ToHeart if.「淫魔去来」第24話 投稿者:ARM(1475) 投稿日:9月15日(土)00時14分
【警告】
○このSSはPC版『ToHeart』(Leaf・AQUAPLUS製品)の世界及びキャラクターを使用しています、たぶん。
○このSSはPC版『To Heart』神岸あかりおよびHMX−12型マルチシナリオのネタバレ要素がある話になっており、話の進行上、性描写のある18禁作品となっておりますが、今回は無いです、残念ながら。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

【承前】

 5月1日、夜。

「――――あかりが俺のコトを好きだって言うあれは、お前ら未来の連中が、あかりの頭ん中いじくり回してでっち上げたデタラメなのかっ!!?」

 浩之が、時空を経て還ってきたマルチ――りりすの口から告げられた真実に激高した夜。

「――お前らの都合の為に、あかりばかりか志保、芹香先輩や琴音ちゃんまで――」

 浩之はそこまで言って声を詰まらせた。
 怒りの余り声を失っている浩之を前にする、凍り付いていたりりすの顔から次第に表情が失われていく。沈黙を守っているのは浩之のそれとは異なり、まるで浩之の怒りをすべて理解し、その自らの罪を悔いているが為であろうか。
 そんなりりすが、ようやく口を開いた。

「…………確かに私達は、あなたたちを操って――浩之さんには一切、物理的干渉は行っていませんが、歴史を変えようとしました。しか――――」

 りりすの言い訳に、感情的になっている浩之が口を挟む余地はあった。
 りりすが声を詰まらせ、そして浩之を絶句させているものは、りりすが流す涙であった。

「…………わた……わたし……は…………浩之ちゃんを思う彼女たちの気持ちをそのまま利用しただけ…………浩之ちゃんを慕う気持ちには…………偽りなんて…………ないから…………」
「――――――」

 ボロボロ涙をこぼして言うりりすを見て、浩之は内心、何を、と思っていた。だが、一向に消えぬ戸惑いが、浩之の暗鬼を強く否定させていた。
 どうしてりりすが嘘をついていないと思ってしまうのか。

「みんな…………浩之ちゃんが好きなのよ…………!――分かっている…………そう言う心を徒に扱ってはいけない事は…………!」

 りりすは口元に手を寄せて嗚咽混じりに言った。

「――――でも、彼女たちのその気持ちが必要だったの……浩之ちゃんを救う為に…………」
「…………!」

 デジャ・ヴューというべきか。浩之は嗚咽するりりすを見て、以前これと同じ光景を何処かで目撃していたような気がしていた。しかも、つい今し方――――

「…………私が言っても信じられないかもしれない…………でも、これだけは信じて!みなが貴方を想う気持ちには何一つ偽り無い事だけは!」


 …………私、浩之ちゃんのコト好きだから、…………好きだから一つになりたいから…………抱いて欲しいから…………!


 ふと、浩之の脳裏を過ぎる、あかりの哀しげな言葉。
 それが、浩之を見舞っていたデジャ・ヴューと曖昧な記憶を重ねさせた。


「…………あかり?」
「――――――!」

 浩之の口をついて出たその名を耳にした途端、泣き崩れていたりりすの顔が硬直した。
 それは先程のりりすの動揺を再現したかのようであった。
 その時は、りりすは浩之に、マルチ、と呼ばれた。

「…………どうして?」

 問うも、浩之は確信していた。
 りりすが、あかりでもある事に。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

    ToHeart if.

       『淫魔去来』  第24話

            作:ARM

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「…………あかりに見えたのは錯覚か?」

 浩之を見舞った混乱は、確信をなおも否定しようとしていた。
 しかしりりすは、面を横にゆっくりと振って見せた。

「……錯覚じゃないよ。私はマルチちゃんであると同時に、あかりでもあるの」
「……どう言うコトだ?」
「説明したでしょ?」

 りりすは、くすっ、と儚げに微笑んだ。その仕草は、浩之の目にはまさしくあかりがするものと良く似ていた。いや、一致していたと言っていいかも知れないだろう。

「……歴史を変えられた後の〈M−マトリクス〉は、神岸あかりの体内で創り出されたのよ。その母体となるマテリアルはマルチの体内で創り出されたものだけどね」
「待てよ……!」

 浩之は少し目眩を覚えた。

「卵が先か鶏が先か、でしょ?――〈M−マトリクス〉のすべての起源は確かにマルチの体内よ。少しややこしいんだけどね。――始め、マルチが〈M−マトリクス〉を創り出した。そこから生機融合体種が誕生し、オリジナルのリリス(わたし)が生まれた。そこから人類種が〈M−マトリクス〉を抽出し、コピーリリスが創り出されてこの時代に送り込まれた。そのコピーリリスが、〈M−マトリクス〉が誕生しないよう工作をした。その時点で、コピーリリスの存在は有り得ない事になるわよね?」
「あ、ああ」
「そこで歴史の修復力が働くの。未来世界から生機融合体種がもう一人のコピーリリスを送り込み、あかりの体内で〈M−マトリクス〉を生成させて存在の連続性を維持させた。その生成の際、〈M−マトリクス〉はマルチではなく、神岸あかりの卵子をベースにして生成した為、その生体データも取り込まれたの」
「そうか…………」

 理屈では合点出来た浩之ではあるが、無論、素直に理解出来る話ではなく、戸惑いげに頷いてみせた。

「但し、それはさっきも言ったとおり、この時間帯に〈M−マトリクス〉を持つこの私が存在したからの話。ここでさっき言った『親殺しのパラドックス』が関わってくるの。
 存在を消された〈M−マトリクス〉を“存在させる”には、因果律として私がこの時間帯に存在していればいいの。私がこの時間帯で〈M−マトリクス〉を保有している限り、この先の未来では決して〈M−マトリクス〉は消滅しない。歴史の修復力がそれを保証してくれる。私が居なければ、生機融合体種達は私という特異点によって辛うじてつなぎ止められていた分岐した歴史の流れを気付かなかったでしょう。
 過去に居る私は、未来人達から見れば、言うなれば複数の時空を一点でつなぎ止めている釘。分岐した二つの未来を繋げていた因果なのです。無論、その事実をどちらかの勢力に気付かれてしまったら、私が現れた半年以前の時間帯に何らかの干渉を施し、私という因果律を無効にする事も可能ですが――その心配は要りません」
「何故?」
「私が過去の世界に送り込まれたのと同時に、未来にいる私の仲間が、これ以上この世界に干渉させないよう行動しています。恐らくそれは成功したと思います」
「確証は?」
「頼りになる人類種が居ます。生機融合体種と人類種の共存を願う、強くそして素敵な女性です」
「ふぅん……」

 感心する浩之だが、りりすが信を置くその女性がどのような人物か知る由もない。このりりすが嬉しそうに、自慢げに言うのを見て、そうなんだろうな、と思っただけであった。

「それに、こうして私の中に、あかりちゃんとマルチちゃんの記憶がいまだある事が良い証拠。〈M−マトリクス〉は消失しないようにしているけど、その本質は微妙に変化を続けているの。例えば、始めはマルチちゃんの記憶だけだったのに、歴史が変えられた事によってあかりちゃんの記憶が私の中に沸き上がってきたの。今はそれ以外の記憶が無いようだから、歴史は私たちの狙い通りに動いているみたい」
「ふぅん。それにしても…………あかりとマルチが混ざっていたなんて……」

 浩之が怪訝そうな顔でりりすを見ると、りりすは苦笑してみせた。

「正確に言うと、二人の記憶を持っているだけで、私は私――リリスに過ぎないの」

 そう言うと、りりすは何処か自嘲気味な笑みを浮かべて見せた。

「……皮肉よね。リリスという名は最初のオーナーが付けた、特に意味のない名前だったのに、〈M−マトリクス〉によって私の名前は意味を持ってしまった。――旧約聖書のアダムの最初の妻にして、添い遂げるコトが叶わなかった哀れな女の名と同じ」
「あ…………」

 浩之は、今までりりすから告げられた複雑な経緯を何とか整理してみせ、最初の歴史で自分はマルチと結ばれていた事を思い出した。
 今居る自分は、あの夜、マルチを帰してしまった自分だった。
 その歴史はもう元に戻る事が叶わない。変えようと思えば変えられる歴史だろう。しかしマルチの記憶を持つりりすは、その歴史の中で必至に足掻いて見せたのだ。
 恐らくは、りりすの中にいるあかりの記憶が関わっているのかも知れない。あかりと結ばれてしまったばかりに、夭折してしまった浩之を助けたいというあかりの意志が働いているのだろう。りりすがそのどちらかの生まれ変わりならば、或いはもう少しハッキリとした歴史の変革を図っていただろうが、二人が重なっているが為にこのような妥協したような道を選んだのだろう。
 そう理解した途端、浩之はりりすをこれ以上咎める気が湧かなくなった。
 りりすは、結果的にあかりや志保達を苦しめた存在である。先程のように浩之が怒りが湧いて当然であった。
 しかしそこに、決してりりすの自己中心的な欲望が存在し得ない事を理解してしまった今、浩之にはりりすに対する憎しみなど抱けるハズもない。
 りりすは、浩之が死ぬ運命を変える為だけに――自分が傷つく果て路を選んだのだから。浩之を救う道を作りだしても、未来から来たりりすは決して浩之と同じ時を歩めないのだ。
 りりすは、自分をリリスと呼んでいた。

「だから、さ」

 どうしてそんな顔で微笑む事が出来るんだよ?――浩之はどうしても訊けなかった。

「…………あかりちゃんを大切にしてあげて」

 それが、すべてを成し遂げたりりすから、浩之に告げられた別れの言葉だと理解するには、呆然とする浩之は直ぐには叶わなかった。


 翌朝。

 起床した浩之には、昨夜、玄関を後にしたりりすの笑顔がつい先程目の当たりにしたように鮮明に残っていた。

 浩之にすべてを告げたりりすは、もう未来へ帰えるから、と言って玄関へ向かった。
 始め、呆然としていた浩之だったが、りりすが玄関の戸を開けようとしたところで我に返り、駆け出して後を追った。
 しかし、りりすを引き留める言葉がどうしても浮かばなかった。

「…………これも運命なのか」

 この世界の浩之は、あの夜、マルチを引き留められなかった。それを繰り返しただけ。
 浩之は重い頭で、机の上に置いてある時計を見た。
 いつもより早い起床。しかし浩之の関心はそこになかった。

 5月2日。

 浩之の学校は、今日学校に行けば、明日からは3連休の予定になっていた。
 本来なら、気分も晴れるハズの朝。

 その日浩之は、いつもよりも10分早く家を出た。

 あかりを避ける為だった。
 今日が終われば明日から連休に入り、それが明ければ、来週の火曜からは修学旅行になる。

(……今はあかりには会いたくないしな。これでしばらく、お互いに顔を付き合わさずに済むだろうし)

 浩之は少し時間を掛けて、気持ちの整理がしたかった。
 自分の運命が、他人に変えられてしまったと言う事実に立ち向かうには、今の浩之にはどうしても自分ひとりの時間が欲しかった。

 登校して自分の教室に入った浩之は、自分の席に座ると、ぼんやりと窓から外を眺めていた。

「……浩之ちゃん」

 そのうち、あかりがようやく教室に着いた。

「お、おはよう」

 あかりは少し顔を赤らめて浩之に挨拶した。たとえ想いを寄せている相手とは言え、昨日の自分の痴態を考えれば平然としていられるハズもないだろう。
 窓の外を見る浩之はあかりを無視した。

「……今日はいつもよりも早いんだね」

 あかりは浩之の態度に物怖じせず続けた。

「わ、私、てっきり、また寝坊してるのかと思って……」
「あかり」

 浩之はあかりに一瞥もくれず、言葉を遮った。

「な、何?」
「ワリぃけど、今はちょっと静かにしてくんねーか。ぼんやりと外を見ていたいんだ」
「……………ゴメン」

 あかりは何か言いたげであったが、浩之の機嫌をこれ以上損ねまいとそうそうにその場から立ち去った。
 浩之は決してあかりが憎いわけではなかった。ただ、今居る自分が、本当はあのメイドロボットと結ばれる運命にあったと知ってしまった以上、あかりを普通に見るコトが出来なくなっていたのだ。

 俺は、お前の気持ちを無視する運命にあった男なんだぞ。

 あかりが去った後、浩之は、ゴンッ、と額を打ちつけて机に突っ伏した。

 次の休み時間、浩之が机に突っ伏してダレていると、再びあかりが近寄ってきた。

「浩之ちゃん」
「……」

 浩之は机に突っ伏したまま、あかりを無視した。

「…あ、あのね、今朝……」
「わりぃな、今忙しいんだ……」

 机の上に突っ伏しているところのどこが忙しいだ、と浩之は心の中で自分に突っ込んだ。

 結局、浩之は学校にいる間、あかりを露骨に無視し続けた。

 その日の放課後。
 一人で下校しようとした浩之は、玄関であかりの待ち伏せにあった。

「……浩之ちゃん」
「…………」

 当然、浩之は無視を続けた。
 しかしあかりは構わずに言った。

「今朝、志保と来栖川先輩が意識を取り戻したって話、知っている?」
「――――えっ?」

 流石にその名を聞いて、浩之はあかりをこれ以上無視できなかった。

「ほ、本当か?!」
「う、うん」

 ようやく反応があった事にあかりは嬉しがるが、しかしその睨み付けるような浩之の顔を見て、直ぐに顔を曇らせた。

「それで、病院に一緒に行こうかと思って……」
「そ、そうか――――」

 浩之は思わず、わかった、と言いそうになった。
 なのに、口をついて出たのは、

「…………俺は今日は遠慮しておく」

 であった。
 流石にこの反応はあかりには予想外だったらしく、目を瞬いて驚いていた。

「で、でも…………」

 動揺しながらもあかりは食い下がろうとした。あかりは、浩之が二人の様態を心配していた事を知っているから、その無事を何よりも早く知りたかったと考えていたのだ。
 そのあかりの珍しい執拗さが、却って浩之を余計に苛立たせた。

「――いい加減にしろっ!」

 浩之は周囲の目も気にせず、大声であかりを怒鳴りつけた。
 怒鳴られてしまったあかりは、あっ、と小さく叫んでその場で立ちすくんでしまった。
 あかりを睨み付ける浩之と、動揺を露わにしたまま浩之の顔を見つめるあかりを、無言の世界が支配した。
 最初に口を開いたのは、あかりに背を向けて玄関の外に行こうとした浩之だった。

「……しばらく、会いたくねぇ」
「えっ!?――浩之ちゃ……?!」
「ついてくんなっ!」

 浩之は慌てて近寄ってくるあかりの気配に向けて、一瞥もくれずに怒鳴った。あかりはまたも身を竦めた。

 …………浩之ちゃん

 あかりから遠ざかる浩之の背に、あかりの儚げな声ばかりが追い付き縋った。
 今の浩之には、それに応える術がなかった。

            つづく

http://www.kt.rim.or.jp/~arm/