メイドロボの薬指 投稿者: AE
「メイドロボの薬指」                  by AE
                        1998.5.15



  春風の舞う、河岸の土手の上。
  私は車イスを押しながら、ラジオの音に耳を澄まします。
  国会の生中継。
  ある法案の可決の瞬間を聞き流すまい、と全神経を集中して。
  しわがれた男性の声が、それを宣言します。

『・・・満場一致で、本法案「ロボット人権」は可決されました』

  同じ声は世界中に届いているのでしょう。
  アンドロイド産業王国、日本。
  2000年代初頭のHMシリーズ発売からすでに八十年、
  依然としてトップを台頭している東洋の国。
  その日本が定めたこの法案に習い、各国でも同様の法案が認められるに違いありません。
  私は前にかがんで、車イスの上の老婆に声をかけました。

「おめでとうございます、綾香さま」

  それだけ聞いて、綾香さまは車イスに座ったまま、拳を高く振り上げて叫びました。

「やったね、セリオ!!」

  ・・・私はサポートしただけです、綾香さま。
  全てはあなたと、あなたのお姉様の情熱。
  十年前に発案した、そして、この可決のために世界中を渡り歩いた来栖川姉妹の。
  そして、それを支えた多くの人々の尽力。
  もっとも、この可決は私には関係ありません。
  私には、私を理解してくれる方が大勢います。
  助けてくれる仲間も大勢います。
  そして、なにより・・・
  ・・・綾香さま。
  あなたの傍に居ることができましたから。
  この法案の可決は、私の同胞に捧げるものなのですね。
  行いたくない悲しい作業を行わねばならない、ある一部の同胞に対して・・・。
「ね、セリオ?」
  突然、綾香さまがつぶやかれました。
  その声は、風に流されて消え入りそうな小さなもの。
「はい?」
  耳を近づけるジェスチャーは失礼かと判断し、私は上半身そのものを近づけます。
「こっちに来て顔を見せてくれないかな?」
  私はうなずいて、車イスの直前にしゃがみました。
  そして、皺だらけの、筋の見え始めた手を握って、視線を合わせました。

「もう、あんたの顔も見納めかもしれないね」

  そうつぶやいた綾香さまは微笑んでいましたが・・・
  その瞳は潤んでいました。
  ・・・私は泣きませんでした。
  泣くわけにはいかなかったのです。
  代わりに微笑みました。
  生まれてから最良の微笑みを浮かべて・・・浮かべたつもりで、綾香さまを見つめました。
  ・・・それでも頬をつたう何か。
  綾香さまの皺だらけの指が伸びて来て、それを拭ってくれます。
「泣き虫よね、あんたは」
  はい、と私は答えました。
「それを知ってるのは、あたしだけなんだよねぇ」
  はい、と私は答えました。
  にっこりと笑った綾香さまのお顔は、私が今まで見た中で最も美しく感じました。



  その夜。
  夕方、悪化した綾香さまの具合は、不思議なくらい回復していました。
  カーテンを開けて、窓を開けて。
  網戸まで全開して、私たちは夜空を眺めていました。
  とても澄みきった星空。
  下に街の明かり。
  部屋を暗くして眺めていたので、私たちはまるで宇宙空間にいるような錯覚におちいっていました。
「人間は死んだらどこに行くのかねぇ?」
  ふと、綾香さまがつぶやきます。
  入院してから毎晩行ってきた言葉のやりとり。
  私はいつもの回答を出力します。
「ばあさんや、それは言わない約束でしょ」
  そう言って、私たちは笑い合いました。
  本当に、お約束、でした。
  それが毎晩繰り返される限り、綾香さまと私は一緒に居られる、そのように思っていました。

「・・・ねえ、花の水を変えておいてくれるかな。
 マルチがくれたんだもの、大切にしなくちゃね」
  はい、と私は立ち上がってドアの近くまで歩きます。
  電灯を落としたままなので、私は花瓶を慎重に持ち上げました。
  ・・・この花は、マルチさんが新居の花壇で摘んだものなのだそうです。
  幼く新しいご主人様を得た彼女はとても幸せそうに見えました。
  そして、とても強く見えました。
  私には真似できないでしょう。
  ・・・たとえ、どんなに愛して下さる方がいたとしても。

  ・・・・・・。

  水を変える、のでしたね。
  私は生けてあった花を避けて、置き水を注ぎ直しました。
  その背後で、綾香さまの声がしました。
「いろんなことがあったよねぇ」
  ・・・いつもの弱気なお言葉。
  私がお決まりの言葉を返そうとしたとき。
「セリオ」
  妙に元気な、はっきりとした呼び声でした。
  私が振り向くと、窓の方を向いたままで綾香さまはおっしゃいました。

「・・・ありがとね」

  次の瞬間。
  手にした花瓶を無視して、私は綾香さまのベットに走っていました。
  予感がしたのです。

  行ってしまう。
  綾香さまが私の届かないところへ行ってしまう。

  すがり寄って、引き止められるものではない、ということは理解していました。
  それでも走っていました。
  ベットにたどり着く。花瓶の割れる音が聞こえる。その手を握り締める。



・・・綾香さまは亡くなられていました。



  とても安らかな笑顔、と私の表情パターン認識機能が判断しています。
  ・・・・私のたった一人のご主人様は、たったいま、亡くなりました。
  もう心のない、有機物の塊に過ぎないことは理解しています。
「綾香さま?」
  それでも、自分でもわからないうちに、私はその名を呼んでいました。
「綾香さま・・・」
  何度も何度も。
  もしここに他の方がいたのなら、私の声が表情が、凍りついていくのを見たことでしょう。
  感情パラメータの急変がハードウェアへ与える影響を避けるため、インターロックが働いたのです。
  それでも涙腺は涙を分泌し続けました。
  演算装置の暴走による発熱を少しでも防ぐために。
  そう、私は暴走を始めていました。
  綾香さまに関する膨大な情報が、繰り返し再生され始めている・・・・・・。
”綾香さまを元に戻さなければならない。”
  そのために何をすべきか、探さなければならない。そのための検索。

     組み手の時、誤って気絶させてしまった時。
     腕相撲で靭帯を傷つけてしまった時。
     事件現場で、私をかばって凶弾に倒れた時。
     料理に挑戦し、包丁で指を切った時。

  やがて、その検索は、私にとって印象深いシーンの検索へとずれ込んでいく。

     今日、河岸で法案の可決を喜んだ綾香さま。
     「もう運転できないから」と言われて、愛車を譲られた綾香さま。
     十年前、国会で暫定案を発言し、総理を怒鳴りつけた綾香さま。
     十五年前、司法省に入省された綾香さま。
     若かりし頃、だんな様への告白について相談をもちかけてきた綾香さま。

  ・・・・・・。
  最後の画像は、私が綾香さまを主人と認めたあの日。あの言葉。

「あんたにふさわしい主人になってるよ」

  ・・・はい。
  私のご主人様は、あなた一人です。あなたしかいません。


どん。


  物理的な衝撃。
  感覚器官は全て停止させましたが、かろうじて生きていたCCDが、天井の模様を画像入力しています。
  ・・・おそらく、仰向けに倒れたのでしょう。
  ハードウェアの自動診断プログラムは切ってあります。
  もう意味がないのです。
  水分が蒸発してしまえば、熱暴走で私の制御系は数十分で記憶を失います。
  長期記憶の定期バックアップは、綾香さまが入院されてから行っていません。
  私の記憶に関するDVDも全て廃棄しました。
  バッテリーの急速放電を開始しました。
  本来はバッテリーのメモリ効果を相殺するための機能ですが、こういう使い方もあるのです。
      駆動系 =駆動電源不足により停止。
      感覚器官=12V系統は停止。3.3V系統も数分で停止。
      演算機能=サスペンド。
      記憶領域=フラッシュメモリが消去済。
           数分でハイバネーションを行わねば、完全消去。

          !警告:ハイバネーションシーケンスが起動不能。
              直ちに充電を開始し・・・・・・・・・・・

  私は自己診断プログラムを中断し、目を閉じます。
  そして、待ちました。
  その時が来るのを。
  私は綾香さまと同じ場所に行けるのでしょうか?
  会えるのでしょうか?
  せめて、私からもひとこと伝えたかったからです。
  ありがとう、と。
     ・
     ・
     ・
     ・
     ・
     ・
「こちらでよろしいですか?」
  メイドロボのウェイトレスが聞いたので、綾香さまはうなずいて、座りました。
  私はその正面に座ります。
「ブレンドと・・・六甲のおいしい水」
「かしこまりました」
  ウェイトレスはそう言って、グラスを磨いているマスターにオーダーの復唱。
「ここね、昔、バイトしてたことがあるのよ。あんたが眠ってた頃かな。
 ブレンドがとってもおいしいの」

  ・・・ああ。
  これは私の記憶ですね。
  とても若い、二十一歳の綾香さま。
  目覚めた私を連れて、綾香さまはいろいろな場所に行かれたのです。
  ブティックを見たり、公園で鳩にエサをあげたり。
  高校時代にしてあげられなかった事をするんだ、と一日中遊び回ったのです。
  とすると、次のセリフは「水なら飲めたよね」ですか・・・。

「あんた、死ぬ気ね?」

  え?
  記憶じゃ・・・ないんですか?
  ここは私の記憶領域・・・その最後の残骸ではないのですか?

「驚いてないで。 答えなさい、セリオ」

  綾香さまの表情はとても真剣でした。
  うながされるままに、私は正直にうなずきました。

「・・・あたし達の作ったロボ権は、ロボットにも死ぬ権利も与えたわ。
 でもそれをあんたに行使してもらいたくはない。
 あんたにはまだやってもらいたいことがたくさんあるんだから」

  綾香さまは人差し指を立てて、にっこりと笑いました。

「あたしはあんたが大好きよ、セリオ。あたしを精一杯好きでいてくれたあんたが。
 そして、あんたを通していろんなものが好きになった」

  綾香さまはあたりを見回しました。
  ・・・ここはなんて不思議な空間なのでしょう。
  綾香さまに見えているであろう景色が私にも見えるのです。
  信じられません。
  情報を共有しているのです。人間とロボットとが。
  そして、それは・・・周囲に見えた映像は綾香さまが見ていた・・・
  ”世界”そのもの・・・だったのでしょうか。

     喫茶店の中で、お年寄り夫婦の肩をたたくロボット。
     厨房で、ケーキのデコレーションを失敗して怒られているロボット。
     窓の外、人間の恋人たちを乗せて走る車。
     道端に立ち、それを見守る信号機。
     その根元で風に揺れている雑草。
     風。 土。 水。 火。

  ・・・ありとあらゆるものが、「機能」という優しさに包まれて存在しています。
  どれひとつ欠けてもいけない。
  ジグソーパズルのような整然とした美しさ。
  自分がこのような世界の一部として機能していることを、私は理解・・・
  ・・・いえ、これが”悟る”ということなのですか?

  綾香さまは身を乗り出して、私の手を取りました。
  そして、とても強く握りしめました。

「がんばってよ、セリオ!
 こんなことで負けたりしないで!
 あたしはここが終点だけど、ロボットのあんたは終わりがない。
 それはとても残酷なことだけど、それがあんたの仕事なのよ」
「綾香さま・・・」
「まだ、まだなの。これからなのよ。
 あんたたちは認めさせることができた。でもまだ足りない。
 もっと多くのモノを、あたしたち人間に認めさせなきゃならない。
 それを、あんたにやってもらいたいのよ」
  ・・・私は戸惑っていました。
  綾香さまのいない世界。そんな世界で私は生きて行けるのでしょうか?
  機能できるのでしょうか?
  そのとき、綾香さまはとても厳しい口調でおっしゃいました。

「HMX−13、セリオ!!」
「はいっ?!」
「行きなさい。そして生きなさい。 それが私の、最初で最後の命令よ」

  綾香さまは、私に命令を下しました。
  ・・・私は綾香さまから「命令」を受けたことがありません。
  本当に最初で最後、なのですね、これが・・・。

「・・・残酷な方ですね、綾香さまは」
「一生のお願い、よ」
「もう亡くなっていらっしゃるのに・・・」
「そっか?!」
  そう言って、にやける綾香さま。
  微笑む私。

  大笑い。

  そして、いつものように鞘に戻る、二人。
  そう、私たちはいつもこうやって妥協案を認め合ったのです。
  これが最後のやりとり。ならば受けるしかないでしょう。
「任務了解しました、綾香刑事!」
  座ったまま、私は敬礼。
  綾香さまも敬礼を返します。
  その視線が、横に流れました。
  いつしか、テーブルの脇にひょろりとした姿が寄り添うように立っていました。
「だんなさま」
  ひと目でわかりました。綾香さまの旦那様。私の・・・。
「やっぱり、こういうコトっていうのはあるんだねぇ。
 独りかと思ったら迎えにきてくれたよ、この甲斐性無しがさ」
  綾香さまは旦那様の脇腹をこづきました。
  もっと若い、高校の制服を纏った姿に戻っています。
  私と初めて出会った時のお姿。みずみずしい肢体。
  でも、私、知っています。
  その笑顔が年をとられても決して変わらなかったことを。
「さて、と」
  よいしょ、と綾香さまは席を立って旦那様の腕をとりました。
「もう行くよ」
「綾香さま」
「仲間たちによろしくね、またね」
  旦那様も私にうなずいて、綾香さまの肩を抱きます。
  旦那様の胸に頭を預けた綾香さまが、目を閉じます。
  そして・・・。
  二人のお姿は、背景に溶け込んでいき、私と”世界”だけが取り残されました。

  私は、あたりを見回します。
  ・・・なんて素敵な世界なんでしょう。
  感じるセンサや情報の種類は違っても、機械も人間も自分たちの世界を持っている・・・。
  それが重なり合って存在しているのが、「ここ」なのですね。
「帰らなくては。 ”ここ”に。 私にはやるべきことがあります」
  私は自分自身に言いました。
  次の瞬間、光が私を覆いました・・・・・・。
   ・
   ・
   ・
   ・
   ・
   ・
  視界はすぐにクリアになりました。
  覗き込んでいる方がいました。綾香さまの主治医のお医者様。
  それを認識できるということは、記憶素子の無事を意味します。
「もう大丈夫です」
  お医者様は振り返って言いました。
  そこには綾香さまの娘さん夫婦、お知り合いの方々がいらっしゃいました。
「おそらく、主人の死を認識して、暴走したんでしょう。
 とても慕われていたんですね、亡くなられたお母様は」
「よかった、母さんだけでなくセリオちゃんまで失うところでした」
「びっくりしましたよ。この方が「死にたくない」って繰り返した時には・・・
 ・・・もう大丈夫でしょう?」
  お医者さまの問いかけに答える代わりに。
  私は上半身を起こし、その場に居る全ての人間に宣言しました。

「私、HMX−13通称セリオは、現時点においてロボット人権の認証を請求します」

  ・・・・・・沈黙。

  その間に私は、衛星経由で発足されたばかりのロボット人権認証委員会へメールを打ちます。
  認証のための審査試験を予約するために。
  受付番号は000001でした。

「私は死にません。まだ死ぬわけにはいかないのです。
 綾香さまの願いは本日、叶いました。
 私はその意志を護るために、私にできることを精一杯頑張ろうと思います」

  沈黙は続いています。
  そして・・・・・・
  ぱちぱち、と綾香さまの娘さんが拍手を始めました。
  だんなさんも。お孫さんも。
  そして、綾香さまの病室にいらっしゃった、全ての人間とロボットから拍手が送られました。
「ありがとうございます・・・・・・」
  全ての方と視線を合わせて、私はお礼を言いました。
  ・・・綾香さま以外の人間のみなさんに、涙を見せるのは初めてです。
  それは綾香さまが、悲しくても人前では泣かない、と言っていたから。
  ごめんなさい、綾香さま。 でも、許して下さい。
  ”綾香さまのセリオ”は消えます。
  私は”セリオ”です。
  ・・・私は気づきました。
  ずっと昔、出会った頃から、あなたはこの”私”を望んでおられたのですね。
  そのために、今日を待ち望んで努力なさったのですね・・・。


  さようなら。


  そして・・・・・・ありがとう、綾香。





 − − − − − − − − − − − − − − − − −

  かちゃん、とティーカップが置かれた。中の清水は飲み干されている。
「他の経緯は、あなたもご存じかと思いますが・・・」
  セリオ刑事は僕を見つめて口を閉ざす。うながすように。
「長瀬綾香・・・旧姓、来栖川、綾香。
 元、警視総官補佐。
 後に司法省に入省し、ロボット人権の発案と整理に多大なる尽力・・・ですか?」
  うなずく彼女を見て、僕はレコーダーのスイッチをオフ。
  彼女は窓の外の景色を、ちらっ、と見る。
  新緑に囲まれた喫茶店。
  少し登ったところにある、長瀬綾香の墓の前で、彼女と偶然出会ったのだ。
  突然のインタビューに、セリオ一級刑事はいやな顔ひとつせず、応対してくれた。
  たったひとりの主人の命日だから、と付け加えて。
  想いを形にして残すのは大切ですよね、と言って。

「セリオさん、セリオさん?!」
  突然、彼女の左腕から声がした。緊急無線かなにか?
「はい、こちらセリオ」
「暴走AIによる暴走車事故が発生、です。
 えーと、機界警察遊撃特捜班は、ただちに現場に急行してください、です」
「了解、ボス」
  くすっと笑ってから、セリオ刑事は通信を切った。
「というわけで、わたしはこれで」
「あ、本当にどうもありがとうございました」
  僕は立ち上がっておじぎ。
  レシートをとって、セリオ刑事の後に続く。
  そこで僕は、先程から気になっていた質問を口にすることにした。
「セリオ刑事・・・」
「はい?」
「あの・・・その薬指の・・・」
  ああ、と言って彼女は左手を開いて僕に見せる。
「婚約指輪・・・だそうです」
  やっぱり、とうなずいてそれを見る。
  それは人間がする伝統的な指輪ではなかった。
  金属製ではない、ツヤの無い、白い陶磁製のような一体モノ。
  セラミックかなにか?
  マニュピレータ近傍は電気信号の乱れに敏感だ。
  ロボットは金属製の装飾品を身につけられない。でも、これなら安心だ。
  僕は感心した。相手の男性は本当に彼女のことを大切に想っているのだ。
「わたしは、いいって言ったんですが、けじめだって。
 言い出すと引かない方なんですよ・・・困ったものです」
  そう言って眉をひそめる彼女は、決して困ってはいなかった。
「でも・・・形にして表わしてくれるというのは、嬉しいですよね」
  今日、一番の微笑み。
  では、と言って片手を上げて、走る。
  輝かないはずのセラミックの指輪が、きらめいたような気がした。
  からんからん、というドアの開く音、閉まる音。
  すぐに、窓の外を青い軽自動車が走り去る。
  サイレンは鳴らさない。この穏やかな昼のひとときを邪魔したくないのだろう。

「・・・あれ、おかしいなあ」
  レジにいたウェイトレスがぼやく。古びた、前世紀の遺物のようなレジを見つめて。
「いいかげん、機嫌直してよね」
  そう言って撫でると、レジは起動した。
  がちゃん、と言って引き出しが開き、レジは財布の紐を緩めた。
「融通が効かなくて困っちゃいますよ。イヤですね、年期の入ったおじいさんは・・・」
  そう言いかけたウェイトレスの指が、閉まりかけた引き出しに挟まれそうになる。
「ね?」
  瞬時に引っ込めた手を宙に上げたまま、ウェイトレスは僕に微笑んだ。
  いや、僕の車もそうですよ、などと答えながらレシートを渡す。
  現金で支払うことにした。 心が芽生えた、この老レジに敬意を表して。

  そして、僕のインタビューは終わった・・・。



  喫茶店を出た。
  陽射しがまぶしい。
  左手で仰ぎながら、僕は空を見上げた。
  ふと、彼女の顔を思い出す。
  HM−12の薬指直径はどのくらいだろうか?
  サイズを聞いておかなきゃ、と思った。
  僕もじきに買わなければなるまい。
  ・・・セラミックの指輪を。




以上。

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ほとんど書きたい話は書いてしまったので、今回は好き勝手やってしまいました。
拙作は、全て同じ世界の出来事を書いているつもり(例外アリ)なので、本作でそれを総集した、という感じです。
「初めて読んだ」「わけがわからん」という方には、お詫びを申し上げます。
あと、SS作家の皆さんが考えた小道具を、いろいろと詰め込んでます。
思い当たる方にも、無断借用のお詫びを申し上げます。