『セリオのチョコレート』 作成:98.02.06(金)
2月13日の夜。
長瀬の部屋に漂ってきた、普段は嗅ぎ慣れぬ香り。
やがて、チョコレートの焦げる香ばしい匂いは長瀬の頬を緩めた。
マルチの悪戦苦闘が目に浮かぶようだ。
2回ノックの後、一呼吸おいてドアが開かれる。
「失礼します」
そこには、長瀬に渡す書類を手にしたセリオの姿があった。
「ああ、ご苦労様……そうそう、君も誰かにチョコレートを渡すのかな?」
「プレゼントの事でしょうか」
「プレゼント?……なるほどね」
苦笑する長瀬。優しく諭すように、彼は語り始めた。
「確かにプレゼントなんだが、明日のは少し違うんだ。大抵のやつは渡す
相手の気持ちを考えたもの。ホワイトデーも『お返し』の意味でそうだな」
「気持ち……」
セリオに表情があれば、それは困惑を示しただろう。
「日本中で渡されるあの甘い固まりは、逆に自分の気持ちを込めたものさ。
相手に対する『好き』だとか……コホンッ」
自身が照れたのか、長瀬は言葉を濁した。
「私は『気持ち』を理解できません。マルチさんと違う……」
これは悲しみだろうか。
「そうだね。でも君達には、学習能力が備わっている。幸いにも君とマルチは
友人だ。セリオ、私はね……君がマルチの傍で『感情』を知る日が来るのでは
ないかと思ってるんだよ」
「ご期待に応えるよう、善処します」
その答えに、長瀬は少し寂しそうに唇を結ぶ。セリオは一礼し、退室しよう
としてドアの前で動きを止めた。
「……私にも誰かに……チョコレートを渡す日が来るでしょか?」
「……ああ、きっと」
短くも力強い響きを込めた返事を聞き、静かにドアが閉じられた。チョコ
レートの甘く香ばしい匂いは、まだ室内を漂っている。
−了−