【警告】
○このSSはPC版『ToHeart』(Leaf・AQUAPLUS製品)の世界及びキャラクターを使用しています、たぶん。
○このSSはPC版『To Heart』神岸あかりおよびHMX−12型マルチシナリオのネタバレ要素がある話になっており、話の進行上、性描写のある18禁作品となっております。今回はないけど。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ToHeart if.
『淫魔去来』 第17話
作:ARM
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【承前】
4月29日、朝。ゴールデンウィークの始まりであった。
休日だというのに、浩之は平日より早く目が覚めた。
久しぶりに晴れた気分の朝だった。
そして、ようやく笑顔で向かい合えるようになったりりすと、和気あいあいとした朝食の一時を過ごしていた時だった。
「え?明日午前中、実家に帰るって?」
「帰る、と言っても急な野暮用でね。明後日の夜には帰れると思うわ」
「ふぅん……」
そう感心したふうに言って、しじみの味噌汁のお椀を口にする浩之を見て、りりすは、にやり、とほくそ笑んだ
「……私が一緒じゃないから寂しい?」
「ンなわきゃねぇって」
「本当ぉ?」
りりすは両肘をテーブルの上について頬杖を突き、意地悪そうに笑ってみせた。
「あ、ああ」
「本当ぉ?」
しつこく訊くりりす。あからさまに浩之をからかっている。
「寂しくないってっ!!」
「へっへー、向きになっちゃってるぅ、可愛い♪」
「う……」
にっ、と微笑むりりすに、睨んでいた浩之はたじろぎ、戸惑う。浩之のペースの狂わせどころを、りりすはすっかり心得ていた。
「私が留守だから、気兼ねなくあかりちゃん呼んでイイコトしちゃってもいいからね♪」
「りりすさんっ!あのねっ!!」
「へっへ〜♪――それよか、本当、あかりちゃんのコト、どうよ?」
「どうよ、って…………」
妙に親父臭い訊き方をするりりすに、浩之は狼狽した。
昨日、キスしました。
「もう、キスまでやっちゃったとか?」
「あ、あのっねっ!」
「浩之ちゃん、キス上手かったからねぇ」
「あ――」
浩之は、りりすとの危険な一時を思い出した。リリスとはキスどころか、あと一歩と言うところまで行ってしまっていたではないか。古い言い方だと、B、とか、ペッティングというヤツである。たちまち浩之は顔を赤くする。
「り、りりすさんっ!」
「イイ予習になったでしょお?お姉さん、そう言った意味では暴走のし甲斐があったわぁ♪」
「あううううう(泣)」
自分から誘っておいて、この開き直りようは、度胸が据わっていると言うより、あれは身体を張った悪質なジョークだったのではないか、と浩之は思った。もしかするとこの先、りりすにその件を一生言われ続けるかもしれない。浩之は途方に暮れた。
「まぁ、青春の恥ずかしい一ページと言うコトで。まぁ偶にはアレを思い出してオカズにしても良いけどね♪」
「ううううううっ(泣)りりすさんこの場で殺して俺も死にたい気分ダヨ……(血涙)」
「無理無理。琴音ちゃんに手込めにされて私に泣きつくようなボーヤに、そんな度胸があったら、私がこの家に泊まり込んだ夜の内に浩之ちゃんに手込めにされていたわ♪」
りりすは意地悪そうに笑い、容赦なく浩之の心の傷に塩を塗り込む。慟哭する浩之は、そりゃもっともだぁ、と情けなく頷いた。浩之、男の自尊心ズタズタ。
(…………初日、と言やぁ、あの夜もエライ夢見たよなぁ……)
それは浩之の家にりりすが住み込みで入った最初の日の夜、りりすが浩之の部屋に夜這いをかけて浩之のモノを口で抜いた淫猥な夢であった。数日後、浩之はそれが正夢となってしまったのだが、今もそれは生々しく思い出せた。
「……あの、りりすさん、ちと質問が?」
「何?」
「……あの夜、例の、その、エッチな効果があるせき止めを飲んでいたってコト、無い?」
「?――いいえ」
りりすはきょとんとした顔で面を横に振った。
「……そりゃ、そーだ」
「何?初日にシて欲しかったの?」
「そーじゃなくって(泣)つーかりりすさん、あんた羞恥心ってもの、自分のお母さんのお腹の中に置き去りにしたんか?」
「?お母さん?」
「そー」
するとりりすは不思議そうな顔をして、また面を横に振った。
「私、お母さん、居ないから」
「あ――――」
浩之はマズい事を訊いてしまった、と後悔した。
「……ごめん、りりすさん。俺、悪いコト訊いちゃったかな……」
「ううん」
りりすはきょとんとした顔で答えた。
「お父さんも居ないし」
「あ?――――まさか、りりすさんってご両親が……?」
「うん。居ないよ」
りりすはあっけらかんとした顔で答えた。浩之ばかりが戸惑った。
「そ、そうなの…………?で、でも、実家、ってゆったよね……?」
「あ――――」
りりすの顔が硬直する。浩之への説明に対する不整合性にりりすも気付いたのだ。
「じ、実家って、――そ、育ての親の家よっ、うんっ(汗)」
りりすは狼狽し、手をバタバタと振りながら浩之に説明した。
浩之は、こんなふうに慌てるりりすを見るのは、催淫効果の薬から醒めた時を除けば初めてであった。しかし、狼狽しつつも語るりりすの話におかしい点も無く、浩之は納得するしかなかった。
「ふぅん。……ご免な、りりすさん、気まずい事、訊いちゃったみたいで……」
「ううん、気にしてないから」
そう言ってりりすは、花が咲いたように笑った。
その花はヒマワリの花だな、と浩之は思った。哀しい事にいつまでもくよくよしない、元気な笑顔が似合う、綺麗な女性。浩之はそんなりりすをいつしか尊敬している自分が嬉しかった。
* * * * *
浩之は午後、志保と芹香が入院している隣町の病院へ足を運んでいた。
おそらく、面会謝絶のままであろう。原因不明の昏睡状態にある患者に医師が会わせるハズもないだろう。しかしそれでも浩之は二人が気懸かりであった。ちなみにセバスも同様に意識不明で入院しているハズなのだが、浩之はあの老健の事はすっかり忘れていた。
駅前で見舞いの花束を買い、病院に訪れるが、予想していた通り二人への面会は叶わなかった。仕方なく、治療の状態等を担当医師に幾つか質問した。風邪で伏せているあかりに伝えたかったからであった。
医師の話では、脈拍、脳波ともに異常は無いという。原因は分からないが、しかしこの症状は、まるで睡眠状態から醒めない状態であるという。二人の脳波を分析した結果によれば、睡眠時に脳から出るアルファ波が延々と出続け、深層睡眠から抜けられないらしいというのである。呼吸の乱れや内分泌系の障害も無く、ただ普通に寝ているだけという奇妙な症状に、医師たちが下した処方は、この眠り姫たちが目覚めるのを待つ事だけであった。
浮かない顔で二人の担当医の医局を後にした浩之は、出て直ぐの廊下で、意外な人物と遭遇し、そして狼狽した。
「琴音ちゃん――――」
浩之と同じように、見舞いの花束を持った琴音は、浩之とばったりと会い、目を丸めていた。
「藤田さん――――」
琴音の顔を見て、浩之はあの時のコトを思い出す。
浩之を念動力でねじ伏せた強引なセックスで激しく乱れた、琴音の痴態を――。
「こ、琴音、ちゃ――――」
「――――藤田さん、あの時はご心配をかけて済みませんでしたっ!」
前屈みに訊こうとする浩之が言いきる前に、琴音がえらい勢いで頭を下げて詫びた。
「折角、藤田さんが私を保健室までかつぎ込んで下さったのに、眠り続けていた私に、御用があったのに遅くまで付き合わせてしまったみたいで……!」
「…………へっ?」
前屈みの姿勢から思わず転けそうになる浩之。
『私、藤田さんに淫らな事をしてしまって――!』
と、言うモノとばかり思っていた浩之は、あの時と微妙に食い違っている琴音の話に当惑した。
「……へ?御用、って?」
「あの……か、神崎さんって人が、――藤田さんのお家の家政婦さんでしたよね?」
「あ――、ああ」
「目が覚めたら、あの人が藤田さんの代わりに私に付き添っていただいてまして、藤田さんが用があって先に帰られたと聞きました」
「よ、用?りりすさんに?」
「は、……はい」
頷く琴音は、浩之の様子が少しおかしい事に気付き戸惑った。
「…………あの、藤田さん……違うのですか?」
「い、いや――――」
浩之は、琴音にレイプされていたあの時、りりすが現れ、後は私に任せて、と言ったコトを思い出した。
任せて、ってまさか?――浩之は、りりすが琴音に何かしたとは考えていたが、もしかして……、と少し不穏当な想像を巡らせていた。
催眠術か何かで、琴音のあの痴態の記憶を消した――浩之は、そうとしか考えられなかった。
(しかし、これはちょっと…………)
琴音にレイプされたとは言え、浩之は琴音の膣内に3度も射精したのである。催眠術で記憶を消しても、もし妊娠でもしていたら大事である。
そう思った時であった。浩之は、りりすがあの時、奇妙な事を口にしていたのを思い出した。
(せかんどのなのましんがどーのこーのとか、マトリックスでゲスターゲンが排卵を防いでいたとか…………んー(汗)あの辺り、もういっぺん、りりすさんに問い質す必要があるなぁ…………)
「……あの、藤田さん?」
「うわっ!?」
考え事をしていた浩之は、心配そうな顔をする琴音に覗き込まれて驚いた。
「ど、どうしたの、琴音ちゃん?」
「……藤田さんも、来栖川先輩のお見舞いですか?」
「あ――――」
浩之は、琴音が花束を持っていた事を思い出した。琴音も芹香の見舞いに来たのだ。
「――あ、ああ。でも、まだ意識が戻らなくって、面会謝絶だ」
「そう、ですか…………」
物憂げな顔をする琴音は、自分が用意してきた花束を軽く抱きしめる。
「あ、でも、担当のお医者さんに渡せばいいさ。そこの医局がそうだから」
「はい、さっき受付で教えて貰いましたから」
「そ、そう……?」
浩之が動揺したままなのは、琴音との会話が少し怖かったからであった。いつ何時、あの時のコトを思い出すか。あるいは、知っていてワザと惚けているのか。
だが、そんな恐怖心は、いつしか霧散していた。
花束を抱きしめる琴音の、その物憂げな顔からは、とても浩之を誘惑し、性の快楽に溺れていたときのあの淫猥な姿が結びつかなかった。まるで、まるっきり別人のように――
「――――」
浩之の顔が閃いた。
りりすが浩之を誘惑した時の事を思い出していた。あの時のりりすも、まるで別人のようになって浩之を誘惑していた。暴走する琴音と全く同じように。
(………………何だ?何だ、この違和感は?)
違和感、としか言いようがなかった。
何かが、おかしかった。しかしその何かが、浩之は判らなかった。
推論するにしても、あまりにも材料が乏しすぎた。そして理解する頭が、今の浩之には足りなかった。
ただ、漠然とながら浩之にも分かるコトはあった。
分かる、と言うより、気付いたというべきか。それは、尋常ならぬ奇怪な何かか、浩之の周りで動いているという“事実”であった。
志保と芹香の奇怪な昏睡。
琴音の暴走。そしてそこに、りりすの暴走も加わるかも知れない。
何か、見えない何かが、自分の周りで暗躍している――――そう気付いた時、浩之は背筋がぞっとなった。
ぞっとなったのは、恐怖からばかりではなかった。
今までの平穏だった日常の中で存在し得なかった、“ある一つの要素の存在”に気付き、そこに突き当たった自分の考えに、薄ら寒いモノを感じた為である。
それは――
「……藤田さん?」
「――あ」
浩之は、琴音に呼ばれて我に返った。琴音はまだ、哀しげな顔をしていた。
「顔色が優れないようですが……?」
「あ、――いや、ちょっと考え事をして、な。――大丈夫だ」
そう言って浩之は、弱々しげにしかし精一杯微笑んでみせた。兎に角、琴音にこれ以上心配をかけさせたくなかった。
「そう、ですか……」
ようやく琴音も安心したように微笑む。もしかすると物憂げな琴音の顔は、浩之を心配しての事だったのだろう。浩之はそう考えると、琴音に済まないと思った。
「よかった。藤田さんには、そんな辛い顔は似合いませんから……」
「え……?」
俯き頬を染めていう琴音に、浩之は少し、ドキッ、となった。同時に、自分を本気で心配してくれて居るんだなぁ、と嬉しくなった。
そんな娘が、何らかの影響で暴走した。その結果、浩之は図らずも、彼女に消しがたい傷を与えてしまった――ハズだった。
なのに、琴音はどうやらそのコトを覚えていないのである。
見えざる、尋常ならぬ存在。果たしてその仕業か。
(……………………っ!)
浩之は唇を噛んだ。琴音を弄んだその存在に激しい怒りを抱いたのに、しかし心は全てが怒りに染まらない、何とも複雑な気分だった。
兎に角、真実が知りたかった。
その真実は、もしかするとあの人が――――
「……藤田さん?」
「あ」
浩之はまたも、琴音の怯える声で我に返った。
この娘にこれ以上心配をかけてはいけない。浩之は微笑んでみせた。
そして、次の瞬間、浩之は琴音の身体を抱きしめていた。突然のコトに、琴音は目を白黒させていた。
「あ、あの……(汗)」
「……ごめんな、琴音ちゃん」
「え……?」
浩之の詫びに、琴音は戸惑った。しかし琴音は、その詫びとこの突然の浩之の行動が、浩之が琴音の思いに応えられないと言う気持ちと、そして自分の周りで暗躍する、見えざる力に琴音を巻き込んでしまった事への怒りが、衝動的にさせたモノとは知る由もなかった。
あかりへの自分の気持ちに気付かなければ、自分は琴音を受け入れていただろう。
しかし浩之は、琴音との件で傷ついた心の救いを、あかりに求めていた。今の自分にはもう、あかりを拒絶する事は出来なかった。
卑怯者だ、と思った。それとなく、琴音の気持ちにも気付いていた自分は居たハズだ。気付いていて、それにちゃんと向かい合っていれば、暴走までした琴音を受け入れていたハズだった。なのに、自分は琴音から逃げ出してしまったのだ。
浩之は、もしもう一人の自分が目の前にいたのなら、そいつを殴ってやりたかった。今日ほど、自分が嫌いになった日はなかった。
しかし浩之は、もう泣かなかった。泣いてしまえば、今度はあかりにも向かう合う自信は無くなってしまうだろう。爆発しそうな想いを、浩之は必死に耐えた。
琴音は、そんな複雑な想いに駆られている浩之に気付いたのか、始めは抱きしめられて驚いていたが、抵抗はしなかった。
しばらくして、浩之はようやく琴音から離れた。
「……藤田さん。落ち着きました?」
「…………ああ」
浩之は、琴音が自分の今の想いを気付いているかも知れないと思っていたので、ただ頷いた。
「……よかった」
琴音はそう言って笑みをこぼした。
浩之は、ふぅ、と仰ぎ深呼吸し、琴音のほうを向いた。
「私、これから来栖川先輩のお見舞いに行きますね」
「あ……悪ぃ、花束……」
浩之は琴音を抱きしめた時に、一緒に花束を押し潰してしまっていた。
「大丈夫です」
そう言って琴音は、念動力を使って潰れた花束を元に戻した。
「ほら」
「こら。あんまし、人前で使っちゃ駄目だ、ってゆったろ」
「あ、はい(汗)」
「…………くくっ」
「…………ふふっ」
浩之と琴音は顔を合わせてくすくす笑いだした。
「……ったく、しょうがねーなぁ」
「……ふふっ。注意しますね」
「おう。そうだ、俺もついていこうか?」
「大丈夫です」
「そう?じゃあ、済まないけど、志保の様子、あかりに伝えたいんだ。あいつ、風邪で寝込んじゃってて」
「あ、そうなんですか……大変ですね。神岸さんにゆっくり休まれるよう、よろしく伝えて下さいね」
「おう、ありがとうな。じゃあ、これで失礼するわ」
「はい。また学校で」
「ああ。じゃあな」
そう言って浩之は、微笑む琴音の横をすり抜け、病院の玄関へ向かっていった。
琴音はその浩之の背を見送り、見えなくなってから踵を返した。
その時だった。
「…………あれ?」
琴音は、頬を伝い落ちる、冷たいモノを感じた。
涙だった。
「…………何で私、…………涙なんか?」
哀しくもなかった。むしろ浩之と久しぶりに会話し、あまつさえ抱きしめられたのである。嬉しいばかりであったハズなのに、琴音は止めどなく溢れる自分の涙に戸惑っていた。
「…………何で、哀しくもないのに…………変なの?」
琴音は戸惑いながらも、ハンカチを取り出して涙を拭った。
忘却された心の傷も、こんなふうにハンカチで拭えればいいのに。
つづく