次郎衛門、二人(1) 投稿者:dye 投稿日:10月3日(火)20時32分
          「 次郎衛門、二人 」


 これは「痕」「フィルスノーン」「LF97」の情報を使用したSSであり、同三作品のネタバレ
を含みます。
 また、このSS限りのでっち上げ設定も、多数含みます(笑)。
 断っておきますが、原作との相違は承知の上です。
 以上。
 数多く扱われている題材の為、内容が重複するかもしれませんが、悪しからずご了承下さい。

===============================================================================================


       <プロローグ>


 全てを区別することなく、渓谷に囲まれた河原は炎上している。
 まだ青い穂をたたえたススキ。
 その中に宿る虫の音。
 冷たく乾いた大小の丸石と、周辺に打ち上げられた流木。
 そして足を備えた、大小の生命達。
 数刻前までの景色は跡形もない。

 川の流れに沿って火勢が進む様は、炎の河が生れたかのようだ。
  その上流に当たる岩場の上で、人間の男が荒い息に肩を震わせている。
  男はただ一振りの太刀を片手に、守るべき鎧の類を帯びず、木綿の白服に身を包んでいた。
  赤と黒の色彩の中で、その姿はひどく目立つ。
  男の足元には大きな影が横たわっていた。
  炎に照らし出された影は、「鬼」と里人達から怖れをもって呼ばれ、忌み嫌われている存在。
 普段は決してこのような無様な姿を取らぬ、人を超えたあやかし。
 奪うことしか知らぬ存在が、命を奪われて地に転がっている。

 これは張り巡した罠から、紅蓮の芥とならず、逃れた数体の一匹。
 残りを炎の河から逃せば、林道で包囲を務める討伐隊に遭遇するに違いない。
 褒美は要らぬ、全て譲ろう。
 だから、この掃討の役目だけは譲って欲しい、と頭を下げた討伐隊に。
 白装束の意図を汲み、或いは男の異能の力を、自らの死を怖れ、皆は譲っている。
 協力者の中で、ヒトでない娘のみが男の意図を知らなかった。
 知れば、その美しい面(おもて)を蒼くしたに違いない。

 まだ血を流す骸を炎の中に投げ込み、男は猛る熱の河へと足を踏み入れた。
 紅の世界に踊る影を求め、見つけ出しては激情に駆られ、容赦ない斬撃を生み出す。
  ……次……だ……
  ……次…ッ………!
 白装束が返り血を吸い、冷めて昏い色と化すまで、左程の時を要しない。
 最期の映像を網膜に刻み、断末魔を吐き終えた長大な鬼達の影を、周囲の炎が大地に短く刻み始める。
 宙には生者の、獣のような唸り。
 それは勝利を噛み締めるものでなく、ただ、男の妻の名を洩らしたもの。

 エディフェル、と。

 全ては盛大なかがり火の内、
 地のものは、宴の席に在るが如く、朱色の返りを浴びて絶えず揺らめく。
 天は吐き出される黒煙を吸い、月明かりさえ洩らさぬ厚い暗幕を成す。
 赤と黒に隔つ世界。
 それは幾度となく渡り、剣を磨いた働きの場。
 死にまみえながら、再会に微笑んだ記憶の色。
 失った夜毎の夢に見、求め焦がれた復讐の刻。
 周囲にも晴れない夜色の姿が、炎の海原を駆け巡り、そして辿り着く。
 炎から生れたように佇む、鬼族の長と呼ぶに相応しい体躯をしたその一匹を。
 箱舟の巫女から聞き及んでいる。

  その名は――――




    < Seen 1. >




    …夢。
    そう、夢を視ている。
    在りし日々を、忘れないように。
    失った温もりに、飢えるが故に。
    敗れた理由を、幾度となく考え、
    怨敵の生命の炎を、称えながら、


    ――暗い部屋の中、独りで。



       ※



 風上へと移動する中、それを感じた。
 強烈な思念。
 初めは自分と同じく、この仕打ちに猛る同胞の怨嗟だと思った。しかし、辿り着けばそれはニンゲンの
発するものと判明する。
 驚きが憎しみの熱を、別の温度へと換えていく。
 何よりも目がいい。
 同じような目をしたニンゲンを記憶に照らし合わしても、すぐに絶無の答えに達した。
  燃えるような感情を匂わす双眸。
 光の屈折に微かな金色をにじます瞳は、周囲の炎を映えて美しい。
 ニンゲンと自分の視線が初めて交差する。その瞬間、相手の思念にかつて滅んだ同族の女の像が浮かび、
すぐに強い感情の底へと消え去っていった。
 幻像すら伴う、強烈な思念。
 それがニンゲンの名前を始めとし、今宵の出来事の発端までも理解させた。
  自分達と思念の感応を果たす極めて希なニンゲン。
 しかも、名を知るほど関わった者は一人しか存在しない。
(…“ジローエモン”……)
  その美しくも、危険な瞳に自分の姿が刻まれ続けている。
 瞳に映る己を確認し、名乗ることも、同族の恨みを叫ぶこともなく、滑るように地を駆けた。
 もどかしく思えたのだ。今の衝動を言葉で表すには。
 既に相手の名前は知った。
 そして同族を失う痛みは、今に始まったことではない。
 …そう……始まったのは…………
 ニンゲン達が鬼と呼ぶ、エルクゥ族の長“ダリエリ”は奇妙な縁を可笑しみ、そして微かな嫌悪も感じ
ながら、明確で単純な嵐に心を委ねようと、走り並ぶ風に口腔を開放した。
  肺腑を通して、灼けた空気がより身近なものとなる。
  早鐘打つ鼓動に呼応する奔流。
 目覚める四肢の肉が踊り、総じて湧き上がる歓喜。
(――フフフ、歓喜か……)
 久しい感情だ。
 この星の一方的な狩猟に飽き、長という地位に在るが故に、その退屈さを口にすることは叶わなかった。
 他のエルクゥは、狩る行為自体に酔うのかもしれない。
 だが、ダリエリは違う。
 強き存在を相手して初めて、その狩猟に価値を覚える。
 初めて同族と爪を交わした“離反者との戦い”で、ダリエリは悟った。
 圧倒的な戦闘能力を誇るが故に、一族は想像することもない。

 狩猟者は、狩られることも覚悟するべきなのだ――――と。

 種族生来の能力は、絶対的な安全と優位を確保した時でなく、生死を賭けた状況こそ真に発揮される。
 追求される能力の限界。
 極限に於ける生命の炎。
 揺れ動く生死の振り子。
 拮抗した者同士の間で、絶え間なく動くその時間は、胃が締め付けられるほど堪らなく『美味い』。
 再び――いや、先の戦いを越えた愉悦を、味わうことが出来るだろうか。
(……なあ、ニンゲンよ?)
 揶揄を込めたまなざしは、直ぐに返事を返された。
「……気に入ったぞ……」
 さらに歓喜が重なる。
 自分を映す相手の双眸が、恐怖に色を失うことなく一段と燃え上がっている為に。
 さすがは、皇族が一姫“エディフェル”が選んだだけはある。
 かつての離反者に賛辞を覚えながら、ダリエリは獲物へと肉薄した。



 初撃は躱し合い。
 迫られた次郎衛門は、相手の突進に刀を折られることを懸念し、ダリエリの方は本気を出して、早々と
終わらせるつもりが無かった為、示し合わせたような形で流れた。
 間を置かず二つの影が走る。
 交差。
 振り回された腕をかい潜り、喉元へと男の武器が迫る。
 が、それを察し、相手の腹にダリエリの膝が跳ね上がる。
 辛うじて掌で受け、膝に乗り上げる形となった人間を、続く横殴りの一撃が払い除けた。
 たまらず人間が横転を重ねる。
 攻め手はまだ、終わりではない。
 立ち上がる暇を与えず、四足獣の如く背を落として長が追う。
 ――キィィィィィィン!
 突き挙げと、振り落とし。
 鋼と爪が初めて触れ合い、生れた火花は炎に、響いた撃は闇空へと吸い込まれて消える。
 相手と十字を結ぶエモノ越しに、互いの視線が絡み合った。
「…ほう……」
 満足げに口を緩ませ、ダリエリがすっと引いた。
 対照的に、唇を噛む次郎衛門。
 周囲の炎を見遣りながら、ダリエリが口を開く。
「…貴様が使ったモノは、本来は古きヨークの焼却に用いる、思念操作式の遠隔発火装置だ。エルクゥの
再生力すら凌駕する、灼熱の息吹き。少なくとも三百年は、中心地に草木が芽吹くことも有るまい……」
「………………」
「エルクゥは己が肉体こそ武器であり、自ら生命を狩ることを楽しむ。故に、武器などという無粋な代物
は持たぬ。おそらく我らの歴史において、この様に使用したのは、貴様が初めてあろうよ」
 確かに初めてだった。
 箱舟の巫女が、この火器を他者に手渡したのは。
 エルクゥ皇族から一人選出される、ヨークを朋友とする孤独な存在が、近縁者以外――しかも異種族と
接触を果たす事態もまた、有り得なかったことだ。
 無論、その姉であったエディフェルも然りであるが。
「……リネットは、何を考えているのだろうな?」
「………………」
 ニンゲンは答えないのでなく、答えられないのだ。
 そのことに気付き、ダリエリは苦笑と共に会話を打ち切った。
 二人の間で静かに風が吹き抜け、そして凪いでいく。
 周囲で盛る炎と熱は、大きく弧を描いて、闘場の檻と成した。
「…行くぞ」
 言葉を洩らしたのはダリエリ。続いて天に向け、ゆっくりと咆哮を放った。
 音という振動と共に、ざわり、と闘気が辺りに流れる。
 次郎衛門の皮膚が粟立ち、身を硬くして無意識の抵抗を示した瞬間。
 そう、瞬きに等しい空白をぬって、長の巨体が消えるような幻を見せた。
 剛と捷を兼ね備えた肉体に許された動き。
 間合いがゼロとなったことを、視覚でなく、巨体が起こす風で受け入れる。
 完全に出遅れていた。
 ――右ッ!
 爪で薙ぎ払う線の一撃か?
 筋力に任せた点の刺殺か?
 読みを決定する前に、次郎衛門の身体が反射的に動く。
「何っ……!」
 振りは的確だった。
 しかし、己の脇に迫った刀の峰を、ダリエリが外側に押すように払った。
 結果、強制された大振り。
 生み出された隙に、次郎衛門の脳裏を危険信号が走った刹那、刀を払ったダリエリの右手が、外から内
へとベクトルを変える。
 もはや刀を引き戻すことは叶わない。
「くっ……!」
 無防備に開いた次郎衛門の胸に、刀から反動した朱線が走る。
 爪が与えた傷は浅い。
 辛うじて人間が身を捻った為に。
 ――良ク避ケタ。ダガ……
 振り抜いた体勢のまま、ダリエリの肩口が与えた傷に追撃する。
 ――コレコソガ、本命ダ……!
 微かな接触の寸前。
 足踏みの溜めと共に、直線から横への運動をダリエリの全身が生み出す。
「!」
 危険を察した次郎衛門が、捻った身の戻しを利用して刀を返す。
 ――が、胸に刻まれた傷が、僅かに動きを鈍らせた。
「!!」
 拳でなく、全身で殴り付けるイメージ。
 伝わった感触に、ダリエリが思わず笑みを洩らす。
 見るまでもなく分かった。
 宙に舞い、黒煙と炎の一角へ消える次郎衛門の姿が――――



 今の流れは、かつて皇姫四姉妹が一姫『猛り高貴なる炎』アズエルを仕留めた式でもある。
 エルクゥを知る者ならば、初めに爪の攻撃を警戒する。
 その常道の裏をかいた最初の一撃。
 あくまで爪は致命傷を与えるもの。その一撃を確実に与えることが出来るのならば、先も後も関係ない。
 後は爪を以って、動きの鈍った相手の命を狩り取るだけだ。
 気配を頼りに、まだ激しさの衰えぬ炎壁に歩み寄る。
 ダリエリが爪を振るい、生まれた風で立ち塞がる炎を裂いた。
「!?」
 地面には墜落した痕と、ボロボロになった衣服の残骸が落ちている。
 だが、在るべき獲物の姿が無かった。 
「馬鹿な! 確かに――――っ!!」
 …ドクンッ……!
 …ドクンッ……!
 胸騒ぎが生じた。
 一瞬、地面に残る痕跡が別のものに見えた錯覚に。
   、、、、、、、、、、、、、、、、、
<……あたかも、脱皮を果たした後のようだ…………>

 自分の考えに背中が冷え、反射で後ろを振り返る。
 何事もなく、ただ煙が流れるのみ。
「…………」
 白煙に視界を奪われつつ、ダリエリの勘は首を左側に向かせた。
 ――――居た!
 妨げられた視野では、人影としか確認できない。
 ゆっくりと晴れゆく白煙。
 振り向き様にたじろぐダリエリを、完全な金色の瞳がねめつけていた。
 …ドクンッ……!
 …ドクンッ……!
 叫びが口から溢れ出す。
「……貴様ハ……!」
 醜悪な悪夢が、目の前にあった。
 肩から下のニンゲンの腕。
 顎は突き出ることなく偏平なヒトのもの。
 だが――
 息に露を生じる、刃の如き犬歯。
 限界まで拡張した、鎧成す筋肉。
 ぎちぎちと触れ合いわななく、五本の長い爪。
 背になびくタテガミと化した頭髪は、獅子よりもフカの背びれを連想させる。
 それは、この星で生まれた異形。
 ニンゲンとは言いがたく、エルクゥの雄体としては不完全な、どちらつかずの半獣半人。
 獲物の存在がエルクゥを宿していたことに対する驚愕と、この事実を一族に伏していた皇姫達への憤りが、
ダリエリの胸を占めた。
 リズエルの報告は、『妹と人間が通じた』件のみだった。
 だからこそ、エディフェルのみに罪が問われ、相手のニンゲンは捨て置いたのだ。


<……恨みはしません。あなたには「役」があり、私にも「役」があったのですから…………>


 リズエル最期の言葉が思い出される。
 自分に課せられた、一族の長としての「役」目。
 リズエルが生まれながらに持つ、皇族としての「役」割。
 ダリエリはそう受け取り、言葉を紡いだ者の微笑を美しいと思った。
 だが、自分は聞き違えていたのだ。

<――私にも「約」があったのですから…………>

 リズエルの言った「やく」とは、約束なのだろう。
 手に掛けた妹から、次郎衛門は助けて欲しい、と頼まれたのではないか?
 彼女自身、同族への妹の所業の発覚――エルクゥの授受は、単なる裏切り行為では済まされなかった
だろう――を怖れていたのか。
 或いは、妹の遺したものを隠し通すことで守ろうとしたのか。
 報告があれば、エディフェル以上の追撃が、次郎衛門に及んでいたに違いない。
 いかな猛者であっても、数を以ってすれば、エルクゥに狩れない存在ではない。
 ニンゲンとエルクゥの狭間で蠢く存在。
 …ドクンッ……!
 …ドクンッ……!
 深奥に駆ける熱は鼓動に届き、血のうねりと帰って指先まで熱くする。
 そんな感覚が伝わりそうな程に、荒々しく猛り、揺らめく生命の炎。
 ふぅ、ふぅ、ふぅ、と全身で呼吸をしながら、生まれたての獣が、飛びかけた焦点を戻した。
 敵を認めて、喉が低く唸りを立てている。
 暴走をこらえて、奥歯を噛み締めている。
 躍動を求めて、筋肉がうねり震えている。
 荒々しく、新たな生命感を湛えながら、雄々しく自由な一匹の獣。
 …そう、奴は自由だ。
 ちりちりと微かな怒りが胸に生じた。
 奴は何も知らない。
 この者が背負わぬ、己の本能に忠実なエルクゥが、唯一強いられるエルクゥの『掟』を。
 自分が掟のない野に放たれた、ある意味、完全な自由を得たはぐれ者であることを。
 エルクゥ一族の『掟』。
 目を背け、意識の底に埋めておいた感情が蘇ろうとしている。
 リズエルを討った際に、微かに生じた疑問。
 確かに闘いは楽しかった。
 だが、これは自分の意志で行ったのではない。
 大義は在っても、『掟』に従い、慣例に則っただけの行動。
 それに対し、自分達の意志で『掟』に背き、己の想いに殉じた皇姫達。
 エルクゥは自由な存在だ。
 そして、それを為すだけの強さを持つ。
 全てを敵に回し、継がれ続けた『掟』を廃しても、たとえ先に待つものが、破滅や悲哀であるとしても、
自由なるエルクゥを貫き通す、肉体と精神を生まれながらに与えられた種族である。
 だが、『掟』に従いし時、そこに意志は存在しない。
 定められた反応。
 お決まりの行動。
 エルクゥらしいのは、自然な行動はどっちだ?
 リズエルを討った後、己の中に生じた『掟』への感情を、ダリエリは慌てて封印した。
 離反者を殲滅させて間もない今、長である自分が抱いてはならない。
 眠らせていたそれが今、このニンゲンに目覚めさせられた。
 全ての元凶である目前の存在に。
『掟』を背負わぬはぐれ者。
 完全な自由を得た疑似者。
 なぜ、エルクゥから生まれし存在が、獲物であるニンゲンが、エルクゥよりも自由なのだ?
 驚愕。
 混乱。
 憤怒。 
 加えて自分の感じる怒りの根本が、嫉妬であるという自覚も腹立たしい。
 先程まで感じていた歓喜は、完全に消失している。

「…それで勝ったつもりか?」

 複雑な思いのまま、辛うじて声を絞り出す。
 返事はない。
 ただ――――

「グオオオオオオォォォォォォォーーーーーーッ!!」

 ほとばしる、初めての咆哮。
 それが戦いの合図となり、
 びゅッ!
 地を蹴って、向き合う一対の異形は激突した。