【警告】
○このSSはPC版『ToHeart』(Leaf・AQUAPLUS製品)の世界及びキャラクターを使用しています、たぶん。
○このSSはPC版『To Heart』神岸あかりおよびHMX−12型マルチシナリオのネタバレ要素がある話になっており、話の進行上、性描写のある18禁作品となっております。今回はないけど。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ToHeart if.
『淫魔去来』 第15話
作:ARM
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【承前】
4月28日、夕方。
浩之は、あかりの家の玄関前に佇んでいた。
幾度も呼び鈴に手を伸ばしては、それを躊躇い、引き戻す。
その繰り返しだった。これで何度目か、しかし浩之は数えていなかった。
(……あかりのやつ、今頃は寝てるかもしれない。だったら、起こしちゃ可哀想だなぁ)
迷った末、浩之は玄関前を後にした。
だが、行き先は庭の方だった。
そこからなら、あかりの部屋は直ぐ上なので、小声で呼びかけても聞こえるハズであった。
「……お〜い、あかりぃ〜」
浩之は、普通の会話の時より、ちょっと大きめの声であかりの部屋に呼び掛けてみた。
「…………」
返事はない。しかばねのようだ。
「死んでない、死んでない(汗)――ちぇ、寝てんのか。しゃあない、引き返すか……」
そう思い、浩之は玄関のほうへと背中を向けた時、からからから……、と窓の開く音が背中に届いた。
「……浩之ちゃん?」
浩之が振り返ると、あかりが自分の部屋の窓から身を乗り出して浩之を見つめていた。
「お、おう、あかり」
浩之は少し動揺した。
見慣れた幼なじみの顔。目を瞑っても、いくらでも思い出せる顔。
しかし今の浩之は、どれだけこの顔を見るコトを渇望したか。
「……どうしたの?」
「お前の様子を見に来たんだよ。風邪こじらせたんだってな」
「う、うん。……あ、ちょっと待って、鍵開けるから……」
しばらくして、玄関の前に戻った浩之の前で、扉の鍵が開いた。
扉を開けると、肩に白いカーディガンを羽織った、可愛いピンクのパジャマ姿のあかりが立っていた。
「なんだ、寝てたのか?」
「……うん」
あかりは少し照れくさそうに小さく頷いた。
「悪いな、無理に起こしちまったみたいで」
「いいよ、べつに。来てくれて嬉しいよ。待ってて、いま、着替えて……こほっ、こほっ」
あかりは口元に手を当て、咳込んだ。少し顔も赤い。結構重いのかも知れない。
「おいおい、無理すんなよ。俺には構わないで、お前は早くベッドで横になれ」
「でも……」
「いーから、いーから。おじゃましまーす」
浩之は靴を脱ぎ、勝手知ったるあかりの家とばかり、図々しく家に上がると、あかりの肩を押して、2階にあるあかりの部屋へ連れていった。
あかりをベッドに寝かすと、浩之はあかりの机にあった椅子に座った。小学生の頃から使っているこの椅子を、浩之は見覚えがあった。
ふと、浩之は周りを見回す。
見覚えのあるようで、何処か違和感のある風景だった。もっとも、あかりの部屋に最後に入ったのは、高校に入学する少し前の春休み、合格祝いパーティーで雅史と一緒に来て以来だったか。少なくとも、高校に上がってからは覚えがなかった。
「ゴメンね……」
「――あ、」
浩之は、あかりの詫びる言葉に我に返った。
「な、何がだ?」
「……わざわざ、来てくれて」
「わざわざって、すぐ近くじゃねーか」
浩之は苦笑い気味に微笑んで言った。
「それに、このくらいで感謝されたら、いったい俺は何回、お前に礼を言わなきゃいけないと思ってんだ?」
「ちゃん……」
熱のせいだろうか。あかりの瞳は僅かに潤んで見えた。
「それはそーと、お前、先週風邪引いたってゆってたろ?」
「……うん。昨日辺りからちょっとこじらせちゃったみたい……」
「まったく。どうせ、風呂入って湯冷めでもしたんだろ?」
「……そうかも」
「ったく、しょうがねーなぁ、お前は」
「……」
「なんだよ、笑いやがって?」
「……口癖だね、それ」
「え?――そ、そうか?」
「うん……」
そう頷いてあかりはまた笑う。浩之はその笑顔に戸惑った。
(しょうがねーなぁ、が、俺の口癖?)
一瞬、浩之は、むっ、となった。だが直ぐにそれはくすぐったい気分になった。
(…………ん、なるほど。そういや、そうかな。流石は藤田浩之研究家のあかりだ、よく見てやがる――全く)
浩之は苦笑した。
「……で、熱はどうなんだ?」
「……うん、もうだいぶよくなった。明日はお休みだし、ゆっくり治せば、明後日ぐらいには学校に行けると思う」
「ホントか?……でも、無理すんなよ」
そう言ってオレは、あかりの額に手を当てた。
「どれどれ、う〜ん………………少し、熱あるかな」
「……うん。今はちょっとあるみたい」
「なんだよ、やっぱ熱あんのかよ?」
「……微熱程度だけど」
「おいおい、それでも熱は熱だろ。しっかり寝ていないと治らねーぞ」
「……うん」
あかりは小さく、しかし申し訳なさそうに頷いた。
浩之はあかりの額から手を離し、乱れた前髪を戻すように手で梳き、撫でてやった。
「なあ、腹、減ってないか?」
「……うん、今はまだ空いてない」
「薬、ちゃんと飲んだか?」
「……うん、さっき飲んだよ」
「じゃあ、他に何かして欲しいコトは?」
「……ずっと、そうしてて」
髪を撫でていた浩之の手が止まった。
「……」
「……」
沈黙。
「…………ばーか」
浩之は、そっぽを向いて言った。そのくせ、顔が少し赤くなっていた。
「居る間だけだかんなぁ」
「……うん」
「……ったく、しょうがねーなぁ――あ?」
はっとなる浩之の顔を見て、あかりはまた、くすっ、と笑った。
してやられたとばかり、浩之はむすっ、となる。だが、微笑むあかりを前にして、どうにも不機嫌が維持出来なかった。
憮然とする浩之を見て、あかりは目を細めて微笑んだ。
「……私、その口癖言う時の浩之ちゃんの目、好き」
「……な、なんだよ、突然(汗)」
「だって、すごく優しい目をするから……」
「お、おいおい(汗)、熱でもあるんじゃねのーか?」
「……うん、少し」
「あ、そうか……、っておいおい」
浩之とあかりは一瞬の間の後、同時に吹き出した。
浩之は、あかりの髪をしばらく撫で続けていた。
あかりはうっとりと潤んだ目を細め、幸せそうな顔をしている。
「……」
思わず唇を噛む浩之。この、なんとも言えない空気に包まれた時間に耐えられなくなっているらしかった。黙っているだけで、顔が火照ってくるのだ。
どうしても浩之はあかりを意識してしまう。
あかりの息づかい。
あかりの熱で火照っている頬。汗ばんだ額。
ピンク色のうなじ――
(…………そういや、琴音ちゃんもりりすさんも、首筋がすごく綺麗だった……まてまてまて、思い出すとヤバイ)
この数日間に起きた、淫猥な事件の数々を思い出した浩之は、思わず前屈みになる。しかし何故か自分のモノは勃起する気配は無く、少しホッとした。
ホッとするが、しかし胸が痛くなった。
「……どうしたの、浩之ちゃん?」
複雑そうな顔をしている浩之を心配してか、あかりが呼びかけた。
「――あ、いや、その――――」
浩之は狼狽した。琴音やりりすとの一件で傷ついた心が、浩之を一層混乱させた。だがその根源に、あかりに対して申し訳ないという気持ちがあるコトを、浩之は気付いていなかった。
(駄目だ……何かを話してないと…………えーと、えーと――あ)
困った浩之は、先程見回した時に見つけた、あるモノを思い出し、それを指した。それは、あかりのベッドの頭と壁の隙間にある、小物入れ用の引き出しの天板の上に鎮座していた。
「――お前さ、そのクマのぬいぐるみ、まだ持ってたのか?」
「……うん」
「それって、小学生の時に俺があげたヤツだろ?確か、ゲーセンで取ったんだよな」
「……うん、そう」
小さく頷くあかりを見て、浩之は、ふぅん、と感心したように唸った。
「そんなモンまだ持ってるなんて。……本当、お前は物持ちの良いヤツだな」
感心する浩之は、腰をかけている椅子も、そして机も、小学生の頃の記憶と全く変わっていないコトを思い出しながら言った。
「……うん。ずっと持ってたから、よけいに愛情が湧いちゃった」
「愛情、ねえ……」
浩之はもう一度、クマのぬいぐるみを見た。見れば見るほど、可愛く無いクマだった。目が、素のままというか、何かを悟りきったようなふうに見えるのが、今の浩之には返って癪だった。人がここしばらく、色々酷い目に遭って悩んでいるというのに、このクマは。
「……このクマ、確か、名前があったんだよな?」
「……うん」
「なんだった?」
「…クマ」
「――まんまかいっ!(さま〜ずの三村の生霊、浩之に憑依(笑))」
「でも、名前付けたの、浩之ちゃんだよ」
「えっ!?……そ、そうだっけ?」
「……うん」
当惑する浩之は首を捻ってみせた。しかし全く心当たりが無かった。恐らくは、不断からの鳥頭ぶりがその時にも発動してしまったのだろう。きっとその場の勢いで決めたのだ。
「……私がクマ好きになったの、浩之ちゃんがくれた、このクマのせいだよ」
「いっ!?――そ、そうなのか?」
「……うん」
あかりは照れくさそう頷いた。責任取ってね、と言う言葉が似合いそうな頷き方であった。
困惑する浩之は、あかりの妙な趣味の原因が自分にあるコトを知り、少し責任を感じていた。
(ううむ……。これからは出来るだけ、あかりのクマ好きを悪く言うのはよそう)
「……小さいころ、浩之ちゃん、よく、このクマを手で動かして遊んでくれたよね」
「へ?そうだっけ?」
「……うん」
これも浩之は心当たりがなかった。もっとも、子供の頃にした戯れなど、年を重ねていく程に、何処かに置き去りにしていくものである。それが大人になっていくというコトなのだろう。
置き去りにしたものは、いつか振り返った時に、全てがセピア色に変わっているコトに気付く。色を無くしたそれを見て、大人という生き物は寂しさを実感するのである。もっとも、浩之たちはまだそんな黄昏た歳ではないが。
「よし。じゃあ、久しぶりに動かしてやるぜ。いっこく堂も顔負けのスーパーイリュージョン腹話術をみせてやる」
気晴らしに良いか、と浩之はクマのぬいぐるみを手に取ると、あかりの顔に近づけた。そしてクマの手を両手で抓んで操り始めた。
『あかり、ハラ減った、メシくれ』
「……」
『なんや、風邪ひいたんか?しゃーないのぅ』
「…………(汗)」
『不断から、ちゃんと予防しとかへんからやぞ』
「……なんで、関西弁なの?」
「えっ?――いや、なんとなく、そんなイメージが……」
「……なんか、違う」
『――な、なんや、自分?ヒトの喋りにケチつけんか?』
「……う、ううん、べつに……」
『これやから東京モンはムカつくんや!この、この!ビシッ、ビシッ!』
浩之はクマの足であかりの顔を小突き始めた。
「……ご、ごめんっ」
『謝るぐらいやったら最初からゆぅな!』
「……、あ、あの、浩之ちゃん(汗)」
『浩之ちゃんやない!クマや!ナニワの範馬勇次郎とゆわれたワイの蹴りをくらえっ!ビシッ、ビシッ!』
「……ご、ごめっ……こほっ、こほっ!」
「――あっ、わ、わりぃ…」
あかりが咳き込み始めたので、浩之は慌てて手を止めた。
「お、お前のせいだっ!」
浩之がクマの頭に手刀を叩き込むと、首の鈴がちりんと鳴った。
「悪かったな、あかり。こいつ、生意気なヤツでよ」
苦笑する浩之に、あかりはくすっと笑ってみせた。
「……このクマって、そんなキャラクターだったんだ」
「い、いや、今のは偶々、汚れた魂が入り込んだだけで……(汗)」
「…ううん。このクマ、もともと浩之ちゃんのだから、浩之ちゃんがそう思ったんなら、きっとそんなキャラクターなんだよ」
あかりはくすっと笑って言った。
「そ、そうか?……うーん、そういうコトなら、もうちょっと穏やかな性格にしとけば良かったかなぁ」
浩之はそう独り言ちすると、クマのぬいぐるみを、元の引き出しの上に戻した。
「……でも、浩之ちゃんが来てくれるとは思わなかった」
「何で?」
「……だって、最近は、滅多に私の家に来ないし……」
「そりゃあ、特に用事も無いからな」
「……来辛くなっちゃったのかなぁって、って思ってた」
「来辛い?」
「うん」
あかりが頷いた。
沈黙。
やがて浩之は、溜息を吐いた。
「そうかもな……」
つづく