なでなで (1)  投稿者:AE


「なでなで」                             by AE
                              1999.10.26







「だから、HM−12じゃなくてHMX−12なんだって!」

   昼下がり。
   来栖川電工メイドロボットショールームで、僕は同じセリフを言い続けている。
   もう五度目だった。

「お客様がおっしゃっている型番は、市販品ではございませんので・・・」

   テーブルを挟んだ相手は、困ったような表情で五度目の返事を返した。
   五度とも微妙に違った言葉だが、ニュアンスは同じ。
   市販品ではないので売れない、そういうことだ。

「そのとおり、あれは市販されているロボットじゃあないんだ」

   今度は少し違う方向へ話をもっていってみよう。

「確かに見たんだよ、四年前。
 今売り出されているHM−12タイプのロボットだった。
 でも違うんだ。君みたいに表情があるんだけど、とにかく人間そっくりなんだ。
 調べたらHMXっていうのは・・・」
「それはおそらく試作型でしょう。市販されている商品とは仕様が異なります」

   こちらのセリフの際中に相手が発言してきた。
   予想通りだ。 彼女はHM−13を元にした商談用メイドロボ。
   六回以上同じ質問を受けると応対ルーチンが切り替わるようにプログラムされている。
   ショールームによって回数は異なるはずだが、今がチャンスかもしれない。
   あきらかに厳しい表情を浮かべ、僕は厳しい口調で言った。

「君では対応できない問題だ。上司の方を呼んではもらえないだろうか?」

   HM−13はほんの数秒間、沈黙した。
   僕と視線を合わせ、そのまぶたが二,三度まばたく。
   これはメイドロボが、(ロボットとしては)長い演算に入った証拠である。
   完全に停止した状態は、人間との会話を凍結してしまう。
   だからこそ。
   演算をしているという事を人間に悟られないために、こういう仕草をする。
   そのためにインストールされている機能だ。単なるプログラムだ。
   少ししてHM−13の微笑みが跡絶え、口調が変わった。

「確かに私もそう判断します。しばらくお待ちください」

   彼女は立ちあがり、席を離れた。
   商談が進行中のテーブルの間を(最小距離となるようなルートで、)極めて人間らしい姿勢で歩いて行った。

   ・・・成功だ。

   商談用のルーチンが剥がれかけた瞬間、絶妙のタイミングで上位レベルの質問を浴びせると・・・
   矛盾した問題の無限ループを回避するために、商談用ルーチンは解除されるのだ。
   微笑みが跡絶えたところを見ると、あのHM−13は接客モードから離れ、通常業務モードに戻っている。
   きっと上司は驚くことだろう。
   これも人工知能開発技術者としての、日頃の修練の成果だ。
   だが、そんな慢心の素振りを表わしている暇はない。

   人間の上司が来るまでの間、僕は自分の作戦を確認し直した。

    1.自分が素人ではないことを認めさせ、人間の上司を呼び出す。
    2.HMX−12シリーズの購入方法を聞き出す。
    3.購入する。

   完璧・・・とは言えないが、他に方法は無かった。確認するまでもない、単純な作戦。
   同様に、メイドロボについても確認するまでもないが、念のため・・・


   メイドロボット。
   十数年前に初めて発売されたHM−01から、徐々に社会に浸透してきた家電機器。
   ここ来栖川電工を筆頭に三社ほどのメーカーが、似たような総称で多くの種類の製品を出してはいるが・・・
   やはり、最も普及しているのは来栖川電工の製品だろう。
   人間型の製品を真っ先に投入したのも来栖川だった。
   二足歩行と繊細なマニピュレータをメンテンナンスフリーで提供できたのは、快挙だと思う。
   そして、昨年のHM−12,13の販売で来栖川はこの業界を完全に台頭した。
   労働人口等の問題から、社用メイドロボの雇用には厳しい制限が設けられたが、一般家庭には関係無かった。
   汎用型”お手伝いさん”は、すぐに広まっていった。
   多少裕福な家庭は購入し、そうでない家庭てもレンタルが可能だったから。
   一般に言われているフランケンシュタイン・コンプレックスの兆しも無いわけではなかったが、
   世間は少しずつロボットを受け入れて行った。
   考えてみれば当然だ。少なくとも道具としてのロボットは随分と前から存在したのだから。
   しかし「それが人の姿をとる」というのは大きな違いだった。
   信頼のおける「人物」が、その寿命の限り自分に忠実に仕えてくれる。
   これはある意味、人間の四番目の欲求ではないだろうか?
   例えば、僕は(今はそんな気も予定もないが)いずれ結婚して、子供を持つ事にもなるだろう。
   父になり、祖父になり。
   やがては死んでいく。
   妻も子も自分から去る・・・あるいは自分が去る日は必ず、来る。
   でも、そのプロセスを越えて ”見つめ” 続けてくれる存在。

   欲しい、と思った。 心の底から。

   そして、「それならば」と考えたのは四年前に出会った、人間そのもののHMX−12のことだった・・・・。

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   彼女に初めて会ったのは、四年前、通勤バスの中だった。
   来栖川電工の系列会社で人工知能のサブルーチンを書いている僕は、街から離れたアパートを借りている。
   最寄りの停留所は駅からかなり離れているので、そんなには混んでおらず、客もほとんど変わらなかった。

   ある日、乗り込んだバスの中にいつもとは違う客がいるのに気づいた。
   一番後ろの席の運転席側に女の子が二人座っている。
   ロボットだった。それはすぐにわかった。
   耳のインターフェースパーツ、鮮やかな緑色と赤色の髪は人間と区別するためのマーキングだったから。
   ただ、当時の最新型メイドロボと異なっていたのは、その精密なエクステリアだった。
   関節に継ぎ目の無い、人口皮膚。(メンテナンスはどうするのだろう?)
   「ロボット的」ではない、顔の造形。(アクチュエータは何本あるのだろうか?)
   ・・・おそらくは二体とも試作品だろう。
   ついにロボティクスもここまで来たか。耳のパーツがなければ人間そのものだ。
   おそらくは、数百以上の最新技術が組み込まれているに違いない。
   もしかすると自分の書いたルーチンも使用されているかもしれない。
   そう思いながら、朝刊をダウンロードした端末を見るフリをして、観察を続けた。
   背の高い赤い髪の方は目を細めて、うつむき加減で座っている。
   サスペンドしているのだ、と判った。
   省電力のために駆動関節を半ロックして、CPUを半停止状態にするのは、アンドロイドの定石技術だった。
   しかし、背の低い緑色の髪の方は、窓の外をながめていた。
   彼女は停止しているのではなく、本当に窓の外を見ているらしかった。
   瞳をいっぱいに開き、窓の外の全てに夢中、って感じだった。
   良く出来たルーチンだなあ、と僕は感心した。
   やがて、駅の一つ手前のゲームセンター前の停留所で、彼女達はバスを降りた。
   緑髪の方がバスを振り向いて、ぺこりとおじぎをする。
   ・・・バスに向かってあいさつしているらしい。
   なんとまあ、あそこまで礼儀正しくするとは、プログラマーの趣味を疑うなあ、などと技術屋の視点で見た。

   彼女の第一印象はその程度のものだった。
   それでもなんとなく、緑髪の方のロボットが気になって、僕は二日目、三日目と彼女を観察していた。

   あくまで技術屋として。


   ある日のことだった。
   その日はなぜか、僕の使っている停留所に長蛇の列が発生していた。
   めずらしいこともあるものだ、といつものバスに乗り込むと、いつものように彼女たちがいた。
   長蛇の列とはいえ、バスの座席数は多かったので、立っていたのは数人にすぎない。
   僕もその一人であり、その日は彼女たちのそばに立っていた。
   ・・・ふと見ると。
   彼女たちが座っている後部座席の近くに、一人のおばあさんが立っていた。
   僕のすぐ前に並んでいた人だ。背中にふろしき包みを掛け、片手には大きな紙袋を下げている。
   紙袋はどこかの玩具店のものだ。綺麗な彩りの包装紙に包まれた箱が詰まっている。
   懐かしい、あの包装紙の香りがここまで漂ってくるような気がする。
   お孫さんにでも会いに行くのだろうか。
   座っていた緑髪の少女はそれを見つけて、隣の赤い髪の娘を見た。
   うなずく緑、うなずく赤。
   そして、緑髪の少女の方が言った。

「おばあさん、おばあさん」

   ん? と、おばあさんは緑髪の少女を見た。

「どうぞ、お座りになって下さい」

   すでに緑髪の少女は立ち上がっていた。

「まあまあ、そんな。あたしは大丈夫だから・・・」

   おばあさんは微笑んでつぶやく。

「私たちはすぐに降りますから、お気になさらずに」

   座ったままの赤い髪の娘が言って、そおっと、おばあさんの紙袋を手に取った。

「うーん、じゃあ、お言葉に甘えようかねえ?」

   どっこいしょ、とおばあさんは緑髪の少女の席に座る。

「お孫さんに、ですか?」

   赤い髪の娘は、おばあさんの紙袋を大事そうに胸に抱いて言った。

「ええ、ええ、今年幼稚園に上がったばかりなんですよ。まだまだ甘えん坊でねえ」

「おもちゃが好きな方なんですねぇ」

   背伸びして手すりを掴んでいる、緑髪の少女が言う。

「おもちゃとお菓子には目が無いんですよ。特にあたしの焼いた・・・ああ、そうだ」

   おばあさんは背にしたふろしきの方を膝の上に開き、ハンカチ包みを二つ取り出した。

「これ、ね。あたしが焼いたクッキーなんだけど、よろしかったら食べてくださいな」

   そう言って少女たちに手渡した。
   二人とも、困ったような表情になった。
   そりゃ、そうだろう。
   おばあさんは彼女たちを人間だと思っているのだ。
   このような状況でどのような判断を下すか、などというイメージトレーニングを彼女たちは受けていないらしい。
   こういう場合はあらかじめインストールされた受け答えが開始される。
   それが機械というものだ。
   この場合はおそらく、「自分が人間ではなく、ロボットである事を明言する」というルーチンが発動する。
   どのメーカーのロボットでも、これは変わらない。

   ・・・・・・。

   しかしそれでも、緑髪の少女はこう言ったのだ。


「おいしそうな香りですねぇ!
 ありがとうございます、大切にいただきますね」


   赤い髪の娘は(隠そうとはしていたが)驚きの表情で緑髪の少女を見た。
   きっと、僕も同じ表情をしていただろう。
   緑髪の少女は、丁寧に両手で包みを受け取った。それに合わせるかのように、赤い髪の娘も大切に受け取った。

   ・・・ウソだ。
   絶対にウソだ。
   驚きから覚めやらぬまま、僕は思う。
   嗅覚や味覚を人間のように判別できるセンサは、まだこの時代には存在しない。
   それでも彼女は、おばあさんの想いを理解して、それを裏切らないためにウソをついたのだ。

   「ロボットが」「人間のために」「ウソ」を?
   ・・・そんな馬鹿な。
   まるで人間そのものじゃないか?!
   その時、バスが揺れて緑髪の少女がバランスを崩した。

「あっ?!」

   包みを両手で持ったまま、後ろに倒れていく。僕の身体は反射的に動いた。
   次の瞬間。
   僕の片腕の中に彼女がいた。
   とても軽い、と思った。
   とてもやわらかい、とも。
   緑色の髪からは不思議な香りがした。石鹸の香り?

「あっ、す、すみません」

   すまなさそうに謝る彼女。
   いや、と僕は首を振って合図を返し、腕を引っ込めた。

「大丈夫ですか、マルチさん?」

   心配そうな表情を浮かべる赤い髪の娘。隣のおばあさんも同じ表情。
   そのとき、僕は知った。
   彼女の名前はマルチ。
   そして、その名を心に深く刻み込んだ。

「ごめんなさい、あんまり嬉しかったんで、ぼぉーっ、としちゃいましたぁ」

   マルチという名のロボットの明るいフォローを聞いて、赤い髪の娘はうなずいた。
   おばあさんも、うんうん、とうなずくと、また孫の話題に戻って楽しそうに会話を続ける。

   僕はバスの中の空気が一変しているのを感じていた。
   おばあさん、どうぞ → おやおや、ありがとうね。
   よくある、よくある、と言われるが、こんな風景を実際に見るのは何年ぶりだろう。
   なにかこう、幼い頃に見た夕暮れのような、なんとも表現しかねる懐かしい想い。
   そしてそのとき、僕は見てしまったのだ。
   その緑色の髪の少女の、人工毛髪の向こうの微笑みを。
   耳パーツによる先入観で決め付けていたイメージは、一瞬で吹き飛んでしまった。
   こんなロボットが存在していいのか?
   初めは、彼女を作り上げた製作スタッフ達に嫉妬を覚えた。
   自分が手掛けているような小さな仕事ではなく、このような作品を産み出すことができる大資本。
   次に、好意。
   彼女に対する好意。
   好意という言葉しか思い浮かばない。
   ロボットに好意、っていうのもおかしいけれど、彼女の微笑みにはそう思わせる魔力があった。
   人間のために、人間の想いのためにウソをつくことができるロボット。
   いったい、彼女は何者なのだろうか・・・。


   ・・・そして数日が過ぎ。

   最後に彼女を見たのは日曜の朝だったと思う。
   いつもとは反対方向のバスに乗る彼女を見かけて、休日出勤の僕は並んでいた停留所を飛び出し、
   反対車線に向かって走った。
   いま思うと、なぜこんなアクションを起こしたのか、まったくわからない。
   なぜか、彼女を見るのが最後のような気がしたのだ。
   バスの運転手に手を振って(このバスの運転手が人間で本当に良かった)、
   頭を下げながら飛び乗ると、彼女はいつもの席に座っていた。
   僕と彼女と運転手の他には誰も乗っていなかった。
   窓の外を見ている彼女の様子はいつもと違っていた。

   泣いていた。

   微笑んでいるけど泣いていた。
   一瞬、表情制御ルーチンのバグかと思った。
   でも、それは違う、と直感できた。

「あの・・・」

   僕は揺れるバスの中を彼女の方に向かって歩きながら、声をかけた。
   彼女ははっとして、目をこすってから、僕の方を見た。

「これ・・・」

   僕はハンカチを取出してから、彼女に差し出した。

「えっ? あ、そんな・・・悪いです」

   近くで向かい合って聞く彼女の声は、鈴の音のようだった。
   頭の片隅で技術屋の僕がサンプリング周波数やら、PCMやらの単語を並べ始めたが、無視した。

「いいよ。使ってよ」

「・・・ありがとうございます」

   彼女はハンカチでまぶたを押さえた。それから、小さい声で言った。

「わたし、今日で運用テストが終わるんです」
「え?」

   僕にはその意味が良くわかった。

「だから、泣いてたの?」

   僕は呆然としてつぶやいた。
   ロボットが運用を終えることを悲しむ、そんな図式は今までの僕には想像もできなかった。
   でも、今の僕には信じることができた。

「・・・いいえ、違うんです。嬉しいんです」

   ぼおっ、となった僕を彼女の一言が引き戻す。

「このテストで知り合ったみなさんから、とても良くしてもらいました。
 こうやって初めてお会いした方でさえ優しくしてくださる・・・
 わたし、ほんとうに幸せなロボットです」

   彼女は僕と視線を合わせた。気のせいか、いつもより大人びているような気がする。

「人間のみなさんが大好きです」

   そう言って彼女は窓の外を見た。

「一生懸命働きたい。そんな気持ちで一杯です」

   とてもプログラムが言わせている言葉とは思えなかった。
   人間そのものだった。

「わたしは今夜、活動を停止します。でも、この想いはきっと妹たちに引き継がれるはずです。
 だから、わたしは幸せです。受け継いでくれる妹たちを信じていますから」

   彼女はそう言って、にっこりと微笑んだ。

「僕は絶対買うよ」
「え?」

「いきなりこんなこと言うのもなんだけど、君の妹が売り出されたら絶対に買うよ」

   僕は自分がなにを言っているのか、わからなかった。
   とにかく、彼女にまた会いたい、その想いを言葉にしたかったのだ。

「君みたいなロボットなら、ずっと傍にいて欲しい、と思ったんだ」

   ・・・そのあとは何を言ったのかよく覚えていない。
   でも、彼女が微笑んで僕の言葉に耳を傾けていてくれたのをはっきりと覚えている。
   そのあと、来栖川電工前で彼女はバスを降りた。
   終点で折り返すことにした僕に、彼女は手を振ってくれた。
   見えなくなるまで。


   その日の夜。彼女が活動を停止すると言っていた午前零時。
   僕は、すでに彼女が自分にとって何か大きなものに変わっている事に気づいたのだった。
   僕は好意を持ったのだ。

   人間らしい心を持った、メイドロボットに。





   ・・・それから四年。
   給料をためるだけため込んだ僕は、HMX−12の販売を待ち続けていた。
   HMX−12、それが彼女の型番だということはすぐにわかった。
   彼女が試作品であったことも。
   でも、二年と半年前に発売されたHM−12は僕を落胆させた。
   理由は言わずもがなだ。人間らしさが全くない。
   人形そのものだ。
   そこには僕が好意を持ったHMX−12の、面影しか残っていない。

   そんな時、僕は見てしまったのだ。町中で彼女が歩いているのを。
   ショートカットの女性と並んで歩く、HMX−12。
   二人とも買物篭を持っていた。とても楽しそうに話し合っていた。
   声をかけることができなかった。
   しかし、希望は生まれた。
   彼女は一般向けのモニター製品かもしれない。
   ならば、僕にもチャンスはあるかもしれない・・・。

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   そしていま、僕は来栖川電工中央研究所に近いショールームにいる。
   すでにいくつかのショールームを回り、ここならば、という予感があった。
   応対ルーチンを(僕の質問で)停止させてしまった数体のメイドロボには、申し分けないと思っている。
   それでも僕は、あの日の笑顔に出会いたかった。
   自分をここまで大胆にさせる、あの笑顔の正体を知りたかったのだ。

   うん、とうなずいてもう一度自分の決心を再確認した。
   冷めたコーヒーの最後の一口を飲み干す。
   先程の商談用のセリオタイプが席を立ってから、十分くらいが過ぎていた。
   ・・・もしかすると忘れられたのかもしれない。
   などと考え始めたときのことである。

「ちょっと・・・よろしいですか?」

   もの想いにふける僕の前に、ゆらぁリ、と男が立っていた。