ToHeart if.「淫魔去来」第25話 投稿者:ARM(1475) 投稿日:9月15日(土)23時57分
【警告】
○このSSはPC版『ToHeart』(Leaf・AQUAPLUS製品)の世界及びキャラクターを使用しています、たぶん。
○このSSはPC版『To Heart』神岸あかりおよびHMX−12型マルチシナリオのネタバレ要素がある話になっており、話の進行上、性描写のある18禁作品となっておりますが、今回も無いです、残念ながら。
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    ToHeart if.

       『淫魔去来』  第25話

            作:ARM

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【承前】

 5月2日、夜。

 浩之は早々とベッドに入ったものの、なかなか寝付けられずにいた。
 浩之の部屋の窓から射し込む外の光が、ぼんやりと部屋中を照らし、呆けたような顔で天井を見上げている浩之の顔を暗がりから浮かび上がらせていた。

 浩之は、いつしかあかりのコトを考えていた。


 浩之ちゃん。

 ……どうしたの?

 ……うふふ。

 あかりの幻の顔が、浩之の目の前に浮かんでは消える。
 その度に浩之は、やりきれない気分に見舞われた。
 浩之は、あかりにあすこまで冷たい態度をとるつもりはなかった。むしろ、あかりを傷つけたくないという想いから、あかりを避けたハズだった。それが却ってあかりを傷つけてしまう結果になり、その自分の愚かさを、浩之は今頃になって悔いていた。

 迷うコトなど無いのだ。
 りりすの言う通り、あかりが浩之を思う気持ちに偽りなどあろうはずがない。
 浩之は嬉しかった。
 なのに、その気持ちに答えられる自信が、今の浩之にはなかった。

 知らなければ良かった、と浩之は思った。もう一つの、そして本来の歴史の存在を知らなければ、浩之はあかりを何の躊躇いもなく受け入れられたであろう。

 初めてあかりを異性としてはっきりと意識した、あの花見の夜。
 何げないイメチェンで髪型を変えた事ですっかり可愛くなったあかりにいつしか惹かれ、それを意識している自分に気付いた夜だった。浩之が良く知っているあかりではないように思え、すっかり動揺してしまった程である。
 更に、あかりに交際を申し込んだ矢島との一件で、浩之はあかりが交際を断った事を知ってホッとしている自分に安心するに気付いていた。
 それが、あかりを好きだという証拠なら、そうなのであろう。
 そして、キス。
 あかりの部屋でした、浩之とあかりの初めての口づけ。
 それをきっかけに、ふたりは幼なじみを卒業して、恋人同士になったのだ――と、浩之は思っていた。
 キスの後、あかりが涙を滲ませて喜ぶ姿を見て、浩之は、今までずうっと待たせてきた事を後悔した。

 あの涙が、りりすに操られてのものとは思いたくなかった。
 りりすは、それは違う、と否定した。浩之を想う気持ちを増幅させただけで、あかりの、浩之が好きだという気持ちには、決して偽りなど無いと涙ながらに訴えたあの姿を信じるならば。

 しかし今、浩之を迷わせているものは、あかりの気持ちの真偽だけでなかった。
 それは、浩之自身の気持ちであった。
 自分が甲斐甲斐しく面倒を見てやった、あのメイドロボットへの想い。
 本来の歴史では、あかりではなく、彼女を選んでいたという事実。
 浩之があかりの気持ちに気付いたのは、決して今に始まった事ではない。あかりが髪型を変える前から、自分に懐く彼女にそれとなく感じていたのは事実である。
 あかりの気持ちにそれとなく気付いていながら――分かっていながら、本来の歴史ではあかりではなく、マルチを選んでいた。浩之はその事実に戸惑っていたのだ。
 本当に、自分はあかりを愛しているのか、と。


「…………やっぱり、わかんねー」

 浩之は寝返りを打った。そして次第に、いくら考えても、その結論を導き出せずにいる自分が腹立たしくなった。

「……くそっ――っ!?」

 苛立つ浩之は思わず握り拳を作った。と、同時に、右拳に軽い痛みを覚えた。
 昨日、あかりを帰した後、怒りにまかせて壁を殴った時に出来た拳のかさぶたは、今強く握り締めた所為でまた少し血を滲ませていた。
 そのかさぶたを見た刹那、浩之はふと、懐かしい出来事を思い出した。

 子供の頃。
 かくれんぼで、鬼となったあかりを残してみんな家に帰ってしまった事があった。
 他愛のない、無邪気な子供の、罪悪感の無い悪戯。
 悪戯の発起人は浩之。
 小さい頃のあかりは、いつもおどおどとしてる泣き虫で、浩之は何かと、そんなあかりをいじめて泣かせたりしていた。その日も、いつものようにあかりを苛めたかっただけだった。
 帰宅した浩之は、結局あかりが気になって公園に戻った。
 諦めて帰ったと思っていたあかりは、まだ公園にいた。泣きながら、浩之や友達の名前を呼んで同じ所をグルグルと回っていた。
 そんなあかりを見て、発作的に浩之は、近くにあった公園の木を拳で強く殴った。
 あかりを苛めてしまったという後悔が衝動となり、幼心ながら浩之は自分を律し、あかりを慌てて迎えに行った。――――

 拳の痛みは、そんな黄昏色の想い出を浩之の中に甦らせた。

「…………俺、あん時から変わってないのかもな」

 そう呟いて浩之はもう一度拳を握り締めた。かさぶたの割れ目から更に血が滲む。
 その痛みが、今の浩之には必要だったのかも知れない。色々迷っていた浩之は、その痛みを覚えるたび、頭の中に立ちこめていたモヤモヤが晴れていくのをとても不思議がった。
 要は、自分を律したいのであろう。かつてあかりを置き去りにした自分をそうしたように、あかりの気持ちに気付いていながらあかりを選ばなかった自分を、浩之は律したかったのだ。

 …………あかりちゃんを大切にしてあげて。

 りりすが家を出る前に残した、最後の言葉。あかりの記憶を持つりりすは、この先の事を知ってそう言ったのだ。
 迷うコトはない。あかりを大切にしてあげるだけなのだ。
 しかし浩之は、そのけじめが自分で着けられないのである。

(りりすさんがいれば――)

 そう思った瞬間、浩之はそんな気持ちを振り払うように頭を振り乱した。そしてまた、面を天井に向け、暫し考え込んだ。

「……そうだな。明日、行ってみるか」


 5月3日、朝。

 浩之は、志保と芹香が入院している病院へ足を運んだ。

「…………何だよ」

 病院の玄関に到着した浩之は、ロビーにあるソファにパジャマ姿で腰掛け、パック入りのフルーツ牛乳をストローで吸ってくつろいでいる志保を見つけて呆れ返った。

「それがつい一昨日まで意識不明の患者の姿かコラ」
「あによぉ、久しぶりにあったと思ったらその言いぐさは?――最後の精密検査をこれから受けるところ。まぁ異常なんてもう見当たらないくらいピンピンしているから、明日には退院…………って、あれ?あかりと一緒じゃないの?」

 志保は、浩之があかりと一緒に居ない事を不思議がった。
 すると浩之は少し困った顔をして

「……ちょっと、な」
「……何がちょっとよ」

 志保は急にむっとなり、ソファから立ち上がって浩之を睨み付けた。

「あかり、昨日来たけど、元気なかったのは――あんたら、喧嘩しているの?」
「そ、そう言うワケじゃねぇ……よ」
「――嘘」

 浩之のその弱腰な返答は、志保ならずとも誰が見ても嘘であると判ってしまうものであった。

「そんな見え透いた嘘、誰が信じるもんですか。――あかり、泣いてたんだから」
「――――」

 浩之は絶句した。
 そんな浩之の反応を分かっていたのか、志保は浩之を睨む事を止め、呆れたようで何処か哀しんでいるような貌を作った。

「…………いや、涙流していたワケじゃないけどね。これでもあかりの親友だから、顔は笑ってても、心で泣いていた事くらいお見通しよ。昨日来てくれた時、あんたが用があって一緒に来れなかったってゆったの、ちょっと変だと思っていたんだよね」
「そっか…………」

 浩之は嘆息混じりに呟いた。

「……一体、何やったのあんた?」

 志保が聞いてみせるが、浩之は俯き何も応えないで居た。
 何も応えない浩之を暫し見ていた志保は、痺れを切らし、浩之のほっぺたを抓んでみせた。

「お――」
「何、苦悩気取ってンのよ!似合っていると思って?」
「くらっ!離せっ!」

 浩之は自分の頬を抓む志保の手を振り払った。志保の手は簡単に払いのけられた。
 もう一度志保に睨まれ、浩之は躊躇するが、ようやくそれを口にした。

「…………俺、あかりの気持ちに応えて良いのか、判んねぇんだ」
「はぁ?」

 志保は心底呆れたような顔をした。そのくせ、顔は少し赤らんでいる。

「…………それ、痴話喧嘩ってヤツ?」
「そんなんじゃねぇよ」

 しかし浩之はその詳しい事情を志保に告げられなかった。絵空事のような話である以上に、それに志保も巻き込まれてしまった事実も口にしなければならなかったからだ。
 それはつまり、志保が浩之を好きである事を指摘する事でもあった。
 琴音の時もそうだったが、たとえそれが本当だとしても、浩之にはその気持ちに応えられる事は出来なかった。これは自信ではなく、感情的な面が大きい。浩之にとって志保は、気の合う友人に過ぎないのだ。そこから先へ進む事は、きっとないだろう――りりすが言うように、別の歴史では志保と結ばれる道もあるのかも知れないが、所詮それは今の自分の与り知らぬ歴史に過ぎない。

「――――」

 そう思った瞬間、浩之は、ハッとなった。

「……何驚いてンの?」
「べ、別に」

 浩之は誤魔化した。気付いたそれが、或いは自分の迷いを晴らすものになる可能性があったが、今の浩之に必要なのはそれではなかったのだ。
 志保の目には、そんな浩之が余計に腹立たしくみえるらしく、更に浩之を睨んでみせた。

「……あのね。ヒロ、あんた何を今さら、そんなコトで迷ってんのよ?――あんたがあかりの気持ちに応えるのは日本の法律で決定しているんだからねっ!」
「デタラメゆーな(笑)」
「デタラメも何も――――ヒロ、あんた、あかりが嫌いなの?」

 そう言って志保は浩之の鼻先を、フルーツ牛乳を飲んでいたストローをパックから引き抜き、それで指してみせた。

「あたしの目から見ても、あんたたちが付き合っているようにしか見えないのよ!――それとも何?あんたにとって、あかりって何様?」
「そ、それは…………!」
「何、迷ってんのよ?」

 病院のロビーである事を忘れてまで志保が怒鳴ったは、ひどく狼狽えている浩之の姿を見ていられなかった為であった。

「あんたの答なんて一つしか無いじゃないっ!――あんたはあかりが好きっ!あかりはあんたの彼女っ!」
「お、おい……」
「この際、はっきりと言わせて貰うわよっ!あんたたち、温すぎっ!曖昧なままでずうっと居てさ、ハタで見てて、歯がゆいったらありゃしないのよ!」

 浩之を叱る志保の声は、次第に感情的になってきた。

「それを何?今さら、どうすればいいって――莫迦じゃないっ!?」
「――――」

 志保に怒鳴られ、次第に苛立ちを覚えていた浩之の顔が、突然呆けたのは、自分をどやしつける志保の顔を見たからであった。
 何故、そんな哀しそうに泣くのか。
 あかりの気持ちを思ってなのか。それとも、自分の気持ちを抑えきれない為なのか。
 不思議と、志保の涙を見て冷静さを取り戻した浩之は、両方ともなんだろう、と思った。

「…………悪ぃ」

 素直に浩之の口をついて出た詫び。

「莫迦言ってんじゃないわよっ!あんたが謝る相手はあたしじゃないでしょうがっ!」

 そう言って志保は泣きじゃくりながら浩之の胸板をポコポコと叩き始めた。浩之は志保の成すがままにしていた。
 やがて浩之の胸を叩く志保の拳の力が小さくなり、最後は志保は拳の代わりに頭突きで胸を打った。或いは、単に力尽きて浩之の胸に顔を埋めただけなのかも知れない。
 そんな志保の頭を浩之は抱いてやろうと思ったが、直ぐにそれを止めた。
 志保の言うとおりなのだ。抱きしめてあげる相手は、志保ではない。
 そして、それを指摘された事で、浩之は少し救われた気がした。
 そう。浩之は、志保に叱られる為に、ここにやってきた。誰かに叱られる事で、今の優柔不断な自分の気持ちに決着を着けたかったのだ。
 浩之は、リアルな痛みが、今の自分の在処を証明する唯一のものと考えた。
 今、浩之の心を痛めているものは、与り知らぬ歴史でマルチを最後まで愛してやれなかった後悔ではなく、今居るこの歴史で、あかりの愛に応えられずにいる自分の不甲斐なさに対する後悔である。――そのハズだと信じたかった。
 それを、第三者から痛みで証明して欲しかった。存在しない「現在(いま)」と、痛みを感じる今を秤に掛けて、浩之は、「今」を選びたかったのだ。その為の証明の痛みであった。
 志保にそれを求めた自分の残酷さを、浩之は酷い事だと理解していた。それは即ち志保に自信の愛情を強引に否定させる事でもあるのだ。つくづく、自分は最低な男だと浩之は心の中で自分を罵った。

「…………悪ぃ」

 浩之はもう一度志保に謝った。
 浩之の胸に頭を預けたままの志保は、今度は何も応えなかった。


 ようやく落ち着き、検査を受ける志保と別れた後、浩之は芹香の病室に訪れようとしたが、芹香は既に昨日退院し、自宅へ帰った後であった。
 仕方なく、しかし当初の目的を果たした浩之は、病院を後にした。正午を少し過ぎた頃だった。
 行くあてなど無かったハズだった。
 なのに、浩之の足はある場所へ向かっていた。
 多分、昨日の夜、思い出さなければ足など運ばなかったであろう場所。
 何となく、予感だけはあった。

 病院を出る前、浩之はあかりの家へ電話を掛けた。
 あかりは不在だった。電話に出たあかりの母親の話では、午前中、浩之の家へ電話を何度か掛けていたそうだが、浩之が朝イチで病院に向かった事など知らないそれは徒労に終わり、結局あかりは昼前に家を出ていったそうである。

 浩之は自宅に戻らず、公園へ向かったのは、気まぐれからだった。
 なのに、そこにあかりが居るかも知れないと言う考えは、殆ど確信に近いものであった。
 根拠のない確信は、しかし今の浩之には拠り所になっていた。
 懐かしい想い出のある場所。
 そして恐らく、幼いながらにあかりを初めて想った、あの場所へ。

 あかりは、公園のベンチにポツンと独りで座っていた。
 まるで誰かを待っているかのように。
 いや、待っていたのだ。
 あかり自身も、そのコトに確信など無かった。
 行くあてなど無かった。浩之の家に行っても会えない事は判っていた。
 なのに、あかりの足はある場所へ向かっていた。
 多分、昨日、浩之の右拳に怪我があった事に気付いていなければ思い出さなかったであろう場所。
 何となく、予感だけはあった。


「浩之ちゃん、見ーつけた」
「…………バカ」

 浩之の姿を見つけて嬉しそうに言うあかりに、浩之は照れくさそうに言った。そして、ふぅ、と軽く深呼吸をして、ようやくそれを口に出来た。
 長らく待たせてしまった、あかりに対する、今の自分の本当の気持ち。

 お前の事が、好きだ。

            つづく

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