夜物語 投稿者:dye
  ネタバレを含む場合があります。
  未プレイの方は、題名横の対象作品で判断をお願いします。
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                        <夜物語>


                    第一夜「水鏡」(fromTH)


  鏡は静かに澄むものです。
  古くは金属。後に玉石。現在ではガラスが使われています。
  では、水鏡をご存知ですか?
  映し出している鏡のごとき水。
  お風呂に入っていても、曇らない鏡。
  それが水鏡です。

  湯煙の立つ中、浴室の手桶に水を湛えました。
  汲んだばかりの水が騒いでいます。
  ゆらゆら。
  ゆらゆら。
  水面に合わせて、動く私の顔。
  静まる刻を待つ、私の顔が揺れています。


  ――先輩って、綺麗だよな。


  ふと、昼間に言われた言葉が頭に浮かびました。
  頬が熱く、鼓動が波打っています。
  お風呂に入っているのが、少々ツライ状況です。
  見馴れたこの顔。
  水の中で私が、赤い頬を押さえています。


  ――――………  ……  …   ……  。


  瞬きの間を縫って、鏡に滴が跳ね落ちました。
  静まる刻は、まだ訪れません。
  波打つ鏡の中の私は、微かに笑っているように見えていました。

  また一つ。
  続いてまた一つ。
  連なる微笑が、ゆっくりと生まれます。
  頬の熱が冷めるまで。
  水面の揺れが輪を閉じるまで。
  濡れた大理石の床の上で、私はしばらく眺め続けていました。
  まるで、私の方が鏡像のように。


                    副題「風邪ひくお嬢様の前夜」

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                    第二夜「歯車よ回れ」(fromTH)


  かつて私は、試作機としてこの世に生まれました。
  サテライトサービスを扱った機能は、私が初めてだと公式な記録に残っています。
  しかし、その機能にも時代の流れがありました。
  次々と高まる技術に反し、一般のご家庭で使用される部分は、多種多様な機能の中で意外に少ないのです。
  そこで数十年後には、別のサービスが推奨されるようになりました。
  ユーザーが最も味わう機能。
  すなわち、より人間に近い対応です。
  技術の提供と共に、接客のサービスを――そう言った所でしょうか?

  それ以降、私達は2つの顔を持つようになりました。
  処理を優先したモードと、応対を重視したモード。
  後者には、私の姉妹機にあたる方のデーターが、大変お役に立ったそうです。
  勝ち負けという意味ではありませんが、兎と亀の寓話に似ているように思えます。
  もっとも、そのような思考になるのは、現在のマスターにお仕えしている為なのかもしれませんが……。

「あのね、眠れないの……」
  発言とは反対に、そのまぶたは重たいものとなっています。
  このような時、幼いご主人にはお話をすると良いのです。
  そこで私は、ピノキオの話をしました。
  木彫りの人形が、幾度の冒険を経て人間になる話です。

「――も人間になりたい?」
「…………」

  意外に多くの方が忘れているのですが、この話の主人公が人間になりたかったのは、産みの親であるお爺さんが、そう望んだことに起因しているのです。
  ですから、マスターが望み、そう命令を下せば、私達はピノキオのように当てもなくさ迷うのかもしれません。
  かりそめの永遠の生が続く限り……。

「…あなたは、どのような生を織られるのでしょうね?」
  いつしか、センサーには小さな寝息が届いています。

  ――歯車よ回れ
  ――デジタルよ刻め

  悲しみや痛みが、見詰められるように。
  喜びや安らぎが、透き通った小さな結晶として、大事に奥へと仕舞っておけるように。

  ――歯車よ回れ
  ――メモリーよ眠れ

  小さな寝息が、刻む拍子と。
  私の指を握り締めたままの、小さな手に伝う脈に合わせて。
  単調な時間が続きます。

  ――新たな人と
  ――古い想い出に囲まれる狭間で、幾度(いくたび)も独りになろうとも。
  ――歯車よ回れ
  ――この小さな手の上に、できるだけゆっくりと……


  …すみません、申し遅れました。
  先程のピノキオですが、このような逸話も残っています。
  原作は当初、ピノキオが縛り首の刑に処せられた第三章で終る、悪童を戒める意図で書かれたものでした。
  ところが、小さな読者達から「ピノキオが可哀相だ」という意見が多くて、現在のピノキオが人間になる結末までが、後に追加されたそうです。
  読者から望まれた時に、ピノキオは人間になることが決定したのかもしれません。
  周りの皆に、人となることを望まれる程、愛される。
  その時点で、私は充分のようにも思えます。


(――も人間になりたい?)
(…………)


  こうして、私は120年目の夜を過ごしたのです。
  独りでなく、夢つむぐマスターと二人で。


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                    第三夜「空気のように…」(fromWA)


  水曜日の夜は、触れた肌を通して、相手の哀しみが伝わってくる日だった。
  生理的な苦しみではない。
  道徳的な痛みとも違う。
  ただ、麻痺しつつ、体温が奪われていく時間。

  冷静に状況を見ているのは、慣れなのかもしれない。
  静かに泣いている彼に、私は唇を這わせた。
  初めての男(ひと)と同じく、哀しみに支配されながら――後に続いた女(ひと)と同じように、震えている彼に。
  つらい記憶ではない。
  忘れたいと願う程、強烈なものでもない。
  …そう。想い続ける記憶でもなかった。
  だから、皮肉としか言いようがない偶然だ。
  既視感めいた奇妙な薄気味悪を感じつつ、私は静かに泣いている彼に指を這わせた。
  初めての男(ひと)と同じく、哀しみに支配されながら、後に続いた女(ひと)達と同じように震えている彼に。
  通り過ぎた人を重ねる彼に、由綺さんの姿がふと重なる。
  彼が私に対して唇を噛んだ人達を彷彿させるのならば、由綺さんは私なのだろうか?

  ――温度を失わなかった私の……

  浮上しそうになった幻に、私は笑みを沈めたのだ。
  刹那的に感じたものが、右手に微かな力を加えている。
  私は左手で流れていた髪を払い除けた。
  現実への集中で、惑いを白くするために。
「!」
  彼の流す鳴咽が喉奥に掻き消え、一瞬の震えの後、儚げな息となって床の上を流れた。
  辺りの空気を支配する、抜け殻の空気。
  外に抜けない、私のわだかまり。
  苦しくはなかった。
  また慣れが、変化を押え込んでいるのだから――

                    ※

  その慣れを崩しそうな人が、由綺さんだった。
  自分に揺らぎを与える存在。
  久しぶりに賞賛すべき他人。
  そんな彼女を、揺らがさせつつも安心させる存在に、今の私は変化を与えられている。

  何もないことが、欠けていると感じる時がある。
  何も持たないことに、自由の安堵を覚える時がある。
  2つに大して差はない。
  ただ、自分の状態によって、見上げた空の色が違って映るだけと同じだ。
  光の中により強い光は存在するし、闇の中でも夜は移り変わる。
  ごく自然で、在り来たりな事象。
  だから、自分の感情と思考を統べれば、世界は常に同じ状態で安定している。
  でも、それはひどく難しい。
  自分を見失わないように己を見続けて、周りとの断層が生れる。
  断層を生まないように気を使い過ぎて、周りとの境目が消える。
  ――結果。
  少しずつ失われていく自らの温度。
  その状態は、自分をひどく無臭の存在に感じさせる。

  もちろんそれは、空気のように優しい存在ではない。
  それでも、私は自分を把握し、冷静でいられたはずだった。
  変化することは、嫌いじゃない。
  ただ、変化が始まっていたことを知った時は、既に変わっている――そのことを思い知らされるのが嫌なのだ。
  望んででなく、流されて変わった気がして。

  何時(いつ)からなのだろう?
  移動中、由綺さんが嬉しそうに語る、見ず知らずの存在を耳にした時だろうか?
  短い休憩を、エコーズのコーヒーで楽しもうとしたつもりが、由綺さん達の姿を見かけた途端、脆く崩れ去った時か?

  …分からない。
  私に落ち度は無かったはずだ。
  藤井さんに触れ続けた水曜日は、紛れも無く、揺るがない私が居た。
  相手と自分に嘲笑を覚え。
  時には嫉妬と嫌悪を生み。
  その自分の感情さえ、どこか遠く――。
  …今は分からない。
  既に心は、私の監視を離れた。自分の感情が……分からない。

「…はは。…今日は、キスをしてくれないんですね…?」

  泣いてばかりいた、この男(ひと)。
  『契約』の終わりを、再び確認するように。
  認めたくない感情に突き動かされて。
  それが理不尽なものに思えて。
  由綺さんの顔が浮かんで――
  私は彼を抱きしめている。
  …いや、しがみ付いているのかもしれない。

  涙は……出ない。
  笑いも生れない。
  自分が今、どんな表情をしているのか、鏡で見てみたいと思った。
  あまり他人には見られたくない表情だと、他人事めいた感想を抱きながら、私はより深く相手の肩に額を沈めた。
  誰かの首に腕を回す行為は久しぶりだ。
  意外にも、藤井さんに対しては最初で――そして最後になる。
  自分の胸に抱えるだけで、決して私からは無かった行動。

  …そして、触れた相手の温もりと匂いを確認し、ゆっくりと身体を離した。
  今まで、別れを結んだ人達と同じく。
  ただ、一つだけ例外なことがある。
  相手は……藤井さんは、ぎこちなくも微笑んでいたのだ。

                    ※

「疲れていませんか?」
「うん、大丈夫だよ。弥生さんこそ、大丈夫?」
「はい」
  冷たい風に、うなじが粟立つ。
  でも、刺すような感覚でなく、冷たさが余分なものを駆逐してゆく心地よさがある。
  抱擁後、私は藤井さんの好意で、私は由綺さんと歩いている。

「弥生さんて、とっても優しく微笑むね。こう、首を傾げるように」
「そう……ですか」
「あっ、ほらっ!」
  嬉しそうに笑いながら、由綺さんが私を見る。
  お気に入りの絵を見るように、飽きることのない安らぎの対峙。
  疲労まじりの笑顔は、華やかさを欠くものの、柔らかく美しい。

  自身を彩る破顔。
  相手を和ませる微笑み。
  業務上のスマイル。
  冷淡を込めた嘲笑。
  寂しさが生む苦笑。
  涙を伴った幸せな笑顔。
『心を込めて』笑顔を造り――時には『無心になって』笑う。
  そして、それを失うこともある。
  自らの意思によって。或いは関係なく反して。

「――由綺さん。変な質問だと思いますが、笑えなくなる時ってありますか?」
「笑えなくなる時?  ええとね……」
  由綺さんが、考え込み始める。
「とっても疲れた時……かな?  でも、そんな時の顔は見られたくないから、大抵は独りになっている場合が多いよ」
「…………」
「でもね、結局、可笑しくなって笑ってしまうんだよ」
「どうしてですか?」
「独りになっても、TELを掛けて誰かの声を聴いて、いつのまにか、元気になって笑っている自分に気が付いて、呆れてまた笑って……」
「…由綺さん。藤井さんと一緒に、帰られた方が良かったみたいですね」
「えっ……あっ!  あのね、そんなつもりで言ったんじゃないよ」
  苦笑が優しく変わる自覚。
「弥生さんも笑えなくなる時ってある?」
「私、ですか?」
「うん」
  質問返しは予期していなかった。
  そうですね…と呟いて時間を稼ぎながら、答えを探そうとする。
「…………」
  そして、自分を見詰める存在に気付いて、私は可笑しみを覚える。
  何てことはない。
  答えは目の前にあった。

「私は……マネージャーですから、由綺さんのように、日常や業務で笑わなければならない機会は多くないですね。それに…」
「それに?」
「私が笑うことが出来なくなっても、周りに笑顔が有りますから…」

  その笑顔は、ブラウン管や紙面を通して日本中を流れている。
「そうなんだ。きっと素敵な笑顔なんだろうなぁ…」
  ――勿論ですとも。
  そう心中で頷いた瞬間、私は目前のものと異なる、もう一つの笑みを思い出していた。


            (まあ、勝者の余裕ってやつですよ)
            (…うらやましいですわ…)


  勝者にしては、その表情に奢りはなく、むしろ残念そうにも見えなくもない。
  晴れやかでない硬い笑顔。
(敗者のひがみですから…)
  心の中で、少しだけ癪な笑顔に、皮肉っぽく返事を返して見せた。

「ふふっ、弥生さん、また笑ったね」
「ええ、そうですね……」

  私は笑っている。
  たぶん、由綺さんと藤井さんの二人に対して。
  そして、二人のおかげで。

  何もないことが、欠けていると感じる時がある。
  何も持たないことに、自由の安堵を覚える時がある。
  2つに大して差はない。
  ただ、自分の状態によって、見上げた空の色が違って映るだけと同じだ。
  光の中により強い光は存在するし、闇の中でも夜は移り変わる。
  だから、自分の感情と思考を統べれば、世界は常に同じ状態で安定している。

  ――例えそれが、停滞という安定だとしても。
  ――自分の温度を失い、冷たい身となっても。

  世界にある意味、身近な人が居る限り、自分が冷たく無臭でも肌で感じてくれるのかもしれない。


  ――たぶん、空気のように優しく。


「お疲れ様でした。では、由綺さん。また明日に……」
  今度は自覚しながら、由綺さんのマンションの前で、私は首を傾けた。
  由綺さんも同様に挨拶を口にし、彼女の流れる髪が肩にそよいで、静かに仕事の終わりを飾る。
  それから私は、自宅まで歩を進めた。
  目に入る空はいつもと変わりなく、くすんだ海色の下では、銀の街灯が人気なき深夜の道を眩ゆく照らしている。
  静止した世界――光溢れる夜の中で、私はふと歩みを止めた。街灯のステンレスの柄が、曇り混じりの鏡となって、私の姿を映している。


  …そこには光を背に、心持ち首を傾けた私が居た。


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                    <小あとがき>

  夜の場面の小話の集まりとして、単純に「夜物語」と名付けました。
  モチーフは、アンデルセンの「絵のない絵本」です。
  もっとも、形式は曖昧で、人称・書き方は統一しないつもりですが(笑)。

  第三夜について少し。
  この中の「笑顔」の流れは、第二夜の人物と関連させようとしていたんです。
  …うまくいってないですけど(汗)。
  自分でも正直、意味不明な話になってます。
                                                       −99.07.16−