ToHeart if.「鋼鉄の彼女。」第4話 投稿者:ARM(1475) 投稿日:6月9日(土)20時56分
【ご注意】この創作小説は『ToHeart』(Leaf製品)の世界及びキャラクターを使用した二次創作作品となっています、たぶん<ぉぃ。
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【承前】

 新宿東口に地獄が出現した翌日。
 あろう事か今度は、渋谷や上野、八王子と言った主立った都内の主要繁華街でも同様の爆破事件が発生していた。その被害や、新宿のそれを更に上回り――いや、各地での被害自体は各々新宿の事件と同等の数であり、トータルでの被害で上回っていた。それは、昨日の爆破事件で都内に緊急配備を行っていたハズの警察の警備体制の無力さを証明するコトを意味していた。

「――手のうちようが無いとは」

 警視庁の徳川警視総監は、新宿の事件で都内に緊急配備した警備体制がまったく無意味であったコトを知ると、言い知れぬ脱力感に見舞われ、革張りの総監席に沈んで溜息をもらした。キャリア組のトップを走り続けたその精悍な顔には、今では大夫シワが目立つようになったが、常に自身を律し続けた成果は消えてはいない。しかしかつてここまで、墨東をここまで落ち込ませたコトはなかった。

「……80年代後半に起きたB兵器事件や90年代の毒ガステロ事件に匹敵する被害とは……犯行声明すらないとは」
「一件だけ、便乗犯からの犯行声明がありましたが――引きこもりのガキの悪戯でした。まともな神経の主なら、便乗すら躊躇うでしょう」

 憮然とする警視総監の前に立っていた、小脇にフォルダーを抱えているスーツ姿の壮年が、不敵な笑みを浮かべてそう言った。

「小型爆弾による人的被害を想定したテロ――いや、思想犯の仕業とは言い切れませんから、今のところは只の殺人事件ですが」
「只、で済ますな、鋼(はがね)警視正――君の特捜隊ではどこまで掴めているのかね?」
「現在、科警研の林所長に分析を依頼しております。今日中に報告書を提出出来ると思いますが――」
「……何だね、その言い淀みは?」

 徳川警視総監が怪訝そうに訊くと、鋼は抱えていたフォルダーを総監席の机の上に開いて置いた。

「これは?」
「4年前、世田谷で起きた放火事件の報告書類一式です」
「4年前…………」

 徳川が目を細めて、背をゼムグリップで止められてまとめられていたその書類をパラパラと捲りながら覗き込むように見ていた。だがそのうち、あるコトに気付き、黙って見守っていた鋼の顔を見上げた。

「……この二枚目のヤツは最近書かれたヤツだな」
「ゼロが作成したモノです」
「ゼロ――」

 その名に心当たりがあるらしく、徳川は急に顔を強張らせたが、そのうち、ああ、と頷いてみせた。

「……あの娘か――あ」
「そうです」

 鋼は頷いた。

「――被害者の家族の父親は朽葉健吾氏です」
「……そう、か」

 全てを理解した徳川は、書類を束ねているゼムグリップを外し、その一番最近に作成された2枚目の報告書を引き抜いた。
 その報告書を読んでいた徳川の顔が見る見るうちに険しくなる。

「…………これは!――そんな?」
「今回の一連の爆破事件の状況を鑑みて、現段階ではあくまでも仮定であり、ゼロが回収した遺留品の分析を行っている林の結果を待つ必要がありますが――彼女の4年前の証言は正しかったのです」


 都内で二日連続の爆破事件が発生したコトで、浩之たちの学校はその翌日から異例の3日間に渡る休校となった。都内の殆どの各企業もこの非常事態に臨時休業を決定し、外出規制は無かったものの、爆破に巻き込まれるコトを避けて自宅に引きこもっている人々以外は、閑散となった都内は捜索を続ける警察隊だけが動き回るばかりで、ある意味、戒厳令を敷かれた状態になっていた。
 浩之はこの3日間、異例の休校に喜ぶ反面、複雑な気持ちを抱えたままでいる自分に戸惑っていた。
 暫く、朽葉さんに会えない、と。
 訊きたいコトがあった。しかしその殆どは、晶のその身を思うと安易に訊けないコトばかりである。
 それでも浩之は、訊きたかった。――いや、顔を見るだけでも。

「…………まっさかなぁ。…………これって……この気持ちって…………」

 自室のベットでゴロゴロしていた浩之は、自分でもどうしたらいいのか判らない想いに当惑していた。
 そんな時、下の階から電話の呼び出しベルが鳴った。

「……ちっ。何だよ、親父たちかな?」

 浩之の家は、この非常事態にもかかわらず浩之が留守番していた。昨夜あった電話では、浩之の両親は、他に洩れず休業となったのにも関わらず、仕事の締切が迫っていた為、納期を厳守する為に自宅に戻らず、職場の近くに借りているワンルームマンションで仕事を続けていたのであった。
 渋々玄関までやって来た浩之は、鳴りやまない受話器を忌々しそうに引き上げた。

『……恐れ入ります、藤田さんのお宅でしょうか?』
「……何だよ、志保かよ」
『――何だとは何よ?』

 電話の主は長岡志保であった。うざったそうな対応をする浩之に、志保は電話の向こうで膨れていた。

『折角あんたが暇そうだと思ったから電話してやったんじないの』
「しなくていい、しなくていい」
『……あ、浩之ちゃん』
「……なんだよ、志保、あかりン家に居るのか?……にしては騒がしいな」

 電話の主があかりに替わった時、浩之はその向こうから聞こえる車の音に気付いていた。

『うん、いま駅前にいるの』
「……おいおい、今、外は物騒なんだぜ」
『んー、わたしもそう思ったんだけど、志保が――――何、臆病風吹かせてんのよ!』
「いきなり替わるなよ。俺ぁ爆弾で死にたくないからな。死ぬならあかり庇って死んでくれ」
『…………ヒロ、あんた地獄堕ちるわよ』

 呆れ気味に言う志保に、浩之は声を忍ばせて笑ってみせた。

「……ていうか、何考えてんだよ、おめー?外はマジで危険だぜ?」
『大丈夫だって。確かに爆弾しかける犯人は居るだろうけど、一度仕掛けたところにのこのことあらわれる、フツー?』
「…………ん」

 悔しいが、志保の考えに一理ありと思う浩之だった。

「だいたい、何で駅前なんかに……」
『買い物よ、買い物――予約していた新型のPDAを受け取りに来たのよ』
「新型ぁ?また買い換えたんかお前」
『流行の最先端をチェキするのがこの志保ちゃんの宿命だからねー』

 何が宿命なんだか、と心の中で吐き捨てる浩之であった。

「チェキだかチョコエッグだか勝手だが、あかりまで巻き込むなよ」
『あっらぁ?可愛い幼なじみを心配してんのぉ?』
「人として当然の心配だ。少なくともあかりはお前と違って地獄にはぜってー堕ちない」
『……悔しいけど反論できない――っていうかっヒロ!』

 浩之は、電話の向こうで、挑発されて顔を真っ赤にしている志保を想像して、にやり、と笑った。

「まぁ、そんなことより、買い物だっけ?もう済んだんだろ?」
『え?あ、うん』
「じゃぁ、とっとと家帰れよ。うろうろしているとボンバーマンでもやって来て、オメー吹っ飛ばされるぜ」
『そ、それが、さぁ……』

 急に志保の声がおどおどし始めた。

「……何だよ?何か問題でもあるのか?」
『うーん、実は電車が止まっちゃってね』
「……?」
『いや、さぁ、何処かの誰かが小田急線に爆弾仕掛けた、なんて言ってきたのがいてさぁ、その所為で電車が止まってうち帰れなくなって』
「……隣町だろうがおめーは。歩いて帰れ。健康のためだ」
『それもダメ』
「何故?」
『爆弾が本当に見つかっちゃって』
「…………」
『やーねぇ、不発弾よ不発弾。丁度、レールの近くにあった工事現場で戦時中の爆弾が見付かっちゃったらしいのよ。その所為で近くの道路が封鎖されて、夕方まで通行止めになっちゃって』
「じゃあ、駅前の喫茶店で時間潰せば?」
『ダメ。全部休業』
「…………それでよくPDA受け取れたな?」
『あー、あんた知らないんだぁ〜〜。今の駅構内のキヨスクはコンビニばりの便利なサービスを誇ってんのよぉ』
「……爆弾騒動の中でよくキヨスクやってるな」
『正確に言うと、JRの緑の窓口で受け取ったの。電車は動いているからね。ネット通販で買ったものを即日、緑の窓口で受け取り出来るサービスがあるのよ。本当は昨日来ていたらしいんだけど、この騒動で今朝連絡もらってね。だからあかりにも付いてきてもらったの』

 身勝手な友達を持つと苦労するなぁ、あかり、と浩之は心の中で嘆息した。

「……で?」
『…………あかりン家まで、送ってくれない?』

 急に志保は猫なで声でお願いしてきた。大方、一人が怖くてあかりを呼んだのだろうが、あかりの性格から考えれば却って逆効果だったのであろう。二人してビビってしまったようである。浩之はそう推論した。

『…………ごめん、浩之ちゃん』

 いつの間にか電話があかりに替わっていた。無論、断りきれるような浩之ではなく、はぁ、と呆れ気味の嘆息をもって了承した。

 数分後、浩之は駅構内の入り口でのんびりとおしゃべりしていたあかりと志保を見つけると、警戒しながらここまでやって来たその心配をどうしてくれるか、と文句を言いそうになったが、それを我慢して、やれやれと肩を竦めて見せた。

「意外と人、歩いているんだなぁ。それでも、街ン中、お巡りさんばっかりだったけど。途中、職質食らったぜ」
「やっぱり?あたしたちもさぁ、ここで待っているから不審がられて色々訊かれたわ」
「…………なぁ、志保」
「?」
「…………お巡りさんに送ってもらえるよう、お願いはしなかったのか?」
「………………?」

 志保、暫し呆けて、やがて、手をポン、と叩き、

「「ああっ!?」」

 指摘されて、あかりまでもがそのコトに気付かなかったらしく、二人して間抜けな顔で驚いてみせた。浩之はそれを見ると激しい脱力感に見舞われた。
 そんな時だった。

「…………あれ?浩之さん?」

 不意に、向かいのロータリーの先から聞こえた、聞き覚えのある呼び声を耳にして、浩之ばかりか志保たちもそちらのほうをみた。

「あれ、マルチじゃないか?」
「マルチちゃん、どうしたの、こんな所で?」
「はい、お使いです」

 浩之たちの姿に気付いてトコトコと駆け寄ってきたマルチは、にぱっ、と笑って応えた。

「マルチも買い物?」
「いえ、朽葉さんから長瀬主任に頼まれていたモノをお届けに行く途中なのですが、バスが途中で止まっちゃいまして……」
「あら?でも、電車も当分動かないらしいわよ。不発弾処理で」
「え?電車もなんですか?あぅぅ〜〜、どうしましょう〜〜これ渡せなかったら大変ですぅぅ〜〜あぅぅぅ」
「やー、困ってる困ってる♪」
「志保、人の不幸を喜んでいる場合じゃないだろう――それより、マルチ」
「はい?何ですか浩之さん?」

 すると浩之は少し戸惑いげに、そしてやや頬を赤らめて訊いた。

「……朽葉さんの頼まれモノ、っていってたな?」
「はい。朽葉さんのじ――あうう、済みませ〜〜ん、企業秘密ですぅ」
「企業秘密って、あんた……」

 志保は、呆れ気味に、マルチが小脇に抱えている大きめの包みを見つめていった。

「何?ビデオか何か?」
「ごめんなさ〜〜い、企業秘密ですぅ〜〜」
「企業秘密、ってお前、相手はあの朽葉さんだろ?」
「はい」
「なんであのヒトが企業秘密……って、あ、まさかそれ、義手か何かのパーツか?」

 浩之が不思議そうな顔で、その包みを指して訊く。するとマルチは、少し困ったふうに黙るが、躊躇いがちに、はい、と頷いた。
 その不自然な反応に浩之は当惑するが、マルチが嘘を吐けるハズが無いので、そういう類のモノが、その頼まれ物の中に入っているのか、と納得した。

「んー、案外、今お騒がせしている爆弾だったりして?」
「志保、それシャレになってないよぉ」

 あかりは志保をたしなめた。流石に言って良いコトと悪いコトはある。
 志保もやはりというか、あかりに叱られるのは苦手らしく、ゴメン、と苦笑まじりに謝った。

「あのヒトはおめーとは違うよ」
「……あによぉ、変に肩持つじゃない?」
「朽葉さんはおめーとは比べモノにならないくらい、苦労してきたヒトだからな。もういっぺん、そんなコトゆったら只じゃすまさねぇぞ」

 そういって浩之は志保を睨んだ。
 志保はそんな浩之に戸惑いを覚えた。

「……なんだかなぁ。ヒロ、あんた――――」

 志保は一瞬、横目であかりを見て、直ぐに浩之のほうに戻すと肩を竦めた。

「ところで、マルチ」
「はい?」
「どこで、朽葉さんと落ち合うつもりだったんだ?」
「場所ですか?駅の前です!でも、わたし電車って使ったコトがほとんど無いのであまり詳しくは知らないのですが――そうです、JRの町田駅です!――――あれ?浩之さん、あかりさん、志保さん、どうしたんですか、そんな疲れたような顔をして?」
「…………マルチ。ここ、どこだ?」
「ここですか?何処かの駅の前ですよね?」
「……マルチ。後ろ、後ろ」

 志保が困憊した顔でマルチの後ろのほうを指した。
 マルチはつられて振り返ると、そこに燦然と輝く(実際には輝いてもいないのだが)「JR町田駅」の文字が、壁面の看板に描かれていた。

「はぅっっっ(汗)」
「……疲れる子」
「……マルチ。お前、ちゃんと調べてこなかったのか?」
「あ、はい」

 頷くマルチは、自分の耳カバーを指して見せた。

「この新型耳カバーには、PHSが内蔵されているんです。それを利用したGPS機能を使って、テストも兼ねてやって来ました」
「へぇ。――あ、じゃあ、さぁ」

 それを聞いた志保が、面白がって懐から携帯電話を取り出した。

「じゃあ、もしかして携帯からあんたの耳カバーへ電話なんか出来るの?」
「はい、可能です。外出先からメイドロボットへ指示を出せるオールレンジ・アクセスシステムの実験で搭載していますから、わたしとの会話も可能です」
「おっもしろ〜〜♪じゃあ、じゃあ、さ、やって――あれ?」

 そう言ってはしゃぎだした時、突然志保の携帯の着メロが鳴り出した。

「何?着メロ」
「つーかおめーの着メロはチャルメラかい(笑)」
「違うわよ!これは――さっき買ったばかりのPDA弄ってそのままにしていたのよ!――あ、メール」

 志保は、取り出した、買ったばかりのPDAの液晶画面に表示されたメールのアイコンに気付いた。

「何かしら…………発信者名、C?――まさか?」

 急に志保の顔色が変わる。志保は嬉々とした顔でPDAのジョグダイヤルを回し始めた。

「何だよ、どう……」
「珍しい所で逢うわね」

 志保の様子を気にしていた浩之だったが、不意に、横から聞き覚えのある声を耳にして驚き、声のするほうへ振り向いた。

「朽葉さん!」

 そこには、ラフな格好をする晶が立っていた。大きめのトートバックを右肩からかけている、ダブダブ気味の、男物のオレンジの繋ぎを着た晶は、不断見ている制服姿のそれとは全く異なった印象を浩之に与えた。

「こんにちわ。えーと……」

 晶はあかりと志保のほうを見て、心当たりがなさそうに戸惑う。

「あ、後ろの二人は神岸あかりと長岡志保。あかりは俺の幼なじみで、志保はあかりの親友なんだ」
「ふぅん。てっきり彼女二人侍(はべ)らせてハーレムデートかと思った」
「ちょっと待ってよ……」

 ニヤリ、と意地悪そうに笑う晶に、浩之は戸惑う。

「判ってるわよ。マルチからも、神岸さんと長岡さんのコトは聞かされているわ。顔を知らなかっただけ。あ、紹介が遅れたわね。あたし、朽葉晶。宜しく、先輩たち」
「先輩、って……」
「ああ、朽葉さん、中学生の時の事故で4年入院しててね、俺たちより年上だけど、入学は遅れて今年一年なんだ」
「そうなんだ……」

 あかりは晶の出で立ちを不思議そうに目で見回しながら頷いた。

「何か、戦闘機のパイロットみたいですね」
「ん?あ、ああ、これ?」

 あかりに言われ、晶は着ている繋ぎの胸元を指先で摘み、

「今付けている義肢が結構大きいからね」
「義肢……あ」

 そこでようやくあかりは、浩之から聞かされていた、朽葉晶という女性の境遇を思い出し、顔を曇らせた。

「……ごめんなさい。変なコト言っちゃって」
「あ、いいって、いいって。これ、結構気に入っているから」

 晶はあかりが自分を気遣ってくれていることに気付き、苦笑しながら宥めた。

「長いコト、パジャマ姿でいたから、こう言った系統の服のほうが落ち着くようになっちゃってね。洒落っ気ってものが足りなくって――ねえねえ神岸さん、そのサロペット(註:サロペットスカート。オーバーオールのパンツ部がスカートになっているもの)、どこで売ってたの?」
「え?あ、これですか?そこのルミネで見掛けて。オーバーオールっぽかったんで、気に入っちゃって」
「へぇ。可愛い〜〜あたしも今度探してみようかなぁ」

 晶はあかりの服装を見て、笑みを浮かべて感心する。晶に見られているあかりは、何処か照れくさそうに顔を赤らめた。
 浩之はそんな二人を見ていると、仲の良い姉妹という構図を思い浮かべた。あかりも自分同様、お姉さん的存在はくすぐったいのだろう。

「あのぅ、朽葉さん」

 そんな時、マルチがようやく晶を呼んだ。

「あ、マルチ、ご免ぇん(汗)長瀬さんに調整お願いしていたプラズマソリッドはそれ?」
「はい、どうぞ」

 そう言ってマルチは包みを晶に手渡した。晶は右手でそれを受け取ると、肩に掛けていたトートバッグを地面に降ろしてその中に入れた。

「……何かそのバッグ、今、ズシン、って音がしたんだけど」

 浩之は、晶が降ろしたトートバッグが、見かけより重いコトに気付いた。

「やーねー、女のコの持ち物を気にするのは野暮よ野暮」

 晶は苦笑いして言った。

「――へっへー♪ヒッロー」

 そんな時、PDAを操作していた志保がご機嫌そうに浩之たちを呼んだ。

「……なんだよ、珍しく大人しいと思ったらそれ操作していたのか?」
「いやぁ、あたしも思わず黙っちゃったわ。だって、さっき受信したの、幸運のメールなんだモン!」
「幸運のメール?」
「何よヒロ、あんた知らないワケ?遅っくれてるぅ」
「遅れてて悪かったな。大体なんだよ、その不幸のメールって」
「違わぃ!幸運のメール!これを受信した人は幸運が訪れるって大評判なのよ!」
「お前の中的大絶賛ってヤツか(笑)」
「へーんだ。信じないヤツは不幸になればいいのよ。――あとは、送信すれば完了っと」
「送信?」
「そ。これ、自動的にランダムに送信されるの。だからチェーンメールとは違うし、そもそもこれって、このPDAのモバイルOSに採用されている『ECOHS』が作ったオフィシャルソリッドだから心配ないし」
「ECOHS――――!?」

 そう呟いたのは、浩之の隣にいた晶であった。気付いた浩之が横目で晶を見ると、晶の顔は酷く強張り、口元を引きつらせていた。

(……何を驚いているんだ?)

 浩之は晶が動揺する理由をこの時はまだ知らなかった。


 町田にバラまかれていたモノは、3体あった。
 そのうち2体は、一つの箱にまとめて入れられ、数日前の小田急町田駅前交番を爆破させた事件で「作動」していたが、残る1体は独立作動の検証データを得る為、剥き出しの状態でJR町田駅正面のパチンコ屋の裏に置かれていた。
 都心のほうでは「ソリッド」が著しく流通していた為に、効率よく「それ」は「作動」していたが、町田では結局、交番で「作動」した後は、「ソリッド」が近辺に届かず、残りのそれは予め組まれていた稼働プログラムに基づき、人気の少ない路地やビルの上を移動していた。
 そして遂に、再びこの地に「ソリッド」が出現したのである。
 「それ」は、その為だけに存在理由がある。躊躇う理由も、躊躇う意志さえもない。
 跳んだ。


「?何の音でしょうか?」

 突然、マルチが周囲をキョロキョロ見回し始めた。

「音?」
「はい。何か上から落ちてきたような――――あれ?」

 戸惑うマルチは、耳センサーを展開して聴音機能を増幅させた。

「……今度は、何か這う音が」
「這う?」

 流石にそれを聞いた浩之は戸惑った。

「――あ」
「今度はどうした?」
「……メールを受信しちゃいました」
「おいおい…………」

 思わず気が抜ける浩之。

「志保、まさかおめーのメールか?」
「メール?つい今し方送信はしたけど……マルチ、あんたも幸運のメール受信したの?」
「幸運……送信者名はCになってますが……」
「へぇ。あんたもECOHSで動いているワケ」
「いえ、ECOHSの通信プロトコルを持っていますからメールの受信は出来るだけです…………変なメールデータですね」
「変?」
「テキストの中にバイナリアーカイブが隠されています。何かのプログラムみたいですが――――志保さん!」

 突然、マルチが悲鳴を上げた。
 呼ばれた志保は、ビクッ、と驚く。

「な、なに?」
「へ、ヘビです!避けてっ!」

 マルチは無我夢中で志保を突き飛ばした。
 突然のコトに驚く志保だったが、マルチの非力な力にそれなりに突き飛ばされてしまう。しかし転び掛けたところを運良く、咄嗟に反応した浩之に抱き留められた。

「マルチ――――!?」

 浩之はマルチを見て驚いた。
 なんと、マルチの右腕に、銀色のヘビが取り付いていたのである。

「な、何だそりゃ!?マルチ、引き剥がせっ!」
「だ、ダメですぅ〜〜、凄い力で張り付いていますぅ〜〜あぅぅぅぅ(泣)」

 奇怪なヘビを外せず半べそを掻くマルチに、浩之は血相を変えてマルチの許に駆け寄ろうとした。
 その時だった。
 浩之の顔の横を、鈍い鉛色がすり抜けた。

「マルチに近寄らないで」

 晶は低い迫力のある声で浩之を制した。それまで、突然のコトに動揺していた浩之だっだが、今まで晶の口から聞いたコトも無い迫力のある声を耳にして、思わず立ちすくんでしまった。
 そして何より、晶が右手で握り締めているモノを見て、慄然となってしまった。
 巨大な拳銃であった。浩之はモデルガンの6インチコルトパイソンを持っていたが、それを遥かに上回るボリュームを誇っていた。
 形状もユニークでバレルの上にウェートを兼ねたサイトスコープが一体化し、バレルの下にも小型のランチャーが付いている。バレルとウェートが上下逆転している銃はイタリアの銃器メーカー、マテバの、357マグナムの発射の反動を物理的に最小に押さえる為に設計されたモデル2006Mが有名だが、こちらはリボルバーではない分、これは遠目で見ればグレネードランチャーを小型化させたようなデザインである。
 ともあれ、その大きさばかりでなくあらゆる意味で、とても女性が片手で持てるシロモノではない。
 それを晶は悠然と右手で持って構えていた。

「――――」

 その時、晶はマルチに向かって何か言っていたようだったが、この異様な光景を前にして混乱する浩之は、それが聞こえていなかった。
 閃光。
 炸裂音。
 そして、マルチの右肩が粉砕される音。
 銀色のヘビが絡み付くマルチの右腕がだらしなく宙を舞う光景を前にして、浩之は声を無くしていた。

                 つづく

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