『 笑顔の行方 』 投稿者:dye 投稿日:11月13日(火)06時47分
 このSSは、「TH」とそれ以降のLeaf作品の設定を扱ったものです。
 未プレイの方には、ネタバレの恐れと読み難い場合があります。

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 幼い頃、笑顔が苦手だった。
 自分へ向けられるものとして。

 何となく、自分も同等の笑顔を返さなければならないような、息苦しさを覚えてしまう。
 焦りの末に生れるのは、額に汗を浮かべた、笑みめいた形。
 笑みとは呼べない、泣き出しそうな引きつり。
 相手はそれを見て笑顔を硬くし、そして私は本当に笑えなくなる。
 幾度と無く繰り返された、笑顔の争奪ゲーム。
 さすがに何度も繰り返した結果、私は一つの笑みを獲得した。
 笑えない自分に対する自嘲を。


「あなたって、随分クールな笑い方するのね」


 いつの間にか、周囲の公認となった私の笑顔。
 偽りの笑みを浮かべる度、感じていた動揺や嘲り、他人への後ろめたさに変化が訪れる。
 冷たく凍える胸の痛み。
 薄くなる他人への感情。
 心に感情が浮かんでも、長続きしなくなった。小さなさざ波が元に戻るように、すぐに
波紋を鎮めて沈黙へと還る。
 これは欠落だろうか?
 冷静が平静となり、傍観めいた視線を持つ。
 私の怯まない心は、勇気とは別のもの。
 痛みを感じる部分を遠ざけた、第二の心臓。
 熱を持たず、鼓動を早めない、偽りの心臓。

 この欠陥は消えるだろうか?
 与えられた日々を注ぎ込み、私は学生として、学業やスポーツを機械的に修め続けた。
 私は自分に価値を求めたのかも知れない。
 消せない欠陥なら、別の付加価値を追加すれば良いと。
 人間的に欠けていても、能力が優秀ならば補えるだろうと。
 或いは、視えない欠落を埋める何かを探していたのかも知れない。

 文字通り、己の全てを……存在をかけて学んだ。
 能力の開花と向上、知識の探求と獲得を繰り返し、私の独学は進む。
 困難や窮地に接する度、他者への助力を想像することなく、自分の能力を確かめる機会
として歓喜すら覚えた。
 結果、私は学問や洞察に於いて、同世代より二・三歩先が視えていた。
 別に優れていた訳でなく、他人が遊びや楽しみに過ごす時間を使った為に、それを知る
時期が人より進んでいただけだ。
 そのことに、優越を感じる時間も過ぎていた。
 人当たりが良ければ、或いは傲慢であれば、ただの優等生で済んだのかもしれない。
 私は周囲からはぐれた異端者だった。
 変わった存在。
 やっかみや尊敬でなく、理解しがたい存在として見られていた。

 繰り返すが、優越や蔑みを周囲に感じてはいない。
 前述した通り、私は他者には関心が薄かった。
 それは、悪意よりも質の悪い無関心だった。
 悲しいことに、当時の私は孤独が苦痛ではなかった。寧ろそれを普通とし、自ら他者が
近寄りがたい空気を纏っていた。
 孤独の痛みを知らず、心から笑うことも、笑い声を上げることも無い日々が続いた。
 私は声を立てて笑わなくなった。
 本当の意味で、笑わなくなっていた。
 毎日の授業がかつての復習。
 既に自身でも繰り返した過去の、さらに重ねる追想。
 異端者ゆえの、孤独感と疎外感。
 退屈な時間の、拷問じみた反復。
 やがては、不毛な時間も忍耐性を高める訓練と見なすことで、私は現状を対処した。

<…ミッション・クリア>
<…オール・コンプリート>
<…ミッション・クリア>
<…オール・コンプリート>

 …まるで、ロボットのようだ。
 ただ、身近に迫った問題を片付けていくだけの日々。
 私が持つ笑顔は『冷笑』でしかなく、それですら浮かべることも稀になっていく。
 無機質な表情と、機械的な行動。
 冷たく熱を生まない、痛みを起こさない心臓。

<…ミッション・クリア>
<…オール・コンプリート>
<…オール・コンプリート>
<…オール・コンプリート>
<……………………………>
<……………………………>
<……………………………>

 中学を終え、名門校特有のエスカレーター式で、高校生となり……再び、退屈な日々が
過ぎて巡った、高校生三年生の春。
 退屈という感慨すら、日々に感じなくなっていたあの頃。
 私は『彼女』と出会った。
 ある意味、『彼女』もまた異端者だった。
 ただし、私とは違い、陽に溢れた明るい性質に属していた。
 眩しく輝き、暖かく人を惹きつける存在。
 私が黒く影を引く“冬”なら、『彼女』は次に訪れる白き“春”だった。
 長き“冬”の終わりを告げる、節目となる“春”に等しかった。





      『 笑顔の行方 』  〜冬と春が交差して〜





 時は昼休み。
 場所は桜の並木が眼下に見える、春の学園の屋上。
 盛りを過ぎ、落下する刻を待つ花霞を眺めながら、私は陽光を身体に味わっていた。
 腰を下ろしたコンクリート地の冷たさと、穏やかな温もりのギャップが、訪れた季節の
存在を改めて感じさせる。
 私が屋上に訪れた時、先客が一人居た。
 彼女が位置する屋上の片隅を見て、私は彼女と最も距離を開けた位置―――逆の一角に
身を置く。


 この場所に、私以外の人間が居ることは珍しかった。
 私はこの場所『屋上』の、ただ一人の常連だ。
 学園の喧噪がどこか遠くなる、この場所が一年生の時から好きだった。
 図書館の何となく強制された静寂でなく、教室のような輪に加わることへの強迫観念に
縛られることない、唯一のスペース。
 私が常駐する屋上は、お嬢様学校であるこの学園では有名らしく、育ちの良い他の生徒
達は、あまり近づこうとはしない。
 一時期、噂を聞いた者が物見珍しそうに訪れたが、私と視線が合った途端、そそくさと
去っていった。
 私自身は、この屋上を独占しているつもりはない。
 柵やフェンスの付いていないこの場所は、バトミントンやバスケをするには不便な為、
元から利用者は少数の物静かな生徒に偏っていた。
 そして、大人しい彼女達は意味もなく私に恐れをなし、去っていったただけの話。
 利用者の乏しい屋上に、新たに柵やフェンスを設ける訳もなく、腰をかけるベンチすら
ない殺風景な場所と化している。
 私はこの屋上が好きだった。
 だからといって、この場所を独占していた訳ではない。
 ただ、この屋上でも、私は決して“笑わない”だけだ。


 この場所に他人が居たのが珍しかった為か、私はつい先客を眺め続けていたらしい。
 向こうと目が合った。
 いや、相手が私を見ていたのかもしれない。

“…ふ…ふふ……ふ……ん……♪…”

 鼻歌交じりで、気軽に近付いてくる彼女。
 滑らかな足取りは意識したものでなく、ごく自然で淀みがない。
 その為、どの程度かは分からなくても、彼女が動くことに巧みな者だと感じた。
 一般に歩行の際、男性は肩の動きが大きく、女性は腰の揺れが大きい。
 そのぶれが少ない歩行は、格闘技やダンス・舞踊、或いは社交界に慣れた者など、ある
特別な指導を受けた者である。
 彼女の歩みは、明らかに訓練・指導されたものだった。
 無遠慮な観察だったのか、不意に彼女が会釈と同時に、私の視野を覗き込んできた。
 …いや、捕らえられたと云うべきか。

「やぁ、どうも〜〜♪」

 そのまま目前でしゃがみ込み、目線を合わせる相手は、かなりの美少女だった。
 陳腐だが、言うなればブラウン管で見かけやすい、相互間のある各パーツの揃った目鼻
立ちをしている。
 その整った容貌に添う、肩を流れる艶のある黒髪。
 身長は……160といったとこか。私より頭ひとつ低い高さだ。
 太ってもなく、痩せてもいない、バランスの良い体型。
 もっとも、着痩せやその逆もあるので、当てになるかは分からないが……。
 見た雰囲気は、このお嬢様学校でよく見られる、従順や可憐、高慢や増長、弱さは無い。
 むしろ、珍しいタイプだ。
 強いて言えば、好奇心と生命力に溢れる猫だろう。
 押さえきれない喜びが洩れているかのように、身体全体が躍動感を放っている。

「春ですね〜」
「…………」
「三年生の方ですよね?」
「…………」
「私、一コ下です。ここってフェンス無いから、景色の眺めが良いですよね〜」
「…………」
「う〜ん、調子でないなぁ。…あぁ、どうも私って、その敬語にイマイチ慣れてなくって。
あの、普通に話しても良いですか?」
「…………」


「無言は肯定と受け取りますよ?」
「…………」


 彼女の確認に、私は了承も否定もしなかった。
 ただ、彼女の目を中心に表情全体を見ていた。
 完全な無視ではないが、応答しない私の態度に、彼女の唇の端が緩んだ。

 幼い頃は、自分も笑おうと、様々な他人の笑顔を参考に見てきた。
 常に柔らかな笑みをたたえた人は、目の光と頬の筋肉の緩みで、感情の真偽が分かる。
 営業的な笑顔の人は、笑みそのもので無く、それを終えて平素の表情に戻る移行の落差
の少なさで、巧いかどうか分かる。
 自然な笑顔とは、条件反射であっても、習慣ではない。
 そこに焦りやためらいといった、余計な感情はない。
 そんな過去に学んだ経験が告げていた。
 彼女の小さな笑みは、何かを仕掛ける『前触れ』なのだと。

「では、お近づきの印に一つ質問……」
 そう言って、きゅっと結ばれる唇に、小さな笑みが一瞬消える。




      「…先輩って好きな人いる?」




 正直、虚を突かれた。
 私が思いつく限り、こんな風に問われる場合は二つしかない。

 自分の恋愛の悩みを相談する時。
 告白する相手への事前確認、及び告白の始まり。

 私達は(……少なくとも私は)彼女と初対面だ。
 普通、この類の相談は親しい者にするものだと思う。だから、前者ではないだろう。
 となると、後者だろうか?
 女子校でそういう同性間の『関係』があることは知っている。
 実際、バレンタインやホワイトデーには、校内の各場所で熱愛の光景を目にしたものだ。
 よそは知らないが、この学園では多からず少なからずといった所か。
 私への告白なら、見慣れない彼女が屋上で先にいた理由に説明がつく。
 他人事のように考えながら、同じく他人事のように話す彼女へ耳を傾けた。


「あのさ、私の知り合いがね、最近どうも好きな人が出来たみたいで――――」


 ……どうやら、私の早合点だったらしい。
 その自嘲が私の警戒を緩めた。
 相手が無愛想な私を見ても、態度を変えなかったこともある。
 話を続けながら、彼女が目前から立ち上がり、隣に移動して座り込む。
 この状態だと、視線や顔色が交差することなく、話だけに注意できる。
 良く通る聞きやすい声。
 話慣れた者特有の、間と音程を心得た語り。
 たぶん彼女は、教室の輪の中心にいる人気者だろうなと、軽く想像してみた。


「―――で、その知り合いが言うにはね、運命的な出会いをしたんだって。私にはどうも
ピンと来なくてねぇ。先輩はそーいう話、分かる?」
「…どうして、私に聞くの?」
「えっ?」
「私達は面識がないわ。恋愛の相談って、親しい者にするものなんでしょ?」
「まぁ、世間的にはそうかも知れないけど……」

 クスクスと洩れる忍び笑い。
 その後に突いて出た声は、ひどく穏やかなものだった。
 穏やか過ぎて感情が読めない。

「……たぶん、それが出来ないから、先輩に聞いているんでしょうね」

 謎めいた言葉。
 もっとも、彼女の発言はこうとも取れる。
 つまり、親しい者こそが、その恋をした知り合いだと。

「まあ、理由は、先輩が質問に答えてくれたら、教えてあげるわ」
「………………」
「………………」
「…答えなかったら?」
「この先、ずぅーーーーーーっと、屋上を訪問する度、同じ質問を尋ねる。私こう見えて
意外と暇人なのよ」
「私は構わない。好きにしたら?」
「…む、むむむ」

「……………………」
「……………………」

「…本気なの?」
「もちろん」

 ため息ひとつ。

「運命の出会い……ねぇ」
「そう。そこの所ポイントでね」
「…………」


 刹那で台詞をまとめる。
 かすかに自分の喉が音を立てた。


「……では、一般説を。人は生きる中、『運命の人』を一人決める。幸せを倍にし、苦し
みを半減する大切な誰かを探し求める。その為に、人は生きていると説く者も居る。
 でも私は、“運命の人が一人”という考え方が嫌いなの。一人だけって、何だか寂しい
とは思わない?
 たった一人の運命の人を失った者は、どうなのかしら? 確かにそのまま、独りで生き
続ける人もいるし、別の新たな半身と巡り会う人もいる」

 いったん止めて、隣の様子を伺う。
 彼女は私の発言を噛み砕いているようだった。

「……私はこう思うの。『運命の人』は一人じゃない。人の運命が、自身の選択の数だけ
織りなすように、『運命の人』も分岐と同じく無限に存在するんじゃないかって。
 だけど、その無限の数から一つを選ぼうとし、選べないと決めつけるから、人は苦しむ
のかもしれない。
 ―――こんな風に考える私を、貴女は浮気者と笑うかしら……?」


 沈黙が舞い降りた。
 もっとも、私の発言は間違っているのかもしれない。
 なぜならこれは、実を伴っていない空論だから。
 今の私には、そんな大切な人は存在していなし、焦がれる想いも経験がない。
 伝え聞く、他者に振り回される現象。
 自分でも説明の付かない不可解な感情は、どちらかと言えば嫌悪に値する。
 私の心は、私にとって確かなもので在って欲しい。
 振り回されるならまだしも、支配されるのは――――支配したように、他人に錯覚され
るのは我慢ならない。


「……いいえ、笑わないわ。笑う訳がない……」

 ポツリ、と彼女が真面目な顔で、少し怒ったように答える。

(うん、意外というか、期待以上というか。ただ、それは姉さんでなく――――)

 何事か呟いたが、よく聞こえなかった。
 別に気にしない。
 私は発言を終えた。
 そして後は口約通り、彼女が理由を答えるだけだ。
 彼女は、ふっと微笑むと、


「先輩の運命論は、『あの娘』に相応しいかもね……」


 そう言って、視線で遠くを示した。
 視線の先、屋上へと続く階段から、第三の来訪者が姿を現す。
 春風になびく茜色の髪から、銀色の二対の耳飾りが陽光を反射して輝く。
 彼女はヒトではない。
 来栖川重工が開発中のハンドメイド・ロボット。今年の春、テストとデータ収集を兼ね、
十日ほど学園を通う存在だ。
 当初、ホームルームで教師から通達があった時、私にはそのテストが、大企業のマーケ
ティング戦略の一つにしか聞こえなかった。
 裕福な家庭で生まれた者が多数を占めるこの学園。
 メイドロボを実体験した彼女達が、両親にせがめば買えないこともない。
 それに上層社会とは、意外に見栄張りでもある。
 メイドロボを持つことが、一種の富のステータスともなれば、購入はさらに進むだろう。
 例え、その本来の価値を無視した形であっても。

「ハイ、セリオ!」

 そして、自分の隣でロボットに手を振る彼女が、何者なのか分かった。
 他人に関心の薄い私でも、噂ぐらい聞いている。
 彼女は、昨年入学した帰国子女の一人。
 学園最大の出資者である、来栖川財閥会長の孫娘なのだ。
 確か昨年、新興格闘技の女性部門で、初参加ながらチャンピオンになっている、私以上
に有名な学園の才女だった。
 全てに合点がいく。
 洗練された動きは格闘技、もしくは社交界(ダンスの覚えがあって然りだろう)の経験
からであり、話術は受け答えの機会の多い立場のものだろう。
 ただ、変に物怖じしない鷹揚な所は、お嬢様に似合わぬ部分として珍しく思う。
 演技でなく、素の振る舞いとすればだが……。

「………………」

 相手の素性が分かり、薄れていた警戒心が戻りつつあった。
 大企業・来栖川の名に気後れしたのだろうか?
 ……いや、違う。
 生徒という集団の中で、ある意味、有名な存在である『私達』。
 学園の顔とも言うべき、華やかに他人を魅了する彼女。
 逆に私は、他人を寄せ付けようとしない、孤独の伴者。
 その対極に位置する『私達』は、その間にわだかまる距離ゆえに、他の生徒の誰よりも
遠いゆえに、相手の全身とその周辺を目に収めることが可能ではないだろうか?


 そんな仮説を考えながら、私は額に微かな汗を感じた。
 私は己を理解してくれるかもしれない存在に、喜び期待している。
 同時に、初めての存在に戸惑っている。
 そんな考えが頭を過ぎり、しばらくして小さな事実に驚く。


 私が……他人に感情を揺さぶられている?


 傑作だった。
 この今こそが、彼女が私に返答を求めた『運命の出会い』かもしれないと思えて。
 もちろん、彼女へ恋愛感情はない。
 ……ないと思う。
 ただ、慣れていない状況に、不安じみた動悸が続いているだけだ。
 私は何も期待はしない。
 私は何も期待はしない。
 まとわりつく空気を振り払うように、鋭く息を吐き出す。
 大気へ微かに浸みた桜の芳香が心地良く、目の端に涙が少し滲んだ。
 私は期待なんか、していない。


 私の葛藤を余所に、学園の才女は立ち上がると、近付くロボットに歩み寄った。
 風に渡る会話から察するに、どうやら才女は此処で待ち合わせをしていたようだ。
 たぶん、約束していた時間より、大幅な遅刻だったと推測できる。
 腕時計で確認した所、昼休みはもう残り五分を切っていた。
 …そろそろ、頃合いか。
 立ち上がってスカートをはたき、屋上の昇降口へ向かう。
 中央で話し込む二人に、「お先に」と片手で挨拶をして通り過ぎた。
 そして、昇降口へ片足を踏み入れた時――――


「落とし物よ。 三年D組【 篠塚 弥生 】さん」
「!?」


 名乗っていない名前を呼ばれ、思わず足が止まった。
 背を返すと、才女がひらひらと指で摘んでいた物を示し、私に投げ渡す。
 受け止めたそれは、私の学生手帳。
 私物を見られた不快感で、視線を鋭くする私に才女が苦笑を投げかける。


「中身は見てないわ。“屋上の主”の名前ぐらい、私だって聞いたことあるわよ。それに
学年の首席生徒は、毎回テスト順位の張り出しでクラスと名前が目に付くしね」
「…………」
 私は無言のまま、軽い会釈で感謝の意を示した。
 口を開いても、溜め息しか出そうにない。


「あなたって、変わってるわねぇ。でも、面白いかもしれない」


 ……面白い? 私が?
 一度も言われた試しのない言葉に、全身から体温が下がった。
 怒りとは違う、冷めた“前触れ”に。


「貴方に言われるなんて……恐れ入るわ」
「それはどうも」
「―――でもね、私も一つ言い忘れたことがあるわ」



  「私が答えた『運命』の話……『嘘』なのよ」



        「えっ?」



「だから、アレは『嘘』なのよ。私は『運命の出会い』なんて信じないわ」



      ―――そう。たった“今”からね。



「………………」

 才女の戸惑いと共に知覚する。
 冷ややかでいて、研ぎ澄まされた感覚。
 腹部の下から脳髄へと駆け上がる脈動。
 冷静と体温が混じり合い…………久しぶりに浮かんだ己の冷笑。

 それは偽りでなく、仮面でない本当の冷笑。
 子供じみた残酷さ。
 子供めいた純粋さ。
 相手を翻弄したい、傷つけたいという欲望と、それを行った愉悦と優越感。
 それを血肉に通う実感として確かめている。

 何かが変貌した気がした。
 何かが剥離した気がした。
 何かが殻を破り、生まれ出た錯覚がした。
 同時に、自分の中の本心を見た思いがした。

 ―――何てこと無い。

 >今の私には、そんな大切な人は存在していなし、焦がれる想いも経験がない。
 >伝え聞く、他者に振り回される現象。
 >自分でも説明の付かない不可解な感情は、どちらかと言えば嫌悪に値する。
 >私の心は、私にとって『確かなもの』で在って欲しい。

 ―――何てこと無い。
 自分の中の一面が新たに見えただけ。
 知らないものに、目を背けたいものに気づいただけ。

 ―――何てこと無い。
 『確かなもの』なんて、今まで私にあったか?
 無いものは、同時に決して失わないと同義でしょう?

        (…っ!)

 流れていた熱が醒め、神経に冷たく不透明な膜がかかる。
 呼吸の回転数が下がり、心臓が早鐘を打つことを留めた。
 ……何を熱くなっていたのだろう。
 恥ずかしさと苦い自責の思いに冷や汗が流れた。

 詩人なら「桜が狂わせた」とでも表現するだろうか?
 でも、私はそこまで感傷的になれそうもない。
 今まで何となく掴んでいた、自分という個人が揺らいでいた。
 こんなに弱々しい自分が、不安定で移ろいやすい自分に動揺していた。

 まるで幼かった日々の私。
 笑顔を向けられて、戸惑っていたわたし。

「―――あの、先輩…?」
「ええ、またね、来栖川さん……」


 振り絞るように、やっと別れの言葉を口にすると、私は逃げるように背を向けた。
 背後から「先輩、またね!」と明るい声が返ったが、それに応えず階段を目指した。
 小走り気味に階段を下り、自分の教室へと戻る。
 席に座ったと同時に、昼休み終了のチャイムが響き渡った。

 次の授業と教師が訪れるまでの短いタイムラグ。
 教科書とノートを機械的に用意しながら、先程の出来事を反芻していた。
 気持ちの整理をしたかったし、何よりも揺らいだ自分に“理由”を見出したかった。
 ………………
 ………………
 ………………
 ――理由……?

(……あっ!)

 脳裏で再現される映像が検索され、そのポイントを探し出す。 


(…どうして、私に聞くの?)
(それは、質問に答えてくれたら教えてあげるわ)


 私は『彼女』の質問に答えながら、その理由を聞きそびれていた。
 今回は痛み分けという所だろうか。
 そう、『今回』だ。
 私には『彼女』に会って、理由を聞くという『理由』が出来てしまったから。

 再び笑みを自覚する。
 それは私が浮かべ続けた自虐のものでなく、『彼女』に見せた加虐のものでもない。
 諦観でなく虚偽でもない。
 自分が今まで嫌っていた不安定な――――脆さの中に生まれる何か。
 或いは、脆さゆえにしたたかな何か。
 例えるならそれは、確かなものがこの世に無いのなら、自分の手で確かなものを造り出
せば良いという発想にも似ている。
 既に在るものへの決別かも知れない。
 自己否定なのか、ある種の現実逃避なのか分からない。


 感情で言えば、それは『反逆』が相応しかった。
 正しいとか、善悪に関係なく、心に浮かんだものに従うのなら。
 何故だろう?
 自分が今まで感じていた視えない欠落が、何かで埋まっている気がする。
 いや、埋まるどころか、溢れ出して覆っているようだ。

「……『運命の出会い』ね……」

 今日、私の顔に生まれた二度目の笑みは、桜花のように暫く咲いて、ひっそりと消えて
いった。



  ―――これが、ファースト・コンタクト。
  高校生三年生の春。
  私は『彼女』と出会った。
  ある意味、『彼女』もまた異端者だった。
  ただし、私とは違い、陽に溢れた明るい性質に属していた。
  眩しく輝き、暖かく人を惹きつける存在。
  私が黒く影を引く“冬”なら、来栖川さんは、次に訪れる白き“春”だった。

  一年未満の日々の中で、私達は夏を迎え、秋を越していく。
  その間に起きた出来事は、簡単には語れない。

  やがて卒業を迎え、後年、私は別の白く汚れ無き“冬”。
  冬空から白く舞い降りる存在と同じ名をした人物と出会い、更にその年の冬。


  『彼女』と再会を果たすのだが、それはまた別の物語である――――



                                 了

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           <あとがき>

 WA本編で英二さん曰く、弥生さんは「お嬢様学校」の出身だったと。
 別シナリオで志保の名前が出ることもあり、この手のクロス・オーバーネタは、かなり
昔から考えてました。

 敬語の綾香、タメ口の弥生さん。
 書いていて自分が、違和感で四苦八苦してました(汗)。
 オリキャラと指摘されても仕方がないです。
 今回はプロットでなく、勢いで書いた感がしますから。

 最後に、一部の方へ私信。
 お察しと思いますが、かつてF様のBBSで語った、リレーSS企画ネタはこれです。
 セリオと綾香以外、名前を伏せていた理由は、分かって頂けたでしょうか?

              「君望」の痛みに悶えながら  −2001.11/13(TU)−