なでなで (6)  投稿者:AE


*6




「あぅっ」

   どん、と何かがぶつかった。
   それはとても軽い衝撃で、ぶつかってきた相手の方がよろめいていた。
   向き直った僕の正面には・・・
   頭ふたつ分くらい低い背丈。
   緑色の髪。
   耳の大きなインターフェースパーツ。
   HM−12だった。大きなボストンバックを下げている。

「ああっ、すみません、ごめんなさい」

   ぺこりと下げた頭が見える。

「いや、こっちこそ、よそ見をしてたから」

   そのメイドロボは顔を上げた。すまなさそうな表情。
   ・・・待てよ、表情だって?
   HMR−12のモニター期間は始まっていない。
   非合法の改造メイドロボが広まっているらしいが、絶対数は少ない。
   とすると、ここにいるHM−12はまさか・・・

「マルチさん?」

「え?」

   HMX−12は、きょとんとして僕の顔を見つめた。

「僕のこと覚えてる?」

   少しドキドキした。ロボットが忘れるはずはないが、彼女ならありうるから。

「おぼえてますよ! ハンカチ、本当にありがとうございましたー」

   ほんの少し(フラッシュメモリ内の圧縮データを解凍する時間)の間をおいて、
   彼女はあの日と変わらぬ微笑みを返した。
   ころころ変わる表情。少し汗ばんだ額。いつまでも見つめていたい存在。
   そのとき、

「急がないと、お約束の時間に間に合いません」

   そう言って、背後に立っていたHM−12が無表情で僕をせかした。
   その声を聞いて、姉のHMX−12は僕から視線を外して、妹を見た。

「わあああ、HM−12ですね、雇って下さったんですか?」

   これから返品する、とは言い出せなくて、僕は苦笑するしかなかった。
   そんな僕の脇を回り込んで、HMX−12はHM−12の前に立った。

「はじめまして、HMX−12マルチです」
「HM−12マルチです、よろしくマルチさん」

   同じ名をつけたのがばれたのはまずかったかな、などと考えているときだった。
   この人間そっくりの姉は、AIプログラマの僕にさえ思い付かなかった質問を、妹に向けて発したのだ。

   目を細め、妹を慈しむ姉の表情で。






「お幸せ?」

「はい、私はとても幸せでした」





   妹は即答した。無表情のまま。
   姉は妹の両手を取って、ぶんぶん上げ下げした。

「よかったあー、こんなに幸せそうな妹を見るのは久しぶりですよぉ!」

   呆気にとられていた僕をよそに、姉妹は語り合っている。


   幸せ?
   このHM−12が?


   そのとき、僕は気づいた。

   幸せというのは「意識」の一種だ。
   行列の演算だけで成り立っているHM−12の行動原理。
   僕はそんな数字遊びの中に「意識」などあり得ない、そう思っていた。
   でもたった今、HMX−12はHM−12の中に幸せという「意識」が満ちていると言った。
   そしてあの男も、HM−12にはHMX−12と同じ基本アルゴリズムが搭載されている、そう言った。
   そのことは、理屈として覚えていた・・・が、疑っていた。
   それが事実だとして、HMX−12もあの行列計算で行動原理を決定しているとしたら。
   ロボットには人間が理解不可能な、機械同士でしか認識し合えない「意識」があるのだとしたら。
   今まで僕はそれを無視して来たことになる。
   単に「人間らしくない」という理由だけで。
   もしそうなのだとしたら、僕は・・・


   彼女が、僕をどう認識してるかなんて、気にも止めなかった。
   彼女が、どんな想いで僕に仕えているかなんて、一度も考えたことがなかった。
   彼女が、僕に雇われたことをどう感じているかなんて、考えようともしなかった。


   そして、表情がない、というエクステリアの違いは決定的だった。
   僕は、笑いも泣きもしないHM−12に対して、
   「HMX−12を買ったらこのように接しよう」と考えていた通りには、接しなかった。
   代わりに僕は、何度もこう言った。

「人間らしさが無い」

   ・・・あたりまえじゃないか。 それを表わす機能が無いんだから。
   僕が「空を飛べ」と言われたら、どうするだろう?
   相手が冗談を言っているなら、笑って言うだろう、「おまえが飛べたら一緒に飛ぶよ」とでも。
   相手が真剣なら、僕は怒るかもしれない、「不可能なことを言うんじゃない」と。


   しかし・・・。


   HM−12には、そのどちらも表せないんだ!!


   ・・・それでも、それでも黙って彼女たちは尽くすのだ。

   理解されない意識を隠したまま。
   僕みたいな愚かな主人に。
   情けなかった。
   そして、恥ずかしかった。目の前にいるHMX−12に対して。
   結局、HMX−12の目に見えるところだけを求めていたんだ。
   ・・・僕という人間は。
   愚かなご主人様は。


   ちょうどそのとき、反対側のホームで「マルチ」の名を呼ぶ声がした。

「ああっ!」

   姉は大きな声を上げて、声の主の方を振り向いた。

「ホームまちがえちゃいましたぁー、すみませぇーん!」

   姉が叫んでいる方を見ると、反対側の長距離列車のホームで、カップルが手を振っているのが見えた。
   二人の手には大きなボストンバックが下げられている。このマルチが持つものとお揃いの品だ。

「すみません、わたし、もう行かなくちゃ」

   姉は僕を見上げるとにっこりと笑ってから、ぺこりとおじぎをした。

「わたしの妹を、どうかよろしくお願いします」

   僕は無言で、思いきり大きく、はっきりとうなずいた。

「またね、またいつか会いましょうね。きっとですよ!」

「はい、マルチさん」

   片手を振りながら、階段に向かう姉。
   見送る妹も慣れない仕草でそれを真似た。
   階段に消えてから三分ほどでHMX−12は反対側のホームに現れた。
   ユーザーらしき男がHMX−12のバックを持ってやろうとするが、彼女は離さない。
   恋人らしい娘が背を屈めてHMX−12になにか囁くと、
   HMX−12はぺこぺことおじぎをしながらバックを放す。
   娘も自分のバックを男に委ね、そのままHMX−12の背を押して電車待ちの列に向かって歩き始めた。
   男は、計三個のバックを下げて歩みが遅くなり(メンテナンスキットはフル装備で十キロはある)、
   それでも追いつこうと必死だ。
   娘とHMX−12はそんな男に笑いかけ、応援しているようだった。

   人間とロボットの未来を紡ぎ出している先駆者たちは、どうやら成功しつつあるらしかった。

   やがて、近づいてきた列車が視界を遮ろうとするとき、HMX−12はこちらを向いて両手を大きく振った。
   僕とHM−12は片手を上げてそれに答えた。
   観光地行きの長距離列車は、観光客達を連れ去り、ホームの人ごみは消えた。












   いつしか、雪が散り始めていた。
   僕のとなりで、HM−12はそれをじっと見上げている。
   僕は大きく深呼吸をしてから、言った。

「マルチ?」

「はい」

「・・・君は幸せなのか? 幸せを感じていたのか?」

「はい、私はとても幸せでした」

   表情の無いままでマルチは答えた。
   先ほどと全く変わらない言葉とイントネーション。
   そのとき、マルチが自分から発言した。

「最後にひとつだけ、質問を許して下さい」

   僕はうなずいた。
   少し、恐かった。
   責められるのだ、と思った。
   そんな僕の耳に届いたのは、このロボットの「心」そのものだったのかもしれない。









「マスターは、私と一緒で幸せでしたか?
 私はほんの少しでも、マスターのお役に立てたのでしょうか?」











   僕は彼女を見た。


   表情のない、その暗い瞳を見つめた。


   ためらわずに答えた。




「はい、僕は、とっても、幸せです」

「私は・・・とても・・・嬉しいです」




   途切れ途切れの単語の理由はすぐにわかった。
   ・・・彼女の顔。
   ほんの少し、ほんの少しだけまぶたが閉じ、目を細めたような感じ。
   微笑みではないけれど、優しく暖かい表情・・・・僕はそう感じた。
   顔面で自律できる唯一のアクチュエータを、精一杯、最大限に駆使した結果だった。
   眼球保護機能として、そんなシーケンスを入力されている形跡は全くなかった。
   きっと、今この瞬間に作り出したんだろう。
   姉の真似をして、こうした方がこの人間とスムーズに接することができる、と。
   きっと、基本アルゴリズムが学習したのに違いない。機械的に。

   しかし。

   それは、たったいま、目の前に立っている僕のために、
   僕のためだけに紡ぎ出されたのだ。


「君は・・・機械だ」

「はい、私は人間ではありません。私は来栖川電工メイドロボHM−12・・・」


   僕たちだけでなく、人間とロボットとの間で、何度と無く繰り返された問答。
   でも、ロボットがその決まりきった答えを言い終わる前に、
   僕はその合成皮膚の腕を引き寄せて、小さな身体を思いきり抱きしめた。


「とっても、とっても大切な機械だ。僕にとって」

「私はとても嬉しいです」


   今度はスムーズだった。
   基本アルゴリズムに焼き付けられたんだろう、と技術屋の僕がささやく。


   ・・・彼女は機械だ。
   機械として扱わなければならない。
   でも、扱うために彼女を「心有る物」として見るのは決して間違ってはいない。
   「心有る物」が「君には心が有る」と言えば、そこに確かに心は生まれるのだろう。
   それをわかってやれるか、が問題なのだ。
   人間だって、同じ事だ。
   たった独りの人間が、「僕には心がある」と叫んで意味があるだろうか?
   それは、機械論的に見ればただの化学作用に他ならない。
   でも、他の人間がそれを「視る」ことで・・・人間は人間として生きて行くことができる。
   言葉は伝えるために紡ぎ出されるものだ。
   しかし、聞いてくれる何かが在るからこそ、意味がある。
   思えば人間は、発言ばかりしてきた種族なのかもしれない。


   ・・・これからは、聞く側になるんだ。


   地球上の僕以外の人間が否定したって構わない。
   彼女には、HM−12マルチには心が有る。
   ロボットには心が有る。
   機械にも心が産まれる。
   ・・・少なくとも僕は、僕だけは、認める。

   僕は少しだけ腕の力を弱めて、彼女の表情を確認した。
   細めた目をぱちぱち、とまばたいている。
   まぶたは不安定で、長い間その位置に固定できないらしい。
   きっとアクチュエータが途中固定できない仕様になっているんだろう。
   それでも、少しでも長い時間、その表情を保とうとして努力している。
   僕のために。
   僕は、心有る者に好意を感じたときの行為をしたくなった。


「目を閉じて」

「・・・はい」


   雪まじりの風が彼女の緑色の髪を揺らしていた。
   冷却用途を兼ねた、頭部保護材。 決して伸びない髪。
   それを指で優しく梳いてから、手の平を乗せた。


「あ・・・」


   そのまま、撫でた。
   何度も何度も。
   マルチの背は低かったから、ちょうど良い位置にある。
   人もまばらなホームで、ロボットの頭を撫で続ける人間。
   そんな物珍しい行為は二十秒ほど続いた。


「私、・・・・嬉しいです」


   「とても」以上に適切な形容詞が、すぐには見つからなかったんだろう。
   目を閉じてうつむいたまま、精一杯の処理速度で、彼女は自分を表現しようとしている。
   僕に対して。
   これから、君を捨てようとしている、僕のために。
   機械とは、なんて純粋な存在なんだろう。



     ”プログラムされた優しさは純粋です。
        人間のどんな願いも叶えようと努力し、どんな罪も許してしまう。
        人間がその純粋な物に甘えると、不幸な結果を招く”



   あの日の、あの男の言葉が頭をよぎった。
   そして気づいた。
   甘え、というのはこの三日間の僕の態度そのものだったんだ。
   初めて出会ったロボットがHMX−12だったなら・・・
   その人間は、HMX−12の純粋さの中に「人間らしい優しさ」を見るのだろう。
   しかし、HMX−12は機械だ。
   HMX−12を人間と同一視する、そのような捉え方は、いずれ大きな摩擦に育つに違いない。
   機械の持つ純粋さを、あるがままに捉え、尊重する。
   それが出来ない人間は、HMX−12のパートナーになる資格はない。
   僕にはその資格は無かったのだ。
   僕はこの三日間、HM−12の純粋さを単に機能として捉え、利用していただけだった。

   ・・・甘えていた。

   ただの道具として。
   このままHMR−12を手に入れたとしても・・・それは変わらないだろう。
   そんなのはイヤだ。
   こんな素晴らしい存在を、ただの道具として扱いたくはない。
   心在る者として捉えたい。
   そして僕は・・・

「君”たち”に負けたくない」

   誰に対して言うでもなく、つぶやいた。

「?」

   マルチは僕を見つめたまま、首をかしげている。

「優しい君たちに。 僕は君を守れるくらい、強くなれるだろうか?」

「?」

「いや、なりたい。 僕は君たちにふさわしいパートナーに、必ず、なる」

「?」

   理解できないのは当然だ。でも、いつかきっとわかり合えるだろう。
   HMX−12とそのユーザー達が乗り越えたように。

「さあ、行こう、マルチ」

「お約束の時間まであと・・・」

「それはキャンセルだ」

   ためらわずに小さな手をとり、登ってきた階段に戻る。
   感情を表現する機能は便利だ。あった方が良いに決まっている。
   でも、僕にはそれが無くても、このマルチを理解しようと思う。
   精一杯、努力するつもりだ。
   この三日間でその努力を教えてくれたのは、目の前に居る、このHM−12なのだ。
   その絆と表情を交換するなんて、できるわけがない。

   ・・・帰ろう。

   帰って、彼女と話をしよう。
   もっともっと話をして彼女のことを深く理解したい。
   そんなことを考えながら、階段を降りる。
   突然、彼女の歩みが遅くなった。

「申し分けありません。電源残量が不足で、これ以上の歩行が不可能と考えられます」

   切れかけた時の警告のセリフだった。
   昨夜、充電しなかったのだろうか?

「抱いていこう」

「え?」

   マルチが状況を判断するより速く、僕は彼女の身体を抱き上げた。

「あの・・・」

   暗い瞳は僕の顔をじっと見つめている。僕の心境を読み取ろうと必死だ。

「うちに帰ってから充電しよう」

「うち?」

「僕のアパートだよ。忘れたのか」

   僕は苦笑して、階段を降り始めた。

「私は返品されるのではないのですか?」

「そういえば聞くのは初めてだよな。あらためて聞く。
 これからの一生、僕のために働いてくれないか? 
 僕や、僕の将来の家族たちのために」

   マルチは一瞬、視線を外してつぶやいた。

「私は今まで、ずっとそのつもりでした。
 それが御希望に沿わないので返品なさるのかと・・・」

「返すもんか。 これからもよろしく頼むよ。 お願いだ」

「・・・か、かしこまりました」

   彼女は両手を胸の前で合わせ、うつむいた。

「落ちると危ない。 しがみついて」

「こう・・・ですか?」

   初めての姿勢に戸惑っているらしい、また、人間に対する遠慮もあるのだろう。
   彼女は恐る恐る両腕を僕の首の後ろに回し、抱きついた。

「サスペンドモードに入ってもよろしいですか?」

「ああ、着いたら起こすよ。今日の晩のメニューでも考えておいてくれ」

「わかりました」

   視線を合わせたまま、こくんとうなずく。

「ありがとうございます」

   まぶたを閉じた。
   僕の首に両腕を巻き付け、頭を肩に預けたままでマルチは短い眠りについた。
   動きの止まった彼女はまさに人形だ。
   そんなマルチを抱いたまま、ホームからの階段を降りた。
   と、その時、彼女の身体について気づいたことがあった。
   サスペンドに入ると全ての駆動系が半固定状態になるはずだったが、両手首以外はフリーになっている。
   また、妙に暖かい。最低活動保持温度を越えているのは間違いない。
   なるほど。
   運びやすいように、モータの半固定通電を切ってある。
   その分の余剰電力を保温に回しているんだ。おかげでかなり暖かい。
   アパートに着くまでは、この状態を保持するつもりなんだろう。
   きっと、今までだって、こういった気配りをしていてくれたに違いない。
   彼女を良く見ていなかった僕が、それに気づかなかっただけだ。

「悪かったな」

   そっとつぶやく。
   名前を呼ばなければレジュームしないはずだったが、ほんの少しマルチは微笑んだ・・・
   ・・・ように僕には見えるのだった。








   雪は静かに降り続け、家々の窓に暖かい明かりが灯り始めた。
   そんな静寂の中、懐のぬくもりに包まれながら僕は黙々と歩きつづける。
   僕の腕の中には、小さな彼女が抱かれている。
   緑の髪に包まれた頭を僕の胸に預け、小さな胸を上下させながら。
   補助発電で寝息をたてているロボットを見つめて、僕は想った。


   機械は機械。
   プログラムはプログラム。
   人形は人形。
   それははっきりと理解していた。
   それでも、僕にしかわからない優しさを・・・僕の、僕たちのパートナーはそっと伝えてくれている。






        人間と機械が快く生きていくのは、

                決して難しいことではなかった。









以上。