「楓(仮称)猫」 by AE 1999.03.20 ぼく、耕一。 何の変哲もない、ごく普通の大学生だ。 突然の休講でヒマをもて余したぼくは、たまっている洗濯物を思い出して下宿への帰途に着いた。 夕飯の買い物時刻、街は柔らかい喧騒に包まれている。 魚屋、八百屋に、マーケット。 買物カゴを持った主婦たちが、井戸端会議を行いながらも確実にミッションをこなしていく。 かく言うぼくも、肉屋で肉野菜炒め用の肉とコロッケを買い込んでから、商店街を離れた。 いまでは珍しい下町の風景を後にすると、軽一台くらいの幅の路地に入る。 そのとき、小さな消え入るような鳴き声が聞こえて来た。 にゃーん むむ、ネコの声? 大のネコ好きであるところの、この柏木耕一様に挑戦しようというのだな?! ぼくは辺りを見回した。 ネコレーダーが対象の気配を察知。 目標、十メートル前方、電柱の脇、段ボール箱。 挑まれたからには無視するわけにはいくまい。 そおっと歩み寄り、覗き込む。 そして、見た。 にゃーん、にゃあ〜〜ぁ・・・ ネコじゃなかった。 ・・・少女だった。 いや、本当に小さいんだってば! ホント! 身の丈五十センチくらい、五頭身、正座。 おかっぱ頭の髪の中から大きな耳が生えている。 つぶらで少しつり目気味な瞳が、まっすぐにぼくを見上げている。 視線を下げて行くと、黄色いスカーフのセーラー、ミニスカート、すべすべ膝小僧、靴下。 スカートの後ろからは、思わずジャレつきたくなるほど立派なふさふさ尻尾が覗いていた。 ぼくの指が、ぴくぴく、と動く。 ・・・・・・。 ・・・落ち着け、落ち着くんだ>自分! こんな往来で、こんな少女にジャレついてみろ。 その瞬間、何かリミットブレイクしてしまいそうな、そんなあたらしい予感。 しかし、待てよ・・・。 これはネコだ。 ネコに違いない。 だってネコ耳だもんな。うん。 完璧な理論武装で決着を着け、ぼくは箱の中に手を伸ばす。 びくっ、とネコに違いないはずの小さな少女が、身をこわばらせた。 ぼくは手を止める。 じぃっ、と視線を合わせて見つめる。 うるうるうるうる・・・ 濡れた瞳が震えている。 ぼくは小さくうなずいて、天使の輪が見えるおかっぱ頭に触れた。 さわさわさわ・・・ 初め、驚いた表情。 少しずつ溶けていき、ほころぶ。 大きな瞳が閉じられて、うっとりとしている。 か、可愛い。 ぼくのハートは鷲掴み状態だ。 そのとき、ぎゅるるるるぅ〜〜、という音と振動を感じた。 はっ、とネコは身構えて真っ赤になる。 なるほど。 ぼくはポリ製の手下げ袋から紙の包みを取り出して、紙の紐をほどいた。 畳まれた紙を解いていくと、すぐにホクホクした揚げ立てのコロッケが現れる。 ”北海コロッケ”という名のこの逸品は、この時間でないと買えない人気商品だった。 甘いクリーム味と、練り込まれたホタテが二層になり、決して飽きない食感を与えてくれる。 断言しよう! これ一個あれば、ぼくは二膳は食べられる! ばーん、と拳を握って立ち上がった、ぼく。 そんなぼくを、ネコは不思議そうに見上げていたが・・・ 獲物の存在に気づき、ヤリのような視線を投げかけて来た。 よしよし、いま分けてやるからな。 ぼくはコロッケの隅の方をつまむようにチギり、差し伸べる。 じぃ〜〜〜〜っ ネコの視線は残った大きい方に止まっていた。 ・・・というか、突き刺さっていた。 そのとき、彼女の視線が横に反れ、にゃっ、と鳴く。 つられて振り向いた時、声のような叫びのような幻聴がぼくの内耳に響き渡った!! ” 赤射あああああーっ!! ” (意味不明な方は「はい!そこのお嬢さん」byアクシズ様 を読もう!) なんだなんだ、と視線を戻した時には。 ・・・彼女の頭くらいある巨大な北海コロッケは秒殺されていた。 もぐもぐと動く、丸くふくらんだ頬。 閉じられた唇。 そして、無表情。 なんかすごいぞ、コイツ。 「でもなあ・・・ウチはペットお断りだからなあ・・・」 とっても恐くて美人な管理人さんは、 「お魚くわえたドラ猫追っかけて手料理差し出す妖気な管理人さん」だからなあ。 「まあ、他にイイ飼い主を探してくれよ、ええっと・・・」 語り掛けようにも名前などあるはずがない・・・のだが、ネコはニャッ、と段ボールの側面を指差した。 そこには、 ” かえで ” と、紫のマジックインキで描かれている。 ・・・そうか。 なら、楓(仮称)ちゃんと呼ばせてもらおうか。 「じゃあな、楓(仮称)ちゃん。 縁があったらまた会おうな」 すっくと立ち上がり、ぼくは楓(仮称)ちゃんの寝床を後にした。 まあ、すこし未練はあったけどね。 ・ ・ ・ ”北海コロッケは・・・美味・・・” 楓(仮称)は繰り返し、その味を反芻していた。 それにしても・・・陥落できなかったとは。 ”せつない光線”のパワーが足りなかったのだろうか? 段ボール箱の隅から小さな手鏡を取り出し、のぞく。 !!・・・おおっと。 思わず自分で自分をせつなくしてしまうほどの強力さだ。 うん、これなら、と楓(仮称)はうなずいた。 とにかく今日中に寄生主・・・もとい、飼い主を探さないと。 よし。 もう一度、チャレンジGO!だ。 段ボール箱の側面を持ち、すっくと立ち上がる、楓(仮称)。 段ボール箱は、底が抜けていたらしい。 立ち上がった楓(仮称)は、底からニョキッと生えた両足で全力疾走で獲物を追い始めた。 ぽちょちょちょちょちょちょ・・・・・・(←ムーミンの歩行音ね) まんまと先回りした楓(仮称)は、キュポッとマジックのキャップを抜き、箱の側面にコメントする。 ”かわいいかわいい捨て猫です。拾って上げて下さい。” で、また電柱の脇に陣取った。 途中、用を足しに来たイヌにかまいたちを浴びせたりしながら、楓(仮称)は件の青年を待つ。 あ、来た。 ・ ・ ・ ・ 夕飯の調理をイメージトレーニングしながら、ぼくは帰り道を急いでいた。 ときどき歩行速度が落ちるのは、あの少女のせいだった。 気になってしょうがない。 あんな箱で夜露がしのげるのだろうか、明日のごはんはどうするのだろうか、などなど。 やっぱり拾ってあげればよかった・・・でもまで死にたくないし・・・ ・・・などと思い悩みながら、歩いていた時のことである。 にゃーん おや、あの声は・・・ ふと見ると、件のダンボール箱が再び出現していた。 一瞬、さっきの道に戻ったのではないか、などと思う。 しかし、確かにあの箱がある。 これが最後のチャンスとばかりに。 側面には”捨て猫”と明記されてるしー。 で、やはりぼくはその中を覗き込んでいた。 にゃーん、にゃあ〜〜ぁ・・・ ああ、楓(仮称)ちゃん。 どうしてキミは楓(仮称)ちゃんなんだ? ネコじゃなかったら今すぐにでも連れ帰ってどうしようというのだ>自分!! だめだ! なんだか今日はおかしいぞ。 ネコ耳少女の色香に惹き寄せられないうちに、ぼくは目を閉じようとした。 そのとき! 楓(仮称)ちゃんのまぶたがいっぱいに開き、その瞳が怪しげに輝いた! み゛み゛み゛み゛み゛み゛み゛ぃ〜〜〜・・・ う〜ん(はにゃーん)。 ネコはいいね。 ・・・ネコならいいよね、ネコなら。 ・・・・・・。 ・・・・・・。 故郷の許婚よ(←その名は梓)・・・ぼくはもう駄目みたいです。 ぼくは楓色の扉を開けた。 そっと手を伸ばし、件の段ボール箱ごと、楓(仮称)ちゃんを持ち上げる。 にゃーん 微笑む楓(仮称)ちゃん。 一瞬、魔性のほくそ笑みを見たような気がしたが・・・ ・・・気のせいだろう、たぶん。 いいんだ、幸せだから。 ・ ・ ・ ・ で、ぼくは箱を抱えて自分のアパート「鶴来館」まで戻ってきた。 さて、ここからが問題だ。 どうやって管理人さんのレーダー網をかわすか、だ。 気分はファイヤーフォックスのクリント・イーストウッドといった所か。 捕まったらタダでは済まない所が、映画そのままだ。 小さな門(アパートのくせに門と小さな庭がある)の手前で、そうこうしているうちに。 KGB・・・じゃなかった、管理人であるところの千鶴さん(←推定二十三歳、未婚)が現れた! 「おかえりなさい、浪人さん・・・じゃなかった、耕一さん」 ううう、どうしよう。 まだいいわけを考えてないぞ。 「あら、耕一さん、その箱は・・・?」 ぎくっ?! そして、ナイスタイミングで楓(仮称)ちゃんが顔を出した! にゃーん 「こ、耕一さん、そのコ・・・?!」 それはちょうど、 「幕張で行列に並んでいる時に幼馴染み(女)にバッタリ出くわした時の心境」 ・・・とでも言えば御理解頂けるであろうかっ? 「ち、ちがうんです、ぼくは違うんですっ!」 わけのわからない言葉を口にして、ぼくは身の潔白を証明しようとした。 そうだ! 決して、この娘を部屋に連れ込んで怪しげなコトをしようだなんて思ったりしてなんかいないと言いたいんだぞ! ぼくは普通人だ! ナデシコのジャンボカードダスで浴衣ルリが出ない〜!と三千円つぎこんだり(結局出なかった)、 その隣にあった忍者キャプターなさくら舞い散る今日この頃みなさんいかがお過ごしですか? いえ、一枚、一枚だけなんです、その一枚にたまたま水辺の風景が映ってたりして、 ついつい五百円つぎ込んでしまいました・・・なんて事は断じてしていないっ!! などと慌てふためくぼくに、管理人さんが詰め寄った! だめだ! 殺られる! 「・・・なんて可愛いネコ!」 「は?」 あ、やっぱりネコに見えるのか、楓(仮称)ちゃんは。 「本当なら規則違反なんですが・・・このニャンコちゃんならいいですよぉ〜。 ねえぇ、ネコちゃぁん!」 管理人さん、年齢、いくつ? 「なにかおっしゃいましたか、耕一さん?」 いえ、べつに。 「じゃ、じゃあ、今日は洗濯しなきゃいけないんで、これにて」 にゃーん。 楓(仮称)ちゃんも手を振って、管理人さんに挨拶した。 とりあえず、良かった。 ・ ・ ・ ・ 一日の終わり。 シャワーを浴びてから夕飯を作り、楓(仮称)ちゃんと食べた。 ぼくと同じく、肉野菜炒めとご飯をおいしそうに食べた。 そして今、眠くならないうちにと、ぼくは急いで洗い物をしている。 水桶の中には茶碗と皿が二組、泳いでいる。 満足した楓(仮称)ちゃんはコタツにうつぶせに寝転んでTVを見ていた・・・。 ・・・はずだったが、気づくと足元にいて裾をツンツンしている。 なんだろう? 小首を傾げると、楓(仮称)ちゃんのジェスチャーが始まった。 セーラーを脱ぐ(フリの)動作。 くいくいっ、と何かを捻るアクション。 顔を上げ、後ろ髪を両手でかき上げるポーズ。 気持ち良さそうな表情。 わかった! 「・・・シャワーを浴びたい!!」 にゃにゃーん! 両手を、ぽむ、と合わせて楓(仮称)ちゃんは正解!のポーズ。 なるほど、少女だからな。 感心、感心。 でも猫って水嫌いじゃなかったっけ・・・などと思いながらも楓(仮称)ちゃんをバスルームに招く。 狭いユニットバスだけれども、トイレが別になっている所が気に入ってる。 で、その中で立ち尽くす、二人。 沈黙。 次の光景を待っていたぼくを、楓(仮称)ちゃんの冷たい視線が貫いた。 はいはい出て行きますよ、お嬢さま。 ・・・減るもんじゃないのに、などと思いながらドアを閉める・・・ と、中で何やらガリガリ始まった。 おお、またなにか? もう一度ドアを開けると、 ぴょんこ、ぴょんこ。 楓(仮称)ちゃんは片手を伸ばして、ジャンプ&ジャンプしていた。 その度にバスタオル越しの可愛いひっぷ(笑)が揺れる。 どうやら、シャワーの蛇口に手が届かないらしい。 仕方ないので目を閉じて手探りで蛇口を捻って、 「ごゆっくり」 と言うと、にゃ、と返事が返って来る。 そのまま後ろ手にドアを閉め、台所に撤退。 洗い物を終えてコタツをどかし、ふとんを敷いてTVを見ていると、楓(仮称)ちゃんが上がって来た。 小さな手が、ぼくの袖をくいくいと引いている。 ぺこり、と頭を下げて浴室を指差す。 上がりましたからどうぞ、という意味らしい。 そうか・・・じゃあ、ひとっ風呂浴びて寝るとするか。 ・ ・ ・ ・ それからぼくは、シャワーを浴びながら不思議な一日を思い起こしていた。 でもなあ・・・不思議なネコだよなあ・・・。 あ、もしかして夜になると人間になって、「耕一さん、好きです」なんて・・・。 どきどき。 もしそうなったら、ぼくはあの少女の誘惑に絶える・・・いや、耐えることができるのだろうか?! 君は生き延びることができるか?! ぼくはダメだっ! よしっ!!(なにが?) ざばあっ、と狭い浴槽から立ち上がり、念入りに身体を洗う。 ばばあっ、と髪を拭いてバスルームを後にする! 部屋はすでにうす暗くなっていた。 きっとジャンプ&ジャンプで電灯を消したのだろう。 枕の傍らにキチンと折り畳まれた小さなセーターとスカートが見えた。 それから、こんもりと盛り上がった布団を見る。 ごくり。 ぼくは震える手で掛け布団をつまみ上げる。 ・・・そして見た。 楓(仮称)ちゃんは、小っちゃなネコのままだった。 ・・・ガッカリしたような、ホッとしたような。 小さく丸まった身体は、どこから調達したのか小さなパジャマに包まれていた。 にゃ〜ん 小さく鳴いた楓(仮称)ちゃんが、ころんと寝返りをうつ。 隠れていた寝顔が、ぼくの方を向く。 耳がぴくぴく。 足がもぞもぞ。 小さな甲が、柔らかそうな頬をこすった。 なぜかとても幸せな気分になったぼくは、そのまま布団の中へすべり込んだ。 もちろん、楓(仮称)ちゃんの邪魔にならないように静かに、かつ和やかに。 布団の中はとても暖かくなっていた。 そして柔らかい、シャンプーの香り。 ごろごろ、と喉を鳴らして、楓(仮称)ちゃんはもう一度寝返りをうった。 ちょうど枕のすぐ下、ぼくの顎の下の辺りにおかっぱ頭が来る。 大きなあくびをしてから、ぼくは目をつむった。 それからすぐに、頬に小さな唇の感触を覚えたのだが・・・ 気のせいだろう、たぶん。 ・・・きっと。 以上。