ToHeart if.『矢島の事情 〜 告白 〜 』第22話 投稿者:ARM 投稿日:8月8日(火)01時32分
○この創作小説はPC版『ToHeart』(Leaf製品)の世界及びキャラクターを使用しています。
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【承前】

「そろそろみんな帰ってくる頃だから帰るわ」

 そう言って矢島がベットから起き上がって服を着始めると、由那は、えー、と不満そうに言った。

「無理ゆうなよ。一応、留守番しているコトになっているんだから」
「むー」

 由那は唸ると、ベットから起き上がり、矢島の横でパジャマを着始めた。

「台所の後かたづけ、まだ途中だから」
「手伝おうか?」
「いいよ」

 由那は、にっ、と笑った。

「でもさ、辛かない?」
「寿が帰っちゃうのはねー、辛いっていうか寂しいなぁ」
「そ、そうじゃなくって」

 矢島は赤面しながら怒鳴った。

「一応、女の子の日だし、色々と……」
「そうだよねー、そんな日なのに2度もヤっちゃうし」
「お、お前なぁ(汗)」
「ふふっ、冗談だって」

 由那は意地悪そうに笑い、

「――――寿、大好きだよ」
「お……おま……ぇなぁ(汗)」

 すっかり由那のペースに引き込まれた矢島は、顔を真っ赤にしておろおろした。しかし、暫くして矢島は真顔になり、由那の顔をまじまじと見つめた。
 矢島に見つめられ、由那は始め、調子に乗って笑っていたが、やがてその真面目な様子にようやく笑うコトを止め、そして溜まらなく気恥ずかしくなって俯いた。

「……その……なんだ」

 矢島も場の雰囲気に気まずくなって仰ぎながら言った。

「……色々心配かけて済まなかったな」

 すると由那はゆっくりと首を横に振ってみせた。

「少しは心配させるくらいじゃないとつまんないさ」
「………………由那」
「……な、何?」
「お前は、推薦で大学に行くんだろう?」
「え――、あ、うん、そのつもり」

 由那が不思議そうな顔で頷くと、矢島はにこりと微笑み、

「俺はいけなくなったけど、バスケットは趣味で続けるつもりさ。だけど、由那はバスケットの名プレイヤーの道が待っている。――俺の分まで頑張ってくれよ。ずうっと応援していくからさ」
「寿……」
「何、そんなしけたツラしてんだよ?もともと、お前のほうがバスケの腕前は上なんだ。いつまでも俺を目標なんかにしないで、自分のやり方を見つけられたから、全国一になれたんだぜ。もっと自信持てよ」
「…………」
「そのうちさ、由那、世界大会やオリンピックにでも出られる名プレイヤーになっているだろうよ。だけど、俺も諦めているわけじゃないぜ」
「え?」
「社会人だって、頑張っていればきっとチャンスはある。――今度は、俺が由那を追いかける番だ」

 矢島はそういって由那にウインクした。
 すると由那は、感極まって矢島の胸に飛び込み、ごめん、ごめんね、とすすり泣きだした。

「おいおい…………!」
「……うん。……待っているから…………!」
「由那……」
「約束だから…………だから頑張ってね!」
「……ああ」

 矢島は頷くと、由那は顔を上げた。暫く見合わせた後、二人はまたキスを交わした。


 翌日。
 久しぶりに由那と一緒に登校した矢島は、教室に入ると浩之とばったり出くわした。

「よぉ、藤田。早いな」
「進路指導の池上がうるさくてな。――そういや、昨日、あれからどうした?」
「あれからどうした――」

 オウム返しに言う矢島は、途端に顔を赤らめた。
 その奇妙な反応に、浩之は戸惑ったが、しかし直ぐにその理由に気付いた。

「まさか、お前――――」
「お、おい、藤田!何、そんなイヤらしい顔で笑いやがって!(汗)」
「いやいや、男の子ですから、そういう展開もありかなぁ〜〜って思っただけさ……図星かい、この色男(笑)」
「だからっ!」
「いーって、いーって。男同士の秘密にしておくさ」

 浩之はニヤニヤ笑いながら矢島の横をすり抜ける。

「おい、頼むから……!」
「判ってるって。ナイショナイショ――ま、お前さんにはあかりのコトで世話になったからな。正直、収まるところに収まってくれて、俺としては嬉しいよ」
「藤田……」
「おっと、進路指導室に急がなきゃ。――後で詳しく教えろよ」
「お前なぁ(笑)」

 慌てて進路指導室へ向かう浩之の背を、呆れ顔で見送った矢島だったが、やがて、ふっ、と笑みをこぼしてお辞儀するように俯いてみせた。


 その日の昼休みが始まったばかりの頃のコトである。
 食堂で由那と話していた矢島は、校内放送で進路指導室の教師から呼び出された。

「何、今の?――寿、何か悪いコトでもしたの?」
「誰がするか(笑)。ちょっと言ってくるわ」
「あ、あたしも」
「何でお前まで着いて来るんだよ」
「なんか気になるんだよねー。女の勘かな?」
「何、いってやがる(笑)」

 矢島についていった由那だったが、流石に一緒に進路指導室へは入れず、廊下で待つコトにした。
 暫くして、廊下の向こうから、智子がやってきた。

「あれ?由那やないの?」
「あ、智子。何か用?」
「進路指導の池上先生に呼ばれたンや。由那も?」
「ううん。寿がね、さっき校内放送で」
「……あ、そういやそんな放送があったなぁ。何か悪さでもしたんか?」
「ないって(笑)」
「となると、ちょっと入り辛いなぁ……」

 智子はそう言うと、室内にいる矢島たちに気付かれないよう、そうっと扉に側耳を立てた。


 進路指導室内では、矢島が教師の横の席に座っている、太った初老の紳士と対面していた。

(……うわ、リアルカーネルサンダース(笑))

 大手フライドチキンチェーンのマスコットというか創設者を模したシンボル的キャラにそっくりな紳士は、にこやかな笑みを浮かべて矢島をまじまじと見ていた。

「矢島、紹介する。この人は来栖川建設株式会社のバスケット部部長、金城さんだ」
「金城です。矢島くん、初めまして。キミのコトは去年の高校生バスケット大会の頃から存じ上げていましたよ」
「は、……はぁ」
「矢島、座りたまえ」

 進路指導の教師である池上に促され、矢島はゆっくりと席に着いた。

「矢島。実はな、今朝ほど、金城さんから連絡があって、お前の進路のコトで色々話を訊きたいそうなんだ」
「進路?」

 きょとんとする矢島に、金城は、こほん、とわざとらしげに咳払いをしてみせ、

「単刀直入に言います。――卒業したら、来栖川建設のバスケ部に来ないかね?」
「へ?」
「つまり、だ。金城さんは、矢島、お前を来栖川建設に入社させたいとおっしゃっているんだよ」

 池上は嬉しそうに言った。

「渡りに船とはこのコトだな。――今年は高卒は採る予定はなかったそうだが、矢島が進学しないコトを知って、金城さんがわざわざ採用枠を用意してくれたそんなんだ」
「……え?何でそのコトを?」
「会長のお嬢さんからお話があったのですよ」
「会長――来栖川綾香さん?」

 矢島は瞠った。

「まさか、昨日の――」
「綾香さんが、矢島くんが家庭の事情で進学を断念されたコトを教えてくれましてね。そこで……」
「ちょ、ちょっと――ちょっと待って下さい!」

 矢島は思わず立ち上がった。

「?どうした、矢島?」

 池上は驚いて訊くが、矢島は金城のほうを向いたままだった。そして唇を噛みしめ、二、三度、頭を振って見せた。

「…………有り難い話ですが、しかしあれは……」
「ほっほっほっ――綾香さんの予想通りの反応をするね、矢島くんは」

 金城は、悔しそうな表情をする矢島を見て、したり顔で笑った。

「大丈夫。……綾香さんと就職の世話をかけて勝負されたそうだが、そんなコトは関係ありませんよ」
「え?」
「先ほども申しましたよ。――私たち来栖川建設バスケット部は、昨年の頃から矢島くんに注目していたのです」
「…………」
「私たちは、矢島くんが大学進学後に接触を図るつもりでした。大会中の矢島くんの活躍を観てて、キミの実力なら、社会人の中でも、いや、あるいはNBAでも期待に応えられるくらい良い働きをしてくれるだろうと思っていました。ところが、家庭の事情で進学を断念されたコトを聞きましてね。早めに青田買いしておいた方が得策と思って、今日、急ながら訪問させていただいたのです」

 それを聞いた矢島は、はぁ、と溜息を吐き、腰を落とした。

「…………どうかね?無論、給料は出すよ。事情は綾香さんから色々聞いている。矢島くんの実力なら、大卒待遇で迎え入れるつもりだよ」
「……………………」

 矢島は俯いたまま黙り込んでいた。綾香が全部お膳立てしたわけではないのは判ったが、それでも矢島は、一種のプライドが働いて素直に首肯出来ずにいた。
 しかしこれも、運のひとつである。奇妙な縁だが、そのお陰で将来に光明が見えたのである。それに甘えても、誰も文句は言わないだろう。

「…………どうかね?」

 金城は優しく、もう一度訊いた。
 それでも矢島は、頷けなかった。唐突な話に、気持ちの整理がなかなかつけられずにいたのだろう。
 金城は、そんな矢島の心情に気付いていた。一流のプレイヤーには、一流の誇りがある。綾香との一件が、矢島に踏ん切りをつけ難いものにしているのであろう。金城はそんな矢島が、若いと思いつつ、かわいい、と思った。何も悩まずに即答する最近の若者の中で、流石見込んだだけのコトはある、と心の中でほくそ笑んでいた。
 だから、金城は攻め方を変えた。

「…………矢島くん」
「……?」
「……バスケット、したいかね?」

 訊かれた途端、矢島の全身に電気が走った。
 何のわだかまりもなく、好きなバスケットをしたい。それが矢島の正直な気持ちだった。
 だからなのかもしれない。
 矢島は、堪えきれず涙をこぼし、

「…………はい。………………バスケットがしたいです」
「うん。決まりだね」

 金城は満面の笑みを浮かべた。
 と、同時に、進路指導室の扉が勢い良く開かれた。

「――――寿っ!」
「……由那?」

 智子と一緒に、こっそりと進路指導室内の話を聞いていた由那は、嬉しさの余り我を忘れてしまったらしい。その横では智子が、困ったふうに由那の腕を引っ張っていた。

「……平光か?何だ、保科も……何やってんだお前たち」

 驚いていた金城は、呆れたふうに言った。由那の腕を引いていた智子は、困ったふうに苦笑した。

「――――やったなっ!これで寿も、――これで、みんな…………うまく…………うわあああああああああんっ!!」

 感極まった由那は、智子の胸に飛び込み号泣し始めた。突然のコトに智子は困ったが、諦めて、よしよし、と由那の背中を撫でながら宥め始めた。
 そんな由那を見て、矢島は目尻の涙を拭い、困って肩を竦めた。

「……矢島くん」
「え?」

 不意に、金城に呼ばれた矢島は振り返った。
 金城は、ふくよかな丸い顔で、優しそうに微笑んでみせ、

「…………キミの周りには、素敵な人たちが一杯居るようだね?」

 皮肉でも何でもない。社会人バスケット界で一番厳しい超一流の監督と恐れられながら、「仏の金城」の二つ名を持つ、人徳者である金城の正直な感想だった。
 矢島はそんな問いかけに、少し戸惑ったが、はい、と嬉しそうに頷いて見せた。

       最終回へ つづく