金色の射手 投稿者:dye
  大丈夫と思いますが、一応、断っておきます。THのネタバレです。
  …というより、某キャラ(題でバレバレ)の後日談になりますので(笑)。

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        ギリシャ神話で、太陽神アポロンの武器は闇を裂く矢である。
        そのアポロンがダフネという精霊(ニンフ)に魅了されたのは、愛の女神の息子
      の所有する小さな矢が、胸に打ち込まれたのが原因だった。
        2種の矢がもたらすは、眩しい輝きと愛しさ。
        なお、双方の矢は、どちらも金色だと伝えられている。


         【●】

  ゲーセンの入り口に、喧騒と外気の交わりが生まれた。
  再び境界を結ぶガラスの扉が、表に出た一組の男女の後ろ姿を薄く映し出している。
  その二人が見上げた視線の先では、雲の厚みに霞みながらも、太陽が息づくように感じ
られた。
  どうやら、急に降り出した雨は止んだようだ。
  周囲にはその置き土産とも言うべき、不快な蒸れになる手前の湿りが、程よい柔らかさ
で漂っている。
  雨上がりは、洗い流された新しい世界との対面。
  再び取り戻される、古い馴染みの風景への回帰。
  混迷を抜け出し始めた空の下で賑わう日曜日の雑踏に、傘持たぬ二人はゆっくりと歩き
始める。
「なぁ、昼飯、例のファミレスでいいだろ?」
  もうすぐ時計の双針は、頂上で1つになろうとしていた。
  しかし、真昼のシンデレラは逃げ帰る様子もなく、男の隣で明るく微笑んでいる。
  仮に魔法が解けたとしても、このシンデレラは美しいに違いない。
  170を優に超えた身長に見合う、すらりとした白い手足と豊かな胸。
  周囲に笑顔と元気を振り撒く、洋々とした明るい雰囲気。
  そして何よりも、金色の髪に青い瞳を備えた容貌。
「アタシのバイトしてた所?  それより、ヒロユキが言ってた、美味しいカツ丼屋さんに
行こうヨ」
  OKと答えて、浩之は相手に笑って見せた。
  このシンデレラは、和食好きなのだ。
  彼女の名は、宮内レミィという。



        :○

  レミィの帰国騒動から、約5ヶ月が過ぎ去ろうとしていた。
  秋の名に相応しからんと、周囲の色彩から空気に至る全てが日を追うごとに、その質を
落ち着いた深みの有る状態へと換えつつある。
  その流れに沿うかの如く、浩之とレミィは秋期テスト明けを兼ねたデートを楽しんでい
た。もっとも、今は恋愛の秋と言うより、食欲の秋に近い状況を迎えている。


「…そーいや、レミィ。相変わらず弓、当たんねぇーのかよ?」
  トマトジュースを隠し味に使ったカツ丼を充分に堪能しながら、浩之は何気なく語り掛
けた。
  浩之は不思議でならない。雨宿りに駆け込んだ先程のゲーセンで、時間潰しに射撃ゲー
ムをしたのだが、レミィは尋常でない腕前を披露したのだ。
  文字通り、急所ヒットのONEショット・ONEキル。
  今にして思えば、豹変したレミィの矢に無事で済んでいたのは、自分の運や反射神経で
なく、弓に於ける彼女の腕に原因があったような気がする。
「アハハッ!  アタシ、動かないもの相手は全然ダメ。でも、的をこっそり動かしてもら
えば、優勝するかもしれないヨ!」
(…琴音ちゃんなら、出来るだろうな)
  本当に採用なり兼ねない気がした為、この思い付きは即座に発言キャンセル。
「そ、そーいや、何でレミィは弓道してたんだっけ?」
「あのね、アタシがクラブ巡りしてたら、弓道場で練習してた人が居たの。珍しくてチョ
ット見学してたら、その人パンパン当ててネ…」
「へぇ」
「しばらくして、1本だけ外したんだけど、その人、外した後で笑ってたの」
「笑った?」
「YES!  苦笑じゃなくて、満足そうなハッピースマイル。普通、外したらノーポイン
トだから、嬉しくないよネ?  それでアタシ、ピンと来たの。  これが『日本の心』だっ
て!」
  浩之は微かに覚えがある。初めて校内で彼女の弓道着姿を目にした時、レミィは弓道を
始めた理由を『日本文化の研究』と答えたのだ。
「…そ、そうなのか?」
「でも違ったみたいなの。『一見は百聞にしかず』と思って入部したけど、全然ダメ。ア
タシ外れてばかりだけど、一度も嬉しくなんないネ」
「それが普通じゃねぇか?  たぶん、その引いてたヤツが変なんだろ?」
「でもその人、『外さぬ射手』とまで呼ばれた全国クラスだヨ」
「だったら、本人に直接聞いたらいいじゃねぇーか」
「NO!  極意はシショーから盗んで学ぶものデ〜ス」
  これでは、まるで禅問答である。
「まあ、よく分かんねぇけど、弓道って楽しいんだろ?」
「…………」
「おいおい、あんまし『日本の心』にこだわり過ぎてんじゃねえのか?」
「…エヘヘ」
  彼女にしては、珍しく曖昧な苦笑。
  その否定も肯定もない返事が、浩之に小さな違和感を感じさせた。


「…あのな、ことわざや和食について、楽しそうに話しているレミィって、オレは結構好
きだぜ。何て言うか、聞いてるこっちまで楽しくなるからな」
「……ホント?」
「こんな時に嘘ついて、どーすんだよ」
  照れ隠しで湯飲みへ手が伸び、空いた間を埋めるように茶を啜る音が響く。
(楽しい…か)
  ふつふつと、サッカーをしていた昔日が思い出される。
  淡くて、くすぐったいような追憶。
「楽しいって、好きと同じかもしれねぇーな」
「タノシイはスキ…」
  レミィが呪文のように復唱する。
  その効果が現れたのだろうか?
  少し間を置いて、レミィが得心したように口を開いた。
「――あのね、ヒロユキ。一つ頼んでもOK?」
「金以外ならな…って、レミィに限ってそりゃねぇーよな」
  笑う浩之の手を掴んで、立ち上がらせるレミィ。
「一本だけ、アタシに付き合って。ヒロユキにアタシの弓道、見て欲しいの…」



        :○○

  事務室で鍵を借り受け、二人は無人だった弓道場に足を踏み入れた。
  雨露に濡れた板戸を開放し、的を一つ設置すると、レミィが更衣室へ消える。
  的場と射場を結ぶ脇道で、浩之が待つこと数分。
  道場内に、弓道着姿が現われた。
  弓に弦が張られ、準備運動も含めた全ての用意が終わり、レミィが的に相対する。
  彼女が射場に立つと、さすがに空気が引き締まっていくような緊張が生れ始めた。
  グランドから流れる体育系の部活の肉声や、音楽室の吹奏楽部の楽器音といった喧騒が、
まるで潮が引くように周囲から遠ざかる錯覚。
  代わりに満ちていくものを肌で意識しながら、浩之は外からレミィを眺めていた。
  場の空気と射手の袴姿が、何となく巫女を連想させる。
  しかし、これは神々しさでなく、真剣さが生み出す緊張だ。その凛とした、普段見慣れ
ぬ様までもが、観客の息苦しさを強めている。
(まるで、サッカーのPKみたいな気分だぜ)
  見守る視線の先で射手の腕が動き出し、弓と弦の造る空間が開かれ横へと伸びていく。
  ――ぎり……ぎりり……ぎり……。
  引き絞られる弦の、歯ぎしりじみたうめき。
  しかし、外の浩之に届いていた音は、その時、レミィにとって遠い存在でしかない。


(タノシイはスキ…)
  的は意識しなかった。
  狙いとして見ているが、凝視ではない。あくまで、そこに在ると視界が映す存在。
  単純な意味で意識が前を――そう、前だけを向いていた。
  複雑な思惑は横に、そして意識の後方へと流れていく。
  そのためだろうか?  弓の抵抗がいつもより軽い気がしている。
  いつもと違い、当たりへの執着も薄いようだ。
(クスッ)
  弓を引いている最中に、不謹慎かもしれないが、思わず笑いたくなってしまう。
(…気持ちイイ。弓を引いている時間が気持ちイイ…!)
  愉快を伴う爽快感。
  柔らかく喜びを訴えている身体は、しなやかに力を伝える弓と化したようだ。
(フフッ)
  初めてかもしれない。弓が自分の身体に馴染む感覚、引いている楽しさ。自分の身体の
使役と、練習で積み重ねた技術を味わう時間は。
  そして視界の中で動かぬ的。
  まるで力を受け止める為、佇んでいるようにも見える。
  追いかける対象でなく、向こう側に待つ存在。
  その思い付きに、レミィは心の中で大きな笑みを洩らした。
  かつて猟をした際、彼女の父が話したことがある。
(優れたハンターは、獲物の動向が分かるという。その先を読んだ行動は、銃口の前へ獲
物を誘うかのように鮮やかだ。追う者と追われる者が心を合わす。ひょっとしたら本当に
在るのかも知れないね、ヘレン…)
  手にある道具を身体の一部とし、心通わぬ存在に接触を見出そうとする。
  それは日本特有の心でなく、人間ゆえに求める行動なのかもしれない。
  好奇心なのか、寂しいからなのか、一方的で傲慢な欲求。
  でも、悪いことばかりでないような気もする。
(何だかオカしいね、ダディ…)
  次々と胸を去来する思い。
  しかし、雑念にしては迷うことなく、一つの色に心が染まり始めている。


  …そんなレミィの心を知るよしも無く、浩之は静かに眺めていた。彼には一連の弓を引
く動作が終わり、後は矢が放たれるかに見えている。
  しかし、彼女の射技は続いていた。
  内なる力は、まだ満ち足りていないのだ。



          :○○○

  レミィには、自分と的を結ぶ線が、意識上の感覚として生れていた。
  頬に触れている、つがえたままの矢。
  左右の肩、肘先、拳を結ぶ、力の張り。
  感覚の複線が収束し、それが大きなベクトルとなって一つの方向を見定めている。
  すなわち、的の中心へと。
(――外す気がしないヨ)
  それは歓喜ではなかった。朝、出掛けに空を見上げて「今日は晴れだな…」と思う程度
の、極ぼんやりとした心の動きだ。
  ただ、自分が周囲に溶け込んでいるような、ひどく静かな感覚の――ぴりぴりと皮膚の
粟立つ鋭敏さでない――高まりがある。
(Fuuuu…)
  意識することなく洩れた呼吸と共に、筋肉の張りが下へと降りていく。それにより、引
き絞られた弓の状態がさらに進んだ。
  外す気はしない。
  だけど、矢を放ちたくない。
(『今』の時間がハッピーだから…)
  矛盾を感じつつ、レミィの身体は矢が開放される時を感じ取っていた。
  大きなベクトルが細く研ぎ澄まされて、点になろうとしている。
  続いていた静止。
  それが刹那の瀑布を吐き出す瞬間…。


「!」


  素人の浩之でも分かる、短い異音がした。
「レミィ!」
  叫びが矢のいななきを隠す。
  床先に落ちている残骸ですぐに、浩之は弦が切れたということを悟った。
(…レミィ)
  金色の射手は、放った状態を崩さぬまま動かない。
  どことなく誇らしげなその姿に、浩之はふと、彼女の髪を束ねる薄紅色の布を解いてみ
たい衝動を覚えていた。今のレミィに似合うような気がして。
(何考えてんだオレは…)
  ギャラリーは片手で瞼を押さえた。閉じた視界で、金色の奔流が広がる様が浮かぶ。空
いた掌に伝わる、微かに上昇した体温に少し赤面を覚えながら、
「…綺麗だろうな」
  自分の胸の内を誤魔化すように呟いてみるが、それは明らかに失敗に終わっていた。
  瞼を開いてみる。
  弓を引くことに集中していた為、レミィは自分の一人相撲には気付いていないようだ。
(……………)
  彼女の様子に安堵しつつ、浩之は『外さぬ射手』の笑みの理由を、ふと思い付いていた。
  外した時の笑いとは、自分の未熟さを認識したものなのかもしれない。
  うじうじと悩まず、未知の土地を前にしたような喜び。
  本番でなく、練習の中で発見されたことに対する安堵。
(プラス思考や向上心って意味なら、レミィはそいつの笑顔をとっくに会得してるぜ)
  小さな疑問への探求。
  発見に対する素直な賞賛。
  手品を変え続けたタックルや、ことわざ辞典14冊購入の熱の入れ込み様は、その現わ
れと言えなくもない。
(第一、 今だって満足そうに笑ってるじゃねぇか…)
  レミィに浮かぶ、眩しい表情。
  先程より落ち着いた温かな気持ちを、浩之はゆっくりと胸の内で味わっている。


  …矢が貫いたのは、的の中心点より、2センチほど真上の位置。
  その場所はある意味、優れた証明でもある。弓を引く調子が良すぎた為に、矢の勢いが
強まった結果なのだと、レミィは聞いている。
  だが、笑みの理由はそれだけではない。他にも、教わったことがあるのだ。
  射法に基づいた動作で、床に落ちたものを拾うレミィ。
(――タノシイはスキ。何となく分かったヨ、ヒロユキ…)
  当たることは、確かに楽しい。が、楽しみはそれだけでない。
  縛り付けられていたものが、開放されたような心地良さをレミィは感じていた。
  喩えるなら、それは放たれた矢。
  矢と共に走る風。
  ――そして。
  その心を象徴するかのように、空では雲が風に流されて、秋の蒼穹を覗かせている。



        :○○○◎

  再び無人となった弓道場を後にし、二人は浩之の自宅に近い公園のベンチに腰を下ろし
ていた。ここは二人にとって、約束を埋めた記念の地でもある。

「――安産のお守り!?」
「YES!」
  先程切れた弦を手の中で弄びながら、レミィは傍らの浩之に答えた。
  レミィが教わったもう一つのこと。矢が命中した時に切れた弦は、安産のお守りという
一種のマイナージンクス。
  おそらくそれは、へその緒と掛けた意味なのだろう。
「これ、ヒロユキにプレゼントするネ!」
「…オレに?  雅史んトコの千絵美さんは無事済んだし、あいにく周りに出産しそうな人
間なんていねえぜ」
「NO!  ヒロユキが自分の為に、使って欲しいの」
「…はぁ。高校生で、しかも野郎が安産のお守りってのも、何かスゲェけどな」
「ダイジョーブ。ちゃんと似合ってるヨ」
「ふ〜ん、そうか――って、オイ!」
「アハハハッ!」
  浩之には分かっている。
  その時が来た時、渡して欲しい。それまで自分に預かっていて欲しい。
  たぶん、そんな所なのだろう。
(でも、そのお守りが使われるのは、まだ先だろうけどな…)
  未来を予想し、何気なく押し黙る浩之。
  ひとしきり笑い終えたレミィも自然に無言となり、辺りに沈黙が生れた。
  弓道場の時とは違う、くすぐったくも優しい空気。
  胸一杯に温かさを確認したくて、噛み締めるように大きく吸い込む。
  自然に視線が浮き上がり、そのまま止まった。
(…………)
  水に溶かした絵の具のような雲が、青地にマーブル模様を描いている。
  午前中と打って変わった快晴。
  中天で洋々と佇む太陽は、まるで白波立つ海に浮かんでいるようだ。
(そういや、今日は変な一日だよな)
  ぼーっと振り返る意識が、虚空へと吸い込まれていく。
  微かに青みを増したような、昼下がりの秋空。
  それはレミィの瞳と同じ色の世界で、しかもその内に、彼女の髪の色と等しい明るい光
を孕んでいる。
(――あ…)
  だが、すぐさま日差しは覗き込む人影に遮られた。
  いつもの明るい笑顔とは異なる、フッと和んだ表情が視界一杯を占める。
「何を見てるの、ヒロユキ」
  ある意味、太陽よりも眩しく目を射抜き、胸を温かくする微笑み。
  片隅で揺れる薄紅色。
(…………)
  金色の幻想、再び。
  左手で彼女を抱き寄せながら、浩之は自身のハートが射抜かれていたことを再認識して
いた。
  ドキドキと大きく跳ね続ける的は、レミィに分があったに違いない。
  なぜなら、それは動く標的なのだから。
「…ヒロユキ?」
  その射手が訊ねている。
「あのな…」
  引いた浩之の右手をすり抜け、二人の足元に落ちるリボン。
  そして舞台の幕が降りるように、金色の波が滑り落ちる。
  金幕が再び上がるには、しばらく時間を必要とした。
  全てを発言することなく、呟きが優しく柔らかな感触で遮られた為に。



                                                          −完−

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                      <雑文あとがき>

「胸を射る」は「shoot at heart」らしいです。
「残念。『to heart』なら、別の結末あったのに…」と思ったのは、作成上の話(笑)。
(なお、『shoot』ですが、「射る・狩猟する(笑)」以外に「笑顔を『投げかける』」の
意味が有りました。レミィって、文字通り『shooter』のような気が…)

  SSについて。
  その1。外さぬ射手の心ですが、作者としての正解は『軽やかな心』です。
  レミィと浩之が出した各々の答え、どちらも部分的に間違いではありません。

  その2。でっち上げネタ(笑)がチラホラ有りますが、安産お守りは実在のものです。
  ただ、古いジンクスですし、切れ弦自体が珍しくありません。見馴れぬ浩之が驚き、古
き日本伝統を尊ぶ、子供好きのレミィが喜んだのは、特別なケースに近いと思います。

  …言い訳は、以上です(苦笑)。