ToHeart if.「鋼鉄の彼女。」第3話 投稿者:ARM(1475) 投稿日:6月2日(土)21時04分
【ご注意】この創作小説は『ToHeart』(Leaf製品)の世界及びキャラクターを使用した二次創作作品となっています、たぶん<ぉぃ。
【更にご注意!】今回は終盤にて創作同人活動時に散々言われた「皆殺しのARM」を遺憾なく発揮しております<ぉ。極力表現をボカしてますが、スプラッターが死ぬほど嫌いな人は終盤の閲覧にはくれぐれもご注意ないしご遠慮下さいませ。
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【承前】

 翌日の昼休み。
 校舎の外は、梅雨空の前日とはうって変わり、久しぶりの晴天に恵まれ、生徒たちは校庭に拡がり、湿気っていた身体を気持ちよさそうに干していた。
 浩之は、図書館へ足を向けていた。
 多分会えるも知れない、と。
 図書館だけは相変わらず、しんとした空気に包まれていた。入り口傍のテーブルで数名の女子生徒が小声で楽しそうに会話しているくらいで、他に人影は見えなかった。
 浩之は目的地である、図書室の一番奥まったところにある、電源コンセントに近いテーブルを目指した。
 しかし昨日の晶の様子から、身体的な問題で今日は来ていないかも知れないとも思っていた。
 そんなに会いたければどうして彼女の教室に行かなかったのか。
 怖かったのかも知れない。
 マルチを苛めていた少女という話。
 マルチを可愛がっていたあの姿とのギャップを埋める時、浩之は思いもしない言葉を彼女に浴びせてしまうかもしれない、そんな恐怖に。
 晶は、今日もマルチと一緒に充電していた。今日は晶の方が先に充電が終わっていたらしく、充電中(ねむ)っているマルチの横で、バインダーに挟んだ書類らしきモノに目を通していた。それを見た浩之は、少しホッとした。

「――あの、朽葉、さん」

 浩之が呼びかけると、晶は一瞬、ビクッ、と肩を震わせた。そして慌ててバインダーを閉じると、浩之のいる背後へ振り向いた。

「――あ、ふ、藤田クン!」
「悪ぃ。驚かせちまったか」
「う、うん――あまりここには人来ないから」
「ご免……」
「良いのよ、別に――で、どうしたの、今日は?」

 マルチを苛めていた、って本当なのか?

「……いや、何となく」
「?」
「………………」

 浩之は何も訊けなかった。
 そんな黙り込む浩之を、晶は当惑げに見つめた。やがて、そんな浩之の昏い顔に何かを感じ取ったのか、晶は、ふむ、と唸った。

「藤田クン。そこ、座って」
「……え?」
「お姉さんの命令です。――座りなさい」

 そう言って晶は、義手の右人差し指の先を、ちょいちょい、と上下に動かして見せた。戸惑う浩之だったが不承不承、近くのソファに腰を下ろした。

「それでよし――」

 晶は居住まいを正し、

「――で、何か心配事でも?」
「――――!」
「図星ね。――マルチのコト?」

 何から何まで、晶は浩之の心を見透かしていた。しかし肝心なところはどうやら気付いていないようである。

「あ、いや――その――」
「ふぅん」

 晶は意地悪そうに笑った。

「――知ってるわよ」
「え――――!?」
「マルチちゃんのコト、心配なんでしょ?」

 そう言って晶は微笑んだ。その笑みに、その言葉とは正反対の想いなど全く伺えない。

「マルチちゃんから聞いてるわ。試験運用中お世話になった、優しい先輩が居るって」
「あ……その…………」

 少し顔を赤くして狼狽える浩之を見て、晶はまた笑う。今度はどこか意地悪そうだった。学年では下級生の晶だが、実年齢では浩之のほうが2歳下である。
 その時浩之は、こんな晶を見て、雅史の姉、千絵美を思い出していた。雅史を溺愛する姉で、浩之にも実の弟のように甲斐甲斐しく接していたが、中学に入った辺り頃から疎遠になっていた。
 考えてみれば一人っ子の浩之には、こんな姉のような存在は彼女だけしか居ない。浩之の身近で年上の女性では、三年の来栖川芹香が居。だが彼女の場合は、大人しすぎて、一緒に何かするにしても浩之のほうがリードしていた為に、姉という印象は殆ど抱いていなかった。
 浩之は「姉」という存在は苦手であった。一人っ子である為と、幼なじみのあかりや雅史と行動する時は常に自分がリーダーシップを取っていた為に、ポジション的なプレッシャーを与える存在には慣れていなかった。だからといって、藤田浩之という少年が我が侭な人間というワケではない。
 それはつまり、浩之自身、甘えられる“他人(そんざい)”を持ったコトがない、というコトに他ならない。あかりやマルチのように、他人から頼られたり甘えられるコトはあっても、自分が抱えている問題をそのまま押しつけられる他人が居ないのは、両親が共働きという家庭環境ばかりでなく、浩之自身の、生来持っているリーダーシップとオールマイティーさが災いしていると言えるだろう。もっとも後者の場合は、その家庭環境から多少、後天性のモノとも言えなくもない。
 そんな彼が初めて遭遇した、“他人(としうえのひと)”。浩之はいつもの調子を狂わされつつあった。
 にもかかわらず、それを不快に感じていない。それどころか――

「……マルチは、知っての通り無防備な娘だから」

 晶は、まだ充電中のマルチの頭を左手で撫でながら言う。

「……生真面目で、純真で――機械仕掛けの身体なのに心はピュアな女のコなのよね。だから、ついつい守ってやりたくなる藤田クンの気持ち、判るわ」
「…………」

 浩之は顔には出さなかったが、当惑していた。志保の話は本当はガセではなかったのか、と。
 あるいは、何か誤解があったのでは、と。周囲には晶がマルチに冷たく当たっていたように見えたのは、もっと別の、誤解されるような事情があったのではないのかと。――そう思った瞬間、浩之の中に衝動が奔った。

「あの――」
「あたしには妹が居たの」
「――――」

 晶が浩之の気持ちを見透かして制したわけではなく、先に切り出したのは偶然だった。

「……例の事故で死んじゃったんだけど。父さんと母さんと一緒に」
「…………」

 浩之は、喉まで出かかっていた衝動が、次第に霧散していくのが判った。

「……じゃ、じゃあ、」
「…………今は、叔父さんの所に厄介になっているんだけどね。……ちょっと心にキていた時期もあったけど、もう慣れたわ。――忘れたワケではないんだけどね」
「…………」
「似ているの」

 晶は左指でマルチの前髪を梳き、

「……マルチが。妹に。生真面目なところが本当、そっくり」

 晶の口調はどこか寂しげであった。本当に似ているのだろう。きっと、とても仲の良かった姉妹だったのかも知れない。
 そう思ったとき、浩之は、晶がマルチを苛めていたという話の真相に触れたような気がした。
 マルチが、死んだ妹に似ているから、それを思い出させるから――そんな理由からなのかもしれない。
 だが、それだけではあまりにも理由付けが弱すぎた。もっと他に、マルチが妹に似ているコトに関連した理由があるのではないか、と浩之は思ったのだ。だが、今の浩之にはそれを導き出せるだけの背景が不足していた。そして何より、ズケズケと、晶の“過去”に入り込むだけの気力も、そして無神経さを浩之は持ち合わせていなかった。

「…………そう、なんだ」

 それが精一杯だった。
 晶は頷いて見せた。

「……まぁ、マルチみたいなドジっ娘じゃなくって良く出来た娘だったけどね。……あたし、子供の頃は人見知りが激しくてね。若葉が――あ、妹の名前なんだけど、若葉が近くにいてくれるだけで安心出来たの」

 言われても浩之は、今の晶の姿から、人見知りの激しい時期などとてもではないが想像が付かなかった。浩之にとって晶は意地悪で、親しみのある姉、いや先輩なのであった。
 それが事実なら、今の晶があるのは、その若葉という妹のお陰なのかも知れない。今の晶は、そんな亡き妹の姿を、一生懸命なマルチから見出しているのだ。浩之はそれが少し嬉しかった。

「……マルチみたいなのがもっと俺たちの周りにいれば、俺たちはもっと幸せになれるかも知れないな…………?」

 そう言ってから、浩之は、ふと、あるコトに気付いた。
 マルチを見る晶の顔が、少し強張っているコトに。
 ぞっ、とした。その目こそ、今まで接していたモノとは異なる、そして浩之を戸惑わせていた――憎悪の眼差し。

「朽葉さん――」
「……あ、何?」

 晶は浩之のほうを向いて微笑んだ。既にその顔には憎悪の欠片さえない。

「…………そ、その…………あの…………」
「何、しどろもどろになっているの?」

 晶は、にっ、と浩之の調子を狂わす意地悪そうな笑みを浮かべた。

「マルチのコトは心配しないで良いよ。あたしがちゃんと面倒見ているし、クラスのみんなもマルチに好意的だしね」
「……そ、そう?」

 頷いたが、決して浩之はそのコトに納得したワケではなかった。
 浩之の中でみるみると沸き上がる、この朽葉晶という少女の過去(かこ)への興味――そこに、真実があるのだ。決して触れてはならない、そこに。

 昼休みの終鈴がなる少し前に、ようやくマルチは目覚めた。
 結局、浩之は晶に訊けず終いだった。


 晴天に恵まれた新宿。
 スタジオアルタの線路寄り側の路地は、JR新宿駅から日本有数の遊興街、歌舞伎町へ向かう人通りの激しい歩道として知られている。また、一部の者達には、タイルが敷き詰められたその路地は、多くのスカウトマンが集まっているコトでも有名でもある。但し、芸能関係ではなく、風俗関係のほうである。AV女優のスカウトも居るが、それ以上に、歌舞伎町の水商売関連のスカウトが多い。
 しかも、偶々新宿に遊びに来た素人の女性に声をかけるより、既に歌舞伎町で働いている現役ホステスを狙って声をかけてくるケースが多いのである。確かにその路地は、歌舞伎町で働く者達にとって新宿駅からの近道なので、石を投げたら風俗関係者に当たってもおかしくはないのだか、しかしそれは偶然、プロに声をかけてしまうのではない。意図的にそれを承知して、つまり「引き抜き目的」で行ってるのである。
 従って、その路地でスカウトする風景を見掛けると、ある意味“キツネとタヌキの化かし合い”的なやりとりが見られる。その路地で男女とも外連味あるナンパ風景を見掛けた場合は十中八九、プロ相手のスカウトであると見ていいだろう。
 今日も、久しぶりの晴れ間の下、出勤途中のホステス相手に、スーツ姿のスカウトマンが声をかけていた。

「――うちは6でやってるよ」
「えー、でもそれってあちらもアリってコトでしょう?」
「大丈夫だって、そっちのノルマは無いし――あれ」

 と、スカウトマンが指したのは、スカウトしているホステスのバッグであった。

「あ、ケイタイ」

 ホステスは慌ててバッグの中から、鳴り響いている携帯電話を、手入れの行き届いた白くきめ細やかな肌をした細い指で摘むように取り出した。

「へぇ、新型じゃん。俺も同じの持ってるぜ」

 スカウトマンは仕事っ気抜きで言ったのだが、ホステスは無視して携帯電話のジョグダイヤルを回し始めた。

「えーと、あ、メール…………何これ」
「何?分かんないの?」
「メールは判るわよ。……やだ、変なメール。件名無いし」
「件名無し?もしかして、発信者名がCになっているとか」
「え?――あ、ホント、Cだ」
「うわ、ツイてる」

 そう言ってスカウトマンは、自分の懐からホステスと同機種の携帯電話を取り出した。

「最新型のPDA、ほら、ECOHS搭載の多機能携帯電話しか送受信できない特別なメールがあるんだよ。知らない?幸運のメールって」
「幸運のメール?」
「ユーザー間でランダムに自動的に送受信されているメールさ。そいつが届いたヤツには幸運が訪れるっていう話」
「ふぅん。でもそれって女子高生の間で流行っている話じゃないの?」
「そんなコト無いさ。ほら、俺がいい話持って来ているのが良い証拠」

 ホステスは呆れ気味に苦笑した。


 “それ”は、路地の脇にあるラーメン屋の空き箱に紛れていた。
 そこにいたコトは、“それ”の意志ではない。
 そして、“それ”がこの世に生を受けたコトも――いや、“それ”は命など持っていない。
 “それ”に許された存在理由は一つしかなかった。即ち――


「……ウイルスメールとかじゃないわよね?」
「大丈夫だって。俺のダチが送信しても何ともなかったっていうしさ、大体そのメールだって、ECOHSを開発した『エコーズ社』が、キャンペーン用に開発したヤツだっていうし。まぁメアドぐらいは一緒に送信されちまうんだろう。最終的にエコーズ社に戻ったら、送受信を続けてくれたユーザーに特典付けてくれる、って週刊誌でゆってたぜ」
「へぇ。でもなんか、やーな予感すンのよねぇ」
「ンなの気にしていたら何にも出来ないって。ホラホラ、送信送信」
「うーん。…………ま、いっか」


 “それ”は、それを待っていた。いや、決して待ちわびているわけではない。
 待っているしかないのだ。意志も記憶も自我も持たされていない“それ”は、そのデータを近くで送信がされるまで、雨ざらしになっても“それ”は待っているしかないのだ。
 そしてその瞬間こそが、“それ”の生涯に於いて唯一、許された「行動」なのである。
 この世には“それ”と同じ存在理由を持つモノがもう一つ存在するが、もう一つのモノは“それ”とは異なり、身じろぎ一つするコトはない。その意味では“それ”はもう一つのモノより優位な存在なのかも知れない。
 しかし、“それ”も、もうひとつのモノも、決して受け入れられるコトは無いだろう。
 何故ならそれは、あまりにも――

 その瞬間が遂に訪れた。
 そして“それ”は、一つではなかった。ビルの階段の角やゴミ箱、そして下水の中にも――

「……なんかダマされたような気もするんだけど」

 ホステスは戸惑いげに自分のPDAの液晶画面を見つめた。

「大体、見知らぬ相手にメール送るのって――」

 と、またスカウトマンのほうを見たその時であった。

「――――」
「何?」

 きょとんとするスカウトマンは、瞠って口をぱくぱくとさせるホステスを見て不思議がった。

「……へ?後ろ?後ろって――――――」

 スカウトマンは、ホステスが自分の背後を指しているコトに気付き、怪訝そうに振り向いた――――刹那、スカウトマンは足元に居た奇怪な物体に飛び付かれた。

「――――!?――――!!」

 スカウトマンが仰天の声を出せなかったのは、その奇妙な物体――1メートルもある細長い、鈍い銀色に覆われた、まるで金属製のヘビのような形をしていたそれが、スカウトマンの腹部から頭部をぐるりと覆い尽くし、その口を塞いでしまったからである。スカウトマンは必死になって藻掻きそれを外そうとするが、銀色のヘビの締め付ける力がスカウトマンの男の腕力を上回り、ぎりぎり、と軋む音を立てながらそれを封じていた。

「「「「きゃ――――あああっっっ!!」」」」

 路地上に悲鳴が響き渡る。だがそれはホステスの物ばかりでなく、しかし離れたところからも上がった。
 悲鳴を複数上げさせたのは、スカウトマンの惨状を皆が目の当たりにしたワケではない。
 何と、スカウトマンが襲われている所とは別の場所でも、別人がもう一つの――いや、あと5つも銀色のヘビがその路地内に出没し、6人の人間を捕縛していたのである。先程の悲鳴の中には、そのヘビに捕まり、辛うじて口を塞がれていなかった通りがかったと思しきOLが発したものもあった。
 あまりの出来事に、ホステスは腰を抜かしてその場にへたり込んでしまった。ホステスの目の前ではまだスカウトマンが銀色のヘビを引き剥がそうと奮闘していた。

 “それ”には、ある役目があった。それが、“それ”の存在理由であった。
 無論、“それ”はその存在理由の意味を考えたコトは無いし、否定する気など無い。
 ただ、与えられた使命を果たすのみ。
 ――捉えたモノから聞こえる、ある変調をキャッチして――――

 歌舞伎町のおさわりバーを経営する地回りの男は、銃声に驚いたコトはなかった。彼自身、ハワイへ言った時に銃の撃ち放題を楽しんでおり、耳障りでしかないその炸裂音にはある程度慣れていたつもりだった。
 しかし、その音を雑居ビルの事務所内で聞いた時、流石に男は腰が抜けて直ぐには立ち上がれなかった。
 音ばかりではない。事務所の窓ガラスが、一斉に割れて室内に散ったのである。すわ銃弾でも撃ち込まれたのか、と驚く男だが、ここしばらく近隣の人間たちと揉めた覚えはないし、最近ホステスの件で繋がりをもった中国人グループとの関係も円満であったハズだった。
 男はようやく立ち上がれると、恐る恐る窓の外を壁に隠れながら覗いた。
 すると、自分の事務所ばかりか、向かいやはす向かいのビルの窓も同様に割れていたのである。

「――やっぱ、爆発事故か?」

 男はようやく先程の音が、爆発音だと言うコトを悟った。いや、銃声にしてはあまりにも大きすぎていた。
 そのうち、下の方から火薬と、髪の毛を焦がしたような臭いがあるコトに気付き、下の方で爆発事故があったのだと思って下を向いた。
 男は唖然となった。

「…………何だ…………戦争でも起きたのか?」

 下の路地には、地獄絵図が拡がっていた。
 赤色系のタイルが敷き詰められた路地は、所々その赤みが増し、同時に見慣れぬ、いやその単体の形と言う意味では見たコトのないモノが散らばっていた。
 男はそれを知っていた。それは彼自身の四肢と同じモノであったからだ。
 男は口をぱくぱくさせた後、思わず顔を背け、同時に、床に胃の中のモノを全部ぶちまけた。臭いと視覚が彼の理性を真っ白にさせていた。その日以降、男は肉を焼いた料理は一切口に出来なくなってしまったという。

 幸運のメールをもらったホステスは、鼻につく異臭に刺激されて目を覚ました。そしてぼうっとする意識の中で、突然自分を見舞った衝撃波によって気絶してしまったんだな、と理解した。へたり込んだ姿勢で気絶していたコトには気にも留めなかった。
 やがて、頬が冷たいコトに気付き、頬に手を当てた。
 ぬるり、と粘るものが頬にこびり付いていた。ホステスはその呆然としている頭の所為でなんの躊躇いもなく頬の粘りを拭ってみた。
 それは赤かった。見慣れすぎた赤色だった。
 つづいて、ぼとり、と頭から右手の上に何が落ちてきた。
 ホステスはなにげに自分の右手を見た。
 そこにあったモノは、白い水っぽい、やや丸みかがっていて、その中央にいる黒い――鏡で自分の顔を見た時に必ず見える、半ば潰れかけたそれが乗っていた。
 ホステスはそれが、あのスカウトマンの顔に埋没していた一対の片割れであるコトを知る由もない。スカウトマンは既にホステスの目前から欠片も無くなって――否、欠片の状態でしか存在していなかった。恐らくはそれをホステスばかりか、他の者でさえ、元があのスカウトマンだった、などと判らないだろう。そこに彼を想起させるモノなど微塵も存在していなかった。
 そのうちホステスの意識は、べきり、という音と共に白濁色の中へ永久に消えさった。
 至近距離からの爆発によって、内臓が吹き飛び空っぽになった腹部を大きく広げ、辛うじて繋がっていたが最後の亀裂が砕けてへし折れた脊椎と剥き出しにして、飛び散った金属片によって裂かれた首の頸動脈から、噴水のように流していた夥しい自身の血の海に沈んだ。
 阿鼻叫喚の光景であった。煙と異臭に包まれたその路地には、辛うじて生き残った人たちの助けを求める呻き声が拡がっていた。急報よりも先に、ほとんど目と鼻の先でその爆発音を耳にした、MYCITYの一階にある交番に詰めていた警官たちが最初に到着したが、その光景に彼らは言葉を無くし、一番若い警官がたちまちその場にうずくまって嘔吐してしまったほどであった。
 死者15名、負傷者97名という、かつて昭和49年8月に過激派によって引き起こされた、丸の内の三菱重工業本社爆破事件(死者8名、重軽傷者約370人)以来の、日本国内に於ける、都市部での大規模爆発事故――いや、爆発“事件”は、発生から一時間も経たず特別編成によって放送されたTVニュースによって全国を震撼させた。

                 つづく

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