ToHeart if.「淫魔去来」第22話 投稿者:ARM(1475) 投稿日:9月10日(月)00時41分
【警告】
○このSSはPC版『ToHeart』(Leaf・AQUAPLUS製品)の世界及びキャラクターを使用しています、たぶん。
○このSSはPC版『To Heart』神岸あかりおよびHMX−12型マルチシナリオのネタバレ要素がある話になっており、話の進行上、性描写のある18禁作品となっておりますが、今回も無いです、残念ながら。
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    ToHeart if.

       『淫魔去来』  第22話

            作:ARM

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【承前】

 5月1日、夜。
 利用されていた事を知った、哀れな“どうぐ”が“こわされた”夜。

「「「…………?」」」

 原因不明の昏睡状態にあった長岡志保と来栖川芹香そして芹香の執事であるセバスチャン長瀬は、ほぼ同時に、何の前触れもなく意識を取り戻し、ICU(集中治療室)で治療を続けていた医師達に驚きと喜びの声を上げさせた。

 同時刻、藤田浩之は、目の前で突然倒れた神岸あかりを見て驚きの声を上げていた。

「――あかり!?」

 まるで失神したような倒れかたをするあかりに、浩之は慄然となってしまったが、慌てて抱き起こしてみると、熱っぽい吐息と震えるまつげをみて意識がある事に気付き、ホッと胸をなで下ろした。

「……おい、あかり、どうした?」
「…………え?」

 浩之に呼びかけられたあかりは、微睡みから無理やり起こされたようなやや不快の籠もった返答をした。
 しかし直ぐに相手が浩之と気付くや、あかりは、あっ……、と可愛らしい驚嘆の声を上げ、浩之に抱き上げられた状態で身を縮めた。自分の、あまりにも乱れた格好に驚いたのだ。
 見る見るうちに顔を赤くするあかり。心底恥じらっているように見えるが、先程まで浩之を淫らに誘惑していた自分の行動を理解しているのであろうか。
 何処か混乱しているように見えるあかりに、浩之は戸惑った。先程まで自分に濡れそぼつ陰(ほと)を見せて誘惑していた姿が嘘のようであった。
 いや、あの姿こそ嘘であろう。浩之が識る神岸あかりとは、あんな大胆な行動などとれずハズもなく、こうして顔を真っ赤にして恥じらう姿のほうがあかりらしい。浩之は少し安心した。
 その一方で、浩之もまた混乱していた。あかりのあの姿が演技で、限界に達して恥ずかしがっていたとしても、――そもそも、浩之が識るあかりに、演技でもあんな淫らな事が出来るべくもなかった。何かに取り憑かれていたのであろうか。あの琴音のように、淫らな何かがあかりに取り憑き、自分を誘惑していたのであろうか。浩之にはその理屈が全く理解出来なかった。
 そんな浩之の当惑を余所に、あかりは唇を噛みしめ、顔を真っ赤にして小刻みに震えていた。しかし恥じらいの中に、浩之を当惑させている自身の変貌に戸惑っている様子がなかった。まるで浩之を誘惑していた自分を理解していて、今頃になってそれを恥ずかしがっているような雰囲気であった。
 そのうちあかりは、胸元に寄せて拳を作っていた右手をゆっくりと開き、震えながらそれを浩之の胸に充てた。

「…………?」

 浩之はこのあかりの行動の意味が解らず、険しい顔であかりの顔を覗き込んだ。

「……浩……之……ちゃん」

 あかりは、必死に声を絞り出して言った。

「…………わたし…………大丈夫だ……よ……」

 浩之は、はぁ、と呆れ気味に溜息を吐いた。

「……脅かしやがって。無茶な真似して逆上せちまったのか?」
「…………」

 浩之に訊かれたあかりは、痙攣でもするようにぎこちなく首を横に小さく振った。

「何、無理して……」
「違う…………」
「違う?」

 あかりはようやく頷いた。

「…………いいの」
「?」

 あかりの態度に痺れを切らしたか、浩之は気難しそうな顔であかりの顔を覗き込んだ。
 そんな浩之の顔にあかりは臆するも、直ぐに、震える唇の隙間から思いの丈を吐いた。

「……わたし、浩之ちゃんに抱かれたかったから……」
「――――!」

 それを聞いた途端、浩之は歯噛みした。ぎりっ、と言う音はあかりにもハッキリと聞こえた。

「――――帰れっ!」
「ひろ――」
「帰れって、言ったろっ!」

 浩之は抱き上げているあかりを放り出したい衝動を堪えながら怒鳴った。
 浩之の叱咤にあかりはまた身を竦める。自分を支える浩之の手に力がこもっていく事を感じたあかりは、戸惑いながらゆっくりと身を起こした。
 あかりが自分の手から離れていくと、浩之はその場に尻餅をついて、はぁぁ、とわざとらしげに困憊しきったような溜息を吐いて見せた。
 あかりは床に落とした自分のショーツを拾い上ると、黙り込む浩之を背にして顔を赤くしたままゆっくりとそれを履いた。ゆっくりと俯いていくその顔の奥に、時折、光るものが見えたが、声は我慢しているようだった。
 やがて、鞄を拾い上げると、あかりはもう一度浩之のほうを向いた。

「…………じゃあ」

 俯く浩之は何も応えなかった。
 あかりは唇を噛みしめ、俯いたまま居間を後にした。
 沈黙。
 あかりが出て行ってから小一時間ほどして、ようやく浩之は立ち上がり、自分の部屋へ向かった。
 階段を昇り、自分の部屋の扉を前にした浩之は、もう一度溜息を吐き、それから扉を開けて中に入っていった。
 ベッドを目指した浩之は、その前に立って暫し佇んだ。
 5分ほどであろうか。無言の世界は、突然、ベッド越しに浩之が壁を叩き始めた事で劇的に変化した。

「あ――あ――あ――あ――あ――あ――あ――――っ!!!」

 絶叫しながら壁を叩き続ける浩之。次第に、壁に朱が染みつく。それでも浩之は壁を叩く事を止めなかった。それは無言の世界を対消滅させるかのように、5分ほど続いた。
 それを止めたのは、突然鳴った玄関のドアベルであった。

「――――――り?」

 ドアベルの音に反応した浩之は、はっと我に返る。そして慌てて自室から飛び出し、階段を駆け下りて玄関にやってきた。
 そこに、もしかするとあかりが居るかも知れない。いや、居る――希望は盲信と化していた。
 しかし扉を開けたそこには、あかりは居なかった。

「――りりすさん?!」
「こんばんわぁ……」

 全身を鋭利な刃物で切り裂かれたようにボロボロになっている姿のりりすは、弱々しくも、いつもののほほんとした口調で浩之に挨拶した。そしてばったりと三和土の上に崩れ落ちていった。
 驚いた浩之は、慌てて倒れるりりすを抱き支えた。

「りりすさん!きゅ、救急車!警察!?」
「駄目……擦り傷だから、大丈夫だから、ちょっと休ませて……」

 そう言ってりりすは意識を失った。
 困惑する浩之は、どうしたものか、と仰ぐが、迷った末、意識の無いりりすを抱き上げ、りりすが寝泊まりする両親の部屋に運んで行った。
 両親の部屋にあるベッドの上にりりすを運んだ浩之は、りりすの服を脱がそうと考えた。無論、いやらしい目的ではなく、りりすが傷を負っているから、と思ったからである。
 ところが、いざベッドに寝かした段で、浩之はあるコトに気付いた。

「……あれ?服の破けていたところが減ってるような――――?!」

 それに気付いた刹那、浩之は、千切れていたりりすの胸のリボンがあっと言う間に元通りになる光景を目の当たりにして絶句した。それはフイルムやビデオの逆回転の世界どころではない。千切れていたリボンの端が、見る見るうちに再生していくのである。あまつさえ汚れさえ消えていくのを見て、浩之は自分の目を疑うばかりであった。

「……浩之ちゃん」
「――――!?」

 いつの間にか意識を取り戻していたりりすの呼び声が、浩之を我に返らせた。

「りりすさん!」
「……もう、大丈夫だから」

 そう言ってりりすは浩之に微笑んでみせた。しかし何処か疲弊のある弱々しいそれをみて、浩之は安心出来なかった。

「大丈夫、って……その傷…………き……ず……?」

 といって浩之はりりすの身体を指した。
 今や、傷や服の欠損など、どこにも見当たらなかった。服など、浩之の注意が逸れた隙をついて着替えた、と言ってくれたほうが説明が着くくらい綺麗になっていた。

「…………あれ?」
「だから大丈夫だ、って言ったでしょう?」

 そう言って微笑むりりすは、ゆっくりと身を起こそうとしたが、突然、肩の辺りに激痛を覚え、顔を歪めて仰け反った。

「りりすさん!」
「大丈夫……軽い四十肩だから」
「何じゃそりゃ、ンなワケあるかい(笑)。――まだ痛いところがあるなら無理しないで寝てなって」
「う、うん…………」

 りりすは呆れる浩之に苦笑して応えた。
 浩之は、りりすの怪我が何か危険な事に巻き込まれた所為だと考えていた。だから、今のりりすの軽口が、浩之を気遣って誤魔化したものだと言うコトは気付き、この場は追求する事を止めにした。
 警察や病院を断る辺り、犯罪絡みか、と浩之は見ていた。
 しかし、そこに奇妙な要素があった。見る見るうちに再生していく、りりすの服と、恐らくこの様子なら在ったであろうりりすの傷。その事実は、浩之の知る常識の埒外であった。これでは、警察や病院どころの問題ではない。
 少し前のあかりの件で悩んでいた事などすっかり忘れ、りりすの事で色々と考えて難しい顔をしている浩之を見て、りりすは、ふっ、と笑みをこぼした。そんな浩之の様子を楽しんでいるようで、そのくせ、何処か寂しげな面差しであった。
 そのうち、浩之は、自分をじっと見つめていたりりすに気付き、顔を少し赤くして横を向いた。それを見て、りりすはまた微笑む。今度は愉快そうであった。
 すると浩之は、そっ、とりりすの額に自分の右手を当ててきた。

「……熱は無い?」
「……うん」

 りりすは小さく頷いた。何処か照れくさそうな仕草であった。
 そうこうしているうち、浩之の右手は、りりすの前髪に触れた。
 その感触か、三日前に触れたばかりのあかりのそれにどこか似ていたのは、多分、気の所為だろう、と浩之は思った。だが、浩之の右手は無意識に、りりすの前髪を梳き、撫でていた。
 りりすはそんな浩之の手の動きに拒絶する様子はなかった。むしろ、自分の前髪を梳いてくれるそれが気持ちよさそうに、目を細めて満足げに笑みを浮かべていた。
 そのうち、浩之はそんなりりすの様子に気付き、はっ、となる。
 一瞬、りりすの顔が、あかりに見えてしまった。
 三日前にあかりにしてやったコトを、無意識にりりす相手に再現していた事に気付いた浩之は、慌てて手を引き戻そうとした。
 その手を、りりすの両手がそっと包み込むように押さえた。
 戸惑う浩之に、りりすは無言で首を横に振った。浩之は暫し躊躇うが、その無言の要求を理解し、またりりすの前髪を撫で始めた。

「……………………昔、ね」

 三分ほど経ってからであろうか、りりすが口を開いた。

「……こんなふうに前髪を撫でて貰った事があるの」
「………………好きな人に?」

 浩之は躊躇いがちに訊いた。
 りりすは小さく頷いた。

「…………好きな人だけじゃなく、気に入った人にはみんなやって貰った。頭を撫でて貰うのも好きだったわ」

 ふぅん、と感心したふうに言う浩之の脳裏に、一人の少女の面影が過ぎった。
 正確に言うと、その儚げな笑顔の似合う少女は、人間ではなかった。

「…………だけどね」
「?」

 りりすの顔を見ていた浩之は、その言葉を重々しげに吐いたのと同時に、その美貌に陰が掛かった事に気付いた。

「……嫌な人も、多かった」
「………………」

 浩之は、そのウンザリとしたりりすの口調にどう応えていいものか判らなかった。家政婦という仕事が想像していた――無論、浩之がする想像など、実際の家政婦がする大変さなど語り尽くせるものではない――以上のハードな内容で、特に人間関係などで様々な軋轢があり、自分の慰めの言葉など、りりすには何の励みにもならないだろう、と思ったからである。

「…………嫌だったけど、仕事だったから、ね」
「…………偉いんだ、りりすさん」

 ようやく吐いたそれは、浩之なりに無難なものと考えた労いの言葉というより、つい、口にしてしまった、正直な言葉であった。
 そんな浩之の素直な気持ちを理解してか、りりすは少し照れくさそうに、しかし儚げに微笑んでみせた。

「…………偉くなんか、ないよ」
「……そんなコトはないさ。りりすさん、凄いし」

 浩之も微笑んで言う。
 ところがりりすは、ゆっくりと首を横に振ってみせた。

「……生きる為だったから」
「そりゃあ、働いて稼がなきゃ――」
「……違うの」

 りりすはそう言って、何処か苛立ったような溜息を吐いた。

「……私には、生きる自由も無かったから、生きる為には何でもしなければならなかった」
「…………え?」

 りりすの、何処か物騒な発言に、浩之は当惑した。

「……い……生きる自由……って…………」
「浩之ちゃん」
「……え?」

 急に、真顔になって自分を見るりりすに、浩之はドキッ、とした。
 だが、次の瞬間、りりすは、にっ、と笑ってみせた。


 浩之ちゃんは、身体をバラバラに切り刻まれた事、あるかしら?


 ほら、と浩之はしたり顔をしてみせた。人を真顔で脅かして直ぐに冗談を言う、いつものりりすの手であった。――――浩之はそう信じて疑わなかった。

「いやー、そういったイリュージョンぽい手品は見るのが精一杯で(笑)」

 浩之はそう応えて、ケラケラと笑いだした。
 ちょうど一分後、浩之は、笑うコトをピタリ、と止めた。
 真顔で冗談を口にしたハズのりりすは、笑っていた浩之の顔をじっと見つめたままであった。

「…………あの」
「…………何?」
「…………今の、マジ?」
「………………」

 りりすは微笑むばかりで答えようとはしなかった。
 また担がれたか、と浩之は考えた――つもりだった。
 何故か、りりすの言葉に偽りが無いと考え始める浩之がいた。

「…………浩之さん」
「………………」

 呼びかけられても、浩之は戸惑うばかりであった。
 そんな浩之の様子に気付いたりりすは、小さく頷き、

「…………本当の事です」
「…………その」

 浩之はまだ、どう応えて良いのか判らなかった。だから、りりすの口調が微妙に変わりつつある事に気付いていなかった。りりすは浩之を、ちゃん付けではなく、さんづけで呼んでいた。

「…………どういう事?」
「それは、わたしが人間では無いからです」
「………………」

 浩之が返す言葉を無くしているように見えるのは、実はただ呆れていただけなのかも知れない。目を瞬いてりりすを見る浩之は混乱する一方であった。

「…………人間、じゃない…………って…………?」

 浮かされるように言う浩之は、思わず天井を指していた。
 するとりりすは苦笑しながら首を横に振って見せた。

「宇宙人ではありませんよ。無論、妖怪や魑魅魍魎の類でも」
「……じゃあ何?」
「未来から来ました」
「…………」

 顔をしかめてりりすを見る浩之は、当惑を通り越して、莫迦にされているのかと、少し怒ったのかも知れない。

「…………じゃあ、するとりりすさんは、四次元ポケットとか持っているとか?」
「ド○えもんさんは知っていますけど、半分当たりです」
「半分?!」

 浩之は素っ頓狂な声を上げた。そして暫し、うーん、と考えた末、りりすの顔を指し、

「――てコトは、だっ!そう、ロボット!ロボットロボット、メイドロボット!ずばり、マルチ!とかっ!!」

 浩之はその名を冗談混じりに笑って言って見せた。漫画などでありがちな空想極まりないシチュエーションを浩之は信じていなかった。
 しかし、りりすはその名を聞いた途端、苦笑していた顔を急に涙で歪め、いきなり起き上がって浩之に抱きついてきたのである。

「うわあああああああああああああああっっんっ!!浩之さん!浩之さん!!」
「こらこらっ!?りりすさん、いきなり抱きつ――――――――え?」

 自分にしがみついて泣きじゃくるりりすに驚いた浩之だったが、そこでようやく、ある大切なコトに気付いたのであった。浩之の顔が見る見るうちに血の気が失せていったのは。そのショックによるモノであろう。。

「……………………りり………………」

 浩之は、りりすの名を途中まで口にするが、しかし、胸の奥から沸き上がってくる懐かしいその名を代わりに吐いた。

「………………マルチ、なのか?」

 浩之が震えるような声で訊くと、浩之にしがみついた泣きじゃくっていたりりすは、何度も頷いてみせた。

「――――はいっ!そうですっ!わたしは、マルチですっ!!」


            つづく

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