Powder Snow  投稿者:AE


「Powder Snow」                         by AE
                                 2000.01.23







「へい、まいど! 焼肉ライス、お持ち帰りでねっ!」

「ありがとう」

   娘は、おばさんの差し出した手下げ袋を受け取った。
   白いポリエチレン製の袋の中には、ホカホカの焼肉弁当が積み重ねられている。

”あの娘たち、これが大好物なのよねぇ”

   とつぶやくと、娘は立ち食いソバをすする会社員たちの背中をすり抜けて、外に出た。
   たちまち東鳩駅前の雑踏に包まれる。
   Gパンにスニーカー、ジャンパーを羽織り、薄紫に染めた髪をポニーテールにまとめた、
   ちょっとツリ目の美しいお姉さま。
   それが、他ならぬ一級魔族ルミラのこの世界での姿だった。

   今日に限っておみやげを買ったのは、「クリスマスだから」などという理由では決してない。
   そんな下賎な人間の風習に、高貴な自分が流されるはずはないではないか。
   今日はバイト先で臨時収入があったのだ。
   バイトというのは、網タイツとレオタードを着用して酒類を客に配布する、というものだった。
   たったそれだけなのに、金の入りはスゴク良い。
   で、クリスマスの今夜。
   店に来る客はすでに酔っている者が多く、そのうちの中間管理職らしき中年が・・・

   まさぐった。

   ルミラのおしりを。

   ふいに発動させてしまった魔力と共に、赤いハイヒールが光を放つ!
   中年男は瞬時に床に叩き伏せられ、その片頬にヒールが押し当てられる形となった。

「バカにすんじゃないよっ、このタコッ!!」

   芸は売っても身体は売らず。
   人間界でルミラが唯一認めている訓示だ。
   店内は沈黙した。
   店長が駆け寄って来る。
   しまった・・・また解雇される・・・
   と、思った矢先。
   ルミラはふくらはぎ辺りに、ふつふつと沸き上がる悪寒を感じた。

   撫でられている。

   「もっとぉ〜」とか言ってる。

   ルミラはとても恐くなった。
   中年男は万札数枚をハイヒールの隙間にねじ込み、さらにすり寄ってくる。

「ほ、他のお客様のご迷惑になりますから、席にお戻り下さい」

   凍った笑顔でそう言うと、中年男は素直に従った。
   ・・・まるで従順な下僕のように。
   ルミラはさらに恐くなった。
   クルッと踵を返し、厨房へ戻る。
   同僚に頼みこんで、洗い物係に変わってもらった。
   そのまま一心不乱に働いて、気がつくと定時だった。
   店を出、自宅(某屋敷地下)の最寄り駅で降りて、現在に至る。

「まったく人間の”男”ってヤツは・・・」

   言いながら、ふと、思い出す。
   そこがツケ目ではないか。
   じつは魔族の本質には性別がない。
   それでも、この世界に実体化する時にルミラ達は女性の姿をとった。
   その方が顧客が多そうだったからだ。
   もっとも、仲間たちの姿には一抹の不安を伴うものも多かったのだが。
   まあいいか、などと思いながらルミラは雑踏から離れる方向に歩き出す。
   街はいつもながらのせわしい年の瀬を迎えていた。






   ルミラが決めていた帰り道は、かなり昔からある、公園を突っ切るコースである。
   清しこの夜、この時間。
   当然ながら、公園はカップルたちでいっぱいだ。
   めずらしく街灯が多い公園だったので、ここでコトに走るカップルは少なかったが。
   意外に通行人が多いのも、ブレーキとなっているようである。
   それもそのはず、駅前の歓楽街と静かな住宅街に挟まれた形で、この公園は広がっている。
   遅くまで飲んだ、または働いた会社員たちもこの公園を通るのだ。
   いくつかのベンチには一席に一組ずつの恋人たちが存在する。
   通行人は彼らを、彼らは通行人を、暗黙の了解で無視していた。
   もちろん、ルミラもその法則を守り、黙々と歩いた。
   邪魔するはずがない。
   魔族というものは恋愛を嫌ったりはしない。
   むしろ歓迎しているくらいだ。そこから産まれる人間達の利己的な願望は契約のネタになる。
   敬遠するのは、いわゆる真理としての愛だった。
   エゴではなく、”総て”を優先してしまう人間。
   そういう人間が魔の属性にとっての弱点だったが、幸いなことに有史以来は数人しか出現していない。


   そんなことを考えながら、公園の端、住宅地側に近い道に差しかかった時のこと。
   ルミラは怪しげな”気”を感じた。
   魔族が”怪しげ”と言うのも奇妙な表現だが、そうとしか言いようの無いモノだったのだ。
   とても澄んでいて、純粋で、近寄り難い、なにか。
   音に例えれば、真銀製の鈴の音の様な・・・そんな魔法的な純粋さを持つ存在。

   善人、だ。

   このような存在にルミラは興味を持っていた。
   堅く、純粋である存在ほど、堕落し始めれば速いものである。
   ターゲットしては、聖人ほど楽しい存在はない。
   ルミラはその”気”の方角を見つめた。
   電球の切れかけた街灯と、そのたもとの小さなベンチ。
   ベンチと言うよりは、一人用の腰掛けか。
   樹脂製の花を形どった子供向けの腰掛けが五,六個並んでいる。
   ルミラは目を細めた。

   そのうちの一つに、娘が座っていた。

   うつむき、何を見るわけでもなく。
   どうも人を待っている様子では、ない。

「ふぅん・・・」

   ルミラはさらに目を細めた。

   クリスマスの晩。
   ひとりぽっちの娘。
   悲しげ。
   恋人にでもフラれたのだろうか。
   あのしょげ方・・・かなり衝撃的な別れだったのかも。
   プレゼント(手編み系)を手渡そうとしたその瞬間・・・

   「俺、他に好きな娘がいるんだ」

   ・・・なーんて展開。

   ルミラはニヤリと笑う。
   想定されるシナリオからすると、何らかの契約が成立しそうだ。
   うまく行けば、魂の一つも頂けるというものである。
   善(悪)は急げ。
   足音を立てずに、死角から近づく。
   なるべく劇的に現れ、相手に神秘性を感じさせる。
   契約を取るときの鉄則である。

「お嬢さん?」

   その美しい透明な声で、娘の背中に尋ねる。
   娘はゆっくりと顔を上げ、それからさらにゆっくりとルミラの方に向き直った。
   ルミラは息を呑んだ。
   クセ毛のあるショートカット。
   とても美しく、端正な表情。
   冷たささえも感じさせるソレには、しかし明らかな悲しみが浮かんでいる。
   そしてそれ以上にルミラを驚かせた、事実。

   ───彼女はロボットだった。

   一級魔族であるルミラには、ひとめでわかった。
   人間に付随すべき「魂」の輝きが、無い。
   そして、耳カバーは無かったが、大きな髪飾りが付いている。
   あーあ、と心でつぶやいた。
   ・・・契約どころではない。ヘタをすればタダ働きになってしまう。
   自分はなんて貧乏神に好かれているんだろう・・・とルミラは思った。
   唖然としていたルミラに、ルミラ以上に透きとおった美しい声が語り掛けてきた。

「なんでしょうか?」

「あ、いえ、そのぅ・・・」

   ロボットの問いかけに、ルミラは用意していたセリフを言うしかなかった。

「気になったのよ。
 とても悲しげに見えたからね」

「悲しげ・・・ですか?」

   ええ、とうなずきながらもルミラは舌をうつ。
   悲しい?
   そんなわけないじゃないの。ただの数列のくせに。
   などと思いながら、ロボットという存在についての知識を思い出す。

   それは人間の作った道具の一種。
   メイドロボ、マリオネット、ドール・・・呼び名はいろいろとある。
   他の道具と違うところは、ソレが「表現する」機能を持っていること。
   まるで人間のように泣き、笑う。
   ルミラたち魔族は、その中身を覗くことはできなかった。
   ・・・存在界が違いすぎるからだ。
   魔族が見透かせるのは、互いに共存する人間界の存在のみだった。
   ロボットを含む”機械”という存在は、人間界には存在していない。
   ここに存在しているように見えるのは人間に関与している部分だけで、その”本質”は魔族にはわからなかった。
   人間にもきっとわからないのだろう。
   なにしろ、引き金一つで人間を殺すモノさえある。
   人間にも御せない部分があるのだ。
   きっと、機界とも言うべき世界に、その本質はあるに違いない。

”それにしても・・・”

   ・・・人間は奇妙なモノを造ったものだ。
   機械をここまで人間に似せる意味があるのだろうか?
   ルミラにとっては、使い魔をヒトの姿に似せるのと同義である。
   これではまるで、人間が「人間である事」を譲渡しているようではないか。
   「人間である事」をロボットに譲って、人間はどこに行くつもりなのだろう?

   ・・・神にでもなるつもりなのだろうか?

   そこまで考えたとき、考え込んでいたロボットが口を開いた。

「悲しい・・・たしかに私は悲しいのかもしれません」

   作り物とはいえ、その瞳は美しかった。
   公園のすぐ外の街の明かりが反射している。
   泣いていた、いや、泣いているフリをしていたのかもしれない。

「なにがあったのかしら?」

   言いながら、一番近い腰掛けに座る。
   ルミラはこのロボットに興味を持った。
   人間のように笑い、悲しむロボットは数社のメーカーから発売されている。
   もっとも、昔はとても少なかった。
   試作型や、思い入れのある人間が改造した個体だけが、感情らしきモノを与えられていた。
   この人間界に生活しているルミラも、そういったロボットと会話することがある。
   しかし、目の前の娘は今まで見たロボットとは違っているように見えた。
   なにかこう・・・訴えかけて来るモノがあるような気がした。

「・・・今朝、私のマスターが亡くなられました」

   うつむいてから、ロボットは言った。

「とても優しいマスターでした。
 私だけではなく、人間の皆さんや、全てのロボットに優しい方でした」

「あなたの・・・その御主人って、そういう方面の職業だったの?」

「はい。私のようなマリオネットや、メイドロボットの修理工場を経営していました」

「で、あなたも一緒に手伝っていた、と」

   はい、とロボットはうなずいた。
   ここでルミラは、気になっていた問いを尋ねることにした。

「御主人は・・・お独りだったのかしら?」

   はい、とロボットはうなずいた。
   なるほどね、とルミラは独り言を言う。
   この時代、ロボットのみと添い遂げられる人間は意外と少ない。
   たいていはそのロボットが同性の人間の友人を作り、主人と出会わせる。
   主人の好みを熟知したロボットが選ぶのだ。うまく行かないわけがない。
   ギスギスした恋愛沙汰も少なくなっていた。
   魔族の商売も上がったり、である。
   ロボットとはまるで人間関係の潤滑油の様だ、とルミラは思っていた。
   確かに、ロボットが普及してから人間界は争い事が少なくなっている。
   求めるものが、全て与えられてしまうからである。
   ルミラは有史以前に似たような例を見たことがあった。
   それはアッという間に地球全土に増え、人間の闘争心を鎮めてしまった。
   人類の最大の支配者、ネコ。
   有史以来、ほとんどの独裁者がネコに操られていたという。
   しかし、ロボットはネコのように自己主張はしない。
   (在るかどうかはわからないが)我を出さず、鏡と器の二面性で人間と共存している。

「御主人はあなたのことが本当に好きだったのねえ」

   とりあえず、ルミラは常套句を言った。

「で、あなたはそんな御主人の死を哀しんでいる、と」

   ここで定石ならば、死んだ男に会わせてやる、とか続く。
   実際、死んで間も無い人間の「記録」は、知人友人の記憶に惹かれて近くの空間を漂っている。
   熱力学の法則に逆らって、それらを元在る順序に並び換える操作は、魔族にとって難しいことではなかった。
   ただ、ひとつ問題がある。
   今回の場合、ルミラには何の役得も無いのだ。

   エントロピーを正常な速さで増大させるのが、その生命圏に出現した魔族の役目である。
   そのためには、一時的にそれを乱す行為すら許されている。
   例えば、ある男が死んだ肉親を愛するがゆえに、全力で科学技術の発展に貢献したとする。
   その技術がこの生命圏に多大なる影響を与えるとしよう。それも秩序をもたらすような。
   この場合は、その男に死んだ肉親の記憶を再現してやり、未練を無くした方が魔族としては助かるのだ。
   この時、ルミラはそういう「操作」をする。
   男のもたらす「未来」はルミラに支払われ、この生命圏の秩序への方向性はひとつ消滅する。
   一瞬、周囲のエントロピーは減少するが、大流は守られるわけだ。

   しかし相手がロボットでは、そのような役得は存在しないように思える。
   ロボットが自ら率先して人間に働きかける事象は「奉仕」のみだ。
   ・・・いまのところは。

   ルミラが考えている間、ロボットも考え込んでいるように見えた。
   考えがまとまったのか、もう一度ルミラと視線を合わせ、言った。

「マスターは私の全てでした。
 マスターが存在しないのに、私は存在している。
 それが私には理解できないんです。
 いつかこの日が来る事は知っていました。
 でも、その時には私自身もこの世界から消えるのだ、と思っていたんです。
 でも、私はここに居ます。
 なぜなのでしょう?
 いえ、なぜ私はこんな疑問を持つのでしょうか?」

   なるほど、主人を失ったロボットはこう考えるのか、とルミラは思った。
   ただの道具ならば、ユーザーが死んだことを悔やみはしない。
   道具に残るのはユーザーの残した「情緒の指紋」に過ぎない。
   他者がそれに触れ、その指紋を感じることはできる。
   しかし、道具は自ら発言することはしないものだ。
   けれどこの娘は・・・主人と共に消えたい、と言っているのではないだろうか。

「・・・この想いは何なのでしょうか?
 これは想いと呼べるものなのでしょうか?」

   精神的な障害を受けたロボットは、その思考回路に異常を来す、というのをルミラは聞いたことがあった。
   この疑問はその前兆なのかもしれない。
   ルミラはその言葉を聞いて、望みをかなえてやろうか、と思った。
   簡単な事だ。このロボットのハードウェアを構成している原子同士の鎖を、解いてしまえば良い。
   解けばそれに見合ったエネルギーが放出されるのだが、そんなものは宇宙創世の瞬間にでも捨てに行けば良い。
   エネルギーを空間的に移動するのは難しいが、時間的に移動させるのは簡単な事である。
   そんな手間をかけても良い、とルミラに思わせた動機とは、ロボットに対する興味だった。
   人間は肉体が滅んでも、空間に「記録」を残すことがある。
   では、果たしてロボットはどうなるのであろうか?。
   ロボットのハードウェアと、その電気的な記録を瞬時に消したら、何が残るというのだろう?

   ルミラは立ち上がって天を仰ぎ、この地この瞬間に在る全ての存在に問いを発した。


        ”人語にて魔族と定められし我が問う。
           ここに在りしモノは在り続けるべきものか?”


   答えは返って来なかった。
   つまりこのロボットは、この世界に対して大きな影響力を持たない、ということだ。
   ルミラはロボットを見つめた。
   ロボットもルミラを見ている。
   両手を差し伸べ、原子という雲の隙間にある糸の群れを支配下におく。

「目を閉じて」

   まるで何が起こるかがわかっているかのように、ロボットは目を閉じた。
   ルミラの薄紫の髪が燐光を帯び、ポニーテールが解けて流れた。
   そして静かに両腕を開き・・・






「だめですーっ!!」





   あまりの大声に、ルミラは広げ始めた腕で耳を覆った。
   集まり始めたマックスウェルの使い魔たちが、残念そうに周囲に散って行く。
   ルミラは声のした方を見上げた。

   見上げる?
   空を?

   それはとてもまぶしい輝きだった。
   宙に浮いている。
   白い衣をまとった、若草色の短い髪の少女。
   その正体を、ルミラはすぐに悟った。

「・・・あなた、天使ね?」

   実体化する天使は非常に珍しい。
   光子を反射するだけでも、その状態数の制御にはかなりの心力を必要とする。
   この天使、小さいがかなりのレベルと見た。

「邪魔をする気なの?」

   フフン、と笑って、天使を見る。
   天使は、六枚の羽をひとたび羽ばたかせ、地面にフワリと降りてきた。
   現実世界から昇華したての天使は、無意識に過去の姿を模倣する。
   ルミラはその小さな天使の風貌に見覚えがあったのだが、なぜか思い出せなかった。
   しかし・・・そんなことは問題ではない。
   いま目の前にいるのは商売敵なのだ。
   もっとも、ロボットを相手に天使と何を取り合うというのか・・・?
   それでも一単位の魔族としては、天使の邪魔をすることも立派な仕事である。

「消えたい、って言ってるから消してあげるのよ。
 大サービスだわ、無償でこんなことしてあげるなんて」

   言いながら戦闘体勢を整える。
   好戦的な天使は、魔の属性と闘いたがる。
   闘えば、対消滅してしまうというのに。

「このロボットさんは、その前に行かなきゃならない所があるんです。
 すぐに消しちゃうなんてひどいこと、やめてください!」

   言葉が圧力になり、一瞬ルミラはたじろいだ。
   凄まじい心力だった。
   ただ、そこには闘気はない。
   闘う気は全く無いようだ。
   そのとき、ルミラは気づいた。
   さきほど感じた純粋な”気”はきっとこの天使の発しているモノだったのだろう。
   さっきからこのロボットを見張っていたわけだ。話しかけるタイミングがつかめなかったのだろう。
   しかし、盗み見されていたように感じて、ルミラは少し不機嫌になる。
   両腕を組んで、少し斜に構えて天使を見、言った。

「ただの数列がどこに行けるって言うの?
 死んだ御主人様の元へ?
 ありえないわ、存在界が違い過ぎるもの」

「たしかに、ロボットは人間にはなれません。
 でも、大好きな人の一生を通じて、見守る事はできるんです」

   そのとき、ロボットが立上がり、天使の方を振り向いた。
   なるほど、この天使はこのロボットにも自身を認識させているらしい。
   驚いた表情を浮かべ、ロボットはすがるような声で天使に尋ねた。

「まだ・・・まだ私はマスターのお役に立てるのですか?!」

   はい、と天使は答えた。

「あなたは大切な人の全てを覚えています。
 これから昔に戻りながら、違う形で大切な人の傍に居てあげることもできるんです。
 それがあなたの本当の仕事なんです。
 それが終れば、他の方を見守る仕事に着くこともできます。
 あなたさえよろしければ、ですけど・・・」

   待ちなさい、と今度はルミラが叫んだ。

「違う形、ってどういうこと?
 生まれ変わりでもするつもり?
 輪廻ってものがあるのよ。『機械』は決して『生物』には転生できないわ!
 今と同じようなロボットにすら、移れないかもしれない。
 それでも、いいっていうの?!」

   ロボットはゆっくりと振り向いてから、答えた。

「私は人間になりたいなどと思ったことはありません」

   そして、続けた。

「どんな姿でも構いません。
 ただ・・・この次も、マスターの傍に居て、マスターのお役に立ちたい。
 それだけが・・・それだけが私の願いです」

   そしてルミラに微笑んだ。
   それから、天使に向かって大きくしっかりとうなずく。
   天使は微笑んだ。
   天使の羽が大きくはばたき、そこから生まれた光の粒子がロボットに向かって集まって来た。

「いったい何を・・・?」

   ロボットに干渉する天使なんて、聞いたことが無い。
   昔に戻る?
   過去に向かう転生などというものを、ルミラは聞いたことが無かった。
   戸惑うルミラに関係なく、それは始まった。



   ロボットのヒトの姿は、天使から流れる光の粒子に触れて陽炎のようにゆらいでいく。
   その陽炎の中から、泡のような光の球が幾つもあふれ出して来た。
   現れた泡は、ほんの少しの間ロボットの近くを漂って、そして消えて行く。
   泡が一つ一つと離れるたびに、ロボットの、そのヒトを模した姿は薄れていくようだ。
   ルミラは、たまたま自分の方に流れて来たそれらに焦点を合わせ、覗き込んだ。
   湾曲した空間の中に、画像のようなモノが封じ込まれている。


        自動車のハンドルを握る、青年。

        アパートに寝転んでいる学生。

        模型飛行機を飛ばす少年。

        オルゴールを組み立てる男の子。

        すやすやと寝入っている赤ん坊。

              ・

              ・

              ・
  
   どうやら、それらは同一人物のようであった。
   それは、彼女の主人の過去の姿なのだろうか?
   このロボットの走馬灯?
   いや、このロボットが知り得ないような過去の像まで在るのは・・・なぜだろう?
   よく見ると、泡の中の像は動いていた。
   耳を澄ませば、その時その瞬間の様子がはっきりとわかった。
   そしてその画像を捉えていた一人称の正体も。


      <初めは・・・自動車?>
        若い男が乗っている。取り立ての免許。初めて自分で買った車。
        二年ほど乗って事故で全損したが、奇跡的に男に怪我はなかった。


      <次は扇風機・・・だろう>
        季節は夏。周期的に回転する風景。
        畳の上、寝転んで本を読む男の姿が見える。
        この扇風機は近所のスーパーで購入されたものだった。
        安物だが、とても長持ちした。


      <飛んでいる模型飛行機>
        見下ろした河原には、精一杯走る少年が見える。
        時々こちらを見上げて、なにか叫んでいる。
        がんばれ、と言っているのだろうか?
        飛行距離を競うこの大会で、少年は優勝した。


      <オルゴール?>
        モノを組み立てるのは初めての経験だった。
        覆い被さるようにして、必死にピンセットを操る男の子。
        突起の付いたドラムを取りつけられ、オルゴールは完成した。
        ゼンマイを巻かれ、それは詠い始めた。
      

      <赤ん坊のおしゃぶり?>
        そこはゆりかごの中だった。暖かい体温に満ちている。
        すやすやと寝入る赤ん坊は、時折なにか寝言を言っていた。
        まるで傍に居る何かに語りかけるかのように。

              ・

              ・

              ・

   無数の記憶の泡が、ルミラの周囲にあふれている。
   泡の輝きに吸い取られるように、ロボットの姿は次第に薄れ、霞んでゆく。
   その男の時間軸に在る、生命以外の全ての存在に、彼女が転生して行くようだった。
   いや、男の時流から、つまり過去から未来へと見ていくのなら、そういった様々なモノ達の記憶が、
   互いに結い合わされ、ロボットの「心」にまとまっていくのが見えるのだろう。
   そして、その瞬間の記憶を含んだ泡が、ルミラのすぐ近くをかすめ通った。



      <ロボットの視野>
        ゆっくりとまぶたが開かれ、外界の光と音が流れ込んで来る。
        それらは全て0と1という無味な信号に変換されてはいたが、
        それを翻訳する機能を彼女は持たされていた。

        ・・・なんという世界だろう。

        今まで同じ世界に居て、こんなに多くの情報を見逃していたなんて。
        車は走り、扇風機は仰ぎ、玩具は夢を与える。
        その機能の全てを有し、働ける「ヒトの身体」。
        そして何より、自らの意識を現わす事のできる「心」というモノ。

        ・・・語りかけたかった。

        ずっと、ずぅっと昔から。

        あなたと話したかった。



   灰色の作業台の上、少女の姿を模したロボットがゆっくりと上半身を起こす。
   作業台の傍には、工具を握り締めた男が身を乗り出してロボットの様子を伺っている。
   ロボットは二、三度周囲を見回してから、男の顔に視線を合わせた。
   そして、ぎこちない微笑みを浮かべながら、こう言った。



               「逢いたかった、マスター」






   ・・・ルミラは理解した。
   彼女はずっと昔から、その男のすぐそばに居たのだ。
   その男を見守っていたのだ。
   いろいろな、様々な、存在に姿を変えて。

   目覚めるロボットの像を含んだ泡が、空間に溶けて消えていった。
   どうやらそれが最後の記憶だったのだろう、辺りを満たしていた記憶たちは完全に姿を消していた。



   全てを終えて。
   ロボットの居た場所に残ったのは、桃色の輝きだった。
   やはり、とルミラは目を見張る。
   総ての記憶が元在る場所に還っても、姿を失ってさえも、機械には「まだ」残るものがあるのか?
   この輝きが、その本質なのだろうか?
   当惑するルミラを置き去りにして、天使がその輝きに両手を差しのべて、言った。


「では、まいりましょうか?
 まだまだいろんな方があなたを待っていますよ!」


   待って、とルミラは食い下がる。


「あなたたちは・・・あなたたちは一体何なのよ?!」

「そんなこと、わかりません。 ただ・・・」


   天使は桃色の輝きを胸に抱いたまま、ルミラの方を見た。


「わたしたちは人間のみなさんに『想われて』ここに居ます。
 そして人間のみなさんも、わたしたちに『想われて』ここに居るんですよ」

「え・・・?」

「あなただって、そうじゃないですか。
 人間のみなさんに『想われて』いるから、ここに居るんですよ」

「で、でも! 私は人間なんて・・・」

「本当にそうですかぁ?」


   悪戯っぽい微笑みを、天使は浮かべた。
   それでは、と言いながら、緑の輝きに姿を変える。
   そして、桃色の輝きの周囲を旋回した。
   まるで巣立ちの雛を助ける親鳥のようだ、とルミラは思った。
   やがて、二つの輝きはまっすぐに天を目差して、飛び上がった。
   それを追って顔を上げた瞬間。


              ・


              ・


              ・


   ぐらっ、というよろめきと共に風が吹いてきた。
   今思えば、ロボットと会話していた時にはそよ風すら感じなかった。
   ルミラは帰宅者の歩く公園の散歩道に、独りで立っていた。
   数人のサラリーマン風の男達が、同じ方向、住宅街の方へ向かって歩いている。
   そのうちの一人が、ルミラの方に駆け寄って来た。
   そしてとても慌てた様子で、叫んだ。


「あ、あんた見たかい?!
 いま、そこにいた女の子が!! 女の子が・・・」

「女の子じゃないわ。ロボットよ」

「ロボット?
 ああ、そんなことどうでもいい!
 今、確かにそこに座ってたのに、スウッと・・・」

   なるほど、普通の人間から見れば一瞬の出来事だったらしい。
   ルミラはフッと笑い、もう一度天を見る。

「・・・神様にでも召されたんじゃないの?」

「え?」

「今日は、そういう事が起こっても不思議じゃない日なんでしょ?
 あんたたち人間にとっては・・・」

   言いながら、心の中で付け加える。


”ロボットにとっても、ね”


   空を仰ぎ見ると、二つの輝きはまだ滞空していた。
   きっと人間の視野には見えないのだろう。
   輝きは、まるで挨拶を返しているかのように揺れている。
   フン、と鼻を鳴らしてルミラはつぶやいた。




         ” 綺麗じゃない。
           ただの数列のクセに。
           まるで一生懸命に生きた人間の魂のよう・・・ ”




   そしてそのまま、それらが空の隙間に消えて行くのを見送った。
   返事をしないルミラに愛想をつかしたのか、男は肩をすくめ歩き去って行った。
   思い出したかのように周囲の雑踏がよみがえる。





「・・・ふう」



   ためいきをついて、公園の外、街の側を行く人々を見る。
   人間や、人間そっくりのロボットが街にあふれていた。
   少し昔に流行った歌が流れている、クリスマスの夜の街。
   決して嫌いな光景ではない、とルミラは想う。

   ・・・そうなのだ。
   あの天使の言うとおりなのだ。
   人間が好きでなければ、魔の使いなどやってはいけない。
   短い生命のくせに、精一杯、一生懸命に毎日を生きる、小さな生物。
   でも、ロボットはどうだろう?
   無限に近い生命を持つことも可能な、人間の創造物。
   魔族にも認知不可能な世界を持ち、そこと人間界とを繋ぐモノ。
   きっと自分はああいうロボットも好きになれるだろう・・・とルミラは思った。
   それに、顧客が増えるのは魔族にとっても良いことではないか。
   んー、と背筋を伸ばし、もう一度夜空を見上げた。


「あら・・・?」


   ちらちら、と白いものが散り始めた。
   漆黒の闇から降りてくるそれは、街の灯りに照らされて初めて現れる。

   今日この夜の雪は、まさに天からのプレゼントになるだろう。
   総ての存在に、等しく、公平に降り積もるもの。
   わけへだてなく降りはするが、感じる者の感じるがままに、雪は意味をもつ。

   この姿になってから・・・と、ルミラは不思議に思う。
   雪という水の結晶が、こうも美しく感じられるのはなぜなのだろう?



   ・・・・・・。







「あっ、冷めちゃうわね」

   手に下げた仲間たちへのプレゼントを思い出し、ルミラは家路を急いだ。




   しんしんと降り続ける、初雪の中を・・・。









以上。