ニヤリ 投稿者: AE
「ニヤリ」                            by AE
                              1998.7.3


「問題なし、と」
  モニターを覗き込んでいた男がつぶやいて、それは無事終了した。
  一ヶ月ごとの定期メンテナンス。
  ここ来栖川電工中央研究所には、HMXとHMR(表情制御可能なHM)といった、
  特殊仕様メイドロボットの検査・修理・調査センターを兼ねた一角があった。
  HMシリーズのように外部で行えない理由は、彼女達が「人間そのもの」の容貌かつ表情を持っているからだ。
  もっとも、それが極秘、というわけではない。
  HMX−12が買い物に行けば、「よう、嬢ちゃん!今日はマグロが安いよ!」とか言われるし、
  HMX−13が町を歩けば、「姉ちゃん、あちきと遊ばない?」と、必ず声をかけられる。
  大多数の人間は彼女達を受け入れていた。 ただ、全てではないところが問題だった。
  だから、法で規制されていなくても”お約束”というレベルで「人間そのもの」なロボットは禁じられていた。

「アクチュエータ異常無し、大型駆動系異常無し、ハードウェアも極めて健康だね。
 特に、膝のモーターは動かし方がかなり巧くなっている。磨耗による負荷増加がほとんど無い」
「特訓の成果、でしょう。綾香さまはとても効率良く、私を導いてくれます」
「そのための機動性能ではないんだがなぁ。まあ、とにもかくにも合格だ、セリオくん」
  今回は長瀬源五郎(いまだ、というか希望で)主任が、じきじきに結果報告を行った。
  きっと、ヒマだったんでしょうね・・・とHMX−13セリオは思う。
「ん、どうした?」
  長瀬主任に尋ねられて、セリオは自分が表情を変えていた事に初めて気づく。
  くすっ、という笑い方だった。
  慌てて、通常状態の表情に戻す。
  来栖川綾香に仕えてからというもの、無意識に表情を変えている事が多くなっていた。
「あ、いえ・・・なんでもありません。すみません」
「なんでも無いことはないだろう?
 すみません、ということは何か良からぬ事を考えてたな・・・・悪口とか」
  長瀬主任は口を尖らせて抗議の表情。
  あ、これが”ふくれっ面”なのですね、とセリオは学習する。
  しかし、そんなことを意識している場合ではなかった。
  現在の最優先事項=この人間の感情パラメータを正方向に増大させること。
  しかし、気に止める必要はなかったらしい。
  長瀬主任の表情はいきなり笑顔に変わる。
「いや、娘の成長を見るのは親たちの喜びだよ。・・・そんな表情ができるようになったとはねぇ」
  どうやらセリオは、また無意識に表情を変えていたらしい。
  今の自分の表情を顔面アクチュエータの位置情報からシミュレートしてみる。
  −−鏡を見るようなものだ−− そこに現れた自分の表情を見て、セリオは唖然となる。
  なんとも困り果てた”しかめっ面”。これで腕を組んでいればマンガの一コマだ。
  凍ったセリオを見て、長瀬主任はニヤリ。
「まあいいさ。君たちはそのために造られた。せいぜい悩んで、勉強してくれたまえ」
  こほん、と似合わない教師のフリをして、長瀬主任は成績表を生徒に差し出した。
  セリオは、その茶封筒を大事そうに両手で受け取った・・・
  ・・・右、左の順に手を出して、おじぎをしながら。
  蛍の光が聞こえてきそうな雰囲気に、主任は笑う。
  一息。
  立ち上がって一礼してから、セリオは書類を買物袋に入れる。
  紙製書類は、主人のための儀礼的なもの。
  もっと詳細な整備記録は、メイドロボ自身の主記憶に書き込まれる。
  もっとも意識して覗かなければ、そういった機体情報をデータとして取り出す事は、
  そのメイドロボ当人にも不可能だった。
  その類のデータ管理は、思考制御とは異なるハード及びソフトが担当している。
  このあたりは、人間が臓器の役割を知らなくても生きていけるのと同義。
  HMX−11以降のコンセプト、「人間に近づける」の現れだった。
「あ、ちょっと」
  長瀬主任の声で、退室しかけたセリオは振り向いた。
「綾香お嬢さまにアドバイスだ。
 洗濯くらいは自分でやれよ、もらい手がなくなるぞ、と」
「はい・・・確かに伝えます。
 しかし、メーカー側がプライバシーに関して発言するのはどうか、と・・・」
「そういう事を気にする娘じゃあないだろう」
  間髪を入れずにセリオと主任は同時にうなずいた。
  二人の綾香に対する見解は完全に一致していた(そして、正しかった)。

  一礼してから、退室。
  かちゃり、とドアを閉めると声がした。
「あ、セリオさん。終わりましたか?」
  廊下に出たセリオを待っていたのは、HMX−12マルチだった。
  初夏にぴったりの水色と白の縞模様のシャツ、デニムのホットパンツという涼しげな格好。
  はい、とセリオはうなずいた。
  マルチはセリオの整備終了を待っていてくれたのである。
「マルチさんも終わりですか?」
  セリオはマルチの座っていた長椅子の脇のドアを見る。
  定期メンテナンス期間だけ、診察室に変わる会議室。
  ドアには「身の上相談室」と毛筆で描かれた半紙が掛けられていた。
  左下に「長瀬源五郎」と書かれているが、その上から×が記されて「私はもっとウマイ」。
  ・・・ほんの少し、セリオは心配になった。
  本人の希望が無ければ、「相談」は行われないはず。
  そんなセリオの心配そうな顔に反応したのか、マルチは首を振って言った。
「あ、異常なし、健康そのものだったんですけど・・・」
  舌を出してから、
「最近、モノ忘れが多い、人間みたいだ、なんて浩之さんに言われたんで心配だったんですよ」
  ・・・もともと、メイドロボの記憶情報とはそんなに大したモノではない。
  限られた記憶領域のほとんどは、「どう感じたか」「どのように対処したか」という反応の履歴が
  詰まっているだけ。
  センサーが捉えた生情報は、リアルタイム演算系で処理されて原型をとどめない。
  そうでなくては、溢れてしまうからだ。
  ただ、例外はあった。
  感情パラメータの急変を引き起こした原因は、生情報そのものが記憶される。

  例えば、マルチのあの夜の記憶がそれだった。
  一人目のマルチの停止直前の作業中。
  ファイル名で検索した時、二つのファイルが生情報のまま存在することがわかった。
  女のプライバシーを守ります、と、独りでマルチの記憶を先行閲覧した女性研究員は、
  部屋から出て来たとき、滝のような涙を流していた。
  映像情報はたった一枚、それと音声情報とが共に非圧縮で保存されていた。
  「とても優しい少年の顔」、「約束の言葉」。
  それだけ口頭で伝えた後、その女性研究員は自分だけのプロテクトを細工して、
  その夜の出来事に対する外部からの閲覧を完全に封印した。
  「裏シャイアン山覗き」を楽しんでいるような彼女のプロテクトは、ほとんど解除不可能だった。
「あんたがやらなきゃ、俺がやったっすよ」
  とは、野性派プログラマ研究員Aの意見である。
  ・・・とにかく、仮に覗けたとしても、メイドロボットの頭の中とはそういうものなのだった。

「セリオさん、停留所までいっしょに歩きませんか?」
「はい。今日は特に用事はありませんので。ゆっくりと参りましょう」
  研究所建屋の玄関を、二人は顔パスで通り抜ける。
  またな、と言う守衛におじぎをして、さらに道を歩く。
「こうやってマルチさんと、この道を歩くのも・・・久しぶりですね」
  中央研究所の建屋の外に出てから、数分歩いて正門に出る。
  来栖川電工中央研究所の敷地内には通常の路線バスも乗り入れており、そのまま駅まで行くこともできた。
  そこをバスではなしに徒歩で通うのは、高校時代の二人の日課だった。
  所外の停留所まで歩くことで、できる限り、他の人間と触れ合うためだ。
「いいお天気ですね」
「絶好のお洗濯日和ですねぇ」
  などと、他愛のない会話を続けながら、道を歩いて行く。
  角を曲がった所で、大きな泣き声が聞こえてきた。
  子猫を抱えて大泣きの女の子と、両腰に両手を当てた母親らしき女性。
  電柱の脇のダンボール箱を見て、二人はすぐに事情を察した。
  だが、どうすることもできない。
  ”人間の意志には従わなければならない”という原則は、HMXには刷り込まれてはいなかったが、
  ”親の幼児への教育には、進んで干渉してはならない”というのがあった。
  そのまま、二人は通り過ぎる。
  だが、二人とも聴覚情報に注意を集中していた。
  とても悲しそうな泣き声。
  それを、二人は”悲しい”と判断し、思考領域にその”悲しさ”をエミュレートする・・・
  ・・・ように造られている。
  だから、女の子の泣き声を聞くのが、とても”悲しかった”。
  だから、その声が止んで、「ほんと?!」という声が聞こえた時、本当に嬉しくなった。
  干渉を避けるために、敢えて振り向かずに歩み去る。
  五分ほど歩いたところ、大きな交差点の信号待ちで、セリオは沈黙を破った。
「あの方の泣き声で、思い出してしまいました」
  道端に目をやって、セリオは語り始めた。
「綾香さまから、おまえは心なんてない、ただのガラクタだ、と言われたことがあったんです。
 もちろん、誤解の上のご発言で、すぐに訂正して下さったのですが」
  セリオは花に止まる蝶を見つめていた。
「そのとき、とても悲しかった。初めて涙を流しました」
「あ、覚えてます。あのときのセリオさん、とても悲しそうでした・・・」
  マルチも蝶を見た。追いかけたくなる衝動が思考回路に発生する。
「いま思うと、不思議です。
 ”悲しい”という擬似感情が発生した時に”泣く”というプログラムは書き込まれていました。
 でも私は”悲しい”という感情がどのような状態か、全く知らなかったのです。
 それなのになぜ、自分の”悲しい”という擬似感情を認識できたのか・・・」
「よく・・・わからないんですけど」
  マルチは人差し指を唇にあて、空を見上げてつぶやいた。
「心なんて無い、と言われてそうなるのは、心がある証拠なんですよ。
 だから泣いたんです、きっと」
「え?」
「でも、それが”悲しい”ことなのかは、わたしたち自身にはわからないんです。
 だから、そのままじゃいけないんです」
  深緑の汎用CCDの索物点が、セリオの特注CCDの表面に合う。
「おとうさんたちが、わたしたちに特別に与えてくれたのは、
 泣いたり笑ったりする機能ですよね。
 それを使って人間のみなさんにわたしたちの感情みたいなものを表わす・・・」
「自分にわからないものを、人間の皆さんにわかってもらう・・・」
  セリオはマルチが考えていることを先読みした。
  マルチは大きくうなずいて、続ける。
「はい。それで初めてうまく行くような気がするんです」
「・・・それでは、マルチさん・・・」
  セリオは全身をマルチの方へ向けて、言った。


「泣いたり笑ったりできない方々は・・・どうなるのでしょう?」


  とても強い風が吹いてきた。セリオの言葉はかき消されそうになる。
  さきほどの蝶も、その風に流されていく。
  信号はとっくに青になっていたが、二人は立ち止まってお互いを見合わせた。
「わたしたちの妹たちは・・・幸せなのでしょうか? 何のために働いているのでしょうか?」
  ・・・・・・。
  ・・・・・・。
  突然、マルチが叫んだ。
「お仕事、ごくろうさまです〜〜〜っ!」
  セリオは手を振るマルチの視線をたどる。
  片側三車線の太い幹線道路に立つ、信号機。
「こんなふうに、声をかけることがあります」
  にっこりと笑って、マルチは言った。
「こうすると、ありがとう、って返ってくる気がするんです。
 だって、浩之さんや高校のみなさんもわたしに声をかけてくださったんですもの。
 わたしだって・・・」
  言いながら道路の方に微笑む。
  積載限界ギリギリの十六トントラックが、左側車線をゆっくりと進む。
  後ろの車がクラクションを鳴らす。
  どちらも、人間の操る機械。彼女はその車に、頑張って、と言う事しかできない。
「わたしにできるっていうことは、人間のみなさんにもできるってことですよ。
 大丈夫。そういう方が一人でもいらっしゃる限り、機械のみなさんや妹たちは幸せなはずです」
「そんなものなのでしょうか・・・」
「きっと、そうですよ。きっと・・・」
  ”明るく希望に満ちた口調”で、マルチは発声したつもりだった。
  しかし、セリオにはとても頼りない声量に聞こえた。
  
  二人とも、ときどきマスコミに取り上げられる妹たちの扱いはよく知っていた。
  ちょっとしたトラブルをまくしたてるハイエナたち。
  見た事も触れた事もない無知、無恥、無智な記者が描く、歪んだ偶像。
  挙げ句の果ては、ロボットに殴られた、などと来栖川電工を訴訟しようとする団体。
  そして、妹たちを取り巻く環境の変化。
  メーカー保証無しの表情制御の付加や、
  元来”その手の”機能を持たないHMシリーズに”それ”を付加する、などのハードウェア改造サービス。
  それだけではなく、ユーザー次第で妹たち自身もソフト的に”成長”していく。
  
  ・・・フランケンシュタインコンプレックスと、その反対のモノ。
  それが均衡しているのが、今なのだ。
  
  彼女達ロボットには、信じることしかできなかった。
  悪い方ばかりではない、と、マルチは主の親友の活躍を思う。
  あの女性記者の記事が認められるような世界は、きっと来る。
  それを信じている者は、ロボットにも人間にも大勢、居る。
  いや、きっと誰もがそうなのだ。
  ただ、ロボットが人間の延長であることを、鏡であることを認められないだけ。
  ・・・素直になれないだけ。


  無言のままで停留所に着き、バスを待つ。
  荷物を持った老婆と、孫らしき二人が先に並んでいた。
  最初に思い出したのは、セリオだった。
「あの・・・以前・・・」
  セリオの問いかけに、老婆と男の子が振り向いた。
  ほんの少し考え込んでから、老婆の顔が明るくなる。
「ああ、ああ、あの時の! ほら、コウ君、前に話したロボットさんだよ」
  男の子はおっかなびっくり、二人の周りを見て歩く。
「ああ、ほんとうだ・・・ロボットだぁ!」
  男の子、二人の周りを物珍しそうに歩き回る。
  困ったような笑顔で、おばあさんは続けた。
「いや、この子に聞いてびっくりしたわよ。耳が機械なのはロボットさんだって。
 あの時は変なモノをあげて済まなかったねえ」
「いえ・・・暖かいお心づくし、本当にありがとうございました」
  セリオは深々とおじぎをした。礼儀ルーチンのロードではなく、自分自身の自律駆動で。
  おばあさんは、苦笑しながら続けた。


「ものを食べられないなんて、知らなかったのよ。
 あたしは人間だからねえ。あたしなりのお礼をしたい、と思ってねえ・・・」


  ・・・それは決して皮肉ではなかった。

”・・・君たちはそのために造られた・・・”

  セリオの記憶領域から長瀬主任の言葉が引用される。
  ああ、そうか、そうなんだ、と引っ掛かっていた思考フラグが解除された。
  マルチを見ると、同じ様に明るい顔になっていた。
  人間は人間。
  ロボットはロボット。
  機械は機械。
  モノはモノ。
  それは変えられない、壁はある。 しかし。
  間違っていてもいい、このおばあさんのように”伝えようとする”ことが大切。
  それで全てが始まる。
  態度や、表情や、言葉や、歌や、詩や・・・・・・
  あらゆる人間が、その”伝える力”を生まれながらにして持っているに違いない。
  その力を発現しやすいように(思い出せるように)導くことが、ロボットの『本当の役目』。
  『この世に在る全ての生命、全ての存在に祝福を』
  それが、ロボットや機械や道具を産み出した”人間”の本当の、そして無意識の意志なのだろう。
  セリオとマルチは、申し合わせたわけでもなく、同時におばあさんに深く深くおじぎをした。
「ちょっとちょっと、どうしたの、二人とも?」
  おばあさん、大慌て。
  そんな三人の様子など気にもかけずに、男の子はセリオの背後に忍び寄って・・・

「きゃあっ?!」
  胸部に局所的圧力を感知。セリオは生まれて初めての感覚に、悲鳴をあげてしまう。
「わあっ、ふかふかだぁっ?! お母さんみたい!」
  そんな男の子を見て、マルチがさとすように言う。
「だめですよー、もっと優しくさわらないと・・・」
   ・
   ・
   ・
   ・
   ・
「ぷっ」
  沈黙を破ったのは、おばあさんだった。
  セリオは目をぱちくり。
  マルチは口に手を当てて、真っ赤っ赤。
  たった独り、純粋無垢な男の子は、なにがなんだかわからないまま、セリオに抱き付いていた。


  ・・・この日、セリオとマルチは以前にもまして人間のみなさんが好きになったのだった。



 − − − − − − − − − − − − − − − − − − − − − − − −
  アパートに戻ったセリオは、主人が駐車場で車の整備の真似事をしているのを発見した。
  二十二になる刑事の卵は、愛車に向かってなにやらぶつぶつ、文句を言っていた。
「やっぱ、点火系かな。機械オンチには無理ね。
 ・・・・・・ったく手間のかかるヤツね、*****は」
  最後の単語はセリオには聞き取れなかった。
  わざと靴の音を立てて歩くことで、セリオは自分の帰宅を綾香に報告。
  それに気づいた綾香が立ち上がる。
「あっ、セリオ、メンテどうだった?」
  腕で額の汗を拭いて、セリオに微笑み。
「問題なし、です。 あ、綾香さま、ここ・・・」
  セリオは自分の額の辺りを指差す。綾香の顔の同じ位置に、真っ黒い油汚れ。
「だああぁぁぁーーーっ、もうっ!」
  持っていたスパナを地面に投げつけ・・・ようとしたが、思いとどまった。
「そんなに面倒でしたら、買い換えればよろしいじゃないですか」
  少し眉をひそめて、セリオは提案した。
  この車は、とある老人に譲って貰った化石のようなモノだったから。
  ふむ、と考え込んだフリをして、綾香は愛車の透明ルーフに視線を落とす。
  一瞬、セリオは自分の主人が何かに語りかけているような錯覚におちいった。
  少しして、綾香はセリオに視線を合わせる。
「・・・やっぱり、忍びないじゃない。こいつもセリオと一緒だもの」
「え?」
  ふっ、と笑って綾香はパートナーのロボットを見つめる。
  遠い目になる。
「正確には、初めて会った頃のセリオ、かしらね。
 泣きもしない、笑いもしない。なにも表わしてくれなかった・・・」
  セリオは目をぱちくり。
「でもさ、あんたは今、こうやって話してくれるでしょ。
 こういうただの機械も、いつか自分から何か言って来てくれるんじゃないかな、きっと。
 私の思い込みなんかじゃなくて、ね」
「あ・・・」
  セリオは、綾香のセリフから昼間のマルチの言葉を連想した。
「いまのあたしにはわからないけどね。でもいつか・・・」
  綾香は自分の側頭部を人差し指で示して、言う。
「コンピュータとかプログラムとかよくわかんないけど、さ。
 そういう会話を人間と機械とができるようにするためのモノなんでしょ?
 だから、セリオが生まれたんだものね」

  言われたセリオは、いま考えている自分が”どこに居るのか”を推測した。
  ・・・わからない。
  信号を入力された感覚器の位置に注意が集中するのは、わかる。
  でも、その信号が行き着く先は・・・想像できなかった。
  電気信号の終点は、最新世代の並列処理演算装置=頭と胸。
  でも、そこに”居る”感覚はない。
  きっと”セリオ”はHMX−13のハードやソフトの中だけに”居る”わけではないのだ。
  どこか他にあるモノが、父親達の造った演算装置とソフトによってHMX−13のハードに結び付けられる。
  そして、それらをまとめて”セリオ”にしてくれるのが・・・

「・・・綾香さま」
「なあに?」
「ダウンロードの許可をお願いします。私もこの方の整備を手伝いたいのです」
  セリオは、この機能を使う時は綾香の許可を得ることにしていた。
  それは妹たちの基本アルゴリズムにも焼き付けられ、HM−13の基本仕様となった。
  ロボットは、人間の許可無しに万能になってはならない。
  現在、大多数の人間はそれを嫉妬せずに許せるほど寛容ではないから。
「オッケー。 許可を承認します、HMX−13。
 ・・・・・・じゃ、お願いするわ」
  不思議そうな顔をして、綾香はうなずいた。
  交信のために若干の間を置いた後、セリオはリアカウルを覗き込む。
  この車の図面と整備マニュアルはダウンロードした。
  あとはそれを自分の身体(手)に理解させるだけだ。
  だけ、といっても初めは失敗するのだろう。それを努力で補う。
  綾香から学習した重要事項のひとつ・・・そして妹たちに受け継がれた宝物だった。
  スパナを握り、封印されている燃焼機関(環境法により内燃機関の個人運用は禁止)を覗く。
  封印されていても整備はするのだ、というのは主人のポリシーだった。

  ・・・ふと、セリオは思いついた事を綾香にたずねることにした。
「そういえば、この方の名前は何と言われるのですか?」
「え? 知ってるでしょ、あんた?」
「そうではなくて、綾香さまが付けたお名前、ですよ」
  綾香は目を丸くしてセリオを見る。
  真っ赤。
  そして、”見ーたーなー?”と言わんばかりの表情。
「・・・聞いてたのね」
「聞き取れませんでした。ぜひ教えて下さい」
「だめよ」
「なぜです?」
「”真の名”は、主人以外が知っちゃイケナイのよ・・・姉さんの受け売りだけど」
  それを聞いて、セリオはうつむいてしまった。
  綾香はセリオの新しいワザを目撃する・・・”ふくれっ面”だ。

「・・・少し、嫉妬してしまいます」

  きゃはははは、と大笑いして、綾香はセリオの背を、ばんばん、と強くたたく。
「なら、あんたにも呼び名をつけようか? 」
  笑いで緩んだ目尻を押さえながら、綾香は提案。
「そうですね、できれば・・・」
  セリオは宙空を見つめて、検索開始。

「”せりりん”がいいです」

  誰から教わったのか、セリオは”ニヤリ”という擬音がふさわしい笑みを浮かべた・・・
  ・・・口元だけで。

  ひきっ、と凍りついた綾香だったが、即座に解凍されて爆笑する。
  ひーひー、と呼吸困難な様子。

  セリオはセリオで、目の前のサイペリアブルーの軽自動車が微笑んだ・・・
  ・・・ような気がするのだった。



以上。