なでなで (4)  投稿者:AE


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   朝、八時に起きる。
   休日にしては早起きの方だ。
   前日伝えておいた通り、テーブルの上には焼き鮭と味噌汁の残り、少なめによそわれたご飯があった。
   そしてテーブルの反対側、台所に近い方の側にメイドロボットが正座している。

「おはようございます、マスター」

   頭を掻きながら、おはよう、とあいさつを返す。
   HM−12は安物のほうじ茶を急須に入れ、お湯を注いでいた。
   お湯の注がれる水面を、無表情に凝視している。
   なんとなく、熱心さを感じた。が、実際はこぼれないように液面を観察しているだけだ。

   朝食を取りながら、携帯端末の中身を覗く。
   \JOB というフォルダの中の、\保守というフォルダを開いた。
   数GBの空間には、会社で使用しているのと全く同じ環境が整えられている。
   
「このあと、サスペンドに入ってくれないか?」

   突然の要求に、HM−12は二,三度まぶたを瞬かせた。
   演算中。少しして、質問が返ってくる。

「現在の充電率は九十%です。
 記憶の最適化も、現在は必要はありませんが」

   当然の答えだろう。
   夜の間の充電で、自己保守のための作業は全て完了しているはずだから。
   働くための自分が、無意味に休ませられる事に疑問を感じている・・・のだろうか。

「少し調べたい事があるんだ。洗い物が終ったら、たのむ」
「わかりました」

   命令は聞くわけである。
   HM−12は手際良く一人分の食器を洗い終え、昨日眠った位置に横たわって目を閉じた。
   充電は必要無いので、専用PCは繋がれていない。
   僕は自分の携帯端末をテーブルに置き直し、メイドロボット専用PCをその隣に置いた。
   専用PCの、内蔵されているトラ縞コードを取り出して、彼女に近づく。
   その人間そっくりな左手の、腕時計状のモールドをスライドさせて金属質の端子を露出させた。
   HM−12は反応しなかった。
   「調べたい」というユーザーの要求を優先しているのだろう。
   一通り結線を澄ませた後、専用PCと自分の携帯端末を有線で繋いだ。
   そこで大きく深呼吸をする。
   ここからが正念場だ。


   あの男、来栖川電工のショールームで会った技術者は、
   「HM−12にも心のエミュレート機能が備わっている」と言っていた。
   心のエミュレート機能。
   どんな性質のルーチンなのかは全くわからない。
   ただ、それがHMX−12の人間らしさの源というのは間違いあるまい。
   いったいどんなものなのだろう?
   それがどのようにしてロボットに心を与えたのか・・・
   それを解析することで、僕のHMX−12に対する想いを解き明かせるかもしれない。
   そして、男が言ったHM−12にその機能が搭載されている・・・その事実が自分の目で確認できれば。
   僕は自分を納得させられるかもしれない。

   来栖川電工に限らず、各社のメイドロボットにはブラックボックスが内蔵されている。
   その内部に収められているのは、行動原理を決定するための意志決定プログラム・・・
   いわば、これのデキ次第でそのロボット型式の「個性」が決まるわけであり、各社それぞれノウハウがある。
   これを解析するのは、一般ユーザーには困難な作業だ。
   購入したユーザーなら自由に覗けるのでは?と思うマニアは大勢いるが、たいてい挫折する。
   プロテクトに出会って自壊させてしまい、泣く泣くメーカーに修理を依頼する者も多いらしい。
   しかし、プロフェッショナルというのはどこにでもいるものだ。
   特に、企業間では互いの製品の研究に余念がなく、他社の新製品は発表後一ヶ月くらいで解析されてしまう。
   もっともロボット業界のような最先端分野はプライドの塊だったので、
   解析結果をコピーして新しい製品を発表する、といった姑息なマネは行われなかったが。
   ところが、来栖川電工の製品に関しては、この手の解析を全く受け付けなかった。
   挑戦者は数知れず。
   いまだに解析に成功したという報告は、「表」「裏」両方を通じて見た事が無い。
   しかし、僕には切札があったのだ。

   あの男が言っていた「心のエミュレート機能」はそのブラックボックスの心臓部なのだろう。
   その開発が来栖川電工内で行われたことは間違い無い。
   しかし、全てではなかった。
   既存の技術で済むような簡単な判断ルーチンは、僕の勤める来栖川ソフトウェアのような系列会社に任される。
   「人間であるか否か」という質問を判別し、それに対して「私はロボットです」と答えるルーチンなど。
   そして僕は、自分が手掛けたルーチンのデバッグ用コードを知っている。
   ブラックボックス内に収められた今でも、それを呼び出してデバッグモードに変えることは可能ではないか?
   それをソフト的なインターフェースにすることができれば・・・
   飛び先を覗くことで、ブラックボックスの内容を把握できるかもしれない。
   別にプログラムそのものを改変するわけではないのだから、プロテクトもさほど邪魔はしてこないだろう。

「・・・よし」

   僕は作業を開始した。

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   サブルーチンへのアクセスは比較的簡単だった。
   HM−12のブラックボックス内には、確かに僕の作ったサブルーチンがあった。
   僕は自分の仕事が製品になっている事実を、はっきりと確認した。
   たしか三年前の仕事だった。
   「おまえは人間か?」という質問の有無を、会話や場面から抽出するのは意外と難しい。
   バスで席を譲られたり、喫茶店で注文を聞かれたり、そういう勘違いを丁寧に否定する。
   応対の仕草そのものは来栖川電工が担当していたから、僕の仕事はフラグを立てるだけだったのだが。

   そこから上位の行動原理を司るメインルーチンへ至るパスが難関だった。
   しかし、行く手を阻むそれらプロテクトには、意図的なイタズラを感じた。
   一つ目が二つ目のヒントになっているような、まるで技量を試されるかのような、難問の数々。
   そんないくつものプロテクトを潜り抜け、僕は主演算部分に辿り着いた。

   主演算部はなんと ROM に焼かれていた。
   しかもそれが不揮発のデバイスとしてドライブNo.が与えられていて・・・
   それに気づくまでは、自分が何を見ているか全くわからなくなっていた。
   遠い昔の携帯端末に、これに良く似た機構を持つ物がある。
   メリットは、ある。
   command.comに寄生するタイプのウィルスが、それを書き換えようとした時。
   write protect エラーがそれを伝えるのだ。
   こんなに完璧な防護と、警告方法は他にはないだろう。
   BIOS そのものがワクチン機能を持っているようなものなのだから。
   しかし、このままでは学習できるわけがない。
   ROM 内の主演算部とは、まさに command.com のみなのだろう。
   それが読み書きするデータがあるはずであり・・・
   そこにこそ、僕などには思いもつかないような秘密が隠されているに違いない。
   僕は震える手でキーを叩き、自らの作品をキーとして膨大なデータ空間へ入り込んだ。
   そこにはHMX−12と同等と言われる、ロボットの「ココロ」の源があるはずなのだ・・・・・

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   二百五十六の敷居に区切られた箱。
   その一仕切りの中それぞれに変数がある。
   変数の塊である箱は、綺麗に整頓され、積み上げられていた。
   XYZの三方向ではなく、十七の方向を持つ位相空間の中に。

   これはいわゆる行列だ。

   人間など、対象となる存在を巨大な多次元行列で表現している。
   驚いたのは、対象が人間に留まらない所だ。
   来栖川のHM達は人間、さらには機械などの非生物に至るまで、同次元の存在として捉えているらしい。
   いや、存在としてではない。
   これらの行列は、HM自身との関係というHM主観のみならず、行列同士の働きかけでも変化するらしい。
   つまり単体の「存在」ではなく、「関係」を記述しているのだ。
   Aという人間を記述するための行列には、そのAと関係する他者との「関係」が記述されていく。
   Cに対しては保護、Bに対しては非保護、というように。
   そして、HMの行動はその行列間のパラメータをある一定の数値関係(黄金律か?)に保つように決定される。

   HM自身の行列は存在しなかった。

   この、HMが捉えた外界についての「捉え方」と「働きかけ」そのものがHMを記述するのだ。
   「奉仕」というHMの目的だけが、HMの存在を意味する。
   これはとても良く完成されたシーケンスだと思う。
   しかし・・・・・・


「・・・これはただの数学だ」


   僕は、うめくように言った。
   人間関係を数値化して、そこにどのような刺激を与えるかを設定しているに過ぎない。
   そのエミュレート空間に、HM自身を現わす「仮身」が存在しない・・・というのには疑問を感じるが。
   それ以外は社会学や集団心理を解析する際に用いられる手法に他ならないのではないか?

   僕は思った。そしてつぶやいた。



「こんなものが、心のエミュレートのはずがない」



   あの男にだまされた、とも思った。


”・・・中身はHMX−12と同じ・・・”


   男の言葉が、蘇る。
   唯一の希望と化していた、言葉。


”・・・育てれば、HMX−12と同じ「ココロ」を持てるかもしれない・・・”


   そう、男は言っていた。
   大嘘だ!
   こんな数字遊びが「心」に昇華できるものか!

   きっとHMX−12にはもっと特殊な、有機増殖型のニューロCPUか何かが積まれているに違いない。
   人間の脳とほとんど変わらないソレを造り出すことは、生化学の分野では異端だと聞く。
   しかし、来栖川電工はそれをやってしまったのだろう。
   異端だからこそ、HMX−12の存在が隠されていたに違いない。

   僕は横たわるHM−12を見た。

   外見だけはHMX−12そのものの、人形。
   裏切られたという想い。
   そして、HMX−12を冒涜されたようなそんな・・・・・







   僕は端末の電源を切った。
   もう零時をまわっていた。
   しばらくして、サスペンドから復帰したHM−12が目を覚ます。

「調べものはお済みになりましたか?」

   僕は無言のまま、輝かない瞳を見つめた。

「・・・お疲れのようです。
 お休みになられてはいかがでしょうか?」

   昨日までなら気にならない一言だった。
   しかし、今は違う。
   その言葉の背後に潜む数式的なシーケンスを、僕は読み取ることができた。

   とたん、騙されているような気分になった。

   そんな僕の想いを、機嫌を表情から読み取ったのだろう。
   かしこまった態度で、HM−12がもう一度言葉を発した。

「あの・・・」

「HMX−12って、わかるか?」

   それは以前から聞きたかった質問だった。
   望んだ答えが得られないとわかっていたから、尋ねなかったのだ。
   それでも尋ねたくなるほど・・・僕は失望していたのだろう。

「私たちHM−12の試作型、と記憶しております」

「僕はあの娘に会ったことがある」

   奥底に留めていた言葉が解き放たれていく。

「とても優しいロボットだった。あの娘の妹、っていうふれこみで、君を買った」

「その表現は正しいと思われます」

「でも、僕が欲しかったのは君のような、ただの機械じゃあないんだ。
 HMX−12のような人間らしいロボットなんだ」

「人間らしい、という言葉の意味がよくわかりません」

「感情の表現だよ。
 そのためには人間の感情を理解するための膨大なデータベースや、
 表情を変えるためのマイクロアクチュエータが必要なはずだ」

「申しわけありません、私は私自自身に関する資料を入力されていません」

「君にはそんな機能はない。量産型だからな」

「私は・・・」

「君は機械だ」

「はい、私は人間ではありません。私は来栖川電工メイドロボHM−12型」

「・・・もう寝かせてくれ」

「かしこまりました」




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<充電中 − 記憶整理・最適化中>

  稼動日数   : 二日
  Eファイル更新: (内部サブルーチンに、メンテナンス用アクセスを確認)
           (Eファイル内容が閲覧された可能性あり)
           (オーナープライバシー情報ならびに
            機体内部プライバシー情報へのアクセスは認められない)

           マスターのEファイルに相関関係の更新、あり。
            HMX−12   マスターの好意ランク 0→A
            HM−12    マスターの好意ランク B→C
            HM−12    マスターの興味ランク B→A

  特記事項   : わからない。
           マスターは私に何を望んでいるのか。
           人間らしさ、とは?
           その言葉の意味は曖昧だ。
           私の義務は「奉仕」。
           起動された瞬間から、主記憶の中に書き込まれていたのは「奉仕」すること。
           そうすることで私は幸せになれる。
           私は幸せだ。
           マスターを起こす。
           マスターの朝食を作る。
           マスターの衣服を洗濯する。
           マスターの部屋を掃除する。これが一番嬉しい。
           充電する間にマスターとの会話を整理する。
           全てが、私の動作全てが私の「幸せに定義」される。
           でも・・・。
           マスターは、私とは違う意識を抱いている。
           私が不満らしい。
           表情ってなんだろう。
           顔の形状を変化させ、言葉と共に相手に感情を伝える・・・機能らしい。
           自分が持たない機能を想像する事はとても難しい。
           HMX−12のことはデータに記録されている。
           HM−12の試作型。
           私の行動原理はHMX−12のテストデータを基に造られた、とある。
           マスターはその試作型に好意を持っている。
           私は私のできる範囲で、その試作型の代わりにならなければならない。
           それがマスターの望みだ。
           ”がんばろう”
           記憶の奥から言葉が検索されて来る。
           注力しよう、努力しよう、という意味。
           小音量で発声。

「がんばろう」

           聴覚に入力確認。
           空気を通して自分自身へ再入力すると、努力しよう、というベクトルが生じる。
           一時記憶からの重要部分を抽出して長期記憶へ書き込む。
           それをメンテナンス用のDVDへ保存して、私の一日は終わる。
           おやすみなさい、マスター。
           明日はもっとがんばります。