ToHeart if.「淫魔去来」第9話 投稿者:ARM(1475) 投稿日:8月9日(木)23時14分
【警告】
○このSSはPC版『ToHeart』(Leaf・AQUAPLUS製品)の世界及びキャラクターを使用しています、たぶん。
○このSSはPC版『To Heart』神岸あかりおよびHMX−12型マルチシナリオのネタバレ要素がある話になっており、話の進行上、性描写のある18禁作品となっておりますが、今回は無いです、はい。
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    ToHeart if.

       『淫魔去来』  第9話

            作:ARM

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【承前】

 4月24日、放課後。

「もしもし……?」

 琴音はもう一度、シャワー室の扉をノックした。
 その向こうには、りりすと、機密保持のために昏睡状態に陥っている芹香がいた。この状況で第三者の出現は最悪以外のなにものでもない。
 がちゃり、と扉の鍵が外された。
 そして、琴音の目の前で扉が開かれた。

「「あ……」」

 琴音は、扉を開けたりりすと鉢合わせになり、同時に声を上げた。

「……姫川琴音」

 りりすは、琴音を知っているようだった。

「りりす…………」

 そして、琴音もりりすを知っていた。

「……なんだ。心配して損したわ」

 そう言ってりりすは苦笑いしてみせた。

「来栖川芹香に対する“干渉”は完了したわ。これで、貴女から受け取った情報による、ファーストリリスの干渉候補の一人が処理できたわ。有り難う」
「ご苦労様です」

 そう答える琴音の顔は、何処か虚ろげであった。まるで能面のようである。

「セカンドリリスから与えられた任務を遂行したまでです」

 またも、リリス。今度は二番目(セカンド)である。

「その為に、“姫川琴音”をコントロールし、来栖川芹香に接触させたのですから」

 琴音は、まるで他人事のように自分を語っていた。多重人格者か、いや、この場合、琴音の中にいる何かが、今、琴音が言ったように琴音を操っているのであろう。それがセカンド・リリスなのか。

「来栖川芹香以外、確実にファーストが接触した者は確認出来ていません。数名、候補がいますが」
「長岡志保は昨夜処分した。彼女は干渉されていなかったわ」
「先程も報告しましたが、残りの候補である、宮内レミィと保科智子の二名はいかが致しましょう?」
「様子見。保科智子は“目標”に必要以上の干渉を行おうとはしていない。むしろ、壁を作っている。壁が壊れるような予兆があったら、直ぐに干渉する。逆に、馴れ馴れしい宮内レミィは怪しいけど、そう言う意味での好意を抱いているようには感じなかったわ」
「もう接触されたのですか?」
「突き飛ばされた」
「はぁ?」

 りりすは浩之に化けて校内をうろついていたのだが、その際、どうやらレミィに例によって後ろから突き飛ばされたらしい。とんだ災難であろう。

「恋愛と言うより、友愛のような感情で接していたわね。あれはほっといても良いでしょう。――また関わって突き飛ばされたらかなわない」
「そうですか」

 やれやれ、というふうに肩を竦めるりりすに、琴音は機械的に頷いてみせた。

「ところで、そこの来栖川芹香はどうします?」
「お願い」

 りりすはそう言って琴音の肩を、ポン、と手で叩いた。

「へ?」
「私がここにいると厄介な事になるから。貴女が偶然、発見した事にして」

 そう言ってりりすは琴音の横を通り過ぎて廊下に出て行った。

「あの――」

 慌てて琴音が振り返ると、いつのまにかりりすの姿は消え去っていた。
 暫し呆然とした後、琴音はシャワー室のほうへ面を戻した。
 そして、倒れている芹香の姿を見て、悲鳴を上げた。

 その声に驚いた浩之は、既にオカ研の隣の空き部屋で力尽きているセバスを発見していたのだが、琴音の悲鳴を聞きつけると慌てて声の聞こえる一階に下りていった。

「琴音ちゃん!?どうした!?」

 一階通路の奥にあるシャワー室の手前でへたり込んでいる琴音を見つけた浩之は、急いで駆けつけながら訊いた。
 浩之の声を耳にした琴音は、はっ、と驚いて浩之のほうを向き、

「――来栖川先輩が倒れてます!」
「何っ!――芹香先輩!?」

 驚く浩之は、シャワー室に飛び込んだ。そこには、制服姿でずぶ濡れになって昏倒している芹香の姿を見つけ、思わず青ざめた。上で倒れていたセバスの怪我を思い出したのだ。

「へ、変な物音が聞こえて、“シャワー室の扉を開けたら”、“来栖川先輩が倒れていた”んです!」
「変な物音?」

 浩之は辺りを見回したが、自分と、この状況にショックを受けて狼狽している琴音と倒れている芹香以外、他に誰かいる様子は無かった。

「判りません……私が来た時には中には“来栖川先輩だけが倒れていて”……!」
「と、とにかく、職員室から先生を呼んできてくれっ!」
「あ、はいっ!」

 琴音は狼狽しながら、言われたとおり本校舎の職員室まで駆けて行った。

 その後、琴音に呼ばれた教師たちの通報で芹香とセバスは救急車で運ばれていった。そして、セバスが重傷を負っていた事や、芹香の昏睡ぶりが、昨夜の志保と同じであった事から警察もやってきた。

「……また、きみか」

 発見者としてやって来た浩之を見て、現場のシャワー室を伺っていた刑事は、はぁ、と溜息を吐いた。今朝、浩之に事情聴取を行った刑事であった。もっとも、パトカーから降りてきた時点で怪訝そうな顔をしていた事もあり、浩之がまた関わってくるのでは、と予想していたと思われる。

「いっときますけど、俺の仕業じゃないですからね」
「判ってるって」

 刑事は苦笑し、

「で、もう一人の……えっと第1発見者の娘はどこに?」
「ちょっとショックが大きかったらしく、保健室で休ませています」
「あ、そう。じゃあ、キミの話を先に聞くとするか」

 浩之は、琴音と一緒に、芹香に呼ばれてクラブハウスのオカ研へやってきた事や、琴音がシャワー室で不審な物音に気付き、覗いてみたら芹香が倒れていた事、そしてオカ研では壁がぶち抜かれて執事のセバスが重傷を負って倒れていた事を刑事に話した。

「すると、長瀬氏を何らかの方法で倒した後、犯人と思しき者は来栖川さんを襲ったとみるべきか」
「襲った……、って、俺がみた時はずぶ濡れでしたけど、着衣の乱れとかは覚えがないんですけど」
「そのらしいな」

 刑事は、救急隊員から芹香の様子を既に聞いていた。偶然にも昨夜、志保を搬送した同じ救急隊員であった彼は、芹香の様子が志保に良く似ていると告げていた。

「来栖川の長瀬執事と言ったら、この界隈では有名な腕っ節じゃないか。長瀬氏をあすこまで痛めつけたヤツの狙いは何だ?」
「それはこっちが聞きたいくらいだよ」
「職質してて逆に聞かれちゃ世話ねぇな。も、いいや」
「はぁ……」

 刑事は、やる気があるのかないのか判らないようなコトを言って、浩之から離れた。
 浩之が憮然とした面もちで刑事を見送ると、不意に、後ろから声をかけられた。

「琴音ちゃん?」
「藤田さん……」

 琴音はまだ少し青白い顔をしていたが、心配になって来たのであろう。

「もういいのか?」
「はい。あの、警察の人が呼んでいたって聞いていたから……」
「あ、ああ。――刑事さん、第1発見者の姫川琴音さんです」

 浩之に呼ばれ、少し離れたところで教師と話していた刑事が、ん?と振り返った。
 刑事が振り返ると、琴音は、ペコリ、とお辞儀した。それを見て、刑事は教師に辞して慌てて戻ってきた。
 琴音の事情聴取が始まったが、琴音が答えたその内容は、浩之のそれと大して変わらなかった。肝心の不審な物音の正体ですら、琴音にも見当が付かなかった。結局、大した成果は得られない事を判った刑事は、琴音の聴取を早めに切り上げた。残るは、芹香かセバスの意識が回復するのを待つしかないようである。
 琴音の聴取が終わって間もなく、浩之は恐る恐るやってきたあかりに呼ばれた。

「浩之ちゃん……」
「おう、あかりか。待っていたら妙な事になっちまったよ」
「来栖川先輩だけど……」

 あかりは不安げな顔で訊いた。

「…………先生の話だと、意識不明で倒れていたって聞いたんだけど」
「あ、ああ。――志保のに似た状況らしいな」
「…………」
「おいおい、俺は無関係だって」

 浩之は黙り込んで自分を見つめるあかりに、苦笑混じりに言って見せた。

「……そんなコト、少しも思ってないよ。…………ただ、変なコトが続くから……」
「あ、……ああ」

 あかりが不安を感じるのも無理もないな、と浩之は思った。同じ原因不明の昏睡事件が身の回りで立て続けに起きれば、ただの偶然ではないと思うのが普通である。ましてや今回はあのセバスが重傷を負っているのである。正直、浩之でも薄ら寒いものがあった。

「……ま、兎に角これ以上ここにいても滅入るだけだしな。――なぁ、琴音ちゃん」
「は、はい」

 琴音は驚いたように答えた。琴音もあかりと同様に不安を覚えていたのであろう、そこへ急に呼ばれたのだから無理もない。

「……俺たちと一緒に帰るか?安全のため」
「あ……」

 ふっ、と微笑む浩之を見て、始めは戸惑っていた琴音は少し俯き、頬を赤らめて頷いた。

 浩之とあかりは、琴音と共に下校した。琴音の家は、浩之たちの通学路の途中にある、公園近くの十字路から、浩之たちの家の方向とは反対の道の先にあったのだが、安全を喫して二人で家の前まで送るコトにした。浩之は二人が不安がらぬよう、学校やTVの楽しい話題を積極的に振り、今日の事件や昨夜の事件を思い出さぬよう明るく努めた。その甲斐あって、琴音の家に着くまでずうっと笑いが絶えなかった。
 調子に乗る浩之は、公園の入り口手前であの「恐怖シリーズ」を披露した。

「……その家の隣りには、白い犬が居て、毎晩12時になると吼えるんだ。家主が近所迷惑だと訴えるけど、隣の住人は無視。そんなギスギスしているうち、ついに家主はキレてその犬を金属バットで叩き殺しちゃったんだ。それから三日後……」
「「み、三日後?」」

 オチはしようの無いものと判っているあかりも、琴音と一緒に聞き入ってしまった。
 浩之までおしゃべりに夢中だったものだから、自分たちが進む先にあった、腿の辺りの高さまである鉄柵の事には気付かず終いだった。

「……そう。三日後、その家主は、めそ――――うわぁっ!?」
「「きゃあっ!!」」

 話に夢中になっていた浩之たちは、その鉄柵に揃ってぶつかり、転けてしまった。

「い、痛ぁ……」
「あうぅ……(泣)、しまった、鉄柵の事忘れてた。琴音ちゃん、大丈夫?」
「あ、はい、何とか――――あ、神岸さん!」

 転んだ琴音は、あかりの膝がすりむけて血が滲んでいる事に気付いて目を剥いた。

「膝が!」
「あ?――痛ぁ……!」

 あかりも転んだ方がショックだった為に、転んで膝小僧を擦り剥いた事に気付くのが遅れてしまった。

「お、おい、大丈夫か?」
「う、うん、皮の辺りだけだから……」
「そのままじゃ駄目ですよ!絆創膏持ってます、私」

 琴音はあかりに自分のハンカチを手渡し、それから慌てて自分のカバンから絆創膏を取り出そうとした。

「その前に傷口を洗おう。丁度ここ公園だし」
「う、うん」

 あかりは浩之の肩車で、近くの水飲み場までやって来た。そして水道の蛇口を捻り、砂のついた傷口を水道水で洗い流した。にじみ出る血の量は大した事はなく、綺麗に傷口を洗った後、琴音からもらった大判の絆創膏で膝の傷をピッタリと塞いだ。

「ありがとうね、琴音ちゃん」
「い、いえ……!私がちゃんと前を見ていれば……」
「そんなコトないって。みんなして注意不足だったんだから。何でもかんでも自分の所為にするな、って前にもゆったろう?」

 そういって浩之は琴音の頭を撫でた。最近まで琴音は、身の回りで起きている不幸な出来事が全て自分の所為だと思い、そして周囲からも睨まれていた。しかし浩之によってそれが琴音の無意識の念動力発動によるものと看破され、誤作動しないようオカ研で訓練するよう勧められ、短期間でどうにかコントロール出来るようにまでなっていた。
 確かに琴音の超能力の所為で不幸な事は起きただろうが、浩之はそれを踏まえた上で、まったく関係のない出来事まで背負い込むその後ろ向きな考えは止めるよう、琴音を諭していた。短期間での成長は、そんな浩之たちの叱咤とそれ以上の励ましがあったからだろう。

「わたしは大丈夫だから、琴音ちゃん」

 あかりはそう言って、ぴょん、とその場に跳ねてみせた。しかし着地した時、膝に軽い痛みを覚えて、痛っ、と顔を引きつらせた。

「あかり、そこまで無理して気ぃ使わなくっていいぜ、まったく」

 そんなあかりを見て浩之は呆れ気味に笑った。

「う、うん」
「また肩車してやろうか?」
「擦り剥いただけだから、歩けるし」
「でもなぁ……」
「済みません、藤田さん、神岸さん……」

 琴音は少し困ったふうな顔で言った。

「藤田さんは神岸さんを送っていって下さい。私はここまでで大丈夫ですから」
「え?」
「ここからなら、家までそう遠くありませんから」
「そ、そう?」
「は、はい」

 琴音はそう答えて、どこか気恥ずかしそうにお辞儀した。

「そっか。気ぃ使わせてご免な、琴音ちゃん。じゃあ俺たちはここで」
「琴音ちゃん、これ洗って返すね」

 そういってあかりは、琴音から傷口を拭く時に借りたハンカチを見せた。イルカの絵柄のハンカチは、端が水とあかりの血で少し赤く滲んでいた。

「あ、それくらいなら大丈夫ですよ」

 と琴音はあかりが持つハンカチの端を摘んだ。

「え、でも……」
「大丈夫ですから」
「う、うん……」

 あまり気を遣わせたくないと考えたあかりは、琴音にそのハンカチを返した。琴音はそのハンカチを両手で丁寧に畳むと、ブラウスのポケットにしまい込んだ。

「じゃあね、琴音ちゃん。気をつけて帰るんだぞ」
「琴音ちゃん、また明日ね」

 浩之はあかりを肩車しながら琴音に挨拶した。

「はい、お休みなさい、藤田さん、神岸さん」

 琴音は思わず口元に手を寄せて照れながら答えた。

 浩之とあかりの姿が見えなくなるまで手を振っていた琴音は、やがて二人の姿が見えなくなると、少し淋しげな顔をして家のある方角へ向いた。
 ところが琴音はそこから一歩も進もうとはしなかった。
 琴音の背後には、りりすが立っていたのだ。

「ご苦労様」

 りりすがそう言うと、琴音はりりすの方へ振り返った。その顔は、先程まで片思いしている少年と一緒に下校できた事を少し照れくさく思っていた少女の面影は無く、シャワー室でりりすと会話していた時のような、感情のない能面のような相貌をしていた。

「……ひとつ、訊いて良いですか?」
「?」

 突然の琴音の質問に、りりすはきょとんとした。

「例の計画について――その――――」
「…………琴音。……貴女?」

 琴音は妙に口ごもった言い方をして訊いてきた。そんな琴音を見て、りりすは、琴音の様子がおかしい事に気付いた。

「…………セカンドのナノマシンが変調を起こしているの?」
「え…………?」

 りりすの顔を見る、何処か虚ろげな琴音の顔には、いつの間にか汗が玉のように滲んでいたのである。まるで高熱に浮かされているような顔で、身体も何処かふらついていた。

「……まさか」

 りりすは慌てて琴音の額に手を当てた。
 ところが、その様子に反して、琴音の顔は全くの平熱であった。

「……内分泌系に異常分泌が生じているのかしら?ちょっと待ってね」

 そういうとりりすは琴音に口づけした。琴音は全く抵抗もしない。りりすは琴音の口腔に舌を入れると、その先からにじみ出てきた光る液体を琴音に嚥下させた。

「……ふう。これで大丈夫」

 りりすが唇を離すと、琴音は、はぁ、と何処か艶っぽい溜息を吐いた。

「……私のナノマシンでどうにか押さえてみたけど――あなた、他のりりすに干渉でもされた覚えがある?」
「い、いえ……!」

 琴音は首を横に振った。

「そう?てっきり、ファーストあたりのナノマシンが、貴女の中に仕込んであるセカンドのナノマシンに“感染”して、対消滅を起こしてしまったかと思ったんだけど――あるいは……」

 そういってりりすは琴音を怪訝そうに見つめた。

(……この娘……半数染色体だったわね。いえ、それくらいではナノマシンに影響を与えることはないから、後は…………ふむ)
「りりす?どうかされました?」
「い、いや」

 りりすは、まさかな、と心の中で呟いた。
 りりすも、そして琴音も気付いていなかった。
 琴音のブラウスに入れていた、あかりの血が滲んでいるハンカチが、うっすらとしかし、りりすが志保や芹香の体内に送り込んだ精液の中に混じっていた、あのナノマシンと同じく、きらきらと光り輝いている事に。

            つづく

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