ToHeart if.「鋼鉄の彼女。」第11話 投稿者:ARM(1475) 投稿日:7月1日(日)01時06分
【ご注意】この創作小説は『ToHeart』(Leaf製品)の世界及びキャラクターを使用した二次創作作品となっています、たぶん<ぉぃ。
※本作品はフィクションであり、実在の個人・団体名等事件等にはいっさい関係ありません。
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【承前】

「これでやっと判った」

 そう言って晶は微笑んだ。

「機動地雷は、若葉の声で作った音源を可聴領域外で発信するPDAに誘導されて目標に近づく。それはSPAMメールに偽装され、ユーザー間を無作為に移動し続けていた。被害者の遺留物にECOHS対応型PDAの残骸や、被害者がECOHS対応PDAのユーザーだったコトも確認済み。更に、マルチから提供されたSPAMメールのデータを解析し、電話会社の協力で抽出した転送履歴に、被害者の所有するPDAのIDもあったコトも判明した。――完璧にクロ」

 そこまで一気に言うと晶は、ふぅ、と溜息のような深呼吸をして、

「これで犯人を特定出来る。――ECOHSの基幹システムに明るい技術者なんてそんなにいないから――――うふふ」

 晶は笑いながら再びモニターに向かった。。
 しかしその目は、笑っていなかった。
 黙って聞いていた浩之には、そんな晶は泣いているようにしか見えなかった。

「…………うふふ…………ふふ………………これで…………父さんと母さん、若葉を殺した犯人も見つけ出せる………………ふふふ」
「朽葉さん……」

 浩之は堪らず声を掛けた。
 しかし晶はそんな浩之など視界に入っていないかのように、モニターを見つめていた。

「……こいつが……若葉たちを殺したヤツが作ったのよ…………バカじゃない…………のこのこと尻尾出してきて…………逃げられると思ってるのかしら…………もう逃がさないから………………うふふ」
「――――」

 モニタを見据える晶の横顔に、浩之は狂気を感じた。
 それは今回ばかりでない。マルチを撃った時、そしてその理由を咎めた時に見せた笑みも矢張りこんなふうだった。
 傷付いた晶を再起させたものは確かにそれなのかも知れない。だが浩之はそれをどうしても認めたくなかった。
 この女(ひと)は、狂気など似合う女性ではない。虚弱な妹を一途に想う、優しい少女をここまで狂わせたものへ、浩之は次第に沸き上がる怒りを覚えていた。

「藤田クン」

 そこへ不意に晶に呼ばれたものだから、浩之は酷く驚いた。

「これでマルチを酷い目に遭わせたヤツを捕まえられるよ!はははっ!」

 自分を見て嬉しそうに笑う晶に、浩之は戸惑った。
 狂気の光を湛える晶の瞳に、浩之は耐えられなかったのだ。
 浩之が衝動的に晶の身体を抱きしめたのは、それ以上、そんな晶を見たくなかった為であった。
 突然、浩之に抱きしめられた晶は硬直してしまう。
 暫しの静寂。パソコンや分析機器の冷却ファンの音が、時が止まったような感覚を否定していた。

「…………もう、いい」

 浩之は泣いていた。悔しかった。どうして悔しいのか判らなかったが、とにかく腹立だしいのである。
 悔しさが募るほど、晶を抱きしめるその腕に力がこもる。晶は始め驚いて苦しさを感じなかったが、やがて我に返ると、浩之の腕力に息苦しさを感じた。
 だが、それは僅かなコトであった。
 何故だか判らないが、自分を抱きしめている浩之から感じる温もりが、いつしかその息苦しささえ忘れさせていた。
 そのうち晶は、自分の心に横たわるモノを幻視しつつある自分に気付いた。
 そこに幻視(み)えるのは、どす黒く、重い鉛のような何か。
 それが、浩之の温もりによって次第に形を成す。
 ――晶自身だった。
 嗤っていた。狂ったように嗤っていた。
 右腕と両脚は血に染まり、いや、それは全て失われ血の塊で出来ていた。今にも崩れそうなそれはぷくぷくと泡立ち、怖気ずく光景であった。
 晶はそれが自身の狂気と理解した。
 それを晶は第三者の視点で見て硬直していた。
 これが自分の姿だと。
 醜い。
 爆弾で右腕と両脚を失ったこの姿が――いや、狂気に奔る自分の姿が、醜かった。
 そう思った刹那、晶は浩之の背に両腕を回した。
 まるで怯える子供がしがみつくような仕草をする晶に、浩之は一瞬驚く。しかし決して晶を離そうとはしなかった。
 晶を離してはいけないと思った。離してしまったら、晶は二度と戻って来られない―――浩之はそう感じたからだった。

「……もう、いい」

 浩之はもう一度言った。
 自分の運命を狂わせた事件を追えば追うほど、この女性は傷付いていくばかり。だから心も壊れざるを得ないのかも知れない。
 そう思った時、浩之は切ない気持ちになった。
 守ってやりたい。支えてやりたい。助けてあげたい。
 そしてそれこそ、自分が朽葉晶という女性にこだわる理由なのだと、理解した。
 これが、愛している、と言う気持ちなのかどうか、浩之には判らなかった。だがそれが愛する気持ちなのだというのなら、浩之はきっと素直に認めるだろう。

「…………無理しなくていいから」

 そう言って浩之は晶の頭に頬ずりをした。

 今の晶は、とても危うい状態であった。
 復讐心に逸る気持ちが、傷だらけの心を容赦なくなぶり、いつ弾けてもおかしくない状態にあった。
 誰かが、支えてやらなければ。

 …………無理しなくていいから。

 そんな浩之の一言が、晶の心を弾けさせた。
 晶の心はその刹那、壊れた。
 浩之の身体に埋もれる引きつった晶の笑顔を、光るものが伝い落ちた。
 それが涙だと判るのに、浩之ばかりか晶も時間が掛かってしまった。
 どうして泣いているのか。何故哀しいのか。

 どうして自分は、こんな辛い思いをしなければならないのか。

「う…………うぁ…………あ…………えぐっ…………ひっく…………わああああああああああああああああああんっ!」

 晶は声を張り上げて泣き出した。
 浩之は突然泣き出した晶に驚くコトもなく、むしろホッとしたような顔になった。
 これが朽葉晶を4年間も“壊していた”ものの正体なのだろう。
 家族を奪われ、身体の6割を奪われ、そしてそれを奪ったものと同じ、少女の目には醜いばかりの機械の身体に頼らざるを得ない現状に心を傷つけられ、そして今、多くの人々に災いをもたらしているものが、父が妹の声を利用して設計したシステムによるものと知った、朽葉晶という少女。
 もし全てが解決した時、晶には何が残るのか。奪われ続けた少女は何を頼ればいいのか。拠り所など無いのだ。家族もいない彼女には。
 ならばこそ、与えよう。
 愛すべきものを。奪われ続けた少女に、与えてやろう。
 それを識った今、晶は心の中に渦巻いていた“やり場の無い哀しみ”を浩之に吐き出したのだ。
 浩之は全てを受け止めてやろうと思った。それが晶のために自分が出来るコトならば。

 晶は20分ほど泣き続けた末、声が小さくなったと思っていたらいつのまにか眠り込んでいた。機動地雷の解析で徹夜していたという話だったので、安心から来た疲弊に眠ってしまったのだろう。浩之は静かに晶の身体から離れると、両腕で抱き抱えた。義肢を装着している身体は意外にも軽かった。生体素材を利用したコトによる軽量化が図れたお陰であった。
 すると、泣き声が止んだコトに気付いたらしく、晶の叔父である木之内が、のっそりと現れた。

「……気が抜けて寝ちまったようだな。隣が晶の部屋だから、ベッドに寝かせてくれないか」
「わかりました」

 頷いた浩之は、木之内に案内されて晶の部屋へやって来た。
 隣の機材室の様子から、何もない部屋だと思っていたが、晶の部屋は意外と少女趣味な作りをしていた。以前訪れたことのある幼なじみの神岸あかりの部屋に良く似ていた。恐らくは爆破によって、感受性が15歳ぐらいで止まったままなのだろう。長期の入院とリハビリ、そして復讐心が、思春期という大事な時期に影響を及ぼしているのだろう。もっとも、その所為で下手に年上ぶるコトが無いのだが。
 ともあれ、浩之は抱えている晶をベッドの上に寝かせ、木之内と共に部屋を出ていった。
 その後、浩之は木之内に居間に通された。

「三田に美味い紅茶をブレンドしてくれる紅茶専門店があってな。この間晶が買ってきたものだが」

 と木之内はクマのような大きな手で、小さく可愛らしいカップに注がれた琥珀色を浩之の手前のテーブルに置いた。コーヒーばかり飲んでいる浩之はあまりお茶に明るくなかったが、不思議にも直ぐに美味そうに感じた。匂いがそそるのだ。

「徹夜仕事が多くてな、しかしコーヒーでは胃が荒れるぱかりで保たないから、カフェインがより多い紅茶に最近二人して凝るようになってな。晶の体質もコーヒーよりお茶のほうが合うらしい」
「そうですか……」

 砂糖を入れなくても、鼻孔をくすぐる芳しい紅茶の匂いだけで納得していた浩之であったが、何処か心ここに在らずのような顔で生返事をした。
 木之内はそんな浩之の様子が何処か可笑しいらしく、くすっ、と笑い、

「…………藤田君。今回のコトではキミに色々と迷惑を掛けたね」
「――え?いや、え、そんな別に(汗)」
「謙遜するコトはない。――事実、晶はキミを必要としている。ワシでは晶に何もしてやれないからな」
「そんなコトはないでしょう?木之内さんは朽葉さんの叔父さんなんだし」

 すると木之内は首を横に振り、

「……あいつには家族のような存在が必要なんだ」
「え?でも……」
「ワシは、未だに独身で家族を持った経験もない、つまらん技術者にすぎんからな。晶の気持ちに肉親としてどう応えて良いのか正直、わからん」

 晶に対する木之内の述懐は戸惑いと後悔に溢れているようだった。恐らくは浩之と晶のやりとりを陰で見守っていたのだろう。そして、叔父ではなく、晶の人工義肢を調整する技術者として晶に接していた自分に気付いてしまったような、そんな重い言葉を吐く木之内に、浩之は複雑な思いがした。
 黙って自分を見ている浩之に気付いた木之内は、ふっ、と笑みをこぼした。

「……昔から一途な娘でな。ありゃあきっと前世は猫だったんだろう。集中すると周りが見えてこなくなる。子供の時はなかなか愉快なコトをしでかしたコトもあったが」
「愉快?」
「ま、そりゃ、迂闊に言っちゃあ晶に叱られそうだから、自分で訊いてくれ。――そういう娘なクセに賢しくて割かし器用なところがあったりするから、気が入ると他人の力を借りずに自分一人の力で片づけてしまう。しかし気が付けば周りには誰もいなくなってしまう。若葉の為に一気に大学まで進学するほどの神童ぶりが災いして、今じゃあ同年代の友達は全くいない。鋼警視もそこを理解して晶に高校へ通学するように言ったのだろう。大学より高校のほうが学生然して良いからな」
「そうなんですか……。あの刑事さんが朽葉さんにそう言ったのですか……」

 晶とは親子のように見える警察の偉い人が、晶に、浩之たちの高校へ通学するよう指示した話は、浩之には初耳だった。鋼が公私ともに晶の保護者となっているのであろう。警察のお偉いさんの割に、緊張感を必要としない、妙に人懐っこい雰囲気を持つあの壮年に、浩之は不思議と親近感を抱いた。何となくだが、働きづめの自分の父親にも似ているのだろう。

「それが確かに晶にとって有意義なコトだった。――晶に代わって礼を言う」

 そういって木之内は深々と浩之に頭を下げた。
 大の男、しかも文字通りの大男に頭を下げられて、浩之は戸惑い恥ずかしい気分だったが、それでいて木之内の誠意だけはちゃんと感じていた。どこが家族として不足していたというのだろう。晶の立派な家族ではないか、と思った。

「……朽葉さんは不幸じゃない。今だって充分幸せですよ」
「そう言ってくれると救われる」

 頭を上げた木之内は、ふぅ、と溜息を吐いた。

「……恐らく、晶はこれからもっと辛い事実に直面するかも知れない。そんな時も、藤田君、晶を支えてやってくれ」
「あ、はい……」

 頷く浩之だったが、今の言葉に何か引っかかるものを感じ取った。
 その刹那、浩之の頭の中で何か閃いた。――何かが繋がったような、そんな感覚だった。

「あのう…………ん?」

 木之内に訊こうとした時、浩之の注意は、物音の聞こえた晶の部屋に向いていた。


   *   *   *   *   *   *   *   *

 サージェンス・ソフトの取締役執務室に、一本の外線が繋がった。

「麻宮常務、お電話です」

 電話を受け取った秘書の東雲が、向かいの席で書類に目を通していた麻宮のほうを向いた。
 麻宮は、いつも以上に険しい顔をして書類を睨んでいた。東雲はその書類の子細は知らないが、業務用の書類ではないコトだけは知っていた。今朝、緊急で考査部より取り寄せた資料なのだが、機密書類の類らしく、届いた時にはビニルコーティングされた封筒の蓋がロウで封かんされていた。麻宮はそれを勢い良く破って、中から書類を取り出し、今までずうっと睨めっこ状態であった。

「済まんが、今、手が放せない」

 麻宮は書類を睨んだまま言った。

「用件だけ聞いて置いてくれ。追って電話する」
「わかりました」

 相手が誰であろうと、こんな状態の麻宮は融通の利かない男だというコトを、東雲は知っていた。仕方がないので、ノートパソコンで手掛けていた書類作成の業務を中断し、指示通り、代わりに電話に出るコトにした。

「……お待たせしました。……はい、今常務は接客中でして……はぁ、――若葉の声のサンプリングファイル?」
「――――!?」

 小声で話していたにもかかわらず、東雲の話に突然麻宮は反応し、東雲のほうを向いて瞠った。

「――だ、誰だ、電話の相手は?」
「は――失礼」

 呼ばれて、東雲は電話を中座し、

「……はい。朽葉晶さんからです」
「晶――――」

 麻宮はその名を口にすると、顔を蒼白させた。

「――ま、まて!出る出るっ!回したまえっ!」
「は、はい……」

 怒鳴りつけるように言う麻宮に、東雲は戸惑いながらも、言われたとおりに晶からの電話を麻宮の机の内線電話に回した。

「――晶ちゃんか」
『……お久しぶりです、麻宮おじさん』
「おう。……どうだ、身体の具合は?」
『義肢の調整は木之内の叔父さんに診てもらっていますから大丈夫です』
「……ふむ。成長期には接合型の義肢は辛いばかりだからなぁ。大きな調整が必要なら、遠慮なく言ってくれたまえ」

 あれだけ険しい顔をしていた麻宮だったが、義肢の話を言った時は、どこかもの哀しげな表情が過ぎった。

『……いえ。色々とお世話になっている麻宮おじさんにこれ以上ご迷惑は』
「気にするな。そもそもうちで開発した義肢の制御ソフトでは逆に、キミに面倒掛けたいるくらいだ。キミがいなければ、世間の義肢ユーザーは満足に歩くコトも出来なかったかも知れない。今でも感謝しているよ。……それよりも、若葉の、とは?」
『ええ。例の連続爆破事件をご存じですよね』

 一瞬、麻宮は顔を引きつらせた。

「……あ、ああ。昼前に警察から何人か来たよ。犯人はECOHSを悪用しているって話じゃないか」
『はい。……犯人はECOHSの音源機能の一部を利用しているコトまでは突き止めたのですが』
「?…………晶ちゃん、何だね、キミがこの事件を担当していたのか?」

 麻宮は酷く戸惑ったような顔をした。麻宮はその職務上、晶が特務刑事であるコトを知っている、警察関係以外の数少ない一人であったが、必要以上に驚いているようであった。

『……半ば成り行きで。……丁度いま、分析が終わったのですが、多分、夕方か明日ぐらいに正式に科捜隊からECOHSのソースに関する資料提供要求が来ると思います。それで先に連絡を、と思ったのですが、爆弾犯が爆弾の起動キーに、ECOHSの音源機能の一部に父さんが組み込んでいた、若葉の音声のサンプリングデータを利用しているコトが判ったんです』
「――――――」

 絶句する麻宮は、驚いているようで、それでいて何処か観念したような、そんな複雑な顔をしていた。

「…………そう、か。…………辛いか?」
『……いえ。今はそれどころではないので』

 晶の押し殺したような声に、麻宮は溜息をもらした。
 そして、ふっ、と口元に笑みをこぼし、

「…………キミは強くなったな」
『忙しい方が振り返らずに済むので気が楽なんです』
「そうか」
『いえ。……これ以上は、麻宮おじさんのお仕事の邪魔になるので、取り急ぎ先の件だけで』
「判った。有り難う」

 そう言って麻宮は電話を切った。そして椅子に座ったまま仰ぎ、ふぅ、と安堵とも困憊ともとれる溜息を吐いた。

「ご家族の方ですか?」

 不意に、東雲が訊いた。

「おいおい。俺が独身だってコトは知っているだろう?」
「あ、いえ――お声が似ていたもので」

 東雲は照れ笑いした。
 そんな秘書の様子が不思議に思った麻宮は、戸惑い気味に秘書を見て

「……俺の声と似ているかね?」
「いえ」

 そう言って東雲は再び仕事に戻った。
 何となく無視されたような気がしてちょっとシャクに障った麻宮だったが、何も言う気になれず、もう一度仰いで、ふぅ、と溜息を吐いた。
 天井を見上げるその顔は、困惑の色が拡がっていた。

                 つづく

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