ToHeart if.『矢島の事情 〜 告白 〜 』第19話 投稿者:ARM 投稿日:8月1日(火)00時54分
○この創作小説は『ToHeart』(Leaf製品)の世界及びキャラクターを使用しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【承前】

「へ……、へぇ」

 あかりはどこか引きつった笑みを浮かべた。子供の頃は無茶するのは当たり前で、誰も一つくらいはやんちゃなエピソードくらいもっているだろう。
 まさか、女のコが自分から丸坊主になるとは。
 あかりはどう応えていいものか、暫く迷った。しかしそのうち、どうして由那がショートカットで居るのか、その理由が何となくだが判った。

 女のコじゃ、矢島と対等で居られない。

 それで由那は、“外見だけでも男の子になった”のだ。
 言葉遣いまで男言葉を使っているうちに、精神的にも男になった――つもりだったのだろう。その歪みが、今回の騒動の根底にあるようである。
 だからあかりは、可哀想、と思った。――その一方で、うらやましいなぁ、と思った。もし由那のそんな勇気の僅かでも、自分が備えていたら、もっと早く浩之に想いをうち明けられたのかも知れない。
 一緒にいられても、想いを寄せても、それを告げない限り、決して気付いてくれはしないのだ。あかりはそれを痛いほど、胸が締め付けられるほど、知っていた。

 あかりが、矢島と話してきたという浩之の話から感じ取ったのは、そんな自分と由那を、幼なじみ、と言う要素から偶然重ね見て気付いた、由那の不自然さであった。
 あかりは、矢島に好意を持っているハズの由那が、それを認めようとしないのには何か原因があると思った。そしてそれは、昨日今日の話ではなく、子供の頃に起きた、何か、なのだろう、と予想した。果たして予想通りではあったが、殆どトラウマ同然のものであったコトを知ると、あかりはやり切れなさそうに溜息を吐いた。
 そして一番、あかりが厄介だと思ったのは、その由那が矢島に、異性として好きであるという自覚を持っていないと言う事実であった。結局、由那は、その本心とは裏腹に、「友達」として付き合うコトに満足してしまっているのである。
 つまり、小学生の時にあった、バスケットが原因となった喧嘩に、由那は未だに怯えているのである。オンナのクセに、と言う一言が、由那のトラウマになってしまい、矢島に嫌われるコトを無意識に恐れて、「友達」として接しようと努めているのだ。

 由那の話を聞いて、大体のコトを理解したあかりは、しかし、どうしたものか、と迷った。恐らくは、由那に向かって、「本当は由那は矢島のコトが好きなんだよ」と教えてあげても、無意識にトラウマがフィルターとなり、「気の合う友達なんだよ」と受け止めてしまうだろう。いや、多少、由那を刺激するコトは出来ても、それを理解する頭を持っていないのである。馬の耳に念仏、と言うべきか、あるいは悪い魔法をかけられてしまった哀れなお姫さまと言うべきか。
 その呪いを解けるのは、無自覚に呪いをかけてしまった矢島以外は居ない。
 その矢島は、こちらもまた未だに、由那への想いを気付いていない。ならばまずは、矢島のほうを何とかしなければ解決出来ないであろう。
 だが矢島本人は、その話題から目を逸らしているようであった。誰か他に好きな人でもいるのかなぁ、とあかりは小首を傾げるが、思い当たる女性には心当たりはなかった。というより、矢島が告白した相手と言えば、あかりと智子以外には、そんな話は聞いたコトが無い。

「………………あ」

 そんな時だった。あかりは、ふと、どうして矢島が智子に交際を申し込んだのか、その経緯を思い出した。あれは、未だに新しい環境に馴染めず心を開かなかった智子を見て、可哀想にと思った為であった。

(……可哀…想…………?)

 思えば、矢島が、好きだ、と言った相手の共通点は、智子にも指摘されたそれであった。
 なのに、この違和感はなんだろう?――本当にそれだけなのだろうか。あかりは戸惑った。
 由那は黙り込んでうーん、と唸っているあかりを不思議そうに横目で見つつ、着替えを再開した。
 暫しの無言。
 頭の中がゴチャゴチャになってきたあかりは、考えるコトを諦め、気分転換と思い由那を見た。
 相変わらず、うらやましい体格しているなぁ、と思った。難しい事を考えていた反動か、妄想が膨らみ、ああ、あそこがああだったら浩之ちゃんにあんな事やこんな事を、と、彼氏である浩之が聞いたら鼻血が止まらなくなりそうなコトを考え出していた。
 そのうち、あかりは、また、「あ」、と言った。

「……?」

 由那はあかりをいぶかしんだ。

「何?智子、って?」
「は?」
「神岸さん、今、そう言った」

 どうやらあかりは無意識に何かを口走ってしまったらしい。
 しかもそれは、智子、だったようである。

「――――智子?!」

 突然、あかりは素っ頓狂な声を上げた。由那は瞠って呆気にとられた。

「わたし、今、智子、ってゆった?智子ってゆったの?」
「う、うん」

 おろおろしながら訊くあかりを見て、由那は、面白い人だなぁ、と心の中で苦笑した。

「で、何が智子なの?」
「そ、その――」

 狼狽するあかりは、由那の全身を舐めるようにゆっくりと目で見て、

「智子に似ているかな、って」
「智子……」

 由那はあかりが下着姿の自分を見て、どうして智子が出てくるのだろう、と思った。

「……ボクが智子に似ているの?」
「う、うん……胸とか、体型とか――あ゛う゛」
「え?あの?その」

 言われて、由那も戸惑った。由那は素の智子を知らないのだから無理もない。

「へ、変なつもりで言ったんじゃないのよ――体型はそれはそれとして、――雰囲気が」
「……雰囲気?」
「う、うん――凄く似ていると思う」

 あかりが落ち着きを取り戻したのは、由那と智子を改めて比較した所為だった。
 確かに似ている。由那に眼鏡をかけ、髪を伸ばしてお下げにすれば――いや、ショートのままでも充分似ている、とあかりは本気で思った。

「……そう言えば、平光さん、昔お下げしていたって」
「ガキの頃だよ、ガキ」

 そう言って由那は、にっ、と笑い、

「今更、髪伸ばすつもりもないけどね」
「でも……」
「?」
「昔は伸ばしていたんでしょ?――さっきの話の頃は」
「…………うん」

 由那はためらいがちに頷いた。

「……だからね」
「?」
「矢島くん、智子に声をかけたんだと思う」
「――――」

 唐突すぎるあかりの話についていけない由那は、酷く戸惑った。そのコトは直ぐにあかりも理解し、また慌てた。

「ご、ごめん――えっとね、さっきから色々言っていたコトはね…………どうして矢島くんが、わたしや智子に交際を申し込んだのかなぁ、って、ずうっと不思議に感じていたんだ」
「不思議?――神岸さんや智子を好きになったっておかしくないと思うけどなぁ。神岸さんは家庭的だし、智子は賢いし」
「んーと、ねぇ。そう言うコトじゃないの」
「何?」

 きょとんとする由那に、あかりは頷いてみせた。

「なんで、わたしや智子に惹かれたのかなぁ、ってコト」
「…………」

 由那はあかりの考えが判らず憮然とした。

「家庭的や賢いから、って理由で女のコに惹かれるような、そんな人じゃないと思うの」

 あかりはそんな由那の様子に気付いていたが、構わず話を続けた。

「そしてそれは恐らく――惹かれる何かが、わたしや智子にあったんだと思うの」
「……だから、それは神岸さんが家庭的だから――」

 由那が少し呆れ気味に言おうとすると、あかりは首を横に振った。

「――矢島くんはね、きっとわたしや智子に、平光さんの影を見たんだと思う」

   *   *   *   *   *   *   *   *   *

 浩之と別れて下校した矢島は、あれから、学校から町へ下る坂にある、家へ向かう十字路で向きを変え、小・中学生時代通っていた母校の小中学校がある道へ歩いていた。
 間もなく、夕映えに包まれた母校の校門前に立った矢島は、校庭のほうを見て、はぁ、と溜息を吐いた。由那が来ていると思ったのだろう。
 一年前の時もそうだった。矢島からバスケのスタイルのコトを指摘された由那は、ちょうど今ぐらいの時間に、ここで練習をしていたのだ。しかし由那はその頃、家から慌てて学校に戻って入れ違いになっていたなどとは、矢島は思いもしなかった。
 矢島はどうして真っ先に由那の家に向かわなかったのだろうか。
 その理由は、浩之との会話で思い出した、昔の出来事であった。

 その男の子と女の子は、幼い頃からいつも一緒に遊んでいた。
 だがある日、その男の子は、好きな漫画に刺激されて始めたスポーツに夢中になり、その女の子を置いてきぼりにするようになった。
 その女の子は、置いてきぼりを嫌がり、その男の子たちが遊んでいるそのスポーツに混ぜて欲しい、と言ってきた。
 その男の子は戸惑ったが、友達が良いというので、仲間に入れた。
 その女の子は、その男の子が夢中になったスポーツの天才だったのかも知れない。女の子という体力的なハンデをモノともせず、メキメキと頭角を露わにした。
 そしてついに、その女の子は、いつも一緒だったその男の子のポジションを奪い取ってしまった。
 女の子はそんなつもりはなかったのに。


「…………考えりゃ、由那のほうがバスケは上手かったんだよなぁ。……いや、きっと今も、そうだろうな」


 それが、男の子には許せなかった。そこま寛容になれるほど、少年は大人ではなかった。
 それが原因だった。


「……由那、また泣かしちまったな」

 矢島は怒らせて泣かしたコトは良くあったが、怯えさせて泣かしたのは、今日が初めてだと思っていた。浩之との話で、そんな昔のコトを忘れていた自分を、矢島は正直、どうかしていると思った。
 もしかすると、忘れたかったのかも知れない。嫌な想い出だから、尚更。
 忘れてしまっていたから、もう一度同じコトをしてしまったのだろう。矢島はそんな自分を心の中で罵った。

「……ここじゃないとすると、…………あすこかな?」

 溜息を吐くように呟くと、矢島は踵を返し、もと来た道を戻って行った。

   *   *   *   *   *   *   *   *   *

「…………ボクの影?」

 あかりは頷いた。

「似ているから。――智子、ね。前に矢島くんに交際を申し込まれた時、まだ、今の環境に馴染んでいなかったんだ。それで、警戒心が強くって、そんな智子の気持ちを理解してくれた浩之ちゃんぐらいにしか、うち解けてくれなかったんだ。心の壁、ってヤツなんだろうね。自分の殻に引きこもり、本当の自分、ってのをさらけ出すコトをためらっていたんだ」
「…………殻、って、別にボクは……」
「それ」
「?」
「……矢島くんのコト、本当に好きじゃないの?」
「好きは好きでも、LOVEじゃない――」
「本当にそれで、自分が納得できるの?」
「――――」

 由那は驚いた。大人しそうに見えるあかりが、腹に据えかねたように、きっ、と自分を見据え、正すように強い口調で訊いてきたからであった。
 正直、あかりは怒っていた。

「――わたしは嫌。自分を偽って、自分が傷つくのを我慢しているなんて――好きな人に、好き、と言えない自分は嫌い」
「…………」
「――たとえ、傷つくコトが判っても、やっぱり逃げ出しちゃいけないよ!きっと矢島くんは、平光さんの正直な一言を、待っててくれているハズだよ!」

 あかりは、俯きだした由那に、訴えるように言った。
 由那は暫く俯いたまま黙り込み、やがてあかりのほうへ当惑の眼差しをくれた。

「……どうして、そんなコトが、神岸さんに判るの?」
「判るよ」

 あかりは微笑んで頷いた。

「わたしもそうだったから。さっき、言ったでしょう?わたしも浩之ちゃんに正直になれなかったから。――正直な気持ちも言えずに、ただ、浩之ちゃんを遠くから見ていただけのわたしと、今の平光さんとどう違う?」
「――――!」
「……同じ…………だよね?」

 あかりは動揺を隠せない由那に優しく訊いた。

「……同じ、だよ。同じだから、そんなわたしに平光さんの影を見つけ出してしまったんだと思うの。自分に正直になれず、殻に閉じこもっていた智子と、我慢しているだけのわたし。それがわたしたちと平光さんとの共通点で、矢島くんが惹かれた最大の理由だよ。――だから、平光さんも」
「…………?」

 戸惑う由那に、あかりは頷き、

「……勇気を出そう。そして、本当の気持ちを、矢島くんに伝えようよ!」

 あかりは、由那の気持ちを理解出来たと思い、それが一層、あかりのテンションを上げさせていた。
 由那にはそれを否定する材料も根拠もなかった、

「…………どうして」
「?」
「…………どうして、神岸さん、そんなにボクのコトにこだわるの?」

 由那は不思議だった。あかりがこんなにお節介な女の子とは思ってもいなかった。いや、これは並みのお節介ではない。
 悪い要素はない。あかりは自分事のように由那を励ましてくれているのだ。

「だって」

 あかりは笑った。少し、赤みを帯びていた。

「……矢島くんがいなかったら、きっとわたしと浩之ちゃんの関係は、あのままだったから――――矢島くんにも幸せになって欲しいから」

 そういうコトを臆面もなくいう――いや、照れているのは目に見えて判るが、由那が話で聞いていた神岸あかりという少女は、もう少し大人しい娘だと思っていた。
 多分、不断はこんな熱っぽい少女ではないのだろう。ここまで熱くさせているのは、あかりが正直すぎるからなのだろう。
 そして、それ以上の感情が、ここまで自分の思ったコト、考えたコトを熱く語ってしまうのだ、と由那は思った。
 矢島がそんなあかりに惚れてしまったのは無理もないだろう。恋する女はきれいだと言ったのは誰だったか。由那はひとり、思いを巡らせた。

 そんな娘に、自分は本当になれるのだろうか。

 由那にかけられていた魔法は、多くの言霊を受けてゆっくりと解呪されようとしていた。

 そして、魔法をかけた若者はその頃、最後の解呪を果たす道程の徒となっていた。

       第20話へ つづく

http://www.kt.rim.or.jp/~arm/