【警告】
○このSSはPC版『ToHeart』(Leaf・AQUAPLUS製品)の世界及びキャラクターを使用しています、たぶん。
○このSSはPC版『To Heart』神岸あかりおよびHMX−12型マルチシナリオのネタバレ要素がある話になっており、話の進行上、性描写のある18禁作品となっております。今回はないけど。
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ToHeart if.
『淫魔去来』 第12話
作:ARM
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【承前】
4月26日、早朝。
浩之は、昨日から続く、憂鬱な気分を引きずったまま朝を迎えた。
「…………うわ。目の辺りが腫れていやがる。なっさけねーツラしてんな、我ながら」
結局浩之は、りりすの胸の中で気の済むまで嗚咽を続けた。そして泣き疲れるとそのまま寝てしまったのであった。学生服のまま寝ていたのはその為だろう。散々泣いた所為で目が泣き腫れているのだ。
部屋にりりすは居なかった。恐らく泣き疲れて寝入ったのを確かめ、部屋を後にしたのであろう。
浩之は、机の上の時計をみた。陽がまだ昇って間もない時間であった。浩之はシャワーを浴びに行った。
一階に下りると、台所から音が聞こえてきた。そうっと覗くと、りりすが台所で鼻歌混じりに朝食の準備をしていた。
りりすは浩之の存在に気付いていないらしく、振り向きもしない。浩之は気付かれないよう、静かに風呂場に向かった。
風呂場に着いた浩之は、まさかその風呂場のカゴの中に自分の下着と、替えのシャツと学生服が用意されていたとは思っても見なかった。
「相変わらずお見通し、っていうか凄い、っていうか…………」
何となく、りりすの手の上で踊らされているような気がして少し不気味に感じた浩之だったが、それ以上に、りりすの気の利きようと、そして優しさが嬉しかった。
軽くシャワーを浴びて着替えた後、浩之は居間に向かう。既にりりすは朝食を用意して浩之を待っていた。
「おっはー♪」
「……ん、はよぉ」
いつも通りの元気なりりすに、浩之は苦笑して応えた。昨夜のコトもあって気恥ずかしさもあった。
「…………」
浩之は挨拶をしたっきり、一言も話さず朝食を摂った。
話題がないわけではない。
何故、あの場にりりすが現れたのか。どうしてりりすが琴音の名前を知っていたのか。
とてもではないが、訊けなかった。
そう言う気分ではないし、――どうでもいい気がしていた。
りりすの胸の中で泣きわめいた時、りりすに自分をさらけ出しすぎたのかも知れない。浩之は、今はりりすと口をきくのが恥ずかしかった。
りりすはそんな浩之の気持ちを察しているのか、相好を崩したままで話し掛けようとはしなかった。
浩之が人心地ついたところで、玄関の呼び鈴が鳴った。あかりが迎えに着たのであろう。前みたいに、浩之の名を呼ばないのは、りりすが浩之を起こしてくれていると判っているからであろう。
「浩之ちゃん、あかりちゃんよ」
「あ、ああ――ごちそうさま」
「はい、お粗末様でした」
そう言ってりりすは微笑んだ。
「……あれ?顔、赤いけど」
「な、なんでもないっ」
不思議がって訊くりりすに、浩之は逃げ出すように居間から出ていった。高鳴る鼓動は収まりそうになかった。
くしゅんっ!
「――びっくりしたぁ!」
いい天気だなぁ、と一瞬、青空に気を取られた浩之は、並んで登校するあかりの、いきなりくしゃみに驚かされた。
「ごめん……ちょっと風邪気味なの」
あかりは鼻声で謝った。
「……ったく。しっかり治せよ」
「うん。ありがとう」
浩之は苦笑するあかりを見て呆れる。
呆れた所為ではないのだが、浩之はそれ以上何も話す気が湧かなかった。
正直、浩之は昨日の琴音の件を、今も引きずっていた。りりすに散々泣きついて気を晴らしたつもりだったが、矢張りそれくらいで立ち直れるような生やさしいショックではないのだ。だから、玄関からずうっと、浩之は殆どあかりと口をきいていなかった。遠ざけたい気持ちもあったが、そう言う態度を露骨にすると、却ってこの幼なじみは心配する――
(…………あれ?)
浩之の顔が閃いた。
あかりはいつものように浩之に接していた。
それが、変であった。今の浩之の顔は、泣き腫れた情けない顔をしているのである。どうしてそのコトを尋ねようとしないのか。
「……えっ、と」
浩之は思わずあかりにそのコトを訊こうとしたが、直ぐに思いとどまった。あかりはそんな浩之に気付いていないのか、平然と浩之の横を歩いていた。いや、一瞬、目を向けたのだが、直ぐに戻していた。
浩之にとってすればそれは不自然であった。いつものあかりなら直ぐに気付いて訊いてくるハズである。
気付かないハズがない。浩之は腫れぼったい目を指先で触れて確かめる。こんな目を、目敏いあかりが気付かないハズがない。
こんな鈍いあかりを、浩之は全く覚えがなかった。気付いていないフリをしているのだろうか。では何故?
(――違う。逆だ。気付いているから、気付かないフリをしているんだ)
あかりという娘の性格を考えれば、あり得ないコトではなかった。目敏く、思慮深い娘だから、“出過ぎた真似はしない”。
それは、あかりが、浩之の昏い心情を理解しているに他ならない。
むしろ不自然なのは自分なのだ。泣き腫れた目をして、しかしあかりを避けようとしない。不断の浩之なら、些細なコトにも敏感になって、うざい、とか言ってなるべくあかりを遠ざけていたハズであった。今朝に限ってそうしなかったのは、琴音の件で受けた、酷いショックのあまり落ち込みすぎて、意地を張る気力さえ湧かない為であった。
きっとあかりはその不自然さに気付いている。そして、いつもらしからぬ浩之だから――自分を遠ざけるコトを忘れるくらい、あるいは、無意識に、誰かに傍にいて欲しいと考えていたから――
「――――――!」
浩之はあかりと並んで歩きながら、あかりに気付かれないよう、目であかりを見て声も出さずに驚いた。
不思議な娘だ、と思った。浩之自身気付かないでいた、そんなコトがどうして判るんだろう?
――いや、不思議でも何でもないだろう。神岸あかりとの子供の頃からの付き合いを考えれば、あかりにしてみれば気付いて当然のコト――浩之のコトなどお見通しなのかも知れない。浩之は以前、あかりが、自分は藤田浩之研究家、と冗談で言ったコトを思い出したが、あれはもしかすると本気だったのかもしれない。
研究されるほど、俺は判らない男なのかね、と浩之は心の中で呟いた。
そのコトに気付いた浩之は、不思議と冷静に自分を見るコトが出来た。
(……本当、こんな情けない顔、こいつにみせたコトなかったなぁ)
思えば浩之は、あかりに泣き顔をみせたコトなど、無かった。少なくとも小学生に上がってからは覚えがない。友達のように大切にしていた愛犬のボスが急病で他界した時も、丸一日家に引きこもって大泣きしたが、翌日はあかりや雅史たちには空元気をみせていた。悔しいコトや哀しいコトがあっても、陰で泣いても、外では空意地張る少年だった。
そんな性分だったから、自分で思っているほど、あかりに自分をさらけ出していないんじゃないか、と浩之は思った。昨夜りりすを相手にしたように、あかりの前であんなふうに泣きわめいたコトなどあっただろうか。――出来るだろうか?
(……出来ない、よなぁ。恥ずかしい、し)
結局のところ、あかりの前では、ええかっこしいな自分でいたいのだろう。
――自分は昔からそうやって、この幼なじみに弱みをみせていなかった。自分を見つめ直してようやく気付いた、浩之の『本当の意味での弱さ』だった。
回顧しているうち浩之は、自分の意地っ張りさは、ここに原点が在るんじゃないかと思った。気心の知れているハズのあかりに、今まで弱みなどみせたコトはないんじゃないのか、と。しかしそれこそが自分の弱さなのだ、と。
そして、あかりはそのコトに気付いている。だから、こんな落ち込んでいる自分に優しくしてくれる――
「…………あかり」
浩之は、急に立ち止まり、少し前に出たあかりの背を呼んだ。
あかりは急に立ち止まった浩之に、直ぐには気付かず、呼びかけられて慌てて振り返った。
「ひろ――」
「…………ありがと、な」
「…………」
あかりは、何処か淋しげに微笑みながら礼を言う浩之をみて戸惑う。どうして礼を言うのか、あかりには判らなかったが、しかし、直ぐにそこにある何かに気付いたらしく、微笑んで小さく頷いて応えた。
昼。今日は土曜の為、授業は午前中で終わりである。
意を決した浩之は、最後の授業が終わると、琴音の教室に向かった。
本当なら、朝一で顔を出したかったのだが、その勇気が湧かず、今までずうっと悩んでいた。
ところが、琴音は学校を休んでいたのだ。浩之は思わず立ちくらみを覚えた。
「朝、来たんですけどね」
「……へ?」
「風邪気味だったんで、心配して保健室で体温図ったら七度八分もあったから、早退させたんです。元気そうだったんですけどね」
「…………はぁ」
琴音のクラスの保健委員を務めているクラスメートの話を聞いて、浩之はその思わぬ話にきょとんとなった。
「……何か、落ち込んでいた素振りとか無かった?」
「全然。むしろ、いつもより明るいくらい。何か良いコトでもあったんでしょうかねぇ?」
「…………そ、そう?どうも、ね」
浩之は狐につままれたような顔で、琴音の教室を後にした。
当惑する浩之は、琴音の家に行って様子を見ようかと考えた。しかし、今の自分では、琴音と面を合わせて何か言える自信は無かった。
迷った末、浩之は琴音に会う事を諦めた。少なくとも、琴音は学校に出て来られないほど落ち込んでいないコトは分かった。来週明けなら、自分も少しはショックから立ち直っているかもしれない。
浩之が教室に戻ると、既に教室には誰もいなかった。
自分の机を見ると、メモが書かれた紙切れがあった。
『ごめんなさい、少し熱っぽいので先に帰ります
あかり』
「……ま、しゃあねぇか。朝から風邪気味だったからなぁ」
浩之はそのメモをみて、淋しげに呟いた。
昼過ぎ、りりすは、居間を掃除機で掃除していた。鼻歌混じりに楽しそうに掃除していたりりすは、今日の昼食は何にしようかなぁ、浩之ちゃんの好きな物にしようかなぁ、と色々考えていた。
「……んー、そうねぇ、今日はオムライスにしようか――――?!」
そう思った刹那、りりすは立ちくらみを覚えた。慌てて掃除機の柄を杖にして身体を支える。
「…………これは?!」
唖然とするりりすは、自分の左手を見つめていた。
りりすの左手には、まるで紋章を思わせる、光り輝く奇怪な文字の羅列が浮かび上がっていた。
いや、それはりりすの左手ばかりでなく、掃除機の柄を掴む右手やりりすの顔にも浮かび上がっていた。メイドドレスを着ているので判りづらいが、それは全身にも浮かび上がっていた。
それを見つめるりりすは、驚きこそすれ、それを予期していたかのような冷静さがあった。
「……ナノマシンの過剰代謝ね。琴音ちゃんの暴走の引き金になった、ファーストとセカンドのナノマシン同士の人格浸食も、シミュレーションではスポット的な現象で直ぐに収まるモノと思われていたのに、あすこまで行ってしまったから、もしや、と思っていたけど、これは――――!」
りりすは脂汗を浮かべ、ふらついた。
「――――歴史の干渉――歴史が時空の歪みを修正しようとしている――幾重にも重ね書きされてきた時空のクラスタ欠損を修復しようとして――――私たちのナノマシンを――――そうか」
リリスは歯を食いしばりながら面を上げた。
「――――どうやら――――計画の干渉が可能な時空が――――始まったみたい――――――いけない――――押さえ――耐えな――――!」
そこまで言った途端、りりすの身体が、ぴたり、と止まった。まるで静止ボタンでも押されたかのように、りりすの身体は全く微動だにしなかった。
だが、丁度6秒後、りりすの身体が再び動の世界に帰ってきた。
なのに、りりすの様子は何処か変であった。
何故、笑っているのであろうか。
りりすの目にはまるで生気が無く、不気味なばかりであった。
浩之が帰宅したのは、それから30分ほどであった。いつもならコンビニで弁当を買ってくるのだが、今はりりすが居るので、適当な時間に帰ってもりりすが直ぐに食事を用意してくれるので安心であった。
何より今は、誰かに傍にいて欲しい。浩之は無性に淋しかった。
「……ただいまぁ。りりすさぁん、何か食わせてぇ」
浩之は扉を開けるなり、間抜けな声で言う。昨夜の件で浩之はすっかりりりすに気を許していた。
すると、りりすが居間のほうから現れた。
「あ、浩之ちゃん、お帰り」
りりすはいつものように屈託のない微笑んで迎えた。
「昼食なら、直ぐに準備するから、着替えて待ってて」
「あいよ」
浩之は二階へ登って行った。あまりにもいつも通りのりりすだったので、りりすの笑顔にある微妙な変調には気付いていなかった。
浩之を見るそれはまるで、獲物を見つけた鮫のような鋭い眼光を放ち――。
着替え終えた浩之は、りりすが昼食を用意して待っている居間に降りた。りりすは居間のちゃぶ台に、オムレツを用意していた。
「お、オムレツだね」
浩之は早速オムレツに飛びついた。
「ケチャップが足りなかったので、ちょっと薄味かも」
「……ん、いや、結構イケるよ…………流石はりりすさん」
「えへへ」
りりすは照れくさそうに笑った。
「卵にコツがあるの。上手なオムレツの作り方は、卵は三つじゃなって二つ使うの。良くミルクを入れるけど、あれは大きな間違いなの」
「ふぅん……もぐもぐ」
空腹は浩之の食事のペースを早める促進剤となり、あっと言う間に昼食を平らげた。
「ふー、満腹」
浩之はそのまま仰向けになって伸びをした。
「浩之ちゃん、食べて直ぐ横になると牛になるわよ」
「もー、もー」
浩之は巫山戯て牛の鳴き声を口まねした。くぐもった声でするそれは意外と似ていた。
「キミは江戸屋猫八ですか(笑)。……せめて左半身を下に傾けなさい。そのほうが胃に負担がかからないから」
「へーい」
浩之は言われた通りにした。
そんな浩之をみて、りりすは、やれやれ、と肩を竦めてみせた。
「……ところで浩之ちゃん」
「ん?」
「琴音ちゃんと会った?」
「――――!?」
思わず浩之はビクッ、と身体を震わせた。そして唇を噛んだ。
黙り込む浩之を見て、りりすは理解した。
「…………会えなかったの?」
「……来たコトは来たんだが、熱出して早退したんだって」
「そう」
まるでそのコトを知っているような口調をするりりすだった。しかし、琴音の名を持ち出されてまたブルー気味になってしまった浩之は、それに気付いていなかった。
「…………多分、来週会えると思う。…………まだ、俺も心の整理がついていないし、今日会えなくて良かったかもしれない」
「ふぅん」
浩之は、横たわる姿勢を変えて、りりすのいる方に背を向けた。
「……無理もないか。あんなコトがあった後じゃあ、ね」
「…………ああ」
浩之はおざなりがちに頷いた。りりすの顔を見てほっと一安心していたのであろう。いざ現実に立ち返ると、抱えているショックの大きさは、浩之にも計り知れないところがあった。
「ねえ」
「ん?――ん?」
最初の「ん」は返答のモノであった。しかし二度目のそれは、ようやくあるコトに気付いた驚きのモノであった。
浩之を呼びかけるりりすの声は、浩之の直ぐ背後から聞こえたモノだったのだ。
「り――?」
浩之が恐る恐る振り返ると、直ぐ間近にりりすの顔があった。
りりすは、ゆっくりと浩之の唇に自分の唇を重ねた。
ただ重ねたわけではない。りりすは躊躇いもなく浩之の口の中に舌を入れ、その先で歯茎をなぞり、そして浩之の舌に絡める濃厚なフレンチキスをしてきたのだ。
浩之は驚くが、何故か抵抗はしなかった。
間近で見る、りりすの淫蕩な微笑に、心を奪われてしまったのかもしれない。
りりすは浩之の身体に覆い被さるようにしてキスを続ける。始めは手持ち無沙汰だった浩之の両腕が、浮かされるようにりりすの背に回されそうになった時、りりすはようやく浩之から唇を離し、少し身を起こした。
浩之は、ぼぅっ、と何処か酔いしれたような顔でりりすの顔を間近で見つめていた。りりすの美貌はまさに美酒なのであろうか。
「…………りりすさん?」
「落ち込む浩之ちゃんは、らしくないよ。――ねぇ?」
りりすは、ふっ、と微笑んだ。
だが、それは優しそうな顔ではなかった。まさに、獲物を捕らえた時の、肉食獣がする歓喜のそれであったが、りりすの甘美なるキスに我を忘れている浩之には気付いている様子はない。
「…………元気付けてあげようか?」
そう言ってりりすは、メイドドレスの胸元をゆっくりと開き始めた。
つづく