ToHeart if.「淫魔去来」第3話 投稿者:ARM(1475) 投稿日:7月18日(水)23時58分
【警告】
○このSSはPC版『ToHeart』(Leaf・AQUAPLUS製品)の世界及びキャラクターを使用しています、たぶん。
○このSSはPC版『To Heart』神岸あかりおよびHMX−12型マルチシナリオのネタバレ要素がある話になっております(話の進行上、性描写もある18禁作品ですが、今回はありません)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

    ToHeart if.

       『淫魔去来』  第3話

            作:ARM

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 4月23日、朝。
 神岸あかりは、いつものように浩之の家に寄り、浩之を起こして一緒に登校しようとやってきた。
 昨日から少し風邪気味だったあかりは、今朝も少し身体がだるく、もう少し寝ていたかったのだが、自分がのんびりしていると浩之はいつまでも経っても起きないだろうから、無理してでも行かなければならないと思っていた。
 あかりには、浩之を起こすコトに責任も義務も無い。ある意味、酔狂でやっているコトなのである。だから、自分の身体にむち打ってまで行う必要など無い。
 しかし、あかりはそれが自分にとって当然のコトだと考えていた。
 迷うまでもないのだ。あかりは、浩之が好きだから、そうしたいだけなのだ。
 とは言え、流石に今朝は辛いものがあった。今日の辛さを喩えるのならば、まるで重い生理の時のようであった。生理の辛さは男には到底判るものではない。人によっては、酷い時など、不断から親しい相手にですら殺意さえ抱きかねない憂鬱さを抱えてしまう場合もある。もっとも、あかりの生理は不断から軽い方であり、今回の生理は余り痛みもないまま昨日治まっていた。そもそも今日のあかりはただの風邪である。
 結局あかりは、いつものように二階に寝ている浩之の部屋へ呼びかけるコトは止めて、玄関の呼び鈴だけで起こすコトにした。
 だが、まさか呼び鈴を鳴らして、突然玄関の扉が開き、そこから見知らぬ若い女性が顔を出すとは、あかりは予想だにしていなかった。
 しかも、メイドドレスを着た、あかりですら一目で見惚れてしまうほどの美女である。あかりは始め、家を間違えてしまったかと思ってパニックを起こしかけてしまった。

「あ、あかりちゃんね」
「…………え?」

 突然、見知らぬ美女に名前で親しげに呼ばれ、あかりは硬直してしまった。

「……あ」

 あかりの様子に気付いたメイドドレスの美女は、あかりが混乱しているコトに直ぐに悟った。

「驚かせちゃったみたいね。浩之ちゃん、今朝食を摂っているところだから。あかりちゃんも遠慮なく上がって上がって」
「あ……は、……はい」

 あかりは戸惑うも、警戒心を抱かなかったのは、これから一分後に浩之の口から、りりす、という名を知るコトになるメイドドレスの美女の屈託のない笑顔に、他人より僅かしかない毒気を抜かれてしまった所為なのかも知れない。


「りりすさん、やっぱりあかりだろ?――よぉ、あかり」

 あかりがりりすに連れられるようにキッチンにやってくると、そこでは浩之がパンとハムエッグ、そして実に美味そうなコーンポタージュで朝食を摂っている姿があった。こんな光景、あかりには全くと言っていいくらい見覚えはなかった。

「……浩之ちゃんが、ちゃんと朝食摂っている姿、初めて見た」
「……正直、マジで半年ぶりなんで、俺も驚いている。偶にお袋が帰ってきていても、精々おにぎりくらいだし」
「本当、冷蔵庫には何も入っていなかったから苦労したわぁ」

 りりすは頬に手を当て、苦笑気味に言った。

「朝一で近くのコンビニ行って、何とか揃えられたけど、コンビニも大したもの置いてなくて」
「あー、ダメダメ。この辺のコンビニは弁当とか出来合いのものばかりが中心で、食材から揃えるには駅前の商店街に行かないと」
「あ、そうなんだ。じゃあ、さ、用意して置くから、今夜は何が食べたい?」
「えーと、そうだなぁ…………って、何だよ、あかり、その悲しそうな顔は」
「あ――え?やだ、そんな顔しているの?」

 呆れ顔で言う浩之に、あかりは酷く狼狽した。熱っぽい顔は風邪の所為ばかりではなさそうだった。浩之が、自分が今朝まで全く見知らぬ女性と、自然に和んだ会話をしている光景など、想像したコトも無いのだ。正直、動揺を隠す自信は無かった。それが顔に出てしまったのだろう。
 俯きかけたあかりの額に、不意に、りりすの手が重なった時、あかりは思わず身じろぎかけた。

「――――っ?」
「……熱っぽい顔しているわね。もしかして風邪?」
「あ……」


 りりすのその行動が、熱で顔が赤いらしい自分の様子に気付いた為であるのに気付いたとき、あかりは掠れたような溜息とともに頷いて見せた。
 あかりが身じろぐのを止めると、りりすはあかりの額に自分の唇を軽く当て、そして掌を自分の額に当てて体温の差を伺いだした。

「……風邪の熱ね。――浩之ちゃんの隣の席に座ってて」
「え?」

 戸惑うあかりを置いて、りりすは急にキッチンの冷蔵庫のほうに向かった。そして野菜用保冷室から何か黄色いものを取り出すと、それをまな板の上に置いて何やらテキパキと調理らしきことを始めた。
 浩之が自分の朝食を片づけた頃、りりすは浩之の隣で困惑の面差しで黙って座っていたあかりの前に、湯気の立つマグカップを差し出した。

「りりす特製レモネード。風邪薬とまでは行かないけど、風邪の引きかけには良いわよ」
「あ……」

 あかりは、にっこりと笑ってりりすが差し出したマグカップを暫し見つめた。やがて、戸惑うあかりに浩之が何か言いかけようとした時、あかりも、ふっ、と笑みを零し、そのマグカップを受け取った。
 半透明の黄色い暖かさを、あかりはゆっくりと嚥下していく。胸の下、胃の辺りからゆっくりと温かくなっていくにつれ、あかりの心にあった不安な気持ちは、その暖かみにゆっくりと溶けて無くなって行った。

「…………ごちそうさまです」
「お粗末様でした」

 あかりが微笑むと、りりすも嬉しそうに微笑んだ。それを見て浩之はようやく、あかりが今までりりすを警戒していたコトに気付いたのであった。

「……あ、あかり」
「浩之ちゃん」

 突然、りりすがトーンを下げて浩之の名を呼んだ。まるで叱りつけるような声だった。

「あかりちゃん、風邪気味なのに、こうして迎えに来てくれたんだよ。お礼ぐらい言ったらどうなの?」
「あ…………」
「まったく……」

 りりすは頬を膨らまし、浩之を呆れたように冷ややかに見て言う。

「……いつもこんな調子であかりちゃんに甘えているんでしょう?」
「「え?」」

 これには浩之ばかりかあかりも驚いた。

「お父様から聞いているのよ。朝が弱いからって、いつもあかりちゃんに起こしに来てもらっているってコトは。……あかりちゃんも大変よねぇ。風邪で体調が悪いのに、無理して来てくれるなんて……」
「あ、いえ、それは……」

 思わずあかりは頬を赤くし、恥ずかしげに俯いてしまう。

「それなのに浩之ちゃんたら、感謝の“か”の字も言わないで、あかりちゃんに甘えるコトが当然のように振る舞ってさ」
「ちょ、ちょっと、りりすさん(汗)」

 あかりをダシにむくれているりりすをみて、浩之は昨晩のりりすを思い出して狼狽する。この場合、淫靡な夢のりりすではなく、浩之をからかいまくったほうの、あのりりすのほうである。浩之は嫌な予感を感じた。

「……まったく!こんなかわいい幼なじみの気持ちをもう少し察して上げないと、男が廃るというものよっ!」
「あの……もしもし、りりすさん。その件に尽きましては……」
「オトコならゴチャゴチャ言い訳しないっ!」
「は、はいっ!」

 りりすは浩之の鼻先を、びしっ、と指して怒鳴ると、浩之は緊張のあまり起立して慇懃に返事した。りりすの迫力に呑まれてしまったようである。昨夜、翻弄された所為で浩之はりりすに手綱をすっかり握られてしまったのだろう。主従関係は浩之とりりすに関しては全く逆転してしまっていた。
 そんな浩之の様子に、あかりは驚くどころか、くすくすと笑い出してしまった。


 10分ほどして、浩之とあかりは、りりすに玄関まで見送られて登校した。

「……凄いメイドさんね」

 浩之と肩を並べて歩いていたあかりが苦笑混じりに言うが、浩之は悔しそうな顔をするばかりで何も答えなかった。
 そんな浩之を見て、あかりはほっとしていた。浩之の両親が雇ったという家政婦のりりすに戸惑い、僅かに嫉妬心さえ抱いていた自分をちょっぴり恥じたのは、こうして並んで歩いている浩之が、いつものままであった為であった。
 浩之はそのままむくれてあかりに何も言わずにいたが、やがて校門の前に着いた時、突然、ふぅ、と、溜息とも取れるような深呼吸をしてみせた。

「……あかり」
「え?」

 浩之に急に呼ばれたあかりは、びくっ、と肩を震わせて驚いた。決して浩之を警戒していたわけではなく、このまま何も言わないで教室に入るものと思っていたらしい。

「……風邪ひいているんだから、無茶すんなよ。……俺も、もう少し気ぃつけるから」

 浩之はあかりのほうに向かずに言って見せた。照れくさいのだろう。
 あかりはそんな浩之の横顔が、溜まらなく素敵に見えた。


「…………ヒロぉ」

 それは昼休みになった直後のコトだった。学食へ行こうと席を立った浩之の前へ、長岡志保が、したり顔でやって来た。

「……何だよ、そのいやらしそうな笑いは?」
「いやぁ〜〜、藤田家がメイドさん雇えるほど裕福とは思いませんでしたわぁ」
「な――――!?」

 驚く浩之は、しかし直ぐに、志保の後ろで申し訳なさそうにしているあかりを見つけ、その情報源に気付いた。

「あ〜〜か〜〜り〜〜」
「も、ものの弾みで(汗)」


【特別付録:サルにもわかる、志保がそのコトを知った状況】

★登場人物:神岸あかり、長岡志保
★状況:あかりと志保、女子生徒の合同家庭科で一緒に卵料理を作っていた

★その時交わされた会話:
あかり「ねえねえ、志保、浩之ちゃん家、凄いんだよぉ。昨日から素敵なメイドさんが住み込みで雇われているんだよ〜〜」


「…………(怒)」
「ああっ、睨まないで浩之ちゃんっ(汗)。だから、ものの弾みで……(冷や汗)」
「……あかり。こういうのは普通、口が軽いってゆうと思うんだけど(苦笑)――それはそれとして、ねぇねぇ、どんな人なのぉ?」

 あかりに、所謂うめぼしと呼ばれる、こめかみを拳骨でグリグリ押し当てる罰をしていて浩之は、いつものように好奇心が先だって面白そうに訊く志保に、はぁ、と困憊したような溜息を吐いてみせた。

「……怖い人」

 浩之がそう言うと、うめぼしを食らったままのあかりも、うんうん、と頷いた。

「……どーゆぅ人なの?(汗)でも、まさか平民の藤田家がメイドを雇うなんて、珍事中の珍事よねぇ。これは是非とも取材に行かなきゃあ♪」
「お前ぇ、そのバカにしたように平民って何度もゆうなコラ(怒)――取材なんて断――」

 そこまで言いかけたところで、ふと浩之はあるコトを思い付いた。
 それは、あのりりすの性格を前提にした悪巧みであった。――それと純粋な興味。

(……あのりりすさんと、この志保を引き合わせたら、アクの強い者同士、きっと面白げふんげふん良くて共倒れ、悪くても恐らくは志保が酷い目に遭うだろうな(笑))

 今の浩之には、志保とりりすが意気投合する危険性を考慮できる程の冷静さは欠けていたようである。すっかりりりすに調子を狂わされてしまったらしい。

「――おっし。志保、時間があるなら今日のうちの夕食に招待してやる」
「え?」

 てっきり反発するものとばかり思っていた浩之の、よもやの招待に、志保は初め戸惑った。そしてあかりのほうへ振り返ってみせ、浩之を警戒しながら耳打ちした。

「……何?ヒロ、悪いモノでも喰ったの?」
「そんなコトないと思う。りりすさんって、一流の家政婦さんらしくて、特に凄く料理が美味いんだって。朝もお手製のレモネードをご馳走になったし」
「ふぅん。――じゃあ、さ」

 と志保はあかりの耳元で囁くように言い、あかりが少し戸惑った顔をすると、ようやく浩之のほうへ顔を戻した。

「その、りりすさんって女性(ひと)、料理美味いんだって?なら、あかりも一緒で良い?」
「あかりも?」

 浩之はきょとんとなった。とはいえそれは単に、あかりの名を持ち出されただけであった。

(……まったく!こんなかわいい幼なじみの気持ちをもう少し察して上げないと、男が廃るというものよっ!)

 浩之の脳裏に甦る、今朝のりりすの怒り顔。

「……そうだな。あかりも来いよ」
「え?あ、あの、その」
「いつもお世話になっているからな。滅多にない機会だし、今朝、あの調子だったから、りりすさんを巧く紹介出来なかったから、改めて」
「う、う…………ん」

 あかりは少し困ったふうな顔をして、目で浩之と志保の顔の間を行き来した。正直、どうすればいいのか、あかりには判断しかねていた。
 そんな時、あかりの脳裏に、今朝会ったばかりのりりすの笑顔が浮かんだ。
 魅力的な笑顔だった。自分のコトは浩之か、あるいは浩之の両親から訊かされていただけであろうハズなのに、まるで旧知の友人、いや、親友のように気遣ってくれた、優しい女性であった。
 あかりの理想の女性は自分の母親だった。しかし今のあかりにはもう一人、理想の女性が誕生しつつあった。そんな気がしていた。

「……うん」

 あかりは照れくさそうに頷いた。

            つづく

http://www.kt.rim.or.jp/~arm/