天使帰還 投稿者:dye
                       <始めに>

   これは『創造・邂逅・流転・共鳴・集散・哀笑』(各章5話)の続きです。
   前話については、図書館のログを参照して下さい。
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                         −ED1−

  胸の傷はかなり危ないものだったらしい。病院のベッドに横たわった私に、
少女が悪戯っぽく微笑みながら話してくれた。彼女も私同様、同室のベッド上
の身だ。
「――楓さんに感謝しなくちゃね、琴音お姉ちゃん」
「…それはお互い様でしょ?  ちゃんと綾香さんから聞いたわよ。再び戻った
楓さんが、倒れていたマルチを見つけたんだって」
「……」
  途中、松原さんの呼んだ救急車に遭遇した楓さんは私を任せ、独り元に引き
返したらしい。おかげで私達は仲良く入院している。
「…ふふっ」
  一瞬の沈黙の後、互いの笑い声が病室に弾けた。
  自然に笑えたことに感謝を覚える。枯れ草のような薄い麦色…若草色でない
彼女の髪を目の前にして。

  それは『喪失』だった。長瀬氏にとってのマルチの。
  髪の色と共に、遠い記憶も全て失われたのだ。
  だが、私にとってのマルチ、氏にとってのマルチナスは生きている。
  綾香さんが手渡してくれた芹香社長の手紙を読んだ時、私はそう思うことで
指の震えを止めようと努めた。
  そんな自分には、氏の心境を尋ねる勇気も、まして好奇心もない。
  ただ、一つだけ気になったことがあった。
  
「生命を持つ者には、等しく死を受け入れる義務……いや権利があります」
「再び生き返らせることはしません。『マルチナス』に【次】は無いんです」

  以前、私が長瀬氏に伝えた社長の言葉。
  あの時は生命創造の警告だと思っていた。
  しかし、これは別のことを指していたのではないのだろうか?


          (…それから7度目の春が巡り…)


  あかりの初出産から7年が経とうとしていた。
  長男の輝(あきら)に続いて、長女の真由美も今年で4歳になる。
  折り悪く2人の行事が重なり、真由美の入園式に向かったあかりに対して、
オレは輝の入学式に来ていた。
  本当は生意気ざかりの息子でなく、愛娘の方に付き添いたかったんだが。

  今は体育館の式から、1年生の教室でのオリエンテーションに移行している。
  輝の参観はデジカメに任せ、オレは窓から風に流れてゆく桜を眺めていた。
母校の高校にも同じ光景が訪れているはずだ。アイツの眠る桜の樹も…。

「おら、帰るぞ、バカ息子」
「おう、ぐーたらオヤジ」
  正門前は帰途に就く父兄と新入生でごったがえしている。人混みがしばらく
治まらないことを見越し、輝の襟首を掴んでオレは反対方向を目指した。校舎
の角越しに裏門が見え、曲がろうと近付いた時。

「…きゃ」
「おっと」
「す、す、すみません!」
「いや、こちらこそ……えっ」
「…あの、どうかされました?」
「…オヤジ。呆けてんじゃねーよ」

  春の霞は目に毒と、古典か何かで読んだことがある。でも、春が幻を見せる
なんて聞いた事がない。

「…な、何でもありません。ははっ、桜の色が目に染みたみたいで…」
「やれやれ、美人の前だからってカッコつけちゃって」
「…お前、本当にあかりの子か?  何か昔の悪友に似てるぞ」
「へぇー心当たりでもあるの。今度、オフクロに聞いてみよーっと」
「…頼む。幸せな家庭を壊さんでくれ」

  オレ達親子の会話に相手が微笑んでいる。その春の陽光を思わせる柔らかな
笑みが、また遠い記憶を刺激して目頭が熱くなり、慌ててオレは上を向いた。
…まるでアイツの泣き虫が移ったかのようだ。

(どうかしてる。第一、髪の色が違うし、何よりも耳が丸出しだろ?)
  深緑の瞳に麦色の髪、その周りを飾る薄紅色のシャワー。その組み合わせを
オレは素直に綺麗だなと思った。

「オラオラ、よそ見してっと…てぃ!」
  息子の小さな拳が腹に入った。夢じゃないらしい。小うるさい行為が今は
有り難かった。何よりも涙と感情を散らすことが出来る。

「あっ、お見苦しい所をお見せしました。ええと、弟さんのお迎えですか?」
「いえ。この学校に赴任の非常勤講師です」
「…先生ですか」
「クスッ。今年に大学を卒業したばかりの新人ですけどね」
「ほう。息子も新一年生なんですよ」
「新しい者同士よろしくね。ええと…」
「…ふじたあきら。名札も読めねーのかよ、センセ」
「おい、コラッ!」
「藤田くん、よろしくね。私の名前は…」
「あ・き・ら。藤田はオヤジとおんなじだからヤダ!」
(…養子に出してもいいんだぞ、オレは)
「輝くん。じゃあ私も――」
(…なっ)
「――先生って呼んでね。親しい友人はそう呼ぶの」


  風に舞う桜の悪戯の中で、オレは幻はより強いものとなっていた。
  いや、幻じゃない。息が詰まりそうな追憶だ。
  硬直するオレの視界で2人の手が握手を交わしていた。
  一方はぎこちなく、もう片方は優しく。

                                        −ED1・終了−
                                        −次回、ED2−
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  2つのEDはハッピーとバッドの2種ではありません。
  物語としてのラスト、私的な好悪によるラストの2つです。
  本編は私的な方に当たります。そしてED2の為の話でも。

  ED2もほぼ同じ流れで、7年後にて幕です。
  もう次回が読めた方もいらっしゃるのでは?