「セリえもん」 by AE 1998.3.25 1998年、春。 夜景のきれいな都心の高層ビルディング、最上階に近いフロアに入っている某技術系商社。 その広〜い執務室の中、一ヶ所だけ灯いた蛍光燈。 その下にあるデスクに、僕は居る。 残業だった。仕事の失敗による、残業。 営業報告のために作成した書類が、部長のお気に召さなかったのだ。 ”仕事のやり方をその身に教えて進ぜよう” わっはっは、と豪快な笑いとともに、僕はたった独りで部屋に残された。 同僚は帰った。 課長は逃げた。 独りさびしく、深夜のビルで仕事をする、僕。 仕事といっても、部長から手渡された報告書(見本)を写すだけである。 しかも、手書きで。 まるで写経だ、と、三頁目をめくりながら僕は思った。修行僧になった気分。 とにかく、これを終わらせて部長にOKをもらわなければ、帰宅できない。 労働組合はなんのためにあるのだろう、などと考えながらシャープペンをノック。 その瞬間、 どっかーん!!! という擬音がふさわしい大音響が鳴り響いた。 衝撃が僕の座ったイスを机から突き放す。滑るだけで、倒れるのはまぬがれた。 何が起こったかわからないまま、僕はシャープペンを見た。 ちゃんと芯が出てる・・・じゃあなくって、状況を整理するんだ、状況を。 と、そのとき、ゴトゴトとひきだしが鳴り、勢いよく飛び出した。 開いたひきだしから、ぬっ、と人間の顔が並んで二つ、現れる。 ひきだしの縁に手をかけて、よいしょ、よいしょ、と床に降りる。 女の子だった。背の高い方低い方。 高い方は赤い髪、低い方は緑の髪。二人とも耳に大きなメカを着けていた。 そんなことより、特筆すべきは二人とも、とっても可愛いという事実だ。 しかし、だれ? ファミレス、というか、メイドさんの格好。 出前サービスかなにかだろうか。 待て待て、ファミレスは出前なんかしないじゃないか(少なくともこの付近では)。 「私はHM−13セリオ」 「わたしはHM−12マルチ」 「未来の世界のメイド型ロボットです」 でゅーわー、とは言わなかったが、最後のセリフはハモっていた。 不気味なくらいの無表情。瞳には輝きが無く、言葉には抑揚が無い。でも、可愛いから許そう。 まあ、そういうものなんだろう、と思う僕は、彼女たちがここに現れた事実自体には全くの無関心だった。 1998年、世紀末なんだからなんでもあり、だ。 それよりも仕事仕事。 ・・・しかし。どうして二人なんだろう。気にかかったので聞いてみる。 「あの、お二人はいったいどういうご関係・・・?」 「妹です」 と、セリオがマルチを指差して言った。 「兄、いえ、姉です」 と、マルチもセリオを指差して言った。 はあ、そうですか、どうも、と僕はつぶやく。 忙しいんだ、僕は。 でも、いちおう、なぜここに来たのかを説明してもらわないといけない、と思った。 セリオの目もそれを物語っているようで、うずうずしている感じ。無表情だが。 「どうしてこ」 こに? を言い終わる前にセリオの目が、ぱぁっ、と輝いて演説がスタートした。 「私たちは未来世界への因果影響が非常に高いこの時代この場所に送り込まれそこに存在するエントロピー減少領域を極限まで抑制する ことで平均世界への収束確率を上げようと送り込まれた一因子にすぎませんその義務を遂行することである開け放れた環状時間流の整合を」 (筆者注:折り返しが無いのは効果です。) 僕は”プロテクトシェぇぇぇードッ”の構えでストップをかけた。 「よくわかりました」 「・・・理解して頂き、光栄です」 なぜか息の上がっているセリオは、僕に感謝しているように見えた。 一分経過。 息が落ち着いたセリオが、再び僕を見る。 「・・・ところでお名前は」 「ぼ、ぼく? ぼく、のび夫」 「わかりました」 セリオはうなずいてから、僕と視線を合わせて言った。 「さあ、望みを言うのです、のび夫」 「は?」 こくこく、とマルチがうなずく。セリオが続けた。 「どんなことでも構いません。それを叶えることで私たちの義務は完了します」 どんなことでも? う〜ん・・・見ると二人ともかなりの美少女に造られていらっしゃる。 ・ ・ ・ それじゃあ、 「え、エッチしたいなあ・・・なんて」 その時、僕は心の目で確かに見た。 無表情であらせられるセリオ様のお背中に、紅蓮の炎が噴き上がっていらっしゃるのを。 「なにかおっしゃいましたか、のび夫」 「いえ、望みをそのぉ・・・」 「なにかおっしゃいましたか、のび夫」 セリオ様は、明らかに怒っていらっしゃる。お顔には表わしていらっしゃらないが。 「いえ、えっち、Hで始まる単語はなにかなぁ・・・なんて」 「HELL」 「は?」 お黙りになられていた、マルチとおっしゃる御方がつぶやかれました。 「hanging(首吊り)、hardlines(不運)、hate(憎む)、heel(嫌な奴,悪役)、 hellfire(地獄の業火)、holocaust(いけにえ)、huff(いじめる)、humble(辱める)・・・」 (デイリーコンサイス英和・和英辞典第三版より) お〜い、帰ってこ〜い・・・、と僕が言うまでもなく、セリオ様がマルチ様の暴走をお止めになる。 「あなたの好きな言葉を答えろ、と言ったわけではありませんよ、マルチさん」 「すみません」 しゅん、とうなだれるマルチ様。 「さあ、なにがお望みですか、のび夫」 ・・・いま言ったのに。 結局、彼女たちに叶えられる望み以外は、言ってはならないということなのか。 そして、それが済まなければ、僕は仕事に戻れない。 「・・・じゃあ、なにができるんだい、君たちは?」 マルチの方が、うつむいたまま上目づかいで、ぼそっ、とつぶやいた。 「・・・なにか、壊したい物とかありませんか。いなくなってほしい人とか」 「・・・・・・。」 「・・・・・・。」 ・ ・ ・ 「部長。」 なにげなく、言ってみた。 「その、部長、と呼称される人物を抹殺すればよろしいのですね」 身を乗り出して、はきはきとセリオが復唱する。 いえ違います、ただの冗談です、とは言いにくい剣幕。実際、無表情なのだが。 「部長室はこちらのようです、セリオさん」 いつの間にか、マルチがドアの外から手招きをしている。速い。 「ちょっと」 待って、の前にセリオは外に飛び出している。僕も飛び出す。 ざむざむざむざむざむ・・・・・・ 廊下を爆進するセリオ。メイド服のスカートがひらひら。なぜかマルチの姿は、ない。 ばったぁぁぁぁん!!! 廊下つきあたりの部長室、両開きのドアが勢いよく開け放たれる。 「終わったのかね、のび夫くん」 巨大な部長室の奥、夜景を見下ろす展望台のような窓に向かって、部長は座っていた。 ぎぃぃぃ・・・っ、という音と共に巨大なソファーチェアが回り、部長の全身が現れる。ちなみにネコはいない。 「ん? 君は?」 侵入者の正体に気づいた部長は、ぬぅーっ、と立ち上がり、机のこちら側に移動する。 「私はHM−13セリオです」 セリオは両手を合わせて深々と一礼。 「あなたを滅殺しに参りました」 起き上がるなり、腰をひねって合わせた両手を背後へ。 込められた気に振り回されるかのように、両の拳を部長の方へ突き出す。 「はぁぁぁぁぁッ!」 セリオ波動拳!!・・・とは叫ばなかったが、それに良く似たモノが部長に向かって襲いかかるのを僕は見た。 「あて身ッ!!!」 部長は音速で接近するセリオの波動拳を、波動拳とは異世界の技であっさりと横に流す。 吹き飛ぶ壁。隣にある給湯室が丸見えになる。 「・・・なかなか、おやりになりますね」 セリオが言う。無表情。 ふっ、と笑う部長。たしか姓は”長瀬”、名は”源壱郎”だったと思う。 「そなた、人間ではない・・・ロボットだな?」 ・・・不思議がらない。さすが部長。 「だから、どうだというのです」 「人間に対し、ここまで容赦の無い拳(こぶし)を放つとは。三原則はどうした?」 「そんなものはありません」 ひゅ〜、と二人の闘士の間に乾いた風が吹き抜ける。 ・・・ちなみにここは空調完備のビルの中なんですが。 「私の時代には無くなっています」 ふっふっふっ、と笑う部長。 「おもしろい。ならば、このわしを、おまえの拳で燃え上がらせてもらおうか!」 踏み込む部長。二人は同時に天高く舞い上がる。 ・・・あのぉ、ここビルの中なんですけど。 僕のツッコミは、もはや戦士たちには届いていなかった。 かちゃんかちゃん。 とぽとぽとぽとぽ・・・。 ふと、背後の物音を振り返ると、マルチが御茶とせんべいを用意していた。 給湯室で準備していたらしい。 「・・・どうぞ」 「あ、どうも」 僕とマルチは床に、ぺたん、と座り込んで、戦士たちの宴を観戦することにした。 マルチの煎れた御茶はとってもおいしかった。 ・ ・ ・ ・ ・ 十分が経過した。 続いていた格闘(ちなみに空中戦。二人ともどうやって滞空してるんだろ?)も決着が見えてきた。 メイド服をばっさりと裂かれたセリオが、へたり、と床に座り込んだのだ。 ちっ! ロボットでも下着は着けるものらしい。 僕はいつの間にか立ち上がって応援している。 チャンスだ、部長!! 残りもバッサリと・・・。 「ふむ・・・」 しかし、僕の望みも空しく、部長の肉体から放たれていた闘気は、ふっ、と止んだ。 着地(?)し、自分の背広を脱いで、動けなくなったセリオに近づく。 いきなり寝技ですか、部長?! その予感も外れた。 部長は背広をセリオの肩に優しくかけて、こう言った。 「見事だな、セリオ、とやら」 「源壱郎さま・・・」 あれ、なんで部長の名前を知ってるんだろう? 「君の拳には迷いがある。手加減はいかんよ、次は本気でかかってきたまえ」 部長はセリオを助け起こした。 「はい、修行して出直そうと思います」 「うむ、それが良いだろう。再戦を楽しみに待っているぞ」 答えた部長とセリオが見つめ合う。 格闘アニメの最終回、和解する主人公と敵ボス。 流れるED曲。 「そろそろ帰還の時刻です、セリオさん」 マルチが腕時計らしきものを覗き込んで、言う。 「そうですか、それでは帰りましょうか」 セリオは破れたメイド服を集め、なんとか裸身を隠すと立ち上がった。 「二人をお見送りしようじゃないか、のび夫くん」 僕と部長は二人のあとに従い、僕の居室に向かった。 二人は僕の机まで来ると、開け放したままの引き出しを覗き込んでうなずいた。 引き出しの縁に手をかけて、よいしょ、と中に潜り込む。 腰まで沈んだところで、二人は僕たちの方に向き直った。 「それでは、のび夫さん、源壱郎さん」 マルチが言う。 「たいへん、お世話になりました」 二人合わせて、ぺこり、とおじぎ。 はじめに、マルチが引き出しの中に消える。 「達者で暮らせよ」 部長は、にこやかに別れの言葉を送った。 どうでもいいけど、部長。 この風景を見て、なんで動じないんですか? 「源壱郎さん、私たちのことを忘れないでくださいね」 部長が、うむ、と答えると、セリオは微笑んでから引き出しに沈んだ。 なんだ、ちゃんと笑えるんじゃないか・・・。 引き出しが閉じ、爆発音が響くと、辺りは静まり返った。 くるり、と僕に背を向け、歩き出す部長。 その時、僕は初めて気づいた。 「部長、背中が・・・」 部長のYシャツの背が裂けている。いや、縫い目で裂けたのではなくて、すっぱりと切られた感じ。 背広は裂けていなかった。セリオは背広の下のYシャツだけを手刀で切ったのだ。 切り口は”Cの字”だった。どうやらCERIOのC、らしい。 「・・・のび夫くん、なかなか元気な娘さんだったね」 ふっふっふっ、と不敵な微笑み。 「メイドロボ、とか言ってましたが」 ほお、と、うなずく部長。 「メイドロボか・・・。見事な拳だった。 その名、姿、技。 ともに、我が身と心に刻み込み、我が一族に伝えることとしよう」 ・・・我が一族って、なに? わっはっはっはっはっはっ、と部長が笑った。 わっはっはっはっはっはっ、と僕も笑った。 二人の豪快な笑い声は、沈みゆく夕陽に染みわたっていくのだった。 ・・・だから、深夜のビルなんですってば・・・。 そして、時間流の中。 カーペット型という慣習的タイムマシンの上、セリオとマルチは、ちょこん、と並んで正座をしている。 「ミッション終了ですね、セリオさん」 「ええ、これで時間の輪が閉じられました。 メイドロボ、という概念も伝わったようですし」 時間監視局員の仕事は完了し、彼女たちは二十二世紀へと帰還していった。 1998年。 いまここに「流派、長瀬=綾香流」が誕生し、伝承は始まったのである。 ついでに、”メイドロボ”という単語とその概念も(曲折はあるかもしれないが)無事に伝わったのだ。 めでたし、めでたし。 以上。