天使哀笑 投稿者:dye
                       <始めに>

   これは『創造・邂逅・流転・共鳴・集散』(各章5話)の続きものです。
   前話については、図書館のログを参照して下さい。
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  私は実際に蛍をこの目で見たことがある。それは掠れるような点滅をする、
永続しない淡い黄色の輝き。目前で舞う光源は明るすぎた。そもそも蛍は夜に
溶ける光なのだから。
  この現象の源が分かりかけている。なぜなら身体がその気配に、冷たい汗を
帯び始めたのだ――少女の内で吠えるエルクゥに。

  縛めから解放された男は、息を切らせながら少女と距離を取っていた。彼の
目にはこの異変が映っていないのだろうか?
(――それとも私にだけ見えているの?)
  その隙に、私は攻撃を受けた女性へ駆け寄った。銀色の巨人に受けた左足の
傷の叫びは無視する。これはまだ耐えられる痛みだ。彼女に比べれば。
(…良かった…生きてる…)
  女性の右肩から上胸部に走る、不可視の力による裂傷。彼女の息を確かめ、
止血に取り掛かった私は奇妙なことに気付いた。鋭利で深い傷は身体の両端で、
逆に中心部分は少しだけ浅いのだ。

  彼女はあの瞬間、何らかの抵抗をしたのだろうか?  私にはこの昏睡も関係
しているような気もするが。しかし、幸いだったかもしれない。意識が有れば
激痛に身を苛まされていただろう。重傷であることには違いないのだから。
  松原さんが連れてくる救護を、待っている余裕は無いように思えた。そして
私が回復した以上、少女と友人を逃がす機会にも丁度いい。

「…マルチナスさん。お姉さんは無事よ、生きているわ!」

  詭弁だった。生きているが助かるとは言っていない。全てはこれから次第。
私は笑みを造った。自分のため、そして少女を説得するために笑みという名の
仮面を被る。
  自分でも硬くて不自然な表情だと思いつつ、小さな嘘に波立つ感情をそっと
遮断した。意識が少女に伝われば、この笑顔は無意味になってしまう。

  反応を示さぬ少女にもう一度叫ぶ。「無事よ、生きているわ」。無いはずの
そよ風に揺れるように、ほんの少し光源の群れが視界の片隅で揺らいだ。

「…そ、そうですか」
  少女が泣き笑いの表情を見せた。彼女の内なるエルクゥは低く唸っている。
まだ様々な衝動が渦を巻いているようだ。

「――だから、お姉さんを連れて病院へ向かいなさい。ここは私に任せて…」
「…だめです」
「マルチナスさん!」
「…だって…だって楓さん、足、ケガしてるじゃないですか…」
「これは…」
「…楓さん。私って、楓さんや琴音お姉ちゃんに助けて貰ってばかりですよね。
私は誰の役にも立っていない…」
「考えすぎよ」
「私、琴音お姉ちゃんを守れなかった。だから…だから、ここは私が…」

「――我を止めると言うのか?」
「!」
  声の主は移動していた。その背後には黒髪の人質の姿が見える。隙を見せた
のはお互い様だったらしい。
「先程のような真似はさせぬ。この距離なら我が魔術の方が速いしな。もはや
汝らの手は届かぬよ」

「…いいえ、届きます」

  マルチナスさんの声と共に、黒髪の人質が起き上がり歩き始めた。ロボット
みたいな不自然な動きで。
「馬鹿なっ、我が術は解けておらぬぞっ!?」

  私には男の背後が見ていた。光球が身体に触れた途端、人質が動き出すのを。
マリオネットにも似た行進が私達の元で終了する。驚愕の表情から察するに、
彼女の意志とは別の動きだったようだ。
「…楓さん、今の内に早く!」
  観念して2人を両肩に抱える。私にない不思議な力を目撃したのもあるが、
それ以上に琴音さんの傷が心配だった。だが、ただでは行かない。置き土産を
一つだけ残す。それは視線。

  千鶴姉さんの視線は冷たく威圧し、
  梓姉さんは怒りを孕んで炎を噴き、
  初音は悲しみで戦意を萎えさせる。
  そして私は――

  黙して男を見つめた。静かなる透明な一瞥。男は一瞬たじろぎ、それを隠す
ように口を開いた。

「この娘を殺した後に追いつくのは、我なら一瞬だぞ」
「彼女は、あなたに負けません」
  少女が私の言葉に微笑む。
「…約束よ。後でまた笑い合いましょう」
  私も少女に微笑み返し、そして背を向けて走り始める。

  …笑顔はもう造れなかった。


                                        −第4話・完−
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          <出演者降板あとがき>


(前回の琴音嬢に対する扱いに対し、2人が出演を拒否した為
    今回はお休みです。次回から代理の新キャラが進行を担当します)



 浩之 :オレがいるだろ〜〜〜がっ!


          叫び空しく−終幕−