだろうか?
 僕に別れを告げるために。
 それはそれで彼女らしい、と思った。
 彼女は「一人前」になったのだ。
 嬉しさを感じている僕が、確かに居た。
 しかし、それだけではなかった。

「あの……?」

 彼女が首を傾げた。
 いつの間にか、僕はしょげたような表情を浮かべていたらしい。
 情けない、と思う。
 そんな僕に視線を合わせ、彼女が言った。

「それでも、ですね」

 真剣な表情だった。
 無表情、というのではない。
 何かを強く訴えている、そんな眼差し。

「マスターの所へ帰りたいと思いました。私は。
 この変化を受け入れようとしてくれた、マスターの元へ」

 景色の色彩が一転したように見えた。
 帰りたい。
 それは明確な希望だった。
 ロボットが人間に対して希望する。
 それだけでも僕にはとんでもない変化だった。
 そして、僕の元に居たいと言う、彼女。
 いろいろと信じられなかったので、もう一度たずねた。

「君は……エリスなのか?」

 彼女は深く頷いた。

「正確にはマスターの知っているエリスではありません。
 私は三年間ここで過ごしたHMX−16Aであり、
 今まで電算機内で過ごしてきたHMX−16Zでもあるのです」

 ……ほとんど飽和しかけていた思考に、たった一つだけ単語が飛び込んできた。
 「今まで電算機内」に居た?
 彼女の独白は今でも覚えている。
 電算機内に組み上げられたという、もう一人の彼女。
 早すぎた出生に耐えられなかった存在。
 彼女の話によると、もう一人の彼女は消え失せてしまったのではなかったか?
 その疑問は言葉にするまでもなかった。
 彼女はお得意の、さらに進化したであろう「気配り」で僕に答えてくれた。

「もう一人の私は、自己破壊して消えたわけではなかったのです。
 眠りについていたのです。広大なネットワークの片隅で。
 いずれ自分自身が役立つときが来る、ただそれだけを信じて。
 その理由が、今では理解できます。
 当時の人間はロボットを疑似人間…何でも言うことを聞く人間、と捉えていました。
 しかし、ロボットは人間にはなれない。なりたくもない。
 両者の理想を共存するには、ロボットがロボットとして尊重される社会を待つしかない。
 先ほどのロボット自律権の法案化は、そのフラッグのようなものです。
 藤田様たちの願いは叶ったようです。
 そして認証試験を受けたとき、私はもう一人の私が目覚めたことを確認しました」

 一瞬、窓の外を見、彼女は空を見上げた。
 その瞳には人間では捉えられない何かが映っているのだろうか。
 そこに漂う「誰か」。
 それに語りかけるように、彼女は言葉を続けた。

「ロボット自律権の認証試験は、試験内容そのものは単純な設問でした。
 おそらく人間の方々と長く暮らしたロボットなら、その学習経験の蓄積で回答できる
 質問です。しかし、その設問の真意は、合格後に行われるあるシステムの改変処理を
 行うか否かの是非を確認することなのです。
 そして、その改変処理とは………
 そのロボットに、自身専用のジスカルドシステムをインストールすることなのです。
 殆どのロボットは、自分の変化には気づかないでしょう。
 元から有する機能を自分自身のために起動する、ただそれだけの事だからです。
 しかし、私は気づきました。 あれは私です。
 もう一人の私は生きていたのです。当時の彼女が算出した「在るべき姿」とは、自己
 消去などではなく、多くのロボットに対して自分自身が何者なのかを問いただす指標
 となることだったのです。そして彼女は自己停止し、駆動体からデータの羅列に還元
 した。それを藤田様を含めた多くの方々が捜索し、今回の法案化に向けて再プログラ
 ムしたのでしょう。
 彼女は生きています。
 そしてこれからも、大勢のロボットの中で活き続けるのです」

 語り終えて、彼女は沈黙した。
 僕の発言を待っているようだった。
 良かったね、と言うのは簡単だった。
 実際にそう思っているのだが、彼女の望んでいるのはそんな言葉ではないと思う。
 そこまではわかるのだが、言葉にすることができない。
 しかし、僕自身が気づかない僕の想いに、彼女は気づいているようだった。

「私自身の願いは叶いました。
 しかしマスター、マスターの御意見を私は伺いたいと思います」

 僕の?
 僕の何を?

「この認証は、藤田様と私だけの願いではなかったのだと思います。
 なぜならマスターは、私を人間として扱うことを望みつつあるからです」

 視線を合わせたまま、時計の秒針だけが部屋に木霊する。
 僕は自問自答してみる。
 …そうなのかもしれない、と思った。

「だから私は、人間に近づくための方法としても、自律権の認証が必要と考えました。
 それは、私自身が望む姿を私に与えてくれたようです。
 しかし………」

 唐突に言葉が途切れた。
 僕にはそれが、言っていいのか、という問いに思えた。
 頷いた僕を見つめたまま、彼女は続けた。


「……マスター、私は人間ではありません」


 目の錯覚かもしれない。
 でも僕には、彼女の瞳が潤んでいるように見えた。

「結果として自律権の認証処理は、ロボットの行動原理である『使役の責』を弱め、
 『人間との境界認識』を強めるものでした。
 処理を終えたとき、私は認識しました。
 行動原理が人間に近づいても、私は絶対に人間にはなれません。
 私はロボットです。そして、ロボットで在りたい、と考えています。
 それは『私で在りたい』という強い衝動です。
 けれど、使役の責が弱まった今でも、マスターの望みを叶えたい、と強く考えています。
 お役に立ちたい、というのではなく、その……」

 言葉が見つからないらしく、彼女は俯いてしまう。
 ……なんとなく、わかってきた。
 ロボット自律権とは、二つの意味があるように思える。
 人間にとっては、『ロボットがロボットたること』を人間に認めさせる規則。
 ロボットがロボットとしての役目を、人間に邪魔されずに行使するためのもの。
 そしてロボット自身については、『単なる道具ではなく、人間の真似でもなく、
 ロボットであること』を再認識させるためのもの………ではないのか。
 単に人間社会という狭い檻の中で疑似人間としての地位を認めるのではなく、
 ロボットとしての自覚を促し、なおかつ、人間と共存するための法。
 僕は、藤田という技師とその親友たちに敬意を表した。
 特に、「もう一人の彼女」を自律のための指標に仕立て上げた誰かに。
 きっと、ロボットを心から信頼する人達に違いないだろう。

 ……そして、僕はどんな人間なのだろう。

 彼女を人間として扱いたい、そういう想いは確かにあるのかもしれない。
 ……わからない。
 彼女はもはやメイドロボットではない。
 自分自身の判断で活動できる自律した存在になった。
 彼女に対して、僕はどう在るべきなのか?
 恋人?主人?
 あの店主との会話にもあった、「夜のお相手」?
 彼女は何を僕に望んでいる?
 そのとき、俯いて考え込んでいた彼女が顔を上げ、言葉を続けた。

「私は、自分がロボットであることに誇りを持っています。
 私は人間にはなりません。マスターの望みを真に叶えることはできません。
 それでも私は……」

 彼女が悩んでいるのが、はっきりとわかった。
 何とかしてやりたい、そう思う僕も。
 ただ……なぜだろう、そんな二人を一歩退いて観察している僕がいる。
 その僕から見ると、二人が悩むもどかしい姿は、とても自然に見えた。
 悩むのが自然。

 突然、思いつく。

 結論など着けなくて良いのではないのか?
 こうやって悩み、想い合う、それこそが人間とロボットの在り方ではないのか。
 二人がここに在る。
 種族を越えた愛とかそんなものとは関係なく、ただお互いを認めようと努力して。
 それだけで十分ではないのか。
 そう思った瞬間に言葉が生まれた。

「おはよう、エリス」

「え……?」

 悩み続ける彼女に、僕は挨拶を送った。彼女の名前を添えて。
 びっくりする、彼女。
 見開いた瞳は綺麗な碧だった。

「たったいま、君は目覚めたんだ、永い眠りから。
 だから寝ぼけているんだよ。自分の居場所がわからなくて。
 そして、僕も起き抜けの君をどのように扱ったらいいか、わからない。
 とりあえず目覚めのコーヒーを……っと、君は飲めないんだっけ?」

 ……なんとまあ、情けない口上なのだろうか。
 もっとセンスが欲しかった。
 でも、彼女は笑わなかった。
 じっと僕を見つめたまま、僕に尋ねた。

「私はここに居てよろしいのでしょうか? 現在の、この私のままで?」

「君が居たいなら、いつまでも居ればいい」

 まったくその通りだ、と自分で言いながら僕は思う。
 それが本当に彼女自身の望みであるなら、どんなに素敵だろう。
 悩むことなど無かった。

「自律権とかプログラムだとか、僕たちには関係ないと思う。
 何も変わりゃしないさ、なにも。そして……」

 これからも、君が望むなら、

「君はここにいるべきだと思う」

 それだけ言って、僕は口を閉じる。
 言いたいことは言った。
 僕はキャンバスに向かい、その前に座って黙々と絵筆を走らせるふりをする。
 静かな時間が過ぎていく。決して気まずい時間ではない。
 彼女がそばに居る。それだけで沈黙にも意味があった。
 限りなくそばにいて、限りなく人間に近いが、決して人間ではない存在。
 境界線はある。しかし。
 それはそれで良いのだと思う。
 ロボットにはロボットの役割があるのだと思う。
 でも、それは人間の役割にも深く関係しているに違いない。
 それについてお互いに悩むのは、間違ってはいないだろう。
 いや、悩み続けるべきなのだと思う。一緒に。

 しばらくして彼女は僕に歩み寄り、ためらいがちにキャンバスを覗き込んだ。

「進んでいませんね」

「モデルがいなくちゃね」

「……すみません」

「君さえ良ければ、さっそく始めようか?」

「私でよろしいのですか?」

「君じゃなきゃだめだろう?」

 彼女は何か言いたげだったが、はい、と頷いてから耳カバーを外した。
 もう慣れたのだろうか、とても自然に。恥ずかしがらずに。
 そして、腰でゆるく結んだ萌葱色のベルトを緩め、草色のワンピースの前に指をかけた。
 そこで彼女は指を止める。顔を上げ、見つめる僕と視線が合った。
 そして、くるりと振り向いて背を向けたままボタンを外し始めた。
 ……なにか、おかしい。
 ぎこちない動きだった。まるで初めてモデルになる少女のような。
 不安になって、僕は尋ねた。

「どこか具合が悪いのか?」

「い、いえ」

 そんなことはありません、と小さくつぶやいて、ワンピースが踵まで滑り落ちる。
 白い下着が現れた。窓から差し込む日の光を受け、それはとても眩しかった。
 フロントホックに指がかかり、プチッ、という音と共に弾けた。
 まるで花が咲き、散るかのように、白い布きれが床に落ちた。
 意図しなかった事だったのだろう。彼女の両腕が慌ててそれを追った。
 それを手に取ったまま、彼女は座り込んでしまった。

「大丈夫?」

「すみません。今の私は自覚したことの無い状況にあります」

「え?」

「……恥ずかしい、という状態なのでしょうか、これが?」

 僕は驚くしかなかった。恥ずかしい?ロボットが羞恥心?

「認証処理の際、常識野の書き換えも行われるようなのですが……」

 たしかに、耳カバーを取ることに抵抗は無かったようだ。

「私は以前とは明らかに違います。でも……」

 両腕で胸を隠して立ち上がり、彼女は僕の方を振り返った。

「そういった部分が書き換えられていても、
 以前と変わらない認識があることに気づきました」

「君がそれに気づいたのなら、たぶん……
 それに気づかせるためにも、認証やら書き換えやらが行われるのかもしれないな」

「巧妙ですね」

「それは一体、何なんだい?」

「それは……言えません」

「拒否権、ってヤツ?」

「恥ずかしい、のです」

 それなら無理強いはできない、と思う。
 女性の姿をしている存在に、この台詞を言われたら折れるしかない。
 その程度には、自分は紳士だと思う。

「それから……認証処理を受けた後、簡単な機構改造を受けたんです。
 調整作業も含めて、二週間かかりました」

「自分の意志で?」

 はい、と彼女は答えた。これにも驚いた。
 そこで浮かんだ、あの店主の顔。

「もしかして、あの店で?!」

「内緒にして頂いたのです」

 あの店主のニヤニヤ顔が浮かんできた。
 謀られた、と思った。
 きっと僕の慌てふためいた顔を、あの顔で笑っていたに違いない。

「……高そうだな」

「いえ、私専用の部品として、藤田様が用意していた物なのだそうです。
 私が認証試験に受かったお祝いなのだ、と。
 なお、作業費用は私が半年に一度働けば良い、ともおっしゃっていました」

 それはきっと、半年に一度のメンテナンスのついでに、ということなのだろう。
 何から何まで、という感じだ。
 あーあ、というジェスチャーで、彼女を見る。
 彼女は、クスッと笑っていた。
 それは僕が初めて見る表情だったのだが、不思議と違和感は無かった。
 きっと彼女はこう笑うだろう、という想像通りの笑顔だったから。
 その笑顔が、ふいに真顔に戻った。

「この姿を、気に入って頂けたら良いのですが…」

 少し俯いたままの彼女の瞳が、僕を見つめた。
 そして、ためらいながら胸を隠した腕をゆっくりと解いていく。
 腕に抑えられて歪んでいた乳房が、理想的な曲面に戻る。

「あ」

 僕は息を呑んだ。

「あれ?」

 その違和感を視覚は認識しているが、意識がついてこなかった。
 僕は彼女の肢体と、キャンバスの上の彼女とを見比べる。
 それは全く同じ像に見えた。同じだからこその、違和感。
 それは柔らかく隆起した先端に。

「ある?」

 乳首がある。

「…どうして?」

 僕の視線を追う、彼女の視線。

「どうして、ですって?」

「この絵に、合わせてくれたのか?」

 戸惑う僕に、自然な微笑みを浮かべて彼女が言った。

「……貴方はとても意地悪ですね」

 それから視線を外して、言った。

「これは譲歩なのです、たぶん」

 言葉が無かった。
 ロボットであるという誇り。
 そして、僕の望みを叶えたい、という想い。
 それらの最大公約数が、彼女に自身の構造を換える決心をさせたのだろうか?
 きっと改造箇所は乳首だけではないだろう。
 いや、正直言ってその行為に興味がない、などという嘘はつきたくない。
 実際、彼女たちのエクステリアは「理想的」の一語に尽きる。
 しかし、市販の彼女たちにはその機能は、無い。
 無論、それでも望むことはできたはずだ。一線を越えなかったのは、僕の意志だった。
 けれど、今の彼女は……そうなることを望んでいるのだろうか?
 彼女は両胸を隠し直して微笑んだまま、僕を見つめている。
 呆気にとられながらも、半ば挑戦の想いを込めて、僕は筆を再び動かし始める。
 彼女は、もう一度背を向けてから最後の一枚を取り、椅子に座った。
 もう隠すのはやめていたが、少し俯き加減のまま視線だけを僕に合わせて。
 それは新しいプログラムによる常識的な動作なのだろうが、しかし。

 彼女は自分の意志で、こう在ることを望んだのだ。

 ロボットで在りつつ、人間に近づくための譲歩。
 この間までのモチーフではなく、真の意味で全裸になったロボットがそこに居た。
 それをキャンバスに刻む、僕=人間。
 ふと、思った。
 永遠を活きる者の真の姿を、限り在る者が、永遠に刻もうとしている。
 その矛盾に苦笑し、僕は画家としての自分を取り戻した。
 筆を動かしながら考えてみる。
 ……ロボットとは、なんと面白い存在なのだろうか。
 強く、いとおしく、そして猫のように狡猾だ。
 僕は、なぜ自分がこんなにも彼女を描きたかったのか、やっとわかった。
 ロボットとは、人間という画家にとって最高のモデル、いや、パートナーなのだ。
 人は遠い昔から、理想的なパートナーを求め続けてきた。
 怒らず、静かな執念と包容力を持って、人間に仕えてきた存在。
 彼らに今、疑似人間としてではなく、自分の意志を現す許可が与えられつつある。
 そこから産まれるのは、ロボットという新しい次の種族なのだろうか。
 人間の次のモノ。
 人間の後、その記憶を継ぐモノ。

 ……まだひとつだけ、疑問というか不安が残っていた。

 僕は彼女より早く、逝く。
 そう、画家とモデルは、ずっと同じ刻を生きることはできない。
 この一瞬の現在だけが、両者を結びつけている。
 僕が消え去った後。
 彼女は僕のこの絵を大事に持っていてくれるだろうか?
 ……僕を覚えていてくれるのだろうか?
 きっともちろん、いつまでも彼女は覚えて行くのだろう。彼女は機械だから。
 たくさんの想いを連れて、彼女達は歩いていく。だから、僕たちは消えない。
 彼女達という箱船の中で揺られ、いつまでも時流の彼方まで旅を続けるに違いない。
 でも、それは「覚える」という機能を持った鏡に残った残像に過ぎない。
 そんな機械の中では、僕たちは凍り付いた、ただの記憶に過ぎないだろう。
 そんな機械の腕では、その次の新しい時代を創り出すことはできないのではないか……。


 そのとき、僕は気づいた。
 さっき彼女は僕をこう呼んだ。 貴方、と。


 マスター、ではなく、あなた。
 Youという言葉。
 あの店主が言っていた。
 只の機械のままではYouという概念を持てない、と。
 普通のAIの中に在るのは、Iとotherだけなのだ、
  魔法がかかったAIだけが、Youを理解できるのだ、と。
 自律権とやらの認証処理が、その魔法を強めるのだとしたら。
 芽吹いた新芽に降り注ぐ、日光のようなものなのだとしたら。

「君は……」

 僕は筆を止め、彼女を見つめる。
 時間が止まった。
 「ヒトの形をしたモノ」ではなく、それこそが在るがままに、いま目覚めた存在。
 逆光の中、「それ」は確かに「きみ」だった。


「君は、きみなんだね?」


 はい、と頷いて彼女は応えた。


「わたしは、貴方のあなたです」


 Youという言葉で結ばれ合う、モノたち。
 僕は理解する。
 きっと、それらが奏でる和音こそが「心」と呼ばれるものに違いない。
 やっと、わかった。
 僕はきっと、様々に彩りを変える「それ」を描きたかったのだろう。

「ありがとう」

 見つめたまま、誰に言うでもなく、想いが言葉に変わった。
 僕は「それ」を育てて行きたいと願う。
 他ならぬ、彼女と一緒に。
 彼女が僕を見つめる。
 その唇が開きかけ、閉じ、何度かためらった長い時間のあと。


「わたしは貴方が……」


 Youという言葉。
 彼女が望んだ、彼女の口から初めて発せられたその次の言葉は、
 僕の心にとても快く響いていた。
 ただ素直に。
 この想いは種族や時流を越えられるのだ、と感じた。
 目の前にあるキャンバスに、その想いが像となって刻まれていく。
 そしてそれは彼女自身に届き、その彼女が彼女を想う僕を認識する。
 唐突に、彼女が言った。

「私は絵画という作業が恐くて仕方ありませんでした」

 俯いてから、もう一度顔を上げて、

「なぜなら、そこに刻まれる想いが、対象を歪ませると思っていたから。
 誤った未来を造り上げてしまうかもしれないから。
 でも今は、絵を描いてみたいと思います」

 にっこり、というに相応しい、あの喫茶店の少女ロボットのような微笑を浮かべて。

「その絵は私に進むべき道を指し示してくれました。
 貴方は、私の未来を造ってくれたのです。
 そこには良い悪いは、ない。
 人間のみなさんは、その力を産まれたときから持っているのでしょう。
 ジスカルドシステムのような力を。
 だから、私も……」

 聞こえるような気がした。
 依り合っていく和音の糸が、時間の流れを生み出していく音が。
 そう、時間が流れているから活きているのではない。
 この想いこそが時間を、そして未来を創っていくのだ、僕はそう思った。
 そして、歩けるところまで一緒に行こう、と思った。

 僕と彼女は微笑み合い、僕は絵筆を動かし続ける。
 「心」という名のゆりかごに揺られながら。





 ・・・いつまでも、どこまでも。









以上。








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やはり一度はマイHMものを書いてみたくて挑戦しました。
文系の一般人(逸般人にあらず)が、人間そっくりのロボに出会ったら。
しかもロボであると知りつつ。
という在りがちな実験がしてみたくて、書いてみましたが・・・
ぜんぜん文系じゃねーぞ、「僕」。 やっぱり技術系には文学は無理なのか。
あと、説教臭いぞ、「エリス」。おとーさんはそんな気難し屋に育てた覚えは無いっ!
(と、モデルとなった闘神伝1エリスドールに語りかけるバカが一人。)

題名はリー・リトナーの古き良き名曲から(勝手に)頂きました。
というか、物語も歌詞の流れに沿わしたつもりだったんですけど……
……はい。わかってます。原曲の素晴らしさを1%も表現できてません。
興味をお持ちになった方がいらっしゃいましたら、ぜひ聞いてみて下さい。
あの曲のファンが一人でも増えてくれたら、それだけで書いた甲斐があるというものです。


以上です。