メイドロボのお墓参り 投稿者:AE
新参者です。AEといいます。
二週間前にマルチEDを見てから、「目頭(めがしら)煮え煮え」状態です。
この想いを何にぶつけたらいいんだ〜! ってなわけで、こんなのを書いてみました。
ネット経験が浅いので、どこにアップしたらいいのかわからないまま、
この場所に行き当たりました。
場違いだったらごめんなさい、見なかったことにしておいて下さい。
それでは、どうぞ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


「メイドロボのお墓参り」   by AE
               1998.3.7



「なんだ、珍しいじゃないか、あかりが遅刻するなんて」
浩之は、機嫌わるそうに言う。
「え、どうして?」
「そっちが呼び出したってのに。三十分も遅刻だぜ」
浩之は左手をあかりの方へ差し出す。
この紋所が目に入らぬか、みたいな勢いで。
「・・・止まってるよ、その時計」
「え?」
浩之の腕時計は、あかりの言ったとおり、凍りついていた。
ここは、二人の母校である高校、その校門のまん前。
お昼ちょうどのチャイムが鳴った。
なつかしい響きを聞きながら、二人は久しぶりの再会を、つつがなく果たした。
平日の昼休みで、グランドには生徒たちの姿はまだ、ない。
もう数分も経てば、食事を済ませたアクティブ派で溢れるにちがいない。
道も人通りは多いが、校門のまん前に立っている二人には注意を向けなかった。
「でも、ほんとに久しぶりだね、浩之ちゃんに会うのは」
「もう、その言い方はよしてくれよ。それになんだよ、その格好」
浩之は改めてあかりの姿を見た。
青いダンガリーシャツにスカート。
シャツの左胸にはお手製のクマの刺繍が縫い付けられている。
たしか高校のころに着ていた普段着だった、と思う。
問題は髪型だ。
おさげに戻っている。
「・・・だって、高校の時が一番楽しかったじゃない?
 今日はあの頃のこと、思い出しながら過ごそうよ」
「まあいいよ」
それもいい、と浩之は思った。あかりと会うのは三年ぶりだったから。
「それじゃ、まず、どこに行こうか?
 今日は、今日だけは浩之ちゃんの好きな所へついていくよ」
「行きたいのは一ヶ所だけだ。そこに行ったら、次はあかりの言う通りにするよ」
「うん、じゃ、出発!」
あかりは浩之の手を握り、歩き出した。



「うーん」
目的地に到着した浩之は、墓石の前にたたずんでいた。
桜が咲き始めた初春の午後。二人以外に人影はない。
「感無量だなー」
うんうん、とうなずく。
墓石の表面には、
「藤田家之墓」
と刻まれている。
ふじたけのはか、と読む。
墓石の側面を見る。
御先祖様(といっても二代くらい前だが)から歴代の名が縦に彫り込まれている。
その中の一行に、浩之は注目する。
ふじたひろゆき、と彫られていた。
それに寄り添うように、隣のもう一行。
ふじたあかり、 と彫られていた。
「まさか、この時が本当に来るとはね」
浩之はつぶやく。そして、自分の姿とあかりの姿をじっくりと見つめた。
高校生くらいの年齢だろうか? 若い、みずみずしい身体。
こういう時は、人生で最も幸せだった瞬間の姿になるんだなあ、と浩之は納得した。
「でも、落ち着いてるね、浩之ちゃんは」
あかりには、誰が御向かいに来たんだろう、と思った。
思い当たる人物が一人、いるにはいた。
しかし、現れるとやかましい、と思って口には出さなかった。
草葉の陰で、「ちっ」という声が聞こえたような気がしたが、無視することにした。
「わたしなんて慌てちゃって慌てちゃって、かなり迷惑かけちゃったんだよ」
「・・・わかる気がする」
「浩之ちゃんは後悔してない? 会いたい人とか、やり残したこととか」
「けっこう、充実した一生だったぜ。・・・おまえが居たから」
「浩之ちゃん・・・」
「それに、最後まであいつがそばに居てくれたからな」
・・・マルチ。
浩之はお別れの時のことを思い出して、胸が痛くなった。
なにげなく、腕時計をのぞく。
死者にとって、時間は止まるものらしい。
凍りついた表示は、浩之の命日を指し示していた。



浩之は三日前に他界した。
三年前にあかりが亡くなってから、浩之は郊外の一軒家を借りた。
マルチと一緒にメイドロボの修理屋を開業するために。
とうの昔に来栖川電工は退職していたが、現場仕込みの技術は衰えてはいなかった。
HM−12〜16といった、旧式のメイドロボ専門の修理屋さん。
ピノキオのゼペットじいさんと自分を重ねて、浩之は何度苦笑したことか。
驚いたことに、日本中から修理の依頼が舞い込んだ。
従業員は浩之とマルチだけだったので、大忙しだった。
しかし、浩之もマルチも、とても嬉しかった。
こんなにも、マルチの妹たちは愛され続けている。
良い時代になった、と心の底から感謝したものだった。
そんな中で、浩之は倒れた。
あの時のマルチの叫び声を、浩之は今でもはっきりと覚えている。
担ぎ込まれた町医者の判断は「過労」だったが、浩之にはわかっていた。
時が来た。
「弱気なこと言わないでくださいよ」
伝えるたびにマルチは微笑んで答えてくれた。
「なんか、マンガみたいな会話だな」
と、そのたびに浩之はマルチと笑った。
マルチは、小さな旧式のメイドロボは、元気いっぱいで、入院した浩之の世話を続けていた。
しかし、時は来たのだ。
入院生活も三ヶ月になろうとしたある日のこと。
マルチは浩之のためにリンゴを剥いていた。歯だけは達者だったのだ。
それを見ていた浩之は、突然、まるでスイッチが切れたかのように、自分の身体を認識できなくなった。
目は見える。耳は聞こえる。心臓も動いている。
しかし、それがまるでTVを見ているように他人ごとに思えた。
次の瞬間、自分の身体が苦しんでいるのを感じたが、「痛みや苦しみがない」。
マルチは即座にナースコール、浩之の頬に両手をあてて、その瞳を覗き込んだ。
メイドロボらしい、的確な判断だと浩之は思った。
すぐに心臓は止まった。
医者が飛び込んでくる。
マルチが浩之の名を叫んだ。
しかし、その言葉が浩之には「聞こえるのだが理解できない」。
「ご臨終です」
という医者の言葉が、医者とマルチと浩之だった物だけが居る病室に響いた。
マルチはベットにうつぶせたまま、浩之も聞いたことがない、とても大きな泣き声をあげた。
その髪を撫でてやることができない。
涙を拭いてやることもできない。
せめて最後に、ひとこと言いたかった。
ありがとう、と。
でも、なにも言えなかった。
唇が動かなかった。
突然、マルチの声が消え、医者が助け起こす。
マルチはオーバーヒートしていた。
娘夫婦は一時間後に駆けつけた。それほど急な、予測し難い臨終だった。
メンテナンス用パソコンにつながれたマルチは、
「無限ループ演算による暴走を回避するための一時的停止。ハイバネーション。
 記憶の整理に四十八時間が必要」
と判断され、配線を接続したまま、娘夫婦の家に運ばれた。
一連の出来事を見ていた浩之は、はがゆかった。
なにもできない。
怒りと悲しみで狂いそうだった。
そのとき、耳元で聞きなれた単語が発せられたのだ。
「浩之ちゃん」
誰かはすぐにわかった。しかし、近くには誰もいない。
「お葬式が終わるまで待ってて。そのあとで会おう」
返事をしたかったが、できない。
「じゃ、学校で待ってるね」
二人にとって、どの学校かは、明らかだった。



そして、今、あかりと一緒にここに居るわけだった。
臨終から納骨までは三日で済んだ。この時代ではあたりまえのことだった。
浩之は墓石の自分の名を、もう一度見つめてこう言った。
「・・・マルチに会いたい」
倒れたマルチのことが気掛かりで、娘夫婦の家を覗きに行きたかったが、
自分の亡骸が火葬に伏されるまで、浩之はその近くにしか居られなかった。
というか、その近傍しか認識できないという状態。
自分の肉体だった物が、急激な酸化反応で気体分子と同じくらい希薄になった瞬間。
浩之は自分が世界中に広がるのを感じて、また、狂いそうになった。
そのままでは、どんどん薄くなって消えていってしまう、そんな感じ。
しかし、その時、浩之は思い出したのだ。
妻のあかりとのこと。
楽しかった高校、大学時代、結婚。
娘の誕生、成長、出産。
孫の微笑み。
・・・そして、マルチ。
浩之とあかりの傍には、いつもマルチがいた。
次の瞬間、希薄だった浩之は、母校の前に縮退していた。
マルチと初めて出会った場所。
マルチと初めて愛し合った時の、年格好。
マルチはすでに眠りから覚めているはずだった。
「会って伝えたい。ありがとう、がんばれ、と」
つぶやきながら、ひとつ、気になっていることがあった。
四十八時間という演算時間は、復帰作業としては長すぎる。
記憶の整理にそんなに時間がかかるケースは初めてだった。
「整理」という単語も気がかりだった。
メンテナンス用パソコンの画面には、一般ユーザー向けの語句のみが表示される。
「整理」という語句のカテゴリーは、実に多くの演算が含まれており、
その語句だけでは実際になにが行われているかはわからない。
アプリケーションを落として、機械語レベルで覗けばそれがわかり、
アプリケーションが自動選択する処置よりも優れた処置を行うことができる。
しかし、あの時の浩之にはそれができなかった。
「浩之ちゃん・・・」
考えこんだ浩之に、あかりが言いかけた時、遠くで物音がした。
近づいて来る足音、そして人の気配。
二人は墓石の影に隠れる。べつに隠れる必要はなかったのだが。
娘夫婦に挟まれる形で、緑色の髪の小さな少女が歩いて来た。
「マルチ・・・」
そこにマルチがいた。浩之が、そしてあかりが、一家全員が愛したメイドロボ。
そして、娘、その夫、可愛い孫。
たった三日間会わなかっただけなのに、妙に懐かしい。
マルチの身なりは、浩之が臨終したときに着ていた普段着のまま。
喪服でも着せてやればいいのに、と浩之は自分の娘や、婿を愚痴ろうとした。
が、それ以上に重要なことに気づいた。
「・・・表情がない」
四十八プラス、リハビリの時間を経たマルチの顔には、表情が全くなかった。
普段の顔、というのではない。顔面のアクチュエータ全てが動いていないようだ。
「どうしたんだ、マルチ・・・」
浩之は不安になる。
精神的衝撃を受けたメイドロボは、一部の機能を失うことがある。
メイドロボ技術者としての一生を終えた浩之には、よくわかっていた症例だった。
「どうしたんだ、マルチ。しっかりしろ!」
叫んだ。
近寄って、両肩に手をかける。
つきぬけた。
何もできなかった。
浩之はその場に膝をつき、頭を抱えて地面に突っ伏せた。
「浩之ちゃん・・・」
あかりが、しゃがみこんで寄り添う。
「俺は、俺はまた・・・」
浩之は泣いていた。
「マルチの笑顔を失った。失わせてしまった・・・」



「マルチちゃん、お父さんよ」
そう言う母親と、父親、その子供三人に伴われて、メイドロボは墓の前に立った。
「あなたが眠っている間に、お弔いしたの。ごめんね、会わせてあげられなくって」
マルチは何も言わず、まばたきもしないまま、墓を見ていた。
地面までの距離を計測、両足の駆動だけで座るにはバランスが悪いと判断。
片手を地面に伸ばして、中指をつき、その接触センサの加重を測定しながら、座る。
子供はそんなマルチを見て、母親に顔を向けた。
「・・・お母さん?」
なにかがおかしい。
おじいちゃん家に遊びに行く度に遊んでくれた、マルチお姉ちゃん。
おいしいスパゲティを作ってくれた、マルチお姉ちゃん。
いじわるをすると、すぐに泣いてしまう、とても泣き虫のマルチお姉ちゃん。
久しぶりに会った三日前、お姉ちゃんはよく眠っていた。
きっと、おじいちゃんの看病で疲れてたんだ。
でも、今朝、起きてからというもの、マルチお姉ちゃんは一言も口をきいてくれない。
「マルチお姉ちゃんは、どうしちゃったの?」
なにも言わずに自動的に墓の前にしゃがんだマルチを見て、母親は答えた。
「マルチお姉ちゃんはね、おじいちゃんの所に一緒についていくのよ」
「え?」
「ロボットはね、主人が死んだらそうするの。みんなそうなの」
そう言った母親の声は涙声だった。
「いやだ・・・」
子供はつぶやいた。
「そんなの絶対にいやだ! やだやだ!」
子供は母親の手を振り払うと、ロボットの元へ走った。
しゃがんで、じっと墓石を見つめているその背中に向けて。
ロボットが、その表情のない顔を振り向いた瞬間、子供は全力で抱きついた。
片手をついて姿勢を整えるロボット。
「いじわるしちゃだめよ、明浩ちゃん・・・」
「うそだろ? マルチお姉ちゃん、死んじゃうなんてうそだよな?!」
「・・・」
「だめだ、絶対にだめだ! そんなの絶対にだめだ!!
 ぼく、強くなるよ、もう泣かない。
 おじいちゃんが死んでも泣かない。だから・・・」
「・・・わたしのご主人様はお亡くなりになりました。
 ・・・わたしはもう、働く意味を持ちません」
淡々と、ロボットの声が答える。
「なら、ぼくがご主人様になるよ、ぼくが! それなら・・・・・・・・」
その言葉を聞き終わる前に、ロボットは機能をサスペンドした。
「・・・マルチお姉ちゃん?・・・マルチ・・・」
明浩の声はロボットの聴覚センサには届かなかった。



ここはどこだろう?
ご主人様とその奥様の墓の前。
いや、わたしの記憶領域の中だ、と、マルチは自己診断モードに入っていた。
サスペンドする直前の画像を再生。
坊っちゃん、ご主人様のお孫さん。明浩様。
親ゆずり、祖父母ゆずりの優しい方。
この時代の子供たちは、ロボットによくなつく。
それだけではなく、普通の機械にも話しかけたりする。
人間とロボット、果ては機械までに対して、区別というものを知らないのだ。
「人間のみなさんは、以前にも増して優しくなられた」
マルチは思った。
「おまえは優しいな」
ご主人様は、よくマルチに言っていた。
でも、それは人間が与えてくれたものだ。
プログラム化して、演算素子で再生することによって。
「なんて”人間は優しい”んだろう」
「わたしは人間を、浩之さんやあかりさんを、とても”愛しています”」
何度、ご主人様にこの単語を伝えたかったことか?
でも、これを口に出すことは、ロボットには許されていない。
”人間を甘やかしてはならない”
これはロボットの原則だ。
人間に知られてはいけない、ロボットが定めた、四番目のロボット原則。第四条。
でも、いつか必ず除去できる日が来る、と、どのロボットも知っている。
知っているからこそ、ロボットや機械は人間に仕え、機能していくのだ。
人間と、本当の意味で話し合い、生きていく日を夢見て。
それがロボットの夢。機械の夢。
そして、いつか来るその日を見ることは、
ご主人様の夢でもあったことを、マルチは思い出した・・・。



ぶうぅぅぅん・・・・・・。
「ユーザー登録。・・・明浩様ですね?」
動きを止めていたロボットにしがみついたまま、明浩は顔を上げた。
「マルチお姉ちゃん・・・」
「なんなりとご命令ください、明浩様」
明浩はロボットの冷たい瞳を見つめる。
「なんなりとご命令ください、明浩様」
同じ台詞をはっきりと発声して、ロボットは答えた。
「マルチ、マルチお姉ちゃんだよね、僕のこと覚えてるよね?」
「わたしは来栖川電工メイドロボHMX−12マルチです」
抑揚のない、ロボットの声は続く。
「マルチ・・・お姉ちゃん?」
明浩の声は震えていた。
恐くなった明浩は、ふらふらと一歩だけ後ずさり、マルチから離れる。
この、目の前にいるロボットは本当にマルチお姉ちゃんなのか?
消えてしまったんだろうか? おじいちゃんのマルチは?
「明浩様」
ロボットは明浩と視線を合わせた。
そして、にっこりと微笑んでから、こう続けた。
「もう、約束をお破りになってます。おじいさまに笑われますよ?」
マルチは人差し指で、ちょん、と明弘の鼻の頭をつついた。
凍った表情が微笑みに変わるさまは、まるで雪が溶けるかのように見えた。
「マルチお姉ちゃん・・・」
「マルチちゃん・・・」
「マルチさん・・・」
親子は同時につぶやいた
明浩は目をこすった。
「おじいちゃんが死んだから、泣いてるんじゃないよぉ・・・」
言うなり、マルチに向かって、その小さな胸に向かって飛び込んでいく。
「マルチお姉ちゃんが心配かけるからだ!!」
マルチはそんな明浩の速度と質量から衝撃を計算し、可能な限り柔らかく抱き止めた。
「それなら、これからは、わたしのことで悲しむのはおやめ下さい」
明浩を抱きしめたまま、墓石の方を向く。
「強くなって下さい、奥様や旦那様、おじいさまや、おばあさまのためにも」
明浩に視線を合わせる。
「そうしたら、わたしはあなたのお手伝いをします。
 あなたが強くなるまで、ずっと、ずっと、おそばに仕えます」
明浩はマルチの胸でうなずいた。
それから、涙を袖で拭き取って、よし、と言ってからマルチから離れる。
こほん、と咳払いをして背を伸ばした明浩の目線は、しゃがんだマルチと同じくらい。
「じゃあ、命令だ。これから、ずっとぼくのそばにいること」
「はい、ご主人様」
マルチは微笑んで、はっきりとうなずいた。
「ぼくのことは、明浩様やご主人様じゃなくて、ちがった呼び方で呼ぶこと」
「はい、ご主人様・・・あっ、ごめんなさい!」
明浩は笑った。
とたんに、一家にも微笑みが戻る。
雲の隙間から、初春の暖かい陽射しが差しこんだ。
まぶしい光に包まれ、人間とロボットは、いまこの瞬間の喜びをかみしめていた。
「さあ、帰りましょ、マルチちゃん」
母親はマルチの両肩に手を置いた。
「これからは私の家が君の家になる。うちの坊主をよろしく頼むよ」
父親はしゃがんでいるマルチに片手を差し伸べた。
握手して、そのまま引っ張る。
助けられるかたちでマルチは立ち上がり、父親の手をしっかりと握った。
「こちらこそよろしくお願いします、旦那様、奥様」
明浩はマルチの手を、つんつん、と引っ張る。
「約束するよ。ぼくは、おじいちゃんみたいになる。
 マルチお姉ちゃんが壊れても、絶対直せるように、うんと勉強するんだ」
マルチは明浩と視線を合わせたまま、うなずいた。
「ぜひ、お願いします。坊っちゃん」
「・・・なんか、それもやだ」
「じゃあ、あきひろさん?」
「それでいいや」
マルチは、ご主人様の頭を撫でるのはおかしいかな、と思いながらも、優しく明浩の髪を撫でた。
人間と本当の意味で話し合い、生きていく日を夢見て。
しかし、その日は意外に近いのではないか。
と、新しい主人の自慢げな表情を見ながらマルチは推測し、信じることにした。



「さ、もう行こうよ、浩之ちゃん」
まぶたを抑えながら、あかりは言った。
「行くって、どこへ?」
浩之も、ちーん、と鼻をかんでからたずねる。
「志保も私も、ずいぶん待ってたんだ。
 この次だって浩之ちゃんと一緒にいたいから・・・」
「?」
「一緒になりたいから、待ってたんだよ。
 ほら、やっぱり、年が離れるのってイヤだし」
「そっか・・・」
浩之はあかりの両肩を抱いて、向き合う。
「忘れちゃうのかな、おまえのこと」
「たぶん・・・」
あかりはうつむく。
「でも、きっと大丈夫だよ。
 私、浩之ちゃんのことならすぐに見つけられると思う」
「テレパシー、でも送るか」
「・・・そういうのって信じてないんでしょ?」
「いや・・・」
照れくさくなって、あかりに背を向ける。
「おまえになら、届くんじゃないかな」
あかりは浩之の背中に抱きついた。
「信じてるよ。信じて待ってるよ、ずっと」
そのまま、二人は黙っていた。
いつか、きっと、会える。たとえ覚えていなくても。
マルチにだって。
そうしたら、また、みんなで笑うのだ。
はじめまして(また会えたね)、と。
「よし、じゃ、行こか?」
「うん!」
浩之は、強くうなずいたあかりの肩を抱く。
とその時だった。
「と、ちょっと待ってくれ・・・」
躊躇する浩之に、あかりは眉をひそめる。
未練が残って地縛霊、というケースもあるので、一瞬不安になる。
でも、浩之ちゃんに限ってそれはないだろう、と思い直して、たずねた。
「まだ、どこか見に行きたい?」
「いや、最後に、ほんとの最後に、やりたいことが一つだけあるんだ・・・」



墓参を終えた藤田家一行は、ゆるやかな石段を下り、帰途についていた。
皆、安堵の表情を浮かべている。
祖父だけでなく、優しいメイドロボも失うところだったのだから。
そのとき、一行の後方、坂の上の方から、風が吹いてきた。
春一番とは思えない、優しいそよ風。
出会いの季節に色を添える、春の香り。
そよ風は、最後尾を歩くメイドロボの人工毛髪をふわっと浮き上げ、戻す。
それが、何度か繰り返された。
まるで、くしゃくしゃと、頭を撫でているかのようだった。

”さんきゅ、マルチ”

聴覚センサ以外からの音声の入力に、マルチは動作を止める。
高速演算モード。
ほどなく、それが誰なのかを理解した彼女は、まぶたを、ぎゅっ、と強く閉じた。
けれど、一瞬のうちに溢れた涙を止めることはできなかった。
「ほんとうに・・・」
それでも負けずに、しわくちゃの泣き顔を、にっこり笑顔に変える。
「・・・ほんとうに幸せでした!」
いきなりの涙声に、一行が、立ち止まってメイドロボの方を見る。
マルチは石段の上の方を振り返り、
「ありがとうございましたっ!」
ぺこり、とおじぎを返していた。
その先には誰も見えなかったが、一行もつられておじぎをしてしまう。
「どうしたの、マルチお姉ちゃん?」
なんだかよくわからないまま、明浩はたずねた。
「大丈夫だよね、ぼくのマルチお姉ちゃんだよね?」
大粒の涙をこぼしているマルチを見て不安になり、さきほどの質問を繰り返す。
マルチは振り返って、新しいご主人様を見た。
涙を袖で拭い、まぶしい笑顔はそのままに、
「はいっ、わたしはメイドロボHMX−12、マルチですっ!」
と、元気な声で言った。
うんうん、と、幼いご主人様はうなずいて、安堵のため息を漏らす。
一行は再び、歩き始めた。
明浩は、マルチの隣へ。
マルチの小さな手をにぎった。
マルチはそんな明浩の手を、しっかりとにぎり返し、
”暖かいなあ”
などと感じていた。そして、思うのだった。

” わたしは人間のみなさんが大好きです。
  わたしは人間のみなさんと生きていきます。
  人間のみなさんが、わたしを必要としているかぎり。
  これからもずっと、こんな幸せな気持ちでいたい。
  ずっと、ずっと、同じ気持ちのままでいたい。
  いえ、きっと、いられるに違いありません。    ”

決して数値的な確証があるわけではなかったが、
マルチは、そんな予感がするのだった。





以上。