ふたつのなみだ(ひとつめ) 投稿者: AE
「ふたつのなみだ(ひとつめ)」           by AE
                      1998.4.26


  二人目は空手の達人・・・らしかった。
  倒してしまえば流派など関係ない。
  さすがに中央研究所ね、と綾香は全速力で走りながら思う。
  場所が場所だけに、飛び道具を持っていないのが幸いだったが、
  中心に向かうほど、警備力はますます増強されている。
  防犯ベルを鳴らされる前に倒してはいるのだが。
  まあ、そのおかげでゴールに近づいていることを確認できるわけだ。
「待っててよ、セリオ」
  自分に言い聞かせるように、言う。
  自分の素性を明かせば、ここ来栖川電工中央研究所の警備は警戒を解くだろう。
  しかし、それを証明する時間すら無かった。
  早くしなければセリオは殺されてしまう。
  それは一人目の守衛から聞いた情報だった。
  専門家ではなかったので詳細は喋れなかったが、セリオが”消去”されることは確からしい。

  ・・・なんてこと。
  用が済んだら、ぽいっ、ていうわけ?

  逆上が逆上を呼び、体温が上がった。
  それから、綾香は走り続けている。
  この戦いは自分への戒めでもある。 セリオを侮辱してしまった、自分自身への。
  絶対に間に合い、謝るのだ。
  心の底から。

”綾香さまは、なぜ格闘技をなさっているんですか?”

  今日、この日、この瞬間のために自分は強くなったのだ、と綾香は疑わなかった。
「セリオ、ごめん!! いま行くよ!」
  そう叫んで、綾香はエレベータ前に現れた三人目の守衛に突撃した。


  − − − − − − − − − − − − − − − − − −

「この方が、今日から八日間みなさんと一緒に勉強するセリオさんです」
  説明しながら、担任が少女の背を優しく押した。
  少女は、オレンジ色の髪、耳につけた大きなパーツ、という奇妙ないでたちだった。

”ああ、あれがあのロボットか・・・”
  と、綾香は頬づえをついたままセリオを見る。

「はじめまして。
 来栖川電工メイドロボHMX−13、通称セリオと申します。
 人間のみなさんと共に勉学にいそしめることを大変光栄に思います。
 世間知らずの私ですが、どうぞよろしくお導き下さい」

  ロボットは極めて人間らしい、いや、人間そのものの仕草で深々と礼をした。
  わー、ぱちぱちぱち、という歓声の中にお決まりの言葉があるのを綾香は聞き逃さない。

「来栖川、ですって」

  あーあ、と窓の外を見た綾香の心は、放課後の特訓メニューのことでいっぱいだった。
  というわけで、自分の隣にセリオが座ったこと、自分が校内を案内すること、など、
  なしくずしに決まった事実はセリオ自身の口から聞かされた。
 
「あっちは職員室、こっちは保健室・・・ああ、あんたには関係ないね、ごめん」
  放課後を利用して、綾香はセリオを校内見学に連れ出した。
  じつはイヤイヤのことだった。
  来栖川の名のついているモノにはあまり干渉されたくない、家の外では。
  決してその名を嫌っているわけではなかった。むしろ、愛している。
  ”生まれたのがこの家だった”という運命を受け入れられないほど子供ではない、
  と綾香は思う。
  ただ、うっとうしいのだ。
  ・・・それだけだった。
  このお嬢様学校を選んだのも、自分に似た境遇の生徒がいれば自分は目立たない、
  そう考えたからだった。
  大好きな格闘技は身ひとつあれば続けられる。セバスチャンも稽古をつけてくれる。
  お嬢様学校に行った方が自分にとっては便利だ、と綾香は確信していた。
  が、来栖川の名は綾香が思っている以上の力があったのだ。
  ・・・その力がうっとうしいわけではなかった。
  その力を”無視している”ように自分をツクルのがうっとうしかった。

「ねぇ、セリオ・・・さん?」
  斜め後ろをついて来るロボットに、綾香は話しかけた。
「セリオ、で結構です、綾香さま」
  敬語は仕様なのだ、と綾香は納得していた。歩く時に決して人間と並ばないことも。
「あんたのこと、詳しくは知らないんだけど、確かジンコウエイセイの」
「人工衛星を利用した情報伝達システム、です」
「そうそう、そのなんとかシステムでどんなことでもできる・・・の?」
「それには語弊があります。
 料理の際のフライパンの返し方など、基本的な動作に関してはダウンロードして
 再現することが可能ですが、私のボディを構成する部品の個性を考えれば完全な
 再現は不可能で」
「わかった。」
  綾香はセリオの講義にストップをかける。
「とりあえず、何でもできるけど完全ではない、と」
「そういうことになります」
「ますます、人間の仕事が無くなるのねぇ。
 ・・・いや、あんたを責めてるわけじゃないんだけど・・・」
  うつむいたセリオに、綾香は言った。
  哲学や社会学に興味はない。綾香は話題を変えることにした。
「ねぇ、あんた、クラブ活動はどうするつもり?」
「放課後の自発的活動団体のことですね」
「・・・そ。それ。 八日間じゃ無理かと思うけど覗くくらいはイイんじゃない?」
  セリオは綾香との視線を外して、少し考えてから言った。
「綾香さまはどのクラブに所属なさっているんですか」
  ほお? と綾香は首を傾げる。このロボット、あたしに興味があるのかな?
  まあ、そういうプログラムなんだろう、と勝手に納得して応える。
「あたしは一応、格闘技関係の・・・」
「格闘技、ですか」
  珍しく、綾香が言い終わる前にセリオが言った。
「格闘技とは、相手の力を無力化するための肉弾戦の手法、と私は解釈しています。
 現時点では来栖川家御令嬢の綾香さまがそれを習得する必要が見出せません。
 綾香さまは、なぜ格闘技をなさっているんですか?」
  ちっちっち、と綾香は人差し指を振った。
「恐い考えは持たないほうがいいわね。 原始的よ、そんなの。
 実力を持ってるヤツら同士にとっては、すっごく楽しい時間なんだから。
 あたしは、相手のことをわかるための手段のひとつ、って思ってる。
 そういうヤツらと、習っていく過程を楽しむの」
  そう言って、綾香はそういうヤツらのことを想う。
  なんの体裁もなく付き合えるライバル。
  ヤツらがいるから、あたしはがんばってこれたんだな、と綾香は心の中で付け加えた。
  そういう綾香をじぃっと見つめているセリオに、綾香は気づく。
「ははっ、ごめん。こんなこと言っても、あんたには興味ないよねぇ」
  しかし、セリオはこう言った。
「いえ、私の与えられた情報とは違う捉え方です。
 非常に興味があります。綾香さまのクラブ活動を見学してもよろしいでしょうか」
  綾香はその言葉がとても嬉しかった。
  それがプログラムかなにかによる回答だとしても。
  ロボットはウソをつけない、というのを聞いたことがある。
  少なくとも、今の言葉はセリオの本心なのだ、と綾香は信じることにした。


  その日の練習、綾香はセリオに簡単なトレーニングを手伝ってもらった。
  セリオが手にした防具に向けて、綾香が打ち込む。
  初めは不安で手加減をしていた綾香だったが、セリオの支持は次第にしっかりしたものになっていった。
  ほぼ十本ほど打ち込むと、セリオは綾香の望むようなリアクションを返してくるのだ。
  打撃の瞬間の丁度うまいタイミングで、ぐっ、と押し返してくる。
  今までに感じた事のない手応えを、綾香は嬉しく思った。
  始めて二十分もすると、二人は猛然とラッシュを続けていた
  珍しく観客が集まり、それにも気づかずに二人は身体を動かしていた・・・。

「もぉ、最高!」
  肩で息をしながら、地面に座り込んだ綾香はセリオに言った。
「よい気分ですね」
  そういうセリオも、息が荒い。
  燃料電池による補助発電・・・とかなんとか説明を受けたが、綾香にはそれが、
  セリオの頑張りの現れに思える。
「ねえ・・・セリオもやってみたら?」
「私が・・・打ち込むんですか」
  うん、とうなずいて、綾香は防具を手に持ってから、立ち上がる。
  制服姿のままのセリオは、おどおど、と綾香の前に立ったが、意を決して防具を睨んだ。

  固く握り締めた拳が空を切る!
ぽふっ。
  カモシカのような足が宙を舞う!
ぱふっ・・・ぺたん。

  バランスを崩したセリオは尻もちをつく。
  それでも真剣なセリオの表情に、綾香は微笑んだ。
”あっ、そうか・・・”
  綾香は十年くらい前の、自分とセバスチャンの稽古風景を思い出した。
”おんなじなんだな、あたしと”
  姉を助けたセバスチャンの豪拳を目にしたのが、綾香の格闘技への目覚めだった。
  いま、セリオも自分との出会いによって、拳を打ち込んでいる。
  それは”綾香という人間に命令されたから”かもしれないのだが、
  少なくともセリオは自分に興味を持ってくれたのだ。
  来栖川綾香ではなく、綾香に。
”あれ?”
  綾香は唐突に気づいた。
  練習中に笑うなんて、何年ぶりだろう?
  練習は楽しい。身体を動かすのは楽しい。
  だが、その際中にその喜びを顔に現わすのは、久しぶりのことだった。
「・・・不思議なコね、あんたは」
  綾香は小さな声でつぶやいた。
「なにかおっしゃいましたか」
  打ち込みを中断して、セリオは綾香を見つめた。
「お茶にしないか、って言ったのよ」
  ウインクして、汗を拭く。
  そのタオルはセリオに放った。
  彼女も玉のような汗を流していたから。


  やがて、二人は学校内の食堂に着いた。
  食堂は営業時間を終えていたが、綾香はザックから紅茶のティーバックを取り出した。
  厨房のところまで歩き、腰の高さ程度のカウンタを飛び越して、厨房に入る。
「よろしいのですか・・・」
  セリオはマジメな性格らしい。
  こいこい、にゃあぁぁ、と綾香がマネキネコの真似をすると、セリオも同じ様にカウンタを飛び越した。
「これで同罪ね」
  にやり、と笑う綾香に対して、セリオは無表情。
「はて、ここはどこでしょうか」
  大笑いしながら、綾香はポットを火にかけた。
「あ、私に煎れさせてください」
「そう? じゃあ、お願いしようかな・・・あんたは何が飲めるの?」
  綾香は、気になっていた質問をセリオに投げかけた。
  オイルとか言われたら、自動車部に向かって走るつもりだった。
  そのくらいのお返しはしてあげたい。今日は本当にいい気分になれたから。
「それでは、私は水をお願いします。常温で結構です」
  と、セリオは水道の蛇口を指差した。
  なるほど、とうなずいて、綾香は厨房に密かに備え置いたカップを二つ、取り出した。
  こんなことなら、お気に入りの茶葉を用意しておけば良かった、と思った。
  姉以外とお茶を飲むなんて何年ぶりだろう・・・と思いながらセリオを見ると、
  なにやら怪しげな作業をしている。
  手にしたティーバックを三袋、破いてしまった。
「せ、セリオ、それはね・・・」
「まあ、任せて下さい、綾香さま」
  手を洗い、沸き始めたキュウスの口から昇る湯気に手の平をかざす。
  暖まったそこに、ちりぢりの茶葉をふりかけ、一揉み。
  煮立ったキュウスを開き、茶葉を入れてから火を落とす。

  数分して、セリオが茶コシで注いでくれた紅茶は、なんともかぐわしい、極上品に変わっていた。
「おいしいっ!」
  とてもおいしかった。
「研究所の方々がしているのを真似ただけなのですが。 気に入って頂けて良かったです」
  そう言って微笑むセリオを見て、綾香はびっくりする。
「・・・あんた、笑えるのね?」
  はっ、としてセリオは自分の頬を両手で撫でる。
「これが」
  セリオは一度うつむいてから、再び綾香を見た。
「これが”嬉しい”、という状態なのですね」
  ぽんぽん、と綾香はセリオの肩をたたく。
「もし・・・」
  にっこりと笑って言う。
「もし良かったら、明日も一緒に練習しない?」
  ”飾り笑い”以外の笑いを人に見せるのは久しぶりだった。
「もちろんです、綾香さま。 ぜひ、お願いします」
  そう言ってセリオは産まれてから二度目の微笑みを綾香に送った。





  セリオはほとんど毎日、綾香の練習につきあった。
  少しずつ進歩していくセリオの運動性能に、綾香は感心した。
  もう一年も練習を続ければ、自分と同じレベルになるのではないか?
  などと思ったりした。

  その日は特別な日だった。
  セリオの最終登校日。
  綾香は、練習は無しにして一緒に街を歩こう、と言い、セリオも同意した。
  まあ、また会うこともあるだろう。
  でも、ピリオドとして思い出を作っておきたかった。
  セバスチャンにも、邪魔はしないで、と言ってあるので今日はセリオの許せる時間まで遊び続けよう、と思った。
  こういう時、師匠=セバスチャンの立場は難しい。
  師匠と執事という二つの立場に挟まれて、苦悩していた彼だったが、綾香の意見を尊重してくれた。

  セリオは今頃、先生や動物達や他の級友に挨拶をしているはず。
  それで、ここで待ち合わせている。
  ゲームセンター前のバス停・・・姉の高校の近く。
  ここから駅まで出て、繁華街へ行くつもりだった。
  洋服を見る、なんていう行為も一人では退屈だったが、セリオとなら楽しそうね、などと考えていた。

  そのとき。

  左後方に”気”を感じた。
  反射的にしゃがんで息を止める。
  その方向を探査、三人の男がこちらを見ている。 笑って。
  そのうちの一人、左腕を吊った男に綾香は見覚えがあった。
  たしか、クラスメートにちょっかいを出していたのを、注意したことがある。
  あくまで”注意”しただけだったが、逃げ去る男の左腕は使い物にならなくなっていた。

”お礼参りかぁ・・・”

  立ち上がりながら、時間を確認する。
  セリオとの約束まで十五分。 すなわち、ひとり=五分。
  舌なめずりをして綾香は三人に不敵な微笑みを送った・・・・・・
  ・・・つもりだった。
  ぐらり、と背景が傾く。
  左の二の腕に小さな刺痛がある。
  そこに小さなダーツのようなものが刺さっているのが見える。
「おお、ひさしぶりだなあ」
「なに寝てんだよ、こんなとこでー」
「しょうがねぇなあ」
  にらみつけようとしたが、視点が変わらない、安定しない。
  ひときわ大きな身体の男が、倒れそうな綾香を受け止め、背負った。
「ほらほら、いつものトコ、行くぜ」
  わざと大声で叫んだ男だったが、その声さえもなにかのゲームの爆発音にかき消される。
  プリントシールかなにかの呼び込みの声が、綾香の聞いた最後の音声だった・・・。
    ・
    ・
    ・
  セリオは時間通りに待ち合わせ場所に来た。
  いない。
  綾香の痕跡がない。
  遅れる要因は、ない。
  セリオは演算結果ではない、”予感”を認めた。
  環境探査。
  周辺になにか”過去”を残すデバイスはないか。
  ・・・あった。
  バス停に近い位置にあるプリントシール装置。
  デモのため、数分おきに自動的に街の様子が取り込まれているはず。
  セリオは走り寄り、基板に最も近い位置に指を当てて、目を閉じた。
”電磁波検出開始−−−−RDFD社OSを確認”
  非接触の電磁誘導方式で、アクセス。
”映像情報保管領域を検索−−−コネクト”
  あっさりと見つかった。しかし、それは五分おきに更新されるらしく、
  したがって、五分以上前の映像はない。
  だが、なぜか十五分前と十分前の映像だけ、hiddenで保存されている。
  バグか何かか?
  セリオはそれをダウンロードし、短期記憶内の映像領域で再生。

  倒れる綾香、連れ去られる綾香。

  十分前の映像が指し示す男たちの進行方向を、セリオは見つめた。
  大ごとにはできない。警察は呼べない。自分が行く。
  それから、上空を仰ぎ見る。
  常に降り注ぐGPS衛星からの信号のひとつを掴む。
  セリオは中央官制衛星の位置を計算し、地上基地からのダウンロード可能と判断。
  中央官制衛星のトランスミッタ機能を介して、来栖川データのデータベースへのアクセスを試みる・・・
  ・・・が、そのための発信には、現状の充電率では心許ない。
  救出の際の駆動用電源残量を確保しておく必要がある。
  セリオは再び周辺を環境探査。
  プリントシール装置の下に100Vコンセント。
  ・・・使える。
  人に見られぬように、左手首を正確に右10度、左45度、右20度、右18度の順で回す。
  ぼしゅっ、という音とともに水密パッキンを抜けて左手首がスライドする。
  もう一度、見られていないことを確認してから、しゃがんでトラ模様のコード二本をコンセントに差し込んだ。
  顔を上げて、上空を見つめ、発信。
  中央官制衛星経由で、すぐに地上基地に繋がる。

: >login
: >to K-main database from CPU HMX-13
: >ID********  pass****************
: >command?
: >ld "guard"
: >Ready
     00...........
     000000.......
     00000000.....
     0000000000000
: >complete
: >logoff

  動力線を格納し、立ち上がる。
「ありがとうございます」
  ぺこり、とプリントシールの機械におじぎをしたセリオは、全力で駆け出した。
  それは普段のセリオからは考えられない速力だったが、まるで機械人形が走るようなぎこちないモーション。
  そして、その顔はなぜか悲しげだった。
    ・
    ・
    ・
  気がつくと、綾香は暗い部屋の中に居た。
  一人の男が綾香を後ろから抱きついて、制服の前をめくり上げている。
「へえ、まともな下着じゃん」
  刺された薬品は即効性の弛緩剤だったらしい。すでに上半身の力は戻りつつある。
  しかし、いかに綾香でも、この状態では反撃できなかった。
  両親指を背で縛られ、両膝と両足首も縛られている。
「動けなきゃタダのお嬢さまだな」
  綾香はなにも言わなかった。
  表情も変えなかった。
  たとえ、このまま汚されたとしても、無視し続けるつもりだった。
  ただ、自分をとりまく三人の男の顔をしっかりと脳髄に焼き付けた。
”いつか、復讐する”
  処女性とかなんとか、そういうものにこだわったことはなかった。
  しかし・・・。
  こんな奴等に、という悔しさは爆発寸前だった。
  そして・・・つい最近の姉の姿・・・男友達と楽しそうに話す姉の姿を思い出したとたん、それは爆発した。
「やめて!」
  こんな形で、こんな奴等に・・・そんなのは絶対に絶対にいやだ。
  姉さんみたいに、好きな人ができて、その人と結ばれたい。
  その叫びは、さるぐつわでくぐもったが、男たちはにやりと笑った。
「カメラの用意、しておけよ。 こういう表情じゃないと意味がないからな」
「来栖川家ご令嬢の艶姿、高くユスれるぜ!」
「借りはタップリと返してヤルからな・・・」
  左腕を吊った男が笑った。
「最近はヘンなロボットが一緒だったからな、苦労したぜ」
「そうそう、来栖川の造った護衛用かなにかだろ。過保護だよなあ、こいつ」
  びくっ、と、綾香は過保護という言葉に反応した。
  そう呼ばれないために強くなった、というのは隠していた動機のひとつだった。
  でも、今の自分はどうだ。
  結局、なにもできない。反抗できない。
「お嬢さまのお供は奴隷ロボット、ってワケか」
「言われるままに動くんだろ? そんなヤツしかおまえには寄り付かないんだよ、
 独りぼっちの、お・嬢・さ・ま」
  そんなことない。
  セリオはちがう。
  弱々しい動作でも、精一杯練習につき合ってくれた。
  他の、下心を持って近寄って来るヤツらとはちがう・・・。
  男の手が下着のフォックにかかった。

  扉が吹き飛んだのはそのときだった。蝶番もろとも、まさに吹き飛んで。
  扉は金属製のものだったらしく、影で外を伺っていた一人は、下じきになり、気絶した。

  セリオだった。
  ”あんた一人じゃ無理よ!!”
  綾香はさるぐつわの奥から叫んだ。
  そんな綾香のあがきに、セリオは気づいていないようだ。

「綾香さまを放しなさい」

  リン、とした声が響く。
  綾香は愕然とした。
  セリオではない。セリオの声じゃない。
  まるでロボットだ。金属的な合成音。
「おいおい、ロボットのおでましか」
「子守りロボットか? 動くなよ、動くと」
  綾香の小首をつかもうとした包帯男は動かなくなった。

  綾香には見えなかった。

  男の直前、低姿勢でセリオがしゃがんでいる。
  その拳は深く、男の下腹部に食い込んでいた。
  綾香の背に居た大柄な男は、反射的に退いた。
  身体に似合わぬ、俊敏な動作。
  格闘術を体得している。
  セリオは身を転がして、左方向に跳ねる。
  金属バットが、リノリウムの床にヒビを刻んだ。
「警告します」
  言ったセリオの居た空間を、バットがなぎ払う。
「右中四骨骨折、全治三ヶ月」
  オレンジの影が走ったかと思うと、バットを握る男の指に手刀が入っていた。
  カラン、と落ちる得物をセリオが蹴って遠くに離す。
「左第四肋骨折損、臓器に異常無し、全治六ヶ月」
  殴りかかる男の左拳小指第三関節に向けて、セリオが左拳人差し指第三関節を衝突させた。
  牙斬。
  ひねったセリオの拳は、男の小指を砕いた後、男の腕を這う蛇となる。
  それは予告通りの位置に沈み、男の拳は空しく宙を切った。
  綾香がいまだに会得できない技を、セリオはやすやすと放った。
「映像情報は法廷での物的根拠に使用可能。当方、来栖川綾香の勝訴の可能性は90%です。
 起訴いたしますか?」
  ずん、と男は床に沈む。意識はまだ、ある。
「二度目はありません」
  聞こえるように言ってから、セリオは大男の鳩尾に肘を入れた。
  恐怖に歪んだ表情のまま、大男は気を失った。

  セリオは鞄からビニール袋を三つ取り出すと、それぞれ倒れている男たちに握らせた。
  それから、買ったばかりらしい包装包みを破き、小瓶を取り出して中身をバラまいた。
  ビニール袋の中にも念入りに。
  有機溶剤の香りが部屋中に充満する。
「急ぎましょう。いま警察に通報しました。学生が狂って殴り合っている、と」
  もとの口調に戻ったセリオは、綾香を抱き上げ、部屋を出た。
  全速力で走るセリオに身を預けた綾香は、自分の中に奇妙な憎悪が巻き起こるのを感じていた・・・。



  数分後には、二人は公園にいた。
  戒めを解かれた綾香は、ベンチに寝かされている。
  そこへ、セリオが戻って来た。
  水を浸したハンカチを、綾香の額に置いた。
「どうして・・・」
  そう言って、綾香はセリオを睨みつけた。
「どうして弱いフリしてたの?」
  声が裏返った。
  男たちに対して何もできなかった自分に、腹が立つ。
  その悔しさが、セリオにアタっている理由のひとつであることに綾香は気づいていたが、
  止められなかった。
  それほど悔しかった。憎かった。
  あいつらが。
  自分が。
  ・・・セリオが。

「あたしに気に入られたかったわけ?」
  セリオは何も言わなかった。
「あたしを守るために、上から命令されて来たわけ?」
  セリオは何も言わなかった。
「やっぱり、あんたもその他大勢と一緒なのね。
 あたしに手加減してたんだ!
 ホントはそんなに強いのに、あたしにおべっか使ってたんだ!」
  自分に近寄ったのもプログラムなのかもしれない・・・。 きっとそうだ。

「違います」

  セリオは首を大きく振った。とても大きく。オレンジ色の髪が、揺れる。

「違わないわ!
 それで、この八日間思ってたのよ。”このお嬢さま、イキがっちゃって”なんてね」

  そう。私はお嬢さま。そのお嬢さまの機嫌をとるために造られたセリオ。

「違います、綾香さま! 先程の私はホンモノの私ではありません!」

  珍しく叫んだセリオだったが、もはやその声は届いていない。
  綾香は黙った。
  セリオも黙った。
  綾香は涙でくしゃくしゃになった顔をセリオに向け、見た。
  無表情。
  泣かない。
  ロボット。
  ただの機械・・・・・・


「やっぱりそうなんだ」

「綾香さま?」

「やっぱり、あんたは・・・

 あんたはロボットよ!
 人間にへつらうことしかできない、心なんて無い、ただのガラクタなのよ!!
 あたしにおべっか使うヤツらと一緒なんだ!!!」

「・・・私は来栖川電工メイドロボHMX−13、セリオです」

「そんな名前、知らないよ!
 ロボットはロボットらしく番号だけで呼ばれるのがいいんだ!」

「・・・申し分けございません」
  それだけ言うと、セリオは自分の鞄を取り、綾香に背を向けた。
  歩み去るセリオが公園の向こうに消えるまで、綾香は動かなかった。

  護衛用だったんだな、あいつ。 お嬢さまの、護衛用ロボット。
  生意気な、イキがってるお嬢さまにうまく取り入るためのプログラム付き。
  悔しかった。
  信じていたのに。
  あいつだけは、自分を一人の普通の女の子と思ってくれていると、信じていたのに。
  形容詞なしで付き合える友達が増えたと、信じていたのに。
  そこで初めて、綾香は自分の頬をつたう涙に気づいた。
  さっきだって、泣かなかったのに。
「う・・・」
  ベンチに腰掛けたまま、頭をかかえて綾香は泣いた。
  泣き続けた。



  − − − − − − − − − − − − − − − − − −

  数十分後、セリオはマルチと共に帰宅のバス内にいた。
  マルチは泣きながら手を振っていた。
  バス停が見えなくなっても振っていた。
「良い方ですね」
  セリオは語りかけた。
  そこで初めて、マルチは手を振っていた相手が見えなくなったことを知る。
  涙でCCD像が歪んでいたのだろう。
「・・・セリオさんはどうでしたか?」
  袖で涙を拭い去り、マルチは微笑み直してからセリオに尋ねる。
「え?・・・」
「セリオさんは、学校でいっぱい友達が出来ましたか?」
  マルチの微笑みは本当に優しい、とセリオは思う。
  セリオはその優しさに応えるために、正直に答えた。

「とても良くして下さった方が、ひとり、いらっしゃいました」

  まあ、どんな方ですか、と尋ねるマルチの声がやけに遠い。
  セリオは自分の感覚中枢が鈍くなっているのを感じる。
  それでも、言葉を紡ぎ出して、言った。

「でも・・・今日、嫌われてしまいました・・・」

  そう言うと、セリオはマルチに微笑んだ。
「・・・大丈夫ですか、セリオさん?」
  はじめ、セリオはマルチの質問が理解できなかった。
  が、自分の頬をつたう何かを感じ取り、頬を押さえた。

  涙だった。

  純水で擬似された、塩分のない、涙。
  この機能を使うのは八日間で初めてだった。
  これが、”泣く”という機能なのだ、と基本アルゴリズムが学習する。
「マルチさん・・・」
  流れる涙は、セリオの頬をつたって床に落ちる。
  止まらなかった。
  止められなかった。


「”悲しい”って、とっても悲しいことなんですね」


  うつむいたセリオは、それっきり何も言わなかった。
  マルチは震えるセリオの背を、さすってあげることしかできなかった。