「恋する乙女は。」 by AE 1998.4.15 ピ、ピンポーン。 わたしは藤田家の呼び鈴を押した。 人差し指がふるえてる。 少しして、ドアの向こうから足音が聞こえてきた。 一人じゃない。 二人。 いつものドタバタ音と、たよりない足音。 きっと、目覚めたばかりで身体がうまく動かせないんだろう。 ”あかり、あかりか? マルチが、あの時のマルチが戻って来たぞ! 紹介したいから今から・・・・・・まだ、うまく歩けないみたいだな。 ・・・なに?大丈夫? 無理すんなよ。 あかり、やっぱりおまえが来てくれないか?!” ”浩之ちゃん、とっても喜んでたなぁ・・・。” 数分前の電話をわたしは思い出していた。 言うだけ言って切れたので、わたしは何も言えないまま受話器を落とした。 そのまま、玄関へ向かい、靴を履いて、ドアを開けて。 全自動でわたしは歩いた。 体感時間=10時間くらいで彼の家の前に着き、気づいたら呼び鈴を押してたんだ・・・。 がちゃがちゃ、とドアの鍵を開ける音がして、わたしは我に帰った。 また体感時間が長くなる。 わたしに向かってゆっくりと開いてくる、いつものドア。 すきまから覗く、いつもの顔。 幸せそうにほころんでる浩之ちゃんの顔。 そして・・・。 その向こう、玄関から一段上がった所に立っている小さな人影。 白いレオタードのような服装、ベージュの厚手のストッキング。 数日前、わたしが初めて見た時と同じ姿だけど・・・何かが違った。 その顔には、微笑みがあった。 わたしも三年前に見たことがある、優しい微笑み。 「あのロボット、とってもいい子だったよね」 たしか、わたしはそう言った。 とてもうっかり屋さんで、とても泣き虫で、それでも一生懸命な、メイドロボット。 この三年間、浩之ちゃんから聞かされたので、彼女のことは良く知ってる。 マルチちゃん。 戻って来たんだね。 浩之ちゃんとの約束通りに。 照れ臭そうに、浩之ちゃんは彼女の・・・ ・・・その愛らしい少女の両肩に手を置いて、わたしに言った。 「あかり、あらためて紹介するよ。マルチだ。 俺の大切な・・・」 恋人・・・・・・・・・・ ・・・だよね、浩之ちゃん。 うん。 わかってたよ。 いつかこの日が来るって。 マルチちゃんの代わりでもいい、って言った修学旅行の夜。 あの時から、ずぅっと、ずぅっと、この日が来るのはわかってて、悩んでたよ。 ・・・でも、この三年間、とても楽しかった。 だって浩之ちゃん、とっても優しくなったんだもの。 きっと、それもマルチちゃんのおかげなんだよね。 二人でいる時、彼女のことをなるべく言うまい、って気を使ってくれたあなた。 わたし、そんな優しさがとっても嬉しかった。 ・・・・・・とても恐かった。 本当はこの日が来て欲しくなかった。 ずっとこのまま、わたしだけの浩之ちゃん、で居て欲しかった。 でもね。 ちゃんとわかってた。 浩之ちゃんの恋人はマルチちゃん。 わたしは、少し元気のなかった幼なじみを支えていただけ。 恋人を演じてた幼なじみ、ってとこかな。 それも、今日で終わりかあ・・・。 明日からは”本当の”幼なじみに戻るんだ。 浩之ちゃんを起こすのはマルチちゃん。 朝ご飯を作るのもマルチちゃん。 お弁当を作るのもマルチちゃん。 お掃除をするのもマルチちゃん。 お洗濯をするのもマルチちゃん。 お夕飯を作るのもマルチちゃん。 一緒に寝るのも・・・・・・・ ・・・・・・いつの間にかうつむいていた、わたし。 だめだ。 だめだだめだ。 だめだだめだだめだ。 ちゃんと見なきゃ、二人を。 わたしの大好きな浩之ちゃんと、浩之ちゃんをこんなに優しく変えてくれた素晴らしい彼女。 ちゃんと、お別れをしなくちゃいけないんだ。 泣いたらいけないよ。 泣いたりしたら、浩之ちゃん、きっと困る。 顔を上げなさい、あかり。 笑いなさい、あかり。 ほっぺたを何かが降りていく。 それでも、わたしは精一杯の微笑みを作って・・・作ったつもりで・・・顔を上げた。 そこに浩之ちゃんがいる。 マルチちゃんがいる。 練習しなきゃ。 次のあなたのひとことを聞いてから、わたしはこう言うんだ。 「よかったねぇ、浩之ちゃん。 はじめまして、マルチちゃん。わたし、神岸あかりです。 浩之ちゃんの”幼なじみ”です。 これからもよろしくね」 ・・・・・・時間の流れが本当におかしい。 初めての夜と同じだ。 ゆっくりと流れていく感じ。 あの時は、浩之ちゃんと過ごした流れ。 でも、きっと、これから浩之ちゃんはマルチちゃんと過ごすんだね。 浩之ちゃん。 ありがとう。 ・・・そして、あなたのくちびるが、次の言葉をつむぎ出した。 「・・・俺の大切な、先生、なんだ」 え?! わたしは目を見開いてたに違いない。 マルチちゃんも驚いて顔を上げて浩之ちゃんを見た。 二人のびっくりした視線を受けて、浩之ちゃんもびっくりしたようだけど、 それでも、わたしを見つめて、続けた。 「は、恥ずかしいけどさ、俺が今の俺になれたのは、こいつのおかげだ。 一生懸命頑張ることを教えてくれた。 人のことわかってやろうとする努力を教えてくれた。 俺はこれからも、マルチにいろんなこと教わりたい。 こいつみたいな人間・・・って言うとおかしいけど、こいつが傍にいれば、 なんだってできる気がするんだ」 ぽりぽり、と鼻の頭を掻く。 「で、これからもよろしく頼む、あかり」 ぺこり、と浩之ちゃんはわたしにおじぎをした。 え? こんなことって、なかった。 これまで一度もなかった。 浩之ちゃんが、わたしに、お礼を言ってる? こんなに丁寧に? 「言っとくけどな、俺、おまえのことマルチの代わりだなんて一度も思ったことないぞ。 あかりはあかりだからな、俺にとっちゃ。 ただ・・・、マルチが戻って来る前に、 このセリフを言うのは絶対おかしいから・・・だから、言えなかったんだ」 そう言って、浩之ちゃんは今度は頭を掻いた。 それから、大きく、大きく息を吸って、 「・・・・・・言うぜ。 マルチ、神岸あかりだ。 子供の頃から一緒だったんで、幼なじみでもある。 なにより、おまえが居なくて、俺がしょげてた時、元気づけてくれた。 お、おれの、俺の・・・」 わたしは、アガっている浩之ちゃんを生まれて初めて見た。 「俺の大事なひとだ」 浩之ちゃんは微笑んで、とん、とマルチちゃんの背を押した。 たたっ、とマルチちゃんはわたしのところまで降りて来て、わたしを見上げる。 「あ、あかりさん。 あの、はじめまして。 来栖川電工メイドロボ、HMX−12マルチと申します。 三年前、浩之さんには本当にお世話になりました。 せんせい、だなんてとんでもありません。 浩之さんの方が私の先生です。 いま、私が目覚めることができたのも、待っていてくれた浩之さんの・・・ それに、浩之さんを支えていたあかりさんのおかげだと思います。 まだまだ未熟な私ですが、これからよろしくお願いいたします」 そう言ってマルチちゃんが、ぺこり、とおじぎをした。 わたし、ふるえてた。 涙が止められなかった。 それでも、おじぎをして、言った。 「はじめまして、マルチちゃん。わたし、神岸あかりです。 これからもよろし・・・」 それしか言えずに、わたしは袖で涙をぬぐった。 「俺の惚れるヤツって、どうして泣き虫が多いかな〜?」 そう言って浩之ちゃんは、玄関に降りてからわたしの両肩を抱いた。 「どうせ、 ”マルチちゃんが帰って来たからわたしは用済みなんだ” なんて考えてたんだろ?」 びくっ、としてわたしは浩之ちゃんを見た。 びくっ、としてマルチちゃんも浩之ちゃんを見た。 「おまえの単純思考なんて見え見えだよ。 俺って、そこまで鬼畜じゃないぞ。 そんなふうに見えるか・・・?」 ううん、とわたしは首を振った。 「すっごい自分勝手な意見だけどさ、俺、あかりもマルチも大好きだ。 どっちか、なんて考えられない。 だめかな・・・こういうの。 ワガママかな、こういうの」 ううん、とわたしは首を振った。さっきよりは小さく。 だって、すぐには、答えは出せそうにない。 でも、高校生だったわたしは・・・まだ少女だったわたしは・・・言ったんだ。 「マルチちゃんみたいな子だったらいいかな」 って。 信じてみよう、少女だった頃の自分の想いを。 浩之ちゃんを優しくしたこの娘を。 浩之ちゃんを好きになったこの娘を。 うん、とうなずいて、わたしはライバルだったロボットを見た。 ・・・・・・似てる、って思った。 この娘、わたしに似てる。 あの頃、浩之ちゃんを独りで想っていた頃、わたしもこんな瞳で浩之ちゃんを見てたんだろうか? そして、いまも。 マルチちゃんの瞳には、私が同じように映ってるんだろう。 わたしは、もう一人のわたしを、そっと抱きしめた。 ライバルじゃない。この娘はわたしだ。わたし自身だ。 会社の方針かなにかで、浩之ちゃんに会えなかった、マルチちゃん。 彼女を忘れられない浩之ちゃん(とわたしが勝手に思い込んでた)に振り回されてた、わたし。 この三年間、二人とも、想い人に会えていなかったんだ。 だから、今日から始まるんだね。 ホントウのわたし”たち”が。 今日=マルチちゃんの誕生日は、わたしもお祝いしてもらわなくちゃね。 「マルチちゃん・・・」 わたしは、胸のあたりにあるマルチちゃんの顔を見て言った。 「いっしょに料理とか、洗濯とか、掃除とかしようよね。 浩之ちゃんってズボラだから、ホントに忙しくって。 ”わたしがもう一人いたらなあ”なんて思ってたんだ」 「はい! 喜んで! わたし、本当にドジですから、あかりさんのジャマしちゃうかもしれませんけど・・・ 一生懸命、がんばります。 よろしくお願いしますっ!」 一歩下がってから、前よりも深々とおじぎをするマルチちゃん。 それから、両手を合わせて目を閉じて、幸せそうに話す。 「・・・わたし、夢だったんですよー。 幸せですぅ、こんなお家で、浩之さんと、奥さんのために働けるなんて・・・」 は? 浩之ちゃんの両目が点になった。 たぶん、わたしも同じだろう。 沈黙した二人をよそに。 マルチちゃんは頬に手の平を添えて、もじもじ、と夢の世界にひたっている。 「こら、マルチ」 こつん、と浩之ちゃんはマルチちゃんの頭を軽くたたいた。 「え、あ、ちがうんですか?」 「うん、それはまだ先の話だよ、マルチちゃん」 わたしも、頬に手をあてて、もじもじ、と言う。 ぱくぱく、と何かか言いたげな浩之ちゃんだったけど、わたしがにっこりと微笑むと黙ってしまいました。 それでも、浩之ちゃんはくじけなかった。 「マルチには本当に世話になったんだ」 浩之ちゃんはニヤリ、と笑ってわたしを見つめる。 あ。 外道モード突入だ。 ヒトのこと、平気で犬呼ばわりするモード。 襲いかかる敵の攻撃に、わたしは身構えた。 「・・・初めてのとき、うまくいったのもこいつのおかげなんだからな」 「!・・・・・・」 「!・・・・・・」 つうこんのいちげき!! あかりとマルチは500MPをうしなった。 くらくら・・・・・。 なっ。 なんてヤツ。 そういうこと言うか、フツウ?! そこまで言っちゃうか、フツウ?! わたしもマルチちゃんも真っ赤だ。 ・・・もしかして、これって、浩之ちゃんのイタズラ? まさか、いままでは前座で、これを言うためにわたしを呼んだワケ? 「ひ、ひ、浩之ちゃん・・・」 ん?、とニヤけたままの浩之ちゃんがわたしを見る。 わたしは腕時計を眺めながら、なに食わぬ顔で(怒りを溜めたまま)続けた。 「長瀬先生の物理概論1、休講とりやめだって」 ぎく、と機械工学部所属藤田浩之くんの表情が変わった。玄関の柱時計を見上げる。 「ウソ・・・?」 「ホント。 今朝、掲示板に書いてあったよ」 ・・・もちろん、ウソだ。 朝の掲示板には”休講”の表示がそのまま残っていたもの。 半年限定の必修講義は出席管理が厳しい。浩之ちゃんはもう余裕がないはずなのだ。 このくらいの反撃は神様もお許しになられることでしょう(ニヤリ)。 浩之ちゃんが振り向くのと、階段を駆け上がるのはほぼ同時だった。 「マルチちゃん、出かけようよ」 にっこりと笑って、わたしはわたしの同盟軍を見る。 きっと、これからも、わたしたちはあの甲斐性無しに悩まされ続けるのだ。 同じ女性陣には、今のうちに和議を申し出ておくのが得策というものでしょう。 「え?・・・でも浩之さんが・・・」 純粋なマルチちゃんは、浩之ちゃんの心配をしている。 ほんとに優しいんだなあ・・・。 だからこそ。 この娘が不幸にならないように。 わたしがしっかりと、あの甲斐性無しを調教しなければならないのですね。 わたしは心の中で両手を組んで、天にお祈りを捧げました。 それから、マルチちゃんの白いレオタードのような姿を見つめて、 「いつまでもそんな格好じゃいられないじゃない。 わたしのお古でよかったら、着てくれないかな。 あ、ついでにお買い物に行こう! マルチちゃんに似合う服、選んであげるよ。 あ、志保もこっちにいるんだ、今。 あの娘も誘って・・・その前に紹介して・・・、隣の駅まで繰り出そう!」 は、はい、とうなずいてマルチちゃんは、 「じゃ、じゃあ、浩之さんが用意してくれてた下着とか服とか、着て来ます」 ふぁっきん!! あのヤロ〜、わたしに黙ってなんてモノを買ってるの?! 心の中で、中指を立てるわたし。 まあ、それは帰ってから追及することにしましょう。 その時、通学用のザックを背負って、浩之ちゃんが階段を転げ落ちてきた。 「や、やっぱり俺も一緒に・・・」 「さっさと行く!」 ばあんっ!、とわたしはこの甲斐性無しの背中を思いきり叩く。 もちろん、グーで。 ごふっ、と咳込んで浩之ちゃんはドアから弾き出され、駅に向かって徒競走を始めた。 ポツン・・・、と取り残された女性陣二人。 少しして、マルチちゃんはわたしと視線を合わせた。 「あ、あのぉ・・・」 おずおず、とドアを指差す。わたしは首を横に振って、きっぱりと言う。 「浩之ちゃんは甘えんぼだから、たまにはこのくらい突っ放した方がいいんだよ。 さ、早く出かけよ? なんか、妹が出来たみたいで嬉しいや、わたし」 上目使いのまま、マルチちゃんは言った。 「あ、あかりさんって、お強いんですねぇ」 ちょっと脅えているマルチちゃんに、わたしは微笑んでガッツポーズ。 「恋する乙女は、無敵です。」 以上。