次郎衛門、二人(2) 投稿者:dye 投稿日:10月3日(火)20時32分

    < Seen 2. >


 記憶に残る、男が身に灯し生命の炎。
 傷ついても衰えることなく、むしろ激しさを増す炎。
 半身に値する、大きなものを失った為なのか?
 もしそうならば、今の自分も何かを得たのだろうか?
 敗北と共に、生命という代償を払った亡者の身なれば…………


       ※


 そう長くはなかった。
 無残にも、両者の差が明確な形で示された為に。
 真新しい爪が、古く練磨された爪に砕けた。
 疲労に加え、肉体を維持する負荷が加わる。
 その肉体に爪が走り、赤裂の彩が生まれる。
 数多の傷から流れ出る血は、次郎衛門のみならず、大地をも重く濡らし始める。
 そして殴り飛ばされ、男は大地を舐めた。
 無力にもがく同族の姿に、ダリエリが顔をしかめる。


「我は生れ落ちた時より、この血肉と共に歩んできた。貴様は所詮『継いだ』だけだ。幾多の戦闘を経て
行使した我らと、日も浅き貴様とでは、同じ訳がなかろう?」
(ソレガドウシタ……!)
 [反意]
「貴様はニンゲンだ。接ぎ木されたチカラに己が根を忘れ、闇雲に扱うから不様な姿を晒す……!」
(人ノ身ナド、アノ時ヨリ……!)
 [否定]
 奥歯が軋みを立て、血を混じえた土の味が、人間の耳に反響する言葉を更に苦くする。
 己はエルクゥでなくヒトだ。
 だが、ヒトの身では、エルクゥを相手することは出来ない。
 エルクゥに頼る限り相手を超えられず、用いなければ争えない。
 [疑惑]
(もしや、リネットはそれを知っていたからこそ、俺にエルクゥを殺傷できるカラクリを渡したのでは
ないのだろうか? ならばあの娘、俺の仇討つ心を見抜いていたのか……?)


 <……あなたの心が私を温かくさせ……その心があなたを温める…………>


 エルクゥの心話は欺けないと思い出した瞬間、エディフェルと再会した記憶が、男の脳裏に溢れた。
 致命的な傷を自分に負わせた相手を、美しいと感じた炎上の対峙。
 ダリエリは語った。
 生来の能力の差を。
 人とエルクゥの違いを。
 ふと、思い出す。強者の種族で在った、エディフェルとの垣根を超えたもの。
 生命を与えられる前に自分は――――
(…エルクゥに頼る限り……か……)
 [肯定]
 内に流れる声に同意しながら、男が荒い息を吐く。
 そして決意を固め、鬼化を解いた。
 疲弊した人の身が現われると共に、纏っていた鬼武者の肉の残骸が足元を埋める。
 立ち尽くすその姿に、嘲笑を投げかけるダリエリ。
 終わってみれば、呆気ない帰結だ。

「覚悟を決めたか?」
「…ああ、そうかもしれぬ」
「しれぬ……だと?」
「貴様は言ったな。生まれながらの肉体に、エルクゥとして貴様が過ごした刻に、俺が勝てぬと……」
「……何が言いたい?」
「ならば、俺も自身の持つ刻で対抗しよう。貴様は人を獲物としか知らない。だが、俺にはエディフェル
と過ごした時間がある……」

 ダリエリには、男の発言が理解できなかった。
 想いを胸に、殉じるというのだろうか?
 皇姫達と同じくして。

「――ならば、エディフェルから継いだエルクゥと共に、ここで散らすが良い」

 両者が声なく笑う。
 一人は、己の胸にある妻へ向けて。
 もう一人は、退くことない相手を哀れむ冷笑で。


 ――そして互いの笑みが消える。


「「「  応ッ!  」」」


 二人の交差に欠けた刃が飛び、風が四方に舞った。
 周囲の炎が裂かれ、煙と共に散った飛沫が双方に仕切りを造る。
 だが、次郎衛門は止まらない。
 男は火の粉を纏いながら、大きく飛び下がった相手へと追いすがった。
 煙に滲んだ涙を続けざま熱風が乾かす。
 強制された瞬きが過ぎ去った瞬間、
 瞳が、
 耳が、
 嗅覚が、
 汗を伝う肌が、
 全身の内外の感覚が、ダリエリを捕らえた。
 残ったのは、迷うことない[確信]のみ。


「エディフェルと過ごした時間だと? 何を馬鹿げた――――!」
 ダリエリの続く言葉を待たず、動きの少ない胴を狙った、苛烈な一刀が走り抜けようとする。
 ……遅いッ!
 その攻撃をダリエリは、返り討ちに出来たはずだった。
 冷静に対処し始める身体へ流れ込むものが無ければ。

<――ダリエリ……貴様を、確かニ捕らえた…………!>

 異様なほど高まった集中の中、その音なき声は、形なき心に波紋のように広がった。
「!?」
 頭部を捉えかけていた爪を辛うじて逸らす。
 だが、勢いに生じた風の刃に男の頬が裂け―――ダリエリへも痛みが走った。
 ダリエリの胸に冷たいものが生れる。
 エルクゥ同士でしか起こり得ない、精神の直結同調。
 引き起こされた事象への驚愕よりも、意思がもたらす混乱と恐怖が、ダリエリの身体を駆け巡った。
 これは通常のエルクゥ同士の交信に起こる、意思共振ではない。
 近親者同士の血の共鳴、或いは睡眠など、意識の波長が落ちた状態で起きる、肉体を結んだ文字通りの
感覚共有。
 …まさか……!
 地面を濡らす血痕。
 自分の意識に波長を合わせる為に、失血による意識の低下を、この男は自ら造り出していたとでも言う
のだろうか?
 男がエディフェルと同調を果たした際、深手を負わされていたように。
 もちろん、その過去をダリエリは知らない。
 しかし、単なる復讐と思っていた行動に、己の生命すら戦いの手管とする冷たい部分を見て、初めて
相手に対し悪寒が走った。
 自らの命の放棄と違わない行動。
 それは生を謳歌するエルクゥとして、ダリエリには理解しがたい。
 だが、現状の一歩先にある結末は、震えるほどに認めている。
 純度の高い精神同調は、肉体の同調をも促す。その状態でダリエリが傷を負えば、人間も同じ箇所に傷
を負い、死を味わえば、ダリエリの心身も死の衝撃を受ける。
 生物は思いの外、精神が肉体を支配するものである。
 強靭な肉体も、内なる痛みには鎧を為さない。
 エルクゥの強者に縁薄い恐怖と死。
 その二つがダリエリに歩み寄る。―――攻撃を与えることも出来ず。
 ここに勝機はない。
 相手の死は、自分にも連結しているのだから。
 当然、死に至らない可能性もある。が、それに賭けるほど、エルクゥの長は愚かでもない。
 この場は退却するべきか?
 強引に同調を遮断するか?
 選択肢も、時間も限られている。
 やり過ごしたニンゲンは武器を再び構え、攻撃の姿勢を見せた。
 ………
 ………………
 ………………………忌々しいッ!!

 結局、ダリエリは同調を絶つことに全てを優先し、最悪の防御である肉体での受けを覚悟した。
 幾度の戦闘で慣れた治癒し得る傷の痛みよりも、感応によるショックの可能性を怖れたのだ。
 ダリエリは心の内で唸った。

(――そもそも、己の死に慣れた「生物」など、居るはずがないではないか……!)

 迎え撃つと見せかけ、強引に立ち止まる。
 攻撃も防御もなく、一瞬の集中で[断絶]の信号を放つ。
 生まれた隙は気にしない。
 結果としてそれがフェイントとなり、突撃を考慮した男の渾身の一撃は、却ってダリエリの胴を浅く
薙いだに留まった。
 男にダリエリと同じ傷は生れていない。
 ダリエリが、結ばれた精神の回線を切断した証だ。
 必殺の一撃を意図した次郎衛門こそ、捨て身の勢いが余り、身体がそのまま流れている。
 ――勝機!
 次郎衛門が崩れた体勢に、ダリエリは思わず踏み出していた。
 無防備な背中が、目下にあった。
 そこに手を出すだけで、相手の心臓を貫ける。
 いや、爪で裂くことでも、完全な致命傷を与えることができる。
 早く終わらせたい。
 腹部の傷を押さえた腕を離し、その背中を縦に裂こうとダリエリが振り上げた瞬間――――
 炎が揺れ動く。
 男の背が沈み、二人の間を凪いでいた風が、再び吹き抜けた。
 否。今までとは比較にならぬ、雄々しき風が生じたと言うべきか。
 風上と風下の位置。
 爆炎による酸素の消失。
 空気の対流とバック・ファイヤ現象。
 刹那、様々な知識が頭をかすめ、単純に「しまった!」という感覚が支配する。

「…長時間の大炎は、急な風や雨をもたらす。戦場渡る人間ならば、誰もが知る理。ヒト相手に、短期の
虐殺を続けたキサマ達では、知ることもなかっただろう……!」

 燃焼の時間差。
 燃え易く、乾いたものほど、先に灰となる。
 遅れて火の回った、生草を燻した通常よりも濃い煙が、ダリエリの目を覆った。
 伏せた次郎衛門には、煙の被害は少ない。

(このような、不確定要素に……!)

 慌てて長が爪を繰り出す。
 肩を切り裂かれながら―――いや、肩で受け流した男が、そのまま長の懐へと踏み込む。
「傷など痛まぬ……」
 男の刀に負荷が生まれた。
 前進を阻む筋肉の壁に。
(オオオオオオオオオオーーーーーーー!!!)
 ぶつん!
 身体を預けるように、更に刀を押し出す。

「―――痛むのは、失った日々だけだ…………」

 男とダリエリの胸に、白刃の繋がりが生れている。
 それに自分の血が伝う様を、ダリエリは信じられない思いで目にしていた。



       ※



「――何故ダ……!」
「かつて俺は、戦を生業とした流れの剣士だった。日々緊張を味わいながら、最後に死を覚悟した戦に
まみえた……」
(…我ラカ……)
「心が繋がった時、お前の怖れも伝わって来た。お前は戸惑っていたようだが、俺には馴染みある感情
だった故に、早く次の行動が取れた……」

 恐怖した者はその場に竦むか、反射的に逃げ出すか。
 もっとも、次郎衛門の時は逃げられなかった。
 エディフェルに受けた傷が深く、死を覚悟した為に。
 その際に受けた傷は、皮肉にもダリエリと同じ、胸部への一撃だった。

「…怖レダト……?」
「そうだ。そして、恐怖していたお前は、周りを見る余裕も無かった。だから、風が吹く前兆も分からな
かったんだ……」

 大炎の為に周囲の酸素は薄くなり、それ故に却って鎮火へと向かっている。
 先の精神同調が『エディフェルとの刻』で得たものであり、太炎の経験が『人間の刻』なのだろう。
 今のダリエリには、自身の刻で対抗すると言った、次郎衛門の発言が理解できた。
 敗北感が、更に傷の痛みを強める。
 痛みに己を貫く刃を見、そしてその先のニンゲンを見た。
 種族の生命のベースである雌型に対し、そこから生れた亜種とも言うべき雄型は、外見すら異なる存在
に肉体を強化させる。
 その意味ではこの男もまた、雌型から―――エディフェルより生れた亜種と言える。
 ニンゲンの姿をした、エルクゥの亜種。
 エルクゥであって、エルクゥの束縛にない者。

(…姉妹そろって裏切りおって…………)

  弱々しく笑いながら、ダリエリは目前に在る姉妹の遺産を見つめた。
 この星の住人。
 この星で生まれた亜種。
 その姿に、自分達がこの星の生まれでないことを痛感する。
 ここは我らの星ではないのだ。
 同時に身を包む寒さを感じた。
 死が近いのか、忘れていた故郷への寂寥の為か。
「………………」
 無言になったダリエリを見て、男がようやく束を離した。
 見ればニンゲンの得物は、半ばから折れている。
 受ける爪、切り捨てた肉は人外。振るった者もまた、人にあらぬチカラ。
 人の業物では、耐えられなかったのだろう。
 道理で痛むはずだ。
 己に埋まった刀身を、ダリエリが他人事のように眺める。
 明らかに致命傷だった。
 そう長くはあるまい。

「……この復讐、貴様の勝利だ、ジローエモン。己の欲求を満たすという意味に於いて、我は貴様に理解
を示そうぞ……」
 勝利という言葉に、次郎衛門の顔が大きく歪んだ。
 続けて疲れた笑いが浮かび、ゆっくりとかぶりが振られた。
「…違う、勝者なんて居ない……」
「………………」
「全てを失う覚悟で臨んだ。リネットの信頼を裏切り、こうして愛用の太刀も失った。でも、俺の内側で
エディフェルは今も残っている。記憶として、生命として。そして、遣り切れなさとして……!」

 次郎衛門が周囲を指差す。
 屍と炎の惨状を。

「ダリエリ、お前は言ったな。コレが俺の復讐だと。…違う! 俺に復讐の権利は無い。あるとすれば、
俺が原因で一族を追われたアイツであり、それを失う目に遭った姉妹達。そして、その復讐の対象は俺で
あるべきなんだ………」
「―――リネット……か」
「…だが、リネットは初めて会った際『仲間たちを許して欲しい』と俺に頭を下げた。奇しくも、エディ
フェルが最期に『姉達を許せ』と告げたように……」


 …嗚呼、そうか。
 ある部分で、ずっと不可解だった男の行動が、その一言で理解できそうに思えた。
 復讐という明白な答えが、逆に保護色になっていた部分。


「だから、俺は――」

「―――罪を自覚した刻より、罰が始まる―――」
「……何…?」
                                、、、、、、、
「エルクゥに伝わる言い回しだ。……馬鹿げている。貴様はリネットに復讐される為に、我らの殲滅を図っ
たとでも言うのか? 我を謀るな。たとえ戦いの中で果てようとも、それもまた貴様の願いだったのだろう?
なぜなら、ここは………」


 次郎衛門の目が大きく開かれる。


「―――ここは、貴様とエディフェルが最初に出会った場所ゆえに」

「!」

 その言葉を聞くなり、男は膝から崩れ落ちた。
 奇妙な光景だった。
 強者は地に膝を着き、致命傷を負った者が立っている。

(死を望む者は、決して勝利を収めぬ。だが、死に手をかけた者こそが、死を乗り越えることができる。
死を見ても、生命の散華の美しか視えぬ我らでは、到達できぬ訳か…………)

 手を伸ばせば、その無防備な背中に、ダリエリは一撃を与えることが出来た。
 しかし、それはしなかった。
 男が無意識に望んだ死を与えることは癪だったし、かつて己と闘ったリズエルに敬意を示したのだ。
 それにダリエリの矜持が許さなかった。
 エルクゥとしての種族の誇りではない。
 狩猟者としてのダリエリ個人の誇りだ。
 逝き際として、幾多の生命を奪い続けた立場として、見苦しい真似はしたくはなかった。


(恨みはしません。あなたには「役」があり、私にも「約」があったのですから……)


 …フフフ……リズエルよ。汝の願いし「約」は果たせたようだぞ―――………


 思念が走った瞬間、ダリエリの長大な影を、炎が地に短く刻んだ。
 次郎衛門が何か叫んだが、うまく聞き取れない。
 赤と黒の並ぶ視野が、ゆっくりと白く薄れていく。
 それを見るのがもどかしく、瞼を閉じて小さな闇一色を造る。
 なぜか安堵を覚えながら、ダリエリは全身に闇が広がるのを感じた。