序幕の風景 投稿者:dye
    ※  ネタバレというより、知らなければ、意味不明の話となっています。



                          『序幕の風景』



  12月20日。

  華やかなパーティーが催される大広間で、老爺は壁際に身を置いていた。
  毎年、この日この位置に身を置いて十数年。
  老爺の目には、このパーティーの主役――白いイブニングドレス姿が目に映っている。
  今まで、何度こうして見てきたのだろう。
  そして、いつまで見続けることが出来るのだろうか?
  自分の目の黒いうちは……いや、たとえ白くなろうとも……。
  と、自分の湿っぽくなる感情に気付いて、老爺は頭を軽く振りかぶった。
  似つかわしくない感情だ。
  仮にも今は、誕生日を祝っている席なのだから。

  …誕生日?
  そう言えば、同じく年の瀬に、生誕を迎えた異国人が居たような。その名は……はて?
確か自分の名の始めの、セバスに似た響きであったはずだが……。
  感情を入れ換える為に行なった軽い自問は、以外に真剣なものとなってしまい、老爺の
意識が少し周囲から逸れる。
  結局、老爺が答えを得たのは、招かれていた異国の客人が発した「Yes」の呟きで、
ポンと手を打つと同時に、なかなか思い出せなかったことは歳の為だろうかと不意に思い、
憮然とした(その頑なさを彼の息子は、逆に歳の証と指摘するだろう)後だった。

  …だから、気付かなかったのだ。
  主役の姿が、いつの間にか広間から消えていることに。



  12月21日。

  香ばしい風を生み、オーブンの扉が開かれた。
  中では、狐色の丸い円盤が焼けた悲鳴と共に、忙しなく湯気を吐き続けている。
  慎重に取り出しながら、青年はその出来栄えを注意深く眺めた。
  以前、手製のシフォンケーキを試食した友人から、「普通」一点張りの感想を得た、体
験が脳裏を過ぎる。
  …うん、いい感じだ、と胸の内で合格点を与えると、青年は最後の一枚となった、壁の
カレンダーに視線を飛ばした。

  リボン付きのベルが…
  重ね合うグラスが…
  紙袋に潜ませたクラッカーが…
  白い装丁のアルバムが…
  音を奏でる日が迫っている。
  その音の輪の真ん中で、自分のケーキが置かれ…
  ケーキの一番近くで、あの人が笑っていて…
  そして、僕も笑っている…………だったらいいなあ。
  この上なく幸せだよ。

『close』の看板が表に出た喫茶店。
  ホイップクリームを泡立たせる音のみが、奥の厨房を流れている。
  その中で、刻々と冷めながら白化粧を待つケーキは、この店のマスターと似て静かに、
単調なメロディへ耳を傾けているようだった。



  12月22日。

  ――深夜。
  いや。正確には、深夜と暁の狭間。
  男は帰宅の途中で、頭上から落ちてきた白い飛礫に足を止めた。
  それは男にとって忌々しい存在だ。
  本格的な冬の使者の訪れ。
  吹きすさぶ風雪は、スピードと感覚を鈍らせ、大地に痕跡を残し易くするなど、長きに
渡り、男の活動を大いに妨げる。
「……さらば解禁日、か」
  呟く間にも、視界が瞬くうちに、白く染め上げられていく。
  人通りが失われた、街灯さえ影色に染まるこの時間帯。
  孤独感を浮き彫りにさせる闇も、自分には物足りないようだ。
  そう感じた自分の冷たさへ、多少なりの揶揄を込めて。
  全てを嘲笑う帰還のはずだった。
  白い雨粒に覆われた足元へ目を落とすまでは……。

  清く汚れない白。
  虚しく何もない白。
  飾り気なく、故に全てが飾れる白。
  寂れた商店に置かれた、小さな古いツリーでも、そっと輝ける白い道行き。
  誰も居ない部屋から、それを眺めている、小さな自分。

  男はまだ痕のない新雪を踏み荒らした。
  明日の朝には残らぬ白い傷痕は、まるで今の自身の感情のように歪んでいる。
  その姿が、却って男の頭に冷静さを取り戻させた。
  この道には、冬の常夜灯であるツリーはない。
  傍らには、元から誰もいない。
  自分と雪の白さだけが、あの日のままだ。
「…………」
  白いため息を吐くと、男は再び歩き始めた。
  不思議と寒さは感じない。
  ただ、増してくる雪が、微かに煩わしく重いだけだ。



  12月23日。

  正直、クリスマス自体が嬉しい訳では無いんだ。
  と口にすれば、9割の知り合いは自分のことを指差し、「ダウト」と笑うだろう。
  結構、お祭り好きの代名詞だもんな。
  ぼんやりと考えながら、彼は冷たい窓へ戯れに息を吹きかけた。
  もしも、残り1割の人間から「なぜ?」と問われたならば、照れ混じりに彼はこう答え
るつもりだ。
  「大っぴらな口実として、その日は訪れることができるから」

  皆の姉であり、母でもある彼女に。
  いつも家事を切り盛りする彼女に。
  小猫のように寒さの苦手な彼女に。
  末っ子だけど、最もしっかり者の彼女に。

(もっとも、この4人こそが、残りの1割の人間なんだろうけどな…)
  傍らの4つの包みに苦笑の一瞥を向けると、彼は息に曇った窓へと視線を戻した。
  白いブラインドが室温にゆっくりと晴れていき、現われる漆黒の奔流。
  重なって映る、自分の眠たげな表情。

「この度は、ご利用頂き、誠にありがとうございます。次の停車駅は**。23時55分
の到着予定になります」

  同様に明日には、「隆山」の名が挙がるはずだ。
  その時こそ、ようやく手元に届けることが出来る。
  トナカイの引くソリでなく、夜行の列車に揺られながら、髭のないサンタは、大きな欠
伸に涙を浮かべていた。



  12月24日。

  …夢を見ていた。
  内容は覚えていないが、確かに見たという感触だけは残っている。
  最近よく夢を見る。
  それはパーティーだったり、ツリーが登場したり、鮮やかな装飾のケーキが目を引く話
であったり――と、中々タイムリーな夢が続く。
  たぶん、今朝の夢もその類に違いない。
  そう自分を納得させ、少年はようやく布団の中から脱出する決意を固めた。
  …固めた。
  …いや、固まっている。
  結局、彼が布団から抜け出し、部屋のカーテンを開いたのは、半時間後だった。


  通り雨に似た、朝の弱い陽光に舞い下りる細雪。
  窓越しの風景に、少年は目を細めた。
  その気になれば彼は、陽光や結晶とは異なる存在の乱舞を、宙に見ることが出来る。
  窓に残らぬ乱舞を。
  と、ガラスに映る時計に気付き、彼は慌てて壁際に掛けられた制服へと手を伸ばした。
  袖を通す冷たい感触も。
  更に冷たい登校も。
  退屈な流れも。
  今日で、しばらく学校と共に終わりなのだ。
  そして今日は、クリスマス・イブである。
  どこかで誰かが笑い、反対に他の誰かが寂しさを覚え、或いは別の誰かは何事もないよ
うに過ごす。
  そうやって、日常と大して変わらないけど、やはり世間の空気は、まるで鈴の音に合わ
せるかのように、微かに躍動している気がする。
  開演前、というより、開宴前が相応しい感覚で。

  では、自分はどうなのだろう?
  他人事のような考えに、くすりと彼は笑った。
  分かる訳がない。
  なぜなら、初めてなのだ。
  後ろめたい受験の空気の中、誰かと待ち合わせるクリスマスというのは。
  ノブを掴み、廊下への扉を開こうとして、もう一度、彼は窓越しの世界を振り返った。
  陽光は弱々しく、たとえ細雪が降ろうとも。
  世界は晴れている。
  そして、その事は彼にとって充分、明るい景色であることを意味していた。


  ・
  ・
  ・


  ――晴れた日は届きます。

  曇りなき闇の冬星を見て、娘はそう微笑んだ。
  晴れた夜は、妨げるものなく、星に願いが届くのだと。
  天に願を掛けるとは、この娘に相応しい。
  七夕でない凍えた時節に、しかも、この溢れんばかりの星々を前にして。
  しかし、我らの間では大雪を、翌年の豊穣の証とするのだと述べると、娘は少し困った
ように眉根を寄せた。
  その様に、主も続ける言葉を失い、空へと視線を逃がす。
  下弦の月は、まだ南へは届かない。

  ――何を願おうか?

  奈落にも似た心の奥底で、湧き上がる叫びを噛み殺しながら、主が呟く。
  月は人を懐かしい思いに誘う。
  それが善きにせよ、悪しきにせよ。
  人を超えた力を身につけようと、心は強くなれぬことへ不満を覚えながら。
  刀では断ち切れぬ、見えない呪縛を燻らせると共に。
  主は今宵の薄い月を、弱々しく感謝していた。
  望月を見れば、それに誘われた邂逅と共に、終焉もまざまざと蘇らせてしまう。

  ――そうですね。あなたは、何を望みます?
  ――俺は……笑えると良いな。


  ――……ええ。

  しばし間を置き、娘が掠れる声で答えた。
  星が現われるよう、明日も晴れると良いですね。
  そう答えながら、伏せそうになる目を、静かに細めて見せた。
  相手を気遣っての、精一杯の微笑み。
  笑みが強いと思わせたのは、これで二人目だ。

(――心カラ笑エルト良イナ……)

  夜の帳が色を深め、相対して、星もその輝きを強めてゆく。
  晴れた日は届く……か。
  虚空へと失われる呟き。
  過去や現在も、そして未来すら届きそうな――いや、全てを飲み込みそうに、夜空は黒
一色で澄み渡っている。
  確かに晴れていた。
  雲や霞、風の音すら流れず、ただ、穏やかな静けさが備わっている。
  寝付いているのか、目覚めようとしているのか。
  それは主に不思議な感慨を与えていた。

  過去を忍ばせながら、一つのことを思い付く。
  幕が降りることで始まる、ということを改めて知った気がする。
  終幕にして序幕。
  夜が来て、朝を迎え。
  終わりそして始まり。
(思えばこの娘達も、この天より訪れたのだったな…)
  頭上を覆い尽くす、星を散りばめた黒い幕に、主は胸を詰まらせていた。
  いつになく強い、言い表せず、吐き尽くせない感慨に。


  …1月が春と区分された時代。
  …時間と時刻の区別がなかった刻。

  4つの瞳が空を見ていた。
  それはまだ、交錯はしない。
  しかし、遠い隣り合わせでもないのだ。



                                           −終幕。或いは序幕−

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                        <雑記>

  当初、ラストの話は、「晴れる夜」と「ハレルヤ」を掛けた、別キャラの讃美歌ネタで
した。結局、全く変更した後も「晴れる夜」は残っていますけど(笑)。

  なお、六百年前の暦は「陰暦」です。
  従って、現在の12月24日は、ラスト内の暦だと11月の話なんです。
  昔では陰暦11月(現在の12/21〜23辺り)が、「冬至」(現1/25)とされていました。
  案外、菜としてキノコ……いや、翌日、赤い十字架のベルが鳴り響きそうなんで、この
辺で止めておきます(汗)。

                                                    −98.12.23(WE)−