*3 それは気の迷いだったのかもしれない。 初対面の男の、ちょっとした一言から、僕は人形を買う事を決心した。 「中身は同じ」という言葉が魔法になった。 搬入は夕方だった。 目の前に立つ緑の髪の小さなロボットは、そこに在るのが当然というように、立ち続けている。 茶色い標準仕様の服。 パールホワイトの耳パーツ。 ときどき、部屋の中を見回している。 これから働く職場についての情報を収集し始めているのだろう。 輪郭抽出のみに最適化されたCCD、そこに映るスペクトル情報は、人間の感じる「色」ではない。 タンスや机といった比較的普遍な位置情報と、コタツやゴミ箱といった移動可能な静物。 それらの初期位置を把握して、主人のいわば「趣味」を記憶していく。 話しかけないまま添付のマニュアルを読んでいると、 彼女は首の旋回だけではなく、歩行による情報収集を開始した。 部屋は静かだったが、予想していたモーターの駆動音はほとんど聞こえなかった。 ハム音なども聞こえない。 二十世紀末に確立されたXBCO組成のMPMG法による超電導体は、伝導という本来の目的にではなく、 マイスナー効果による完全浮上ベアリングに適用されたのだ・・・真っ先に。 三センチ立法のモーターは、浮上した減速機を通じて、筋肉と比べて遜色のないトルクを発生する。 その原理が解説された大きめのイラストの上には、この章のタイトルが小さく印刷されている。 『メイドロボットの仕組み』 はあ、とため息をついて、僕は手にした絵本のような書物から視線を上げる。 HM−12のマニュアルはとても豪華な絵本だった。 僕のようなハードウェアの知識に乏しい者にも、理解できるように易しく解説されている。 ルビの振られているところを見ると、このマニュアルは家庭の子供達を対象に作られているらしい。 つまり、来栖川はすでに次の世代の需要を開拓しているわけだ。 顔を下げ、再びページをめくり始める。 綺麗に印刷された透視図の頁にたどり着いた時。 詳しい図解には、もうひとつの意味があると僕は悟った。 彼女はロボットなのだ、という事実。 これをユーザーに思い知らせるために、このマニュアルは存在するのだ。 左半身は体内のメカニズムが描写され、右半身は人工皮膚の素肌が覆っていた。 そのイラストにはエロチシズムとか、そういった類の表現は無かった。 HM−12の裸身にはそれらを現わすようなディティールは全く無い。 乳首すら、無い。 当然だ。無意味だからだ。 無論、ニーズがあれば商売が成立するわけで、秋葉原や光沙といった街ではそういう改造を行う業者もある。 これはもちろん、非合法だ。別に法律で定められているわけではないが。 ただ、HM−13には合法的にそういったタイプも在ると聞く。 授乳を目的とした育児専門のタイプ等がそうだ。 しかし、HM−12にはそんなバージョンは皆無だった。 小柄なボディは、「廉価・非威圧・メンテナンス性」を優先した結果であり、改造の余地はほとんど無い。 オプション無しで完結しているという意味では、HM−12はHM−13よりも完成度が高いと思う。 「あの・・・」 あまり抑揚の無い、それでいて存在感のある声がした。 相手はもちろん、HM−12だ。 僕は顔を上げて彼女を見る。 イラストの右半身と変わらない姿。服は着ているが。 イラストのHM−12。 実体のHM−12。 見比べると、不思議な気分になる。 初めて携帯端末を手に入れた時のような・・・所有の満足感と展望。 それと合わせて、感慨。 十年前の人間は、こんな世界が十年後に開けるなんて、思ってもみなかったろう。 それほどまでに、近代のロボット工学の発展は速かった。 「あの・・・すみません」 僕は彼女を見上げた。 立っている彼女を見上げたまま、僕は「ん?」と返事を返す。 「私は仮起動を済ませていましたので、尋ねる機会が無かったのですが。 私は、御主人様を何とお呼びすればよろしいのでしょうか?」 少し困った。 HMX−12だったら、自分の名を呼ばせていたに違いない。 表情のない、それほど打ち解けてもいないHM−12には、どんな呼び名が良いだろうか? デフォルトの「御主人様」は丁寧すぎて気に入らない。となると。 「マスター・・・かな」 同じ意味でも、日本人英語は口に出し易い。 「わかりました、マスター。 それと、私に名前を付けて頂けないでしょうか?」 これは悩まなかった。 すでに決めていたから。 「マルチ。 デフォルトのまま、マルチと呼ぼう」 「かしこまりました、マスター。 何か御用がありましたら、何なりとお申しつけ下さい」 軽く頭を下げてから、正座の姿勢になる。 この部屋の状態は調査できたから、命令待ちというわけだ。 このまま十分程度何も言わなければサスペンド状態になる。 この日は四連休の初日だった。 購入していきなり留守を任せるのも不安だったので、搬入日を調整してもらったのだ。 だから、時間はたっぷりとあった。 「それじゃあ、まずは・・・」 そして、僕とHM−12の暮らしが始まった。 夕食の支度をして見せた。 いきなり一人では無理だと思ったからだ。 手伝わせると、包丁の使い方はうまかった。 彼女はみそ汁の作り方と、僕の好みを覚えた。 食事。 台所に控えようとした彼女を、テーブルに招く。 ただ黙って見つめられるのもイヤなので、水の補給をして貰う事にする。 夕食を取りながら、一緒にTVを見た。 二,三質問をすると、あたりさわりの無い答えが返ってきた。 自分の意見というものは無いらしい。当たり前だが。 夕食の後片付けをさせてみた。 手際は良かった。 食器洗い器を使わなかったので理由を尋ねたところ、 量が少ないので手洗いの方が効率的とのことだった。 そういう判断はできるらしい。 風呂場で背中を流してもらおうと思ったが、やめた。 肩を揉ませてみた。 場所を教え、強さを注意すると黙々と揉んでいた。 気持ち良かった。 どんな作業も、HM−12はそつなくこなしていった。 ただし・・・ それはまさしく”作業”だった。 余計な言葉はなく、愛想笑いさえしない。 それが本来のメイドロボットなのだ、ということは納得していたはずだった。 それでも僕はHMX−12との違いを探そうとしている。 違いばかりに注目している。 「あの」 肩揉みの際中に、HM−12が珍しく自分から発言した。 「ん?」と聞くと、 「充電をさせて頂いてもよろしいでしょうか?」 なるほど、自己保存のためには自分から発言する事もあるわけだ。 うなずいて、壁にあるコンセントを指差すと、 「充電中は記憶の整理を致しますので、サスペンド状態になります。 何か御用がありましたら、私の名前を御呼び下さい。その場合は・・・」 僕は話している彼女にストップのジェスチャー。 これはどうやら初心者に対するお決りのセリフらしい。 「マニュアルは読んだよ。 充電中は横になってくれて構わない。 布団は準備してないから、座布団でも敷いてくれ」 「かしこまりました」 「僕もそろそろ寝るよ」 「それではお布団の準備を致します」 先程のリサーチで押し入れの中身はわかっていたらしい。 てきぱきと要領良く、布団が敷かれていく。 シーツを敷く時にシーツの洗濯を毎日行うのか尋ねられた。 一週間おきで良いと伝え、今日から四連休だから休み明けに洗ってくれ、と付け加えた。 最後に僕の布団の脇に座布団を二枚並べて、HM−12は自分の床を作った。 脇、というのには他意はない。そこが一番コンセントに近かったからだろう。 開かれたばかりの梱包材の中からノートPCを取り出し、彼女は自分の左手首にある充電端子を開いた。 PCの内蔵プラグをコンセントへ、PCからのトラ縞コードを腕時計のようなモールドに密着させる。 それから座布団の上に正座して、 「それではマスター、おやすみなさいませ」 そう言ったきり、HM−12は僕を見つめたまま動かない。 そこで僕は大切な事を思い出す。 「おやすみ、マルチ」 それを聞いて、HM−12は仰向けに横になる。 オーナーが一日の作業終了を宣言しないと、メイドロボットはサスペンド状態に入らないのである。 彼女のまぶたが閉じられたのを確認してから消灯、その後で寝間着に着替え、床に入った。 一日目はそんな感じで過ぎて行った。 暗がりの中、部屋の隅に横たわるHM−12を、見る。 平たい胸が小さく上下しているのが、標準服の上からでもわかった。 燃料電池への通気を兼ねた、呼吸モドキ。 まるで人間のようだ。 ・・・僕は考える。 HM−12や13は、なぜ中途半端に人間らしいのだろうか? HMX−12のように完全な人間らしさがあるのなら、もっと意志伝達しやすくなると思うのだが。 「人間を甘やかさないため」、とあの男は言っていた。 しかし、僕はHMX−12に甘える気は全くない。 逆に甘えてもらいたい・・・というか、保護する立場にあるわけだ、所有者は。 それを訴えるためにも、ココロを表現する機能はあった方が良いと思うのだが。 もっとも、その表現する対象であるココロがなければどうしようもない。 あの男の意見、HM−12のそれを確認するためにはどうすれば良いか・・・? 僕は横になったまま、強くうなずいた。 一つだけ確かめたい事があったのだ。 それをはっきりしておかなければ、HM−12にもあの男に対しても「しこり」が残るような気がした。 それは困難ではあったが、不可能ではない作業だった。 ############ <充電中 − 記憶整理・最適化中> 稼動日数 : 一日 ユーザー登録 : 完了 ユーザー定義 : オーナー呼称 = ”マスター” 機体呼称 = ”マルチ” 家族構成 : 一名 家屋構成 : 4LDKアパート Eファイル更新: 認識対象は一名、マスターのみ。 マスターのEファイル(個人情報行列)は新規作成せず、 二週間前の初対面時に作成したものを流用する。 本日の会話内容にはEファイル更新すべきコメントは、無し。 特記事項 : 私は来栖川電工のショールームに勤務していたHM−12です。 そこに勤務するHMシリーズは中央研究所の研究員によって、 仮のユーザー登録を受けます。 ユーザーを定義されないロボットは、活動してはいけないからです。 私はそこで一人のお客様にお茶をお出ししました。 その方は私と話がしたいと言い、HM−12の事を尋ねられました。 私はHM−12ですが、製品としての情報は記憶にありませんでした。 お客様はとても機嫌を悪くしたようですが、私との会話を終えた後、 私の購入手続を行いました。 前例が無いわけではありませんでしたが、手続は時間がかかったようです。 そして、私は起動したままで仮のユーザーの車で輸送されました。 その方もHM−12を所有しているのだ、と話してくれました。 そして私に対して、「がんばれよ」と励まして下さいました。 今日はマスターに仕える一日目でした。 これからよろしくお願いします、マスター。