注)「雫」のネタバレ含みます(たぶん)。マスター以外ご遠慮下さい。
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月島さんを止める…いや、救う為に瑠璃子さんは僕を見出した。
親友を追いかけて瑞穂ちゃんは僕に出会った。
自らの好奇心に新城さんは、夜の校舎を僕と歩いた。
衝動を抱えていた僕と逆に、破壊を撒き散らした月島さん。
僕の目の前で赤い華を咲かせた太田さん。
夢に見る程、あの時の事は憶えている。
あの時と言えば「事件」は、乾いた現実を潤すと信じていた向こう側を
見せてくれた。「扉」を開いた月島さん・開かされた瑠璃子さんを見て
分かった事がある。
「扉」を開いても満たされない。一時的に埋めた隙間は、後でより冷たい
風を運んでくる。回避しようとして次なる「扉」を探しても、その向こう
は同じ場所。開いてもこの世界からある意味、離れていないのだ。
こうして僕は待ち望んでいた「扉」を手放した。でも、この先々苦しい思い
をする度に、取っ手を掴み「扉」を叩くのかもしれない。「扉」そのものは
ずいぶんと近い場所に在るのだから。
その意味で、最近の未成年の事件を聞く度ヒヤリとする。異なる選択をした
「僕」に思えて仕方がない。彼らの行為を愚かだと哄笑する人達が、同様に
笑って自らに現れた「扉」を容易に蹴飛ばせる事を望む。
――行為は愚かだと思えても、僕は笑えない。
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日記に残る1年前の今日。卒業式を控えた3月の事件後に書いたものだ。
読み終えた途端、懐かしさに苦笑を洩らす。
この文章を書いた頃から、僕は人の「心」に興味を持った。そして現在、
ある大学から心理学コース合格の通知を得るに到っている。
周囲の大半は、心理学を選んだ僕を不思議に思ったらしい。幾つかの噂
の中には「例の元クラスメートへの愛ゆえに」というものも有った。
例の元クラスメート……太田さんの事だ。「カウンセラー」を考えてる
と発言した事に尾ひれが付いたらしい。
その噂についてコメントを求めた級友達に対し、
「違うって。第一、彼女を救おうとしている人は別にいるよ」
と僕は答えた。
その救おうとしている人が、昨年医大に進んだ月島さんか、同じく
今年合格した瑞穂ちゃんなのかは、敢えて言及していない。
その曖昧な言い方が誤解を招いたのか「長瀬の片想いに終ったらしい」
と新たな結論を付けられ、「なんでそうなる!」と突っ込んだっけ。
回想から呼び覚ますように、窓から風が入ってきた。春の気配を含んだ
巡礼に目を細める。僕の髪・カーテン・机の上のプリント・そして日記の
ページ……部屋の到る場所が静かに揺れて唱和していた。めくれたページ
を戻そうとして文字が目に入る。
『日記とは誰かに見せる為に書かれた文章である』
これは叔父さんの受け売りだ。授業で聞いた時は、他人へ見せる前提で
書く日記なんて自意識過剰としか思わなかった。交換日記じゃあるまいし。
でも今考えれば月日の流れ(場合によっては昨日・今日の時間でもいい)
に変化した僕は、その時とは違う自分でもある。
再び文面に目を通した。1年前の自分がそこに居る。日記帳とは名ばかり
の大学ノートに綴られた感情という形で。
書いて良かった……なんて単純には思わない。時には忘れたい事も有るし、
赤面するような幼稚な叫びも残っている。
(――でも)
沙織ちゃんに話したら「やれやれ黄昏ちゃって」と呆られそうな考えが胸
を過ぎる。
人の心の不思議さに思いを馳せながら、僕は取り留めない空想を泳がせた。
そこに「爆弾」は生まれていない。ただ一人の微笑む少女が像を結んでいる。
−完−