なでなで (2)  投稿者:AE


*2




「ちょっと・・・よろしいですか?」

   男の声がした。
   もの想いにふける僕の前に、ゆらぁリ、と男が立っていた。コーヒー持参で。
   中年。 眼鏡。 白衣。
   外見の第一印象はそんな感じ。
   しかし、僕は自分と同じ匂いを男から感じとっていた。
   これは技術屋だ。それも叩き上げの実力者。
   マジメな話、「できる」と思った。

   ついに、時が来た。

   ここからは、うまくやらなければならない。
   技術サイドを説得すれば、モニターになること自体は、た易いのではないか。
   甘い考えかもしれないが、彼女に再会できる唯一の方法だと僕は確信していた。

「・・・確か、来栖川ソフトウェアの方でしたよね」

   男の先制攻撃。
   びっくりした。 なぜ、僕のことを?
   僕の表情を読んで、男はにやり、と笑った。

「いや、うちの研究室じゃ有名なんですよ、”セリオクラッシャー”ってね。
 応談用のルーチンが剥がれた時は、必ずうちにメンテの依頼が来るんです。
 良い趣味ではないんですが、画像の短期記憶を覗いたら、必ずあなたの姿があった。
 興味があったんで調べてみたら、来栖川ソフトウェアの方だった。
 ・・・彼女達みんなが悩んでましたよ。自分に落ち度があったんじゃないか、ってね」

「御迷惑をかけた、と思ってます」

   僕は素直に謝罪した。

「いいえ、別にそれを責めようというのではありませんよ。
 ここに私がいたのだって偶然だ。 ただ・・・」

   男は言葉を止めて僕を見た。

「あなたとは一度話したい、と思ってました。 
 なぜこんなことをするのか、を含めてね」

「技術サイドの方に、お願いしたい事があったんです」

   男は一瞬・・・ほんの一瞬、悩んだような表情を見せる。

「単刀直入に言います」

   小細工はしたくない、いや、できないだろう。
   ほお? と目を見開いた男に、僕は短く伝えた。

「HMX−12、マルチさんを僕に譲ってください」

   片眉を上げて、何ですかそれは、という表情になる。
   しかしそれは明らかにブラッフで、男自身もそれを隠してはいない。
   世間体、というやつだろう。構わずに僕も続ける。男もそれを望んでいるに違いない。

「僕は見たんです。
 HMX−12、人間らしい、表情のある試作型の方が街を歩いているのを。
 買物篭なんか持って、にこにこ笑ってた・・・。
 メイドロボを雇うなら、あの子がいいって決めたんです」


   沈黙。


「まったくあの子ときたら・・・」

   男はぼやいたが、すぐにおどけた表情でごまかしてから、
   あからさまに(小馬鹿にしたような表情で)にやにや笑いながら、返してきた。

「人間らしさが必要なら、セリオタイプのm型で良いでしょう。
 あれは手の加えられる余地を残したカスタマイズ型だ。
 メーカー保証外ですが、巷では夜のお相手だって十分対応可能なオプションが・・・」

「そういう理由で買うんじゃありません!」

   僕ははっきり言った。

「人聞きが良すぎる話かもしれない。
 でも僕は彼女の、HMX−12の表情や心意気が気に入ったんだ。
 傍に置いておく、いや、居てくれるだけで元気が出るような・・・」

   言葉に詰まった。一オクターブ上がった僕のセリフに周囲の人々が注目したからだ。
   相手の男は再び、ほお、という表情になった。周囲の目など、まったく気にしていない。

「不思議ですね。あなたの言っている仕様は・・・これはメーカーの人間が言う事ではありませんが・・・
 非合法とはいえ、簡単な改造で十分に満たすことができますよ。
 合法的にだって、純正の擬似感情ドライバをインストールする事ができる。
 表情や元気づけるセリフが、普通の人間並にリアルになりますよ。
 ほら、さっきあなたが話していた彼女です」

   男は僕の背後に視線を移した。
   振り向くと、遠くの壁際に先程のセリオタイプが立っていた。
   少しうつむいて、待機状態。人間が相手をしなければただの人形だ。
   でも、HMX−12は違った。
   HMX−12の微笑みと比較してしまう。

「ここに在るのは、みんなプログラムの微笑みでしょう?
 でも、HMX−12はきっと違うんだ。あれじゃなきゃ、僕は買わない」

   まるで駄々っ子だ。
   そんな僕を無視するかのように、男はコーヒーを一口、飲んだ。
   そしてもう一度、大人げない表情をしているであろう、僕を見つめた。

   会話が跡絶えた。

   お互いを観察し合う、二人の男。
   白衣の男は三十代後半・・・くらいだろうか。
   いや、読み取る事はできなかった。
   なにかこう、年齢を推測するのを邪魔する雰囲気がある。
   重みとか、寂しげな所とか。

   見た目ほど年を取ってはいないかもしれない。
   ロボット技術者は(僕自身も含めて)変わり者が多い。
   そんな想いを巡らせていた時に、男の口が開いた。


「メイドロボットは機械です」


   視線が合った。

「いくら心をエミュレートできても、それだけは変わらない。
 ・・・HMXも然り。
 人間らしい彼女達が欲しい、という、あなたのようなお客様は何人もいらっしゃる。
 ”そういうあなた方”の大半が求めているのは、あなたの言いなりにできる、
 言わば、あなたを常に肯定してくれる人形にすぎないんですよ」

   僕が言いかけるのを片手で制止して、男は続けた。

「プログラムされた優しさは純粋です。
 人間のどんな願いも叶えようと努力し、どんな罪も許してしまう。
 人間がその純粋な物に甘えると、不幸な結果を招く」

   口をつぐむ。今度は僕の返答を待っているようだった。
   黙ったままの僕を見つめて男は続けた。

「実はですね、量産型の彼女達全員にもHMX−12で培われた心のエミュレート機能が搭載されているんです。
 そうでなくては人間なんかの相手はできやしない。削除されたのはそれを表現するハード部分だけなんだ。
 そうしたのはコストパフォーマンスという現実問題だけじゃなく、人間自身のためでもあるんです。
 人間を甘やかさないための処置なんですよ。そうしなければ、たいていの人間は・・・」

   男はそこで、ほんの少しためらった。議論に熱中しすぎたことを恥じる技術屋の表情。
   自分も経験がある。
   コホンと小さく咳払いをしてから、男は、

「買ってみませんか? HM−12を」

「なんだって?」

   突然、男がセールスマンのように思えたが、その瞳は技術者のものだった。
   気のせいか助けを求めているような表情が、一瞬、浮んだように思えた。

「普通の量産型の彼女を、です。
 正直に申し上げましょう、確かに現存するただ一台のHMX−12Aは現在も機能しています。
 当時の記憶を当時のハードに持ったまま、でね。
 彼女は、彼女の心を育て上げたユーザー達のもとに嫁ぎました。
 その記憶と心は切り離す事はできない。
 だから『彼女の心を持った、あなたのためのHMX−12』を造ることはできない。
 あなたの求めるHMX−12はもう、絶対にあなたの物にはなり得ないのです」


   最終宣告を受けた僕は、もう何も言えなかった。・・・たった一台のHMX−12?
   たった一台の?

   ・・・叶わぬ想い。よくある話だが、自分の身に起こると実感が湧かないものだ。
   そんな僕をいたわるように(少なくとも落ち込んだ僕にはそう思えた)、男は続けた。

「ならば、あとは、あなた自身の彼女を育てるしかないでしょう。
 先程も申し上げた通り、その能力はHMシリーズにも備わっている。
 ・・・HMX程の表現はできないが。
 あなたがその成長を、成長の成果を見出せるかどうかが問題なわけです。
 簡単なことです」

「簡単じゃないですよ」

   僕は遮った。

「笑いもしない、泣きもしない、そんなんじゃ」

「人間に似てないから感情移入できませんか?
 それなら、あなたはあなたが求めるような彼女達を雇う資格はない」

   真剣な表情。

「・・・と私は思いますけどね」

   ふっと笑う。 しかし今度は、馬鹿にされたような感じは受けなかった。
   まるで自分を含めた、人間全てを嘲っているかのよう。

「HMXシリーズと同レベルの”人間らしい”ロボットは、今後必ず量産されるでしょう。
 でもその前に、人間側が彼らをどのように扱うか、十分用意しておく必要があるんです。
 そのためのモニターとして、あの子達は機能している。
 彼女とそのユーザー達は先駆者なんですよ。
 彼らを取り巻く環境・・・その結果次第でメイドロボと人間の関係は大きく変わって来る。
 その結果を待つのならそれでも結構」

   微笑んでいる彼女の髪を、そっと撫でる男の姿が浮んだ。
   そして、あのショートカットの女性。とても楽しそうな、暖かい家庭。
   ・・・頭の中が熱くなっていく。
   理由は簡単だ。
   嫉妬。
   嫉妬? そんなばかな。
   しかし・・・
   僕は認めた。
   ・・・僕は嫉妬していたんだろう、HMX−12のユーザー達に。

「どうしてそんなことまで僕に聞かせるんです」

   僕は視線を外して、低いトーンでたずねた。

「そこまでご執心の方が、こんな話を聞かされてどうするだろうか?・・・というのは個人的な好奇心」

   男は片方の眉を上げてニヤける。

「ハード的に劣るHM−12が、どこまでHMX−12に迫れるか、というのが技術屋の好奇心」

   コーヒーカップを持ち上げ、僕の方に向けて乾杯のモーション。

「はたまた、HM−12の売り上げ拡大を焦る、メーカーの一社員の心境。
 あなたはどれが本当だと思います?」

   ははは、と笑う。
   僕はそれほど怒る気にはならなかった。
   男の笑いが自嘲気味なのは明らかだったから。
   男はうつむいて、笑いを止めた。

「心なんて存在は錯覚かもしれませんよ、人間の場合でも。
 誰か一人の、それ一つだけではただの化学回路に過ぎない。無意味だ。
 他人が認知してくれて初めて存在が証明できる。
 二人以上が干渉し合って初めて存在できる。
 HM−12の無表情に対する、あなたのような方々の反応は、それを私たちに見せてくれた・・・」

   男は遠い表情になった。

「HMX−12や13は、あらゆる意味で現時点における最高傑作です。
 でも、同じソフトを持つHM−12や13のことを理解できない人間には、とても危険な存在なんですよ。
 だからこそ・・・」

   ピピピピピ・・・

   その時、男のPHSが鳴り響いた。

「・・・なに? オーバーヒート?・・・わかった」

   男は立ち上がると、白衣のポケットを探す。

「失礼、急用が入りましてね。出来の良すぎる娘たちを持つと苦労が絶えない。
 ・・・名刺をきらせているみたいだ・・・」

   軽く会釈をした。僕もあいさつを返す。先程までの男に対する嫌悪は、すでに消え去っていたから。
   それほどまでに最後の笑いは悲しげだったから。

「こんな長話につきあってもらって申し訳ありませんでした。
 あとはあなた次第。結局、ユーザーは人間なんですから、お好きな機種を選んで頂ければ結構。
 ただ、これだけは覚えておいてください」

   男は微笑んでから、続けた。

「現在発売されているメイドロボの全てが、なんらかの形でHMXシリーズが学んだものを受け継いでいる。
 彼女たちは皆、妹のようなものなんですよ、あなたの惚れ込んだHMX−12のね。
 だから、そのように接してあげてください」

   半信半疑の僕は、小さくうなずいた。
   男から見れば、それは小首を傾げたようにも見えたろう。
   それでは、と男は片手を上げて僕に答えると小走りでショールームの出口へ向かう。
   よほど急いでいるらしく、歩いていたHMに何度か接触しそうになり、その度に一言二言話し掛けている。
   謝っているのだろう、メイドロボに。
   なんとなく、僕はあの男が憎めなくなっていた。





  一人残された僕は、今の話を頭の中で繰り返していた。

「HM−12は妹・・・か」

   ショールームの中を見渡す。
   ここでは五人のHM−13が商談用、三人のHM−12が飲み物の給仕をしている。
   HM−12は茶色い標準仕様の衣服、その上にエプロンを着けている。三人とも同じ格好。
   そのうちの一人に注目した。
   ショールームの奥の方から、コーヒーカップを二つのせた盆を持って歩いて来る。
   そして一つ離れたテーブルまで来た。
   そのテーブルでは、セリオタイプの商談員と客らしい男女が席についている。

「いらっしゃいませ」

   そう言うと、HM−12は小さく会釈してから、カップをテーブルに置いた。

「この娘は?」

   男の方がHM−12を見ながら、商談員にたずねた。

「HM−12シリーズのスタンダードです」

   HM−13の商談員はHM−12の方を振り向き、あいさつを促した。

「はじめまして、HM−12マルチタイプと申します」

   HM−12は盆を両手で胸の前に持ち、ぺこり、と深くおじぎをした。

「可愛い娘ね、はじめまして、おチビちゃん」

   女の方が微笑んで言う。
   しかし、HM−12は表情を変えずに立っているだけ。
   少し間をおいてから、

「あの・・・おチビちゃんとは私のことなのでしょうか」

   と言った。
   それをフォローするかのように商談員は続ける。

「このタイプは学習型になっておりますので、基本動作以外は教育する必要があります。
 ご希望でしたら、ある程度教育の完了したアプリケーションインストール済みのタイプもご用意できます」

「でも、たしか表情がほとんど無いんだろ? ちょっとなあ・・・」

   男は女の方を見る。未来の妻のお伺いをたてているらしい。

「うーん、そうね、赤ちゃんをあやすのには役不足よねぇ」
「・・・な、なにぃ?!」

   ちょっとした幸せなトラブルが発生したらしい。
   HM−12と13は会話に取り残された。
   そのタイミングを逃さず、僕は声をかけた。

「ちょっと、ちょっと」

   僕の方を見たHM−12は、片手を胸に置いて小首を傾げた。
   僕が、うん、とうなずくと、HM−12はこちらに向かって歩いてきた。

「なにか御用でしょうか?」

   そのセリフを無視して、僕は観察を続ける。
   近くで実物を見るのは初めてだった。
   HMX−12とほとんど同じエクステリア。決定的な違いは瞳だった。
   輝きが無い。
   表面に保護膜を設けることで、冷却−洗浄剤を効率良く潤滑するため、というのはメーカーのタテマエだ。
   様々な業界から、彼女たちを人間そのものに造り上げることに関しての抗議が来ていた。
   きっと、輝かない瞳は、耳のパーツと同義なのだろう。

「あの・・・コーヒーをお申しつけでしょうか」

   返答の待ち時間がタイムオーバーしたのだろう。
   推論による質問の生成。
   それでも僕は観察をやめなかった。
   あの日のHMX−12と全く変わらない声の色。
   少し透けた緑色の髪は、店内の照明を受けて天使の輪を掲げていた。

「あの・・・」

   そろそろ限界だろう。
   僕は首を横に振ってから、言った。

「いや、君にいくつか質問があって」

「申し分けございません。私は御商談用に準備されてはおりませんので」

   視線を合わせたまま無表情で、HM−12は答えた。

「君自身のことを聞きたいんだ。HM−12のことを」

   僕は対面の席を勧めた。

「座ってよろしいのでしょうか」

   うん、と僕がうなずくと盆を持ったまま座ろうとする。
   テーブルと身体の間に盆が引っ掛かった。
   少し考えてから、テーブルの上に盆を置き、それから座った。
   ・・・どうやら本当に基本動作だけを刷り込んだモデルらしい。

「君はここに勤めてどのくらい?」

   彼女は僕を見た。
   メイドロボは対話する相手を必ず見る。人間の顔のパーツ位置や変形を見て、機嫌を判断するのだ。

「申し分けございません。初起動されてから、今日が初めてでございます。
 いたらない点がありましたら、お許し下さい。すぐに善処いたします」

   僕の顔は少しこわばっていたらしい。自分で意識して、表情を和らげた。

「初起動は済ませたんだ?」

「はい、来栖川電工中央研究所の方に、仮のユーザー登録をして頂きました」

   今度は、敬語が減った。
   ひとつ、気になっていた質問があった。
   試しに聞いてみたくなり、言葉にした。

「・・・君は人間かい?」

「いいえ、私は人間ではありません。私は来栖川電工メイドロボHM−12、
 通称マルチタイプ、と申します」

   即座に答えが返ってきた。用意された返答。予測できた反応。
   この類の質問には、このように答えるのがロボットの義務なのだ。
   そしてなにより、質問が「この類の質問」であることを判断するルーチンを書いたのは、
   来栖川電工ソフトウェアに勤める、僕だったから。
   それはとても小さなシーケンスだけれども、自分の仕事に出会えるのは嬉しい。
   
   少し考えてから、僕は言った。

「ここの責任者に伝えて欲しいんだが・・・」

   HM−12は小首を傾げるというジェスチャーで、僕のセリフの続きを待つ。


「君を購入したい。手続を頼む、と。」